My Negara



はじめてのNegara

1997年年末4回目のバリ。一緒に行くはずだった友人は家庭の事情で急きょとりやめ。一人で行くバリに緊張しながらUbud入り。それまで何度もジェゴグを聴きたいと願いながらも日程が合わず涙をのんであきらめていた。今度こそジェゴグを聴くことが出来ると期待しながら観光会社apaに申し込んだ。 

Negaraまで遠い道のりだと聞いていた。車をチャーターして行ったので地図を見ながらいつのまにかナビゲーターになっていた。地図と首っ引きで町の名前や地形を確認しながらの緊張の道中だった。覚えているとしたら、椰子の木の下で草をはんでいる茶色の鹿顔の牛だった。水牛とのことだが、顔はどう見ても鹿。つまり目が黒くて魅力的な優しい顔に見える。日本で見る今でも「モゥゥゥーーー」と吠えそうなホルスタインとは同種とは思えない顔だった。「バリに来ると牛も優しい顔になるのかしらん」などと馬鹿なことを考えていたらNegaraに着いた。

今回は海岸で3チームのムバルン(競演)という、apaが主催する特別公演。

これまで間近にジェゴグを体感したことがなかった私にとっては十分満足できるものだった。特に、演奏中、夕暮れの海岸に目を向けたとき、夕日を浴びながら砂浜をのんびりと歩く水牛とその飼い主のシルエットがいまだに焼き付いている。今でもその写真を見ると私の背中の後ろからジェゴグの響きが聞こえてくるような・・・。

スアール・アグンの演者と親しいバリ友から後日談として、演奏中の不思議な出来事や、砂が音を吸ってしまったので演者はとても疲れたとか、おもしろい話しを沢山聞かせていただいた。一番印象に残ったのは「やっぱりスアール・アグンの庭で聴くのが一番イイネ」ということばだった。いつか、実現したいと思った。でも、やはりNegaraは遠い・・・。


2回目のNegara

スアール・アグンの庭で聴きたいと思いながら、なかなかチャンスが訪れないままに、また一年が過ぎてしまった。この間にバリが好きな旅行者「バリ友」も増えた。様々なバリに関する情報がネットを通して、また人づてに入ってくるようになった。

1998年の年末は4チームでのムバルンとのこと。ちょっと迷ったが参加することにした。今度は大型観光バスに乗った。バスから見るUbudは不思議な景色だった。自分が旅行者であることを改めて意識させられた。

道中は長いのでそれなりに覚悟しておかねばと思っていた。しかし、隣の席のご夫婦はバリ歴が長いとのこと。彼らの面白く、不思議で、悲しく、ステキな思いで話を聞いているうちにNegaraに着いてしまった。沢山の話しの中で鮮明に覚えているのは、彼らがひったくりに合ってしまったときのこと。靴下の中の一万円以外の全財産を一瞬のうちに失ってしまった。そして、残りの滞在は安宿やワルンで夫婦が過ごすことになった。例のごとく、土産物屋からあれこれとすすめめられるので「これこれの事情で、お金がないから買えない・・」ことを店主に伝えた。すると、その店主は大層心配し、周囲の人に事情を説明し始め、そのうち、バリ人が集まり、みんなでこの「かわいそうな日本人夫婦」にご飯をごちそうしてくれたとのこと。

こんな話を聞いていると自分までも同じ体験をしたような気持ちになってしまい、またバリの魅力にまいってしまう。

4チームの演奏は素晴らしかった。今回は海岸に向き、草地での演奏だった。後ろは椰子の林だった。音の響きが前年より深かった。観客がまだ席に落ち着いていないうちから、神様に捧げる曲が静かに始まった。スゥエントラ氏が4チーム全体に向かって指揮をするうち、静かに静かに4チームの音が一つになっていく。大きな音ではないのに私の体に響いてくる深い音だった。今思い出してもなんだかのどの奥が熱くなり涙がこみ上げてきそうな気持ちになる一瞬だった。

この時から、この音が響き始める一瞬、そこにいる人達や木々や生き物が呼応する一瞬のために、私はジェゴグを求めるようになったかもしれない。ムバルン、ダンス、コーラス、ジェゴグとの触れ合いタイム・・・、どれもがわたしにとって楽しめるものだが、この始まりの響きは別物のような気がする。


3回目のNegaraそしてホームステイ

1999年の年末、ネットでNegaraのスウェントラ氏宅にホームステイできることを知った。経験者からメールで情報を確認し、JASAツアーに直接FAXを送り申し込んだ。

1月2日apa主催のジェゴグツアーに参加し、バスの中に荷物一式積み込ませていただいた。調度YK2の関係でバリ全体観光客がすくなく、この日のジェゴグツアーも20名前後でスペースがあったからということも理由である。

道中はちょっとバス酔いしかけたが、偶然一緒になったネットのバリ友と旅の情報交換をしながらだったのでなんとか持ちこたえた。バス酔いをしてしまうと道中は長く感じられる。

念願のスアール・アグンの庭でのジェゴグである。旅行カバンを運びながら、JASAのKさんに部屋を案内される。

「田舎の暮らしにようこそっ!」とKさんから明るく言われたものの、バス酔いの名残と、裸電球に照らされたKamar Kecilを見た途端、Kさんの言葉が嫌みに響いてしまった。(ごめんなさいね。その時は勝手にそう思ったのです。)

Kamar Kechil:トイレと沐浴場が一緒になっている。全体水色のタイル張り。透明な綺麗な水がタイルの上を湧き水のように流れている・・のだが、これを見た途端「ここがトイレなのね、ここで済ませるのね」と、いくら頭のレベルでは「ダイジョーブッ」と言い聞かせてもなんだか生理的レベルで落ち着かない。「どこでも生活できる適応力をもった人」を目指す私としては、これまでの自信が崩れる音が聞こえてしまった。マズイ。本当にマズイ。これは周囲の人にばれたらマズイ。平静をよそうべし! そんなことよりジェゴグだ!

ジェゴグはあの始まりの曲、音が静かに響き始めるあの一瞬。スアール・アグンの庭でのジェゴグは私の期待以上だった。

ネットで知り合ったバリ友がいつかこの一瞬をこう表現した。「スゥエントラさんの庭の木々や大地や草や建物は、もう何年もジェゴグの音を聞いて生きてきたんだよ。だからジェゴグの音が響いた途端、彼らは一瞬にして艶っぽく色めきだつんだよ。だからあそこでの演奏はジェゴグの響きも特別なんだよ。」と。

これは本当だと思う。

ジェゴグ終了後、ツアーの人々はさっさと帰っていった。庭で、祭りの後の気分を味わう。気が付くと演者もJASAの人達も誰もいない庭になっていた。なんという落差。

Kamar Kecilで、火照った体に水をかける。たとえ南国の熱いねっとりとした夜でも水は冷たい。修行僧の気分である。それでも体が冷えたときの爽やかさは捨てがたい。これは癖になると思った。


朝、ほうきで庭を掃く音が聞こえてきた。実はずいぶん前から目は覚めている。

ぼんやりした頭を抱えながらテラスに座る。朝ご飯はまだらしい。同行の友人がホームステイをしている家は、そこから徒歩3分。朝の散歩がてら訪問する。友人は朝ご飯を食べようとしているところだった。ラワールだった。1月5日がガルンガンだそうだ。友人の朝食を味見していると、私の朝ご飯が出来たことを誰かが伝えにきた。それからゆっくりと戻ったのだが、徒歩数分の道中、みんなが朝ご飯が出来ていると伝えてくれる。小さな村だ。

午前中、お供えの作り方を習った。良く使い込んだ不格好な、でも良く切れるナイフでIbuはスイスイと椰子の若葉を細工していく。一瞬よそ見をしている間に出来ているくらいの早業である。私の作品は切り口がギザギザだが「もっと勉強すればいいのよぉー」(と言われていたのだと思う・・。)なんて優しい言葉に励まされなんとか幾つかのお供えを作った。

午後、村を散歩した。道の端の草むらを見え隠れしながら歩く動物あり。日本なら犬。Ubudなら鶏の親子。

Negaraはなんと黒い小さなブタだった。ヒコヒコ言いながら鼻を地面にこすりつけんばかりにしながら道の端を歩いている。全部で4−5頭。その内の1頭が私達の前を「ヒーヒー」鳴きながら横切り、クリンと巻かれた尻尾とお尻を上下させながら、小道を走り去っていった。その速さは犬に勝るとも劣らない。ブタがあんなに速く走れるなんて・・・!この光景はいまでも私の目の中に焼き付いている。

夕方、スウェントラ氏がやってきた。竹林へのツアー、ジャワの文化を強く受けた大型漁船が停泊しているプランチャック海岸などを見学する。夕食時、ガルンガンの日にジェゴグを4名でチャーターしようという話しになった。 何という贅沢な話しではないか。

二日間、Negaraでだらだら過ごした。昼寝し、散歩し、動物に挨拶し、友と語り、食事し、夜眠る。時の進み方が非常に遅い。なのに一日はあっという間に過ぎていく。東京での時の過ごし方がこうも異なるのか・・・。今回も都会復帰は辛いものになりそうだ、と思う。

1月5日ガルンガン。朝食も昼食もラワールを堪能する。癖になる味である。正装になって村のお寺にお参りする。初めてのこと、見よう見まねである。おおよそ人が集まるとお坊さんがチリンチリンと鐘を鳴らす。その場にいる10数名の人々が一斉に祈り始めると静寂が流れる。風が頬をなでる。これまで何かを求めていたらしい心が、この静寂の中で何かに出会ったような・・・・。
祈りの合間に幼い男の子がぐずり始めると、祈りの途中でも周囲の人々がぐずっている男の子に笑顔を向ける。ぐずったり静になったり、周囲の人が笑ったり・・・。静粛な祈りだが厳粛ではない、その場の人達と心を通わせながらの祈りの時に、これまた癖になりそうな時である。

「祈りはしたくてするもんで、しなくてはならないもんじゃないんだ」などと、にわか宗教家になったりする。

1月5日ジェゴグ 。4名を聴衆にジェゴグが始まった。この贅沢さになかなか気持ちが入り込めないでいる私。ムバルンが始まって間もなく、土砂降りの雨。ジュニアの若者チームは演奏をやめない。上半身裸の彼らは力をこめ、時に声を上げ、時に顔をしかめ、目が合うと笑顔になりながら演奏した。傘なんて用を足さないほどの強い雨。ずぶれになりながら演者と一緒にジェゴグを楽しんだ。

ジェゴグ終了後、ジュニアチームによるゲンジェを聴いた。Kecakに似たポリリズム、男性達の歌声、部分的にどこかできいたような懐かしいメロディー、ジョゲッブンブンのように二人で女役と男役で踊る彼ら。冗談いっぱいで、とにかく楽しい!楽しみ方を知っている人達である。

旅にはゴールがある。そのゴールは日本の我が家に帰ってくること。ゴールなんていらないと思うことが毎回である。特にNegaraを後にするときはそう思う。だが、私達はゴールのない人生を過ごせるようにはなっていない・・・らしい。
こんな経験をしてしまったら、またNegaraに行きたくなる。

Negaraへはこれ以降2回続けて訪れ、いずれもホームステイをしている。体は・・ほんの少しずつだが慣れているらしいが、なかなか頑固な体ではあると思う。

Negaraでの思いで話は沢山ある、一つ一つの思い出が印象深いので、文字にするにはかなりエネルギーがいる。2000年3月、2000年8月のホームステイ、2000年の年越しジェゴグの思いで話は、しばらくエネルギーが充電できるまでしばし休憩したい。