美緒の気まぐれエッセー

ラストナイト

こんな静かな淋しい晩は、ラストナイトの君を思い出す。小茶が区役所通りから移転した後のお話です。お母さんも私も若かった。そしてお客さん達はもっと若かった。ラッシィという馴染み客が、新人を連れて飲みに来た。二人共20代だったと思う。
ラッシィはその頃躁鬱病の躁の時期でやたら明るく、うるさくはしゃいでいた。母の店も私の店も混んでいて、昔の客は今よりもっと元気であったし、私もまだつっぱっていた頃なので、
「ラッシィ、うるさいよ!」
位で相手もせず、気にもとめなかった。I.W.ハーパーを注文されて、
「ハーイ、ありがとう」
とオクターブ高いのりのいい声で、ニューボトルと名前を書くための銀色の油性マジックを手渡した。後はどの客も夜が更けると共にアルコールが廻り、支離滅裂。有線からはジャズが流れ、唄う者、愚痴る者、笑う者、漂う煙草の煙――酒場特有の色香が立ち込めていた。
何時間か、ラッシィのど明るさに、おとなしい新人さんは相槌を打っていた。傍目には楽しそうに見えていた。その後ラッシィはトイレに入ったっきり、なかなか出てこない。やっと出てきたと思ったら、手を洗う小さな洗面台と便器中に、ゲーゲー、ゲロゲロ吐いていた。もう手の施し様もない位の様で、私はラッシィに怒った。しかしラッシィはもう聞こえませーん状態で、へれへれ。仕方なく、新人さんに、
「一緒に来たんだから、トイレ掃除して頂戴。他の人、使えないじゃないの!」
と私は言った。嫌がりもせず、静かに丁寧にモップと雑巾でトイレを掃除していた彼の姿を、今でもはっきりと覚えている。

ひと月位して、ラッシィが真面目顔で現れた。
「どうしたの?」
私が聞くと口ごもりながら、
「あいつ、小茶で飲んだ翌日、首吊り自殺したんだって」と。
「エーッ、何で?」
ラッシィは、何故そうせざるを得なかったかの経緯を話し始めた。もう可哀想でしょうがない。最后にトイレ掃除なんて悲しすぎる。
二人して重―い空気に包まれた。ラッシィは新人さんの実家にお線香をあげに行くとゆう。それじゃ、亡くなる前日に小茶で飲んだボトルを手向けましょうとゆう事になり、ボトル棚からI.W.ハーパーを探した。恐る恐るボトルを手に取った。あっ、そこには新人さんの絶筆、 "last night" と記してあった。

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