クラリネット♪2
それからというもの、なにか新しい曲をする時は必ずその曲の背景を調べるようになった。
このフレーズには、どういう思いが込められているか、またはどういうイメージをもって吹けばよいのか・・・。
考えれば考えるほど、面白くなっていった。音楽というものの奥深さに、その深い所にちょっとだけ近づいた
と思う。たった一枚のおたまじゃくしが並んだ白と黒の楽譜に、色々な思いが込められていて、演奏するこ
とで作曲者の意図が導かれ、人を感動させる音楽を、そして、その当時を再現することができる。
そんな魔力に取り付かれてしまった。
大学の時、コンクールには一度も出なかった。一般団体で参加する機会もないわけではなかったが、
参加しなかった。高校の時の辛い思い出が頭から離れないからかもしれないが。大学で吹奏楽を続けるに
あたって、考えが徐々に変わっていった。コンクールは確かに一つの目標ではある。それに向かって努力す
る事には、大きな価値があると思う。しかし、金賞を取れたからそれでいいのか。嬉しいのか。満足できるのか。
コンクールというものは、技術をどうしても追い求めてしまうような印象がある。技術はもちろん大事であるし、
一つの楽器を続ければ続けるほど自然と追求していくようになるものだ。しかし、技術は必ずしも必要なのか。
技術がなくても、いい演奏をする団体はたくさんあると思う。それでは、いい演奏とはなんだろうか。
いつかこんな演奏会に行ったことがある。あるオーケストラの中で盲目の男性がバイオリンを一心に弾いていた。
その演奏会の最後のアンコールが終わった時点で、涙が止まらなくなった。その人の音楽に対する気持ち、
団員の気持ちが、熱いものが伝わってきたかのような、なんとも知れない気持ちになった。
中学生、高校生の一生懸命な演奏をきいたときにも 涙が出ることがある。
コンクールそのものを否定しているわけではない。先日の高校の全国吹奏楽大会の演奏を聴いていても、
埼玉の某高校は素晴らしかった。もちろん技術もものすごい。かなりの練習を積んだと思われる。
シロホンは16分音符をさらに4分割してたたいていたくらいに。しかしその技術以上に、その演奏にはなにか
を感じた。言葉にならないほど、ここに書きようがないくらいに感動させるなにかが、その演奏にはあったような気がした。
技術というものは、演奏を、音楽を楽しむための道具ではないか。その道具も、ある程度そろっていれば、演奏は楽しめる。
また、自分達のやりたい音楽を表現する上で、ある程度は必要になってくる。
要は音を楽しむ‘‘心‘‘が大切だということではないか。私はそんなふうに考えている。