猫の手探偵事務所 その2
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と、そのとき、カウンターの中から、やや禿頭のメガネにちょび髭をはやしたマスターが
「ええ、トーストもう一枚ですか? いいですよ。」
「いやーいいんだ。もういい。」
俺は手を斜めに振って断って見せたが、このマスター、それは口実だったようで、
「いやいや サービスですよ。」
と2人のテーブルに トーストをもう一セットを運んできてこう言った。
「いや、失礼ですけど、今HPがなんとか恋愛小説がなんとかって
おっしゃってましたよね。
ごめんなさい。ちょっと今耳に挟んでしまいまして。」
「それがどうしたんだよ。おっさんには関係ないだろ。」
と俺はすごんで見せたが、女が
「まま、ちょっと聞いてみたら!?
探偵って聞き込みが 仕事なんじゃないの?
マスター 聞き込む前にこうして何かしゃべろうとなさってる。
もしかしたら労せずして 何かわかるかもよ。」
と、小声で俺をなだめすかす。
「・・・それもそうだな?」
俺も気を取り直して
「おっさん。それでどうした?」
マスターはここぞとばかり語り始めた。
「実はわたし、5年前に離婚しまして、
家内を愛せなくなったわけじゃなくて、その。。。」
「おっさん。あんたの身の上話を聞いてんじゃないの。俺は。
それとも それで俺に何か依頼してくれるんなら話は別だけどな。
安くしとくぜ。」
女が
「まま、マスター 続きをどうぞ。」
「ええ、すみません。
で、わたし今、自分のHPでやってるんです。」
「えっ!何を?」
「だから 家内との若かりし頃の恋愛小説。」
「ほう。」
俺は呆れたような顔をして煙草を吹かす。
「別れた家内が、どうか読んでくれないかと思いまして・・・」
「おっさん。それじゃピエロじゃないか。
惨めったらしいことしちゃってさぁ。」
「・・・そんなことはないわよ。それで? マスター?」
「あっ どうも。
だからですね。お話の中のその恋愛小説を書いてるお方も
わたしと似たような気持ちで書かれてんではないかと?
つまり・・・」
マスターは 女を見つめてさらに続けた。
「あなたになりすましたそのHPの作者は、
実は あなたの過去の恋愛相手って ことではないかと?」
女は 男を見つめ、
俺は(なにいってんだろ?このおっさん?)という感じで
一瞬の沈黙が流れたが、
俺は 踏ん切りがついたようにこう言った。
「おっさん。その推理 おもろいじゃないか!!
いっちょその線でやってみよう。」
カフェー
そのときだった。
突然、音楽が聞こえ始めた。
始めは小さく、そして段々と大きくなって、それを聞いた男は、あわてて携帯をポケットから取り出し、女に聞かれたくないかのようにそのままドアの外に出ていった。
「なによ!きかれちゃまずい相手なの?」
「しかも、なに?あの着メロ・・・アイネ・クライネ・ナハトムジークだって!ダッサァー」
女は不機嫌そうに・・・口をとがらかせながら
「マスター、私に珈琲をもう一杯ね!ずーっと濃いの!」
と、珈琲をオーダーした。
電話を終えた男がもどってきたのは女が珈琲を飲み終えたころだった。
「行くぞ!」
「どこへ?」
尚も不満そうな女をひっぱるようにして男は店を出た。
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「なによ。なんだっていうのよ。」
女は店を出たところで、俺の手を振り払った。
「もう。ちゃんと事情説明してもらわないと。
わたしは 貴方のお客なのよ。
それがクライアントに対する態度?
もいちど考えなおしたっていいのよ。
探偵事務所なんていくらでもあるんだから・・・」
そこまで言って 女は少しだけ後悔するように やや上目遣いで俺を見上げた。
「細かい説明は後だ。
今の電話は おまえになりすましている奴のことを何か知ってる奴からだ。
奴が 俺の事務所にこれからやってくる。」
「・・・」
女は暫く考えたが執拗にこう食い下がった。
「・・・じゃあ、どうしてその電話、わたしに聞かれたらまずいのよ。」
「・・・」
俺はとっさにこう答えた。
「・・・それはな。今は言えない。
しかし 俺を信じろ。
奴はきっとおまえの知りたい情報を知っている。
さあ、急いで。」
女は 尚も疑念が残る表情であったが、ここで行かぬとは言えない。
仕方なく成り行きに任せることにして、
2人は事務所に急いで戻った。
びおろん
事務所のドアに手をかけたら、鍵がかかっていなかった。
誰かが中にいる・・。
女はおびえたように俺を見つめながら言った。
「ねえ、私帰る。今は心の準備ができていないもの。
私は一応、クライアントなんだからさあ、
きちんと結果を説明してもらってから、会うっていうんじゃだめ?」
女は、さっきの迫力はどこへやら、おどおどと哀願口調になって、俺を見つめている。
じりじりと後ずさりをする女を見て、俺はおかしかったが、妙に可愛くも感じた。
それで俺は思わず言ってしまった。
「分かったよ。お前のいいように取りはからってやるから。
今日は俺に任せな。」
しまった、甘かったと内心後悔したんだが、女は、
「ありがと、恩に着る。」
と言ったなり、身を翻して階段に向かっていた。
俺は苦笑しながら、ドアを開けた。
部屋の中には、男が1人・・入り口に背を向けて、本棚を覗いていた。
ドアの開いた音を聞いて、男は振り向いた。
その男が振り向くまでもなく、俺には誰か分かっていた。
髪がやや薄く眼鏡をかけたその男の表情には、
いつもの人の良さそうな笑顔はなかった。
「やっぱり、あんただったんですね。
なぜ、突然に?
それに、あの女との関係は?
ま、俺なりの仮説はありますけどね。」
俺は、窓から差し込む昼の日差しを避けるために、ブラインドをおろした。
それは、男を外界から遮断した感じになったようだ。
男の表情から緊張が少しずつ消えていった。
「ま。」
俺が指し示した手のままに、彼は部屋の中央の中古のソファに座った。
「いや、君が、あの女と親しいのは知っていたんだ。
君が、探偵事務所を開きたいからとここを借りに来たときに、
このビルの入り口で、彼女と一緒に話しているのを見たんだ。」
「ふうん、それで?」
一瞬彼の表情がゆがんだのを俺は見逃さなかった。
「私は、彼女を知っているんだ。」
それから、彼は口をつぐんだ。
俺は黙って、次の言葉を待つことにした。
しばらくして、彼は、再び重そうな口を開けた。
「知っていると言っても遠い昔、学生時代の話なんだ。」
ふと、彼が遠いものを見つめる眼差しになったので、
俺は、喉まででかけた次の質問を、あわてて飲み込んだ。
「・・・楽しかった。・・・」
そして、さらに彼はぽつりぽつりと話し始めた。
俺は、遠い学生時代にタイムスリップしている彼の心の流れを邪魔しないように、
言葉を選びながら、相づちをうち続けた。
ビルのオーナーは俺に促されるまま、静かに話を続けていた。
「当時吹奏楽をやっていた私は、
音楽教師を目指していた彼女を音楽室でよく見かけた。
彼女はいつも何人かの友達に囲まれていて、
大きな声でキャハハと笑う明るい女性だった。
いつの間にか私は音楽室へ行くと、
無意識に彼女の姿を探すようになっていた。そうして・・・」
「楽しい日々だった。
夕方の噴水の周りで熱く政治を語ったり、
バレーボールに疲れて、芝生の上に座って、たわいもない話に笑い転げていたり、
気が付くと、私のそばには、いつも彼女がいた。
喫茶店で、別々の漫画を読んでいても、二人でいるとそれだけで幸せだったんだ。」
「そして、ある日、城山に登って・・・
・・・私は彼女に自分の夢を語った・・。」
彼がしばらく口ごもっているのを、俺は黙って待っていた。
「・・・私は、彼女とこれからの人生を一緒に生きたいと願っていた。
彼女は、貴方といるときはすごく楽しくて幸せ、と答えた。」
「でも、彼女の人生は、私1人が束縛するようなものではなかったんだ。
いろいろなことに関心があり、優秀だった彼女はもっともっと多くの人に必要とされていた。
彼女自身ももっともっと自分の可能性に挑戦したかったのだ。
彼女は自分自身の人生を自分なりに築き、豊かに満喫するだけの力もあった。
私には彼女の悩みが十分に理解できたんだ。」
「あの時、すっかり氷が溶けて水割り状態になっていたレモンスカッシュに、
真っ赤なサクランボが浮かんでいたよ。」
彼は、かすかに微笑んだ。
「なるほど・・・」
ネットにもう1人の自分がHPを出しているという依頼人の問題は、もう解決しそうですが・・・。
「それであんたがその思い出を記録に残したいと?」
「いや、はじめはそのつもりだったんだ、単に記録にしておきたいと。しかし、書いているうちに、誰かに読んで欲しいと思うようになって来た。正確には、もしも読んでくれる人がいたら・・・くらいかな。」
「それで、ホームページと言う訳か。」
「この数多いネットの中で、まさか、彼女の目に触れるとはおもわなかった・・」
「そうだろうな。」
「で。彼女は何を言いたかったのだ?ストーカー法が適用されるわけでもないだろう?」
「まさか。気になっただけだろう。でも、あんたなら、彼女も納得するんじゃないかな。彼女自身、それを望んでいたのかも、な。」
コーヒーを飲むと言うよりすすりながら、彼女は何も言わなかった。
いつになく無口で、黙って事の顛末を聞いていた。
「そう。・・・で、彼は今幸せなのね。」
「だろうね、現状ではかなり成功している方だと思うよ。」
「あの人らしい。・・・いつだって、思い出ぐるみ大切にする人だったの。」
コーヒーの最後の一口を飲み終えて、彼女はしばらく黙っていた。
「・・・よかったわ。」
「じゃ、これでいいのかい?一度彼に会うかい?」
「何いってんの。会う訳ないでしょう?私は本当のことを知りたかっただけなの。彼には何も言わないでね。いつまでも変わらず素敵な人だったと言うだけで、とても嬉しい。」
「そうか、じゃ、この件はこれで落着。・・・でいいかい?」
終わり 話topへ