自己紹介。子供の頃メイン


「私語」に書こうと思った。予想以上に長くなった。どうでもいいことばかりだ。
でもきっと死ぬ前の人生の走馬灯とはこういうものだと思う。


1973年梅雨のうっとおしい時期に生まれる。3800グラムの大きな子供。生まれたときから髪の毛ふさふさ。
男の子が欲しかった一同は泣き声で男の子と思ったらしい。実際は女だったので「男の子の証拠を腹の中に忘れ物してきたんじゃあ??」と真剣に探されたという。
この時の私の血液検査はA型。両親はO型。あれ?(今調べたらO型になっている。変なの。)

生まれて1週間、すでに麦茶を飲まされている。なんだかオメデタイ名前をつけられる。

3つ年上の姉が私の存在にやきもちを焼く。顔に濡れタオルをかけられる。負けずにそのまま寝ていたらしい。
マジックで顔にいたずら書きをされる。喜んでいたらしい。

どの写真を見てもほんとうに嬉しそうな顔をしている。この頃の自分が憎い。なにがそんなに楽しかったんだ。そして今はどうだ。

1歳半からぼんやりと記憶がある。この頃のことを覚えていてなぜ今、昨日の晩御飯の内容が出てこない?

3歳の頃、外人さんを見て「ガイコツ人」と言っていた。

4歳の頃、妹誕生。あまり興味がなかったらしい。妹が4〜5歳になるまで彼女についての記憶がない。

小学二年生の頃。学習発表会(お遊戯会)で主役に抜擢される。「雪の女王」の女王役。・・・悪役だ!!
あまりの物覚えの悪さに先生キレる。木琴のバチで頭を力任せに殴られる。
掛け算九九が覚えられなかったのもこの頃。

「地球から空気がなくなったらどうするか」という命題について1ヶ月以上も友人と悩む。

「ネコ会社」というものを友人3名と設立。「チャム」という名前の専務取締役だった。・・・なにソレ??
のちに30人以上の社員が集まってしまい大弱りして退職を決めた。

毎晩ペンギンのぬいぐるみを高く投げるということに挑んでいた。

3年生の頃、友人と掘った自分の背丈よりも深い雪穴に落ちる。死ぬかと思った。落ちたときには友人は帰った後だったのだ。どうやって這い出たかは覚えていない。

4年生の頃、男子より「イメルダ」というあだ名をつけられる。いまでいうところの「サッチー」みたいなものか。
この頃同級生の堀さんに男女の関係を教わる。

5年生の頃、母死去。母が臨終のとき姉が歌っていた「パンの歌(多分自作)」の暢気なフレーズは今も覚えている。ていうか、母の臨終=パンの歌しか思い出せない。どうしてくれるのだ。
お葬式のとき、クラス代表で式に来た友人がべそべそ泣いていたのでなぐさめたら「自分のお母さんなのになぜ泣かないの!!」と怒られる。あんたの母でもないのになぜそこまで感情移入できるんだ??

6年生の頃、他のクラスの先生(女)から「○○さんは6年生なのにおっぱいが全然大きくなってこないねぇ。」といわれる。大きなお世話だ。初潮はむかえていたのだが。・・・・そして胸は今も大きくなってこないのだが。

中学生、貧血がひどく、部活をやめる。フランスで初潮を迎えたという田辺先輩は好きだったのだが。
こっくりさんにハマル。霊感の強い友人が霊に取り付かれるという演技をしているのを見るのは大好きだった。

光GENJIのファンクラブに入っているといううわさが流れる。誤解だ。

志望校を決める三社面談のとき「この高校はマラソン大会があるから絶対嫌!」と主張して親と担任に怒られる。

高校入学。初めてのブラジャー。

やっぱりマラソン大会は私には向かなかった。学校をやめようか真剣に悩む。

高校2年、遠藤周作の「海と毒薬」という小説の読書感想文が何かのコンクールに出される。担任に「ここの表現はちょっときわどいから先生の言うとおりに直しなさい」といわれ、半分以上直す羽目になる。誰の感想文だかさっぱりわからない内容になったが、何かの賞を獲る。全校集会のとき賞状を受け取るという初めての晴れ舞台。名前を読み間違えられる。悔しかったので返事をしなかったら怒られた。

放課後生物の先生に呼び止められる。人体模型のカタログを見せられ、「これ欲しいんだよねぇ。」という相談に付き合う。

県外の大学に進学。一人暮らしを始める。素敵な学生生活をおくる。こっそり猫を飼う。

卒業とともに就職。2年でやめる。この会社のことはエピソードが多すぎるので割愛。その後は半年プー。

職安で見つけた会社に再就職。現在もこの会社にいる。大人になってからのエピソードがなぜ少ない??

2001年4月1日、前サイトを開く。約2ヶ月の命。

2001年6月半ば、当サイト「会長 山之辺さん」として再オープン。そして今に至る。


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