新宿ゴールデン街の「小茶」
佐藤 孟志(さとう もとし)昨年暮れ、新宿・ゴールデン街の”小茶(こちゃ)のおばちゃん”が、82歳の大往生を遂げた。戦後の焼け跡闇市の時代から飲み屋「小茶」を開き、全力で走り続けた人だった。1年365日1日も休まず、夕方6時から始発電車の出る頃まで営業。終電を逃した酔客や閉店後のゴールデン街や歌舞伎町のママ連でにぎわい「おばちゃん」「お母さん」と慕われた。今回は小茶のおばちゃんのことを書いておきたい。
僕が最初に小茶に出会ったのは、たしか20年ぐらい前。今は亡き「まえだ」のママに連れて行かれ、飲み疲れてうつらうつらしていたら、「ここは寝るところじゃないのよ。寝るんだったらとっとと帰りな」と一喝をあびて一ペんで酔いがさめてしまった。
以来時々行くようになったのだが、びっくりしたのは出て来るものの量の多さ。煮物、玉子焼き、さしみのブツ、ぬか漬けなどが並の店の3倍から5倍ぐらいある。持ち帰りでおにぎりを頼むと、某有名AVF(E)カップ女優の胸ほどのポリュームがあった。
貧しく若い映画・演劇人のたまり場みたいだったので、せめて食い物だけは腹いっばい食べさせてやろうという思いやりだったのだろう。それは最後まで続いた。
あと度肝をぬかれたのが冷や酒を注文したとき。一升瓶が一本目の前にドーンと出て来て、「勝手にやりな」である。帰りに「お勘定を」というと、赤城の山の国定忠治みたいに瓶を「キッ」と灯りにかざし「××円」とおっしゃる。
それやこれやですっかり小茶にハマってしまった。で、ぜひ一度はおばちゃんの写真を撮らせてもらいたいと頼んだのだが、絶対「NO」である。どんな人にも撮らせたことがないしいと言う。
戦前、19歳前後のおばちゃんは、赤坂にあった「フロリダ」と言うダンスホールでNO・2を張っていたという。その時のNO・1が後の大女優の桑野通子だったそうだが、今さら老いた姿を残したくないということだったようだ。
それでもなんとかゴールデン街のあるママを通してやっと一枚だけ撮らせてもらった。アップはダメ、写真の隅の方にちょっとだけ写っているならという条件。なんとか条件を満たしてプリントを持っていったら意外に喜んでもらえて、大きく伸ばしてくれということで、全紙に伸ばしてさし上げた。その写真を最後まで店に飾ってもらっていたのは自分としては望外の喜びであった。その小茶で、一度だけ悔しい思いをした。
あるときフラフラ入って酒を飲んでいたら、急に回りで女優の高橋恵子さんのことを話しだした。僕は高橋さんが関根さんとおっしゃっていた時から、世の中にはこんな美しい女性がいるのかと思っていたぐらいの男だから、おばちゃんに高橋さんがここに来ることがあるのと聞いたら、「なにねぼけたことを言っているのよ、今まであんたの隣に座っていたじゃない」と怒られてしまった。
そう言えば隣に女性がいたのは気がついていたが、僕がいくら下品な男でも隣の女性の顔をのぞきこむようなハレンチなことは出来ませんよ!
作家の田中小実昌先生とも隣同士になったことがある。亡くなられる2〜3ヶ月前の中上健次氏を見かけたのも小茶でのこと。どう見ても大作家には見えず、どこかの親分みたいなチョビヒゲをはやした男が、バーンと椅子の上に足を投げ出して、編集者らしき男に向かって「この中上を呼びだしたからには・・・」とわめいていた−。
エピソードにあふれ、みんなに慕われたおばちゃん。先週14日のバレンタインデーには「しのぶ会」も行われた。それも最終上映後の映画館のテアトル新宿を借り切り、夜の10時から朝の5時までという破格のもの。集まった飲み助たちは小実昌先生、高橋さんをはじめ約400人。多彩な顔ぶれが次々と壇上でおばちゃんの思い出を語った。だが「出入り禁止」連発のおばちゃんのことだから、今頃天国の入り口にデーンとかまえて、半端な酔っ払いの亡者がフラフラ昇っていったら「出入り禁止よ」と追っ払い返しているかもしれない。
管理者より
文中に出てくる佐藤さんの写真は、「写真館」に展示してある、この写真です。