| 店主とバイク、ひとり言。 |
店主こと私のプロフィール。
高校生の時に中免を取りRZ250RRを乗り、山形市の西蔵王有料道路が開通した事と重なり毎日のように走っていた。
中学の時に見に行ったSUGOのTBCビックロードレースでEローソンとWレイニーが招待選手できており、その走りを見てからと言うものバイクレースに興味を持ってしまった。思いっきりはまった。
走りつづけた峠にも飽きた頃、峠仲間で作っていたチームで本格的にレースデビューをすることになる。
しかし元々センスの無い自分はサーキットデビューをしてからと言うもの、少し自惚れていた自分に徹底的に手荒い洗礼を受けることとなる。
レースデビューは87年の仙台ハイランド4H耐久だった。まだ若かりしき頃の伊藤真一氏や、岡田忠之氏がエントリーしていた。今考えると速い連中は他にもゴロゴロいた。とんでもない時にデビューしたものである。
87年。中盤GSX−R400ヨシムラKIT車をゲットして本格的にレースにのめり込んで行く。
88年。マシンをNSR250RーSPに変え、SP250にエントリー。
少しは慣れた頃だったが散々コケた。予選通過?無縁の物だった。シーズン中そのままF−3にエントリーした時に予選は初通過。
90年。結果が出ないままダラダラしたこれまでを断ち切るようにRS125でN−125クラスへ転向。
とてつもないコーナースピードとレベルの高さで予選通過ならず。ウエィティンググリッドが関の山。練習中のタイムは通過タイムを出すものの、本番での力を出せない...。トップとのタイム差はそんなに無い。でも壁一つ超える事が出来ない。辛い1年だった。
91年。勤めていたバイク屋にZXR400の事故車(軽い物)が入り、また400へ戻る。
125の経験が身についたのか、それまでの自分の不甲斐なさが取れたような気がした。
予選も10番手前後に入れる。しかし、運にに見放されたレースがつづく。フロントローをゲットしたら悪天候につき中止だったりコケたりマシンを壊したりで自分自身に苛立つ年に終わる。
92年。マシンをトータルバランスに優れたY−FZR400RRにスイッチ。
翌年現スーパーバイクに乗る事を考えた。昇格の手応えも有る。スポンサーも田舎にしては恵まれた大きなバックアップも得られそうだ。
92年初選。マシンが思っていた程良くない。それどころかストレートは死ぬほど遅くコーナーも43パイFフォークが嘘のように弱い。トラブルとセッティングが出ないまま予選落ちぎりぎりで通過。決勝雨。ブチ切れた。5〜6週で20数台抜きまくってトップに追いつく。考えてみるとコケた奴の中でオイル撒いたのがいた。トップに王手をかけた瞬間すべてが終わった...。マシン全損、両腕両足打撲と右足首開放性脱臼骨折で終了。それと共にレーシングライダーとしても終わった....。全治2年。
94年復活。割り切った引退をするために。周りの速かった連中は全日本や世界GPに行って活躍している。全治はしないと言われた右足も70%回復した。程よくレースをエンジョイできた。 引退。
97年また、懲りずにモトクロスに手を出す。でも遊びで楽しんだ。TS125R〜RM125楽しかった!(^o^)丿。
91年 94年


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←ポルシェ944(最初の944)ATだったので物足りなくて出足はゴルフの方が速かった。壊れると部品代がとても「このヤロー」だった。 →ポルシェ951(944ターボ)最初の944より100PSUPなので、パワーがあった。ちょっとどっかんターボで加給圧が1.8kと言うのはびっくり!コーナーがとても楽しい車。 |
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