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ラーメン

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ご当地ラーメン

東京ラーメン

日本の味であるしょう油味をベースに、澄んだ美しい色のスープの東京ラーメンを見ると、”これぞ日本人のためのラーメン”という気がしてくる。しかし、この東京ラーメン、ルーツは東京ではなく、横浜にあると言われる。幕末に横浜港が開港されて以来、横浜には、中国人相手のラーメン屋が続々と登場したが、そんなラーメン屋に、日本人が客として通うようになったのが、そもそもの始まりである。当時、横浜で出されたラーメンは、トンコツを主体としたスープを塩で味付けしたもので、日本人の口には少々濃厚であった。そこで、日本人好みの味にしようと。鶏ガラをベースにしたスープを、しょう油で味付けするというラーメンが生まれた。この横浜で生まれた”日本人向けのラーメン”が東京へ進出するのは、明治43年のことで、浅草の「来々軒」が最初と言われている。中国人のコックによって作られたこのラーメンは、浅草でも評判で、参拝客を中心に、徐々に浸透しだし、大正末ごろに本格的に普及し始める。その後。大正12年に起きた関東大震災で、家や職場を失ったコック達が、屋台を出し始め、東京一円に、ラーメン屋台は一気に増えていったと言う。これが「支那そば」で、東京ラーメンの前身というわけである。今でこそ、支那そばは「ラーメン」の名で統一されているが、これは戦後になってからのことだ。戦前までは「拉麺」のほかに、「老麺」「豚麺」など、様々な呼び名があった。さて、横浜で生まれ、浅草で完成した東京ラーメンの特徴は、何と言っても澄んだしょう油味のスープだ。トンコツのほかに、鶏ガラや野菜などをとろ火で煮込み、アクを丁寧にすくって、しょう油で味付けする。このとき、沸騰させてしまうと骨のゼラシン質が溶けだして、スープは直ぐに濁ってしまう。あの透明感のある美しい色は、とろ火でじっくり煮込むからこそ生まれる色なのだ。また、東京ラーメンの麺は、しょう油味のスープがからみやすい縮れ麺が、普通である。小麦粉、水、塩、カン水を練り上げて生地を作る。その後、この生地を竹ざおで打って平らに延ばして、そぼのように切っていく。あるいは練り上げた生地の固まりの両端を持ち、身体の前で上下に振りながら延ばしていく方法もある。太さは、特別太くもなく細くもない、中くらいの太さといったところか。具は、チャーシュー、焼き海苔、メンマ、ナルト、ほうれん草、刻みネギなどが一般的。このほか、味付けした卵をのせる店もある。こうした特徴を見ていくと、東京ラーメンとは、普通我々が「ラーメン」といったとき、真っ先に思い浮かべるラーメンといっていいだろう。澄んだスープにしょう油味の東京ラーメンは、まさに日本人の原点とも言えるラーメンなのである。

札幌ラーメン

「札幌」と言えば「ラーメン」というほど、札幌ラーメンの名は、日本人の間に広まっている。札幌観光で、すすきのにあるラーメン横町や、新ラーメン横町に立ち寄るのは、定番中の定番といっていい。札幌では、しょう油味、塩味、味噌味のスープ、更には、具に北海道の新鮮な海の幸をふんだんに使ったものなど、様々なラーメンが楽しめる。その中でも、やはり札幌を代表するラーメンと言えば、味噌ラーメンだろう。これこそ、札幌が生んだ、オリジナルの味だからである。札幌におけるラーメンの歴史は、大正11年の「竹屋食堂」というお店から始まる。北海道帝国大学の正門前にあった、竹屋食堂のラーメンは、トンコツや鶏ガラをベースとした塩味で、横浜のラーメンのような味だったらしい。当時200人近くいた中国人留学生を中心に、北大の学生で賑わった言う。北大前で生まれたラーメンは、やがて北大の学生達から、一般の人達へも広まり、昭和の初期には札幌のデパートの食堂や、喫茶店などでも出されるようになった。屋台のラーメン屋も、このころ登場する。戦後、札幌ラーメンの担い手となったのは、中国からの引揚者だった。彼らは戦前の日本で、あるいは中国で食べたラーメンの記憶を頼りに、食糧難のなか、ラーメン作りに励んだのである。さて、そんな札幌で、名物の味噌ラーメンが登場するのは、昭和38年。「味の三平」というラーメン屋である。もともとこの店のラーメンのスープは、当時札幌の主流である塩味だったが、サービス品として豚汁も添えて出していた。ある日お客の一人が、「今日は金がないから、サービス品の豚汁に、麺だけ入れて出してくれ」と注文した。「麺代」分しか払わないとは図々しい注文だが、店の主人はこれにこたえて、麺入りの豚汁を作ってやった。ところが、これが意外にうまそうである。「味噌味のラーメンも、けっこういけるのではないか」と思いついた店の主人は、早速店のメニューに味噌ラーメンを加えたところ、たちまち評判となり、味噌ラーメンは一躍、札幌名物となったとうわけである。札幌名物の、濃厚でコクのある味噌味のスープは、トンコツや鶏ガラをベースに、ニンニクやショウガ、更に野菜をたっぷり入れて、ぐつぐつ煮込んで作られる。冬の寒さが厳しい北海道にぴったりの、いかにも精がつきそうなスープだ。麺はスープに負けないよう、極太でコシが強い。コシの強さを出すため、グルテン質の高い良質の強力粉を用い、カン水をやや多めに使っている。この極太の麺も、札幌ラーメンの大きな特徴だ。具を見ると、チャーシュー、メンマ、ネギなどはほかのラーメンと同様だが、モヤシとタマネギを炒めたものや、北海道名物のコーンやバターをたっぷりのせるのはご存じのとおり。また、カニやエビ、アワビなど、海の幸をふんだんにのせた豪華版も、最近増える傾向にある。麺の上にふんだんに盛られた具は、栄養満点と言った感じで、”スタミナ食”として十分通用しそうだ。まさに北海道の厳しく、かつ豊かな自然から生まれたラーメンと言えるだろう。

九州ラーメン

ラーメン列島ともいえる日本列島のなかでも、ひときわ異彩を放つのが、トンコツラーメンのメッカ・九州だ。博多名物の屋台で、地元客や観光客がラーメンを食べる様は、ガイドブックなどでもおなじみのはずである。九州には、博多ラーメンのほかにも熊本ラーメン、鹿児島ラーメンなど、全国的に知られたラーメンの”名所”が多く、火の国・九州はまた、”一大ラーメン王国”と言っても過言ではない。この九州ラーメンのルーツは、中国にある。古くから中国との交流があった土地柄だけに、戦後、中国人から直接手ほどきを受けた、あるいは中国からの引揚者が始めたなど、いろいろな説がある。実は沖縄ソバがルーツで、薩摩人の手を経て九州全土に広まったという説もある。いずれにせよ、九州ラーメンの場合、どの店も歴史は浅く、現在老舗と言われる店も、ほとんどが戦後に開店した店。ここが、ほかの三大ラーメンと少し違う点だろう。九州ラーメンの特徴は、何と言っても白くドロッとしたトンコツスープにある。このスープの原形は、江戸時代に長崎から伝えられた、トンコツ、豚足、鶏ガラなどを煮立てて作る、白湯スープだと言われている。あっさりしょう油味の東京ラーメンとは全く違う、九州ラーメンの下地は、すでに江戸時代からあったようだ。九州ラーメンのトレードマークともいえる白濁したスープは、トンコツを強火でじっくり時間をかけて煮込むことから生まれる。鶏ガラを使う店は少なく、トンコツのみを長時間煮込むことで、あれだけ濃厚な味に仕上がるのだ。中には、十時間もかけて煮込み、骨髄まですっかり溶かしてしまう店もあるという。麺は、細くてまっすぐ。スープがからみやすい縮れ麺を使わないのは、濃厚なトンコツスープである九州ラーメンの場合、さほど麺にからめなくても、十分味わいがあるからである。また、麺が細いのは、太麺だとゆで上がるのに時間がかかるので、気が短い九州人は、とても待っていられないからだという説もある。この麺をお代わりすることができるというのが、九州ラーメンのもう一つの大きな特徴である。スープはそのままで、麺だけ「替え玉」として注文する。一玉100円程度だから、お得感が強い。九州ラーメンの具というと、紅ショウガと刻みネギが印象的だ。白濁したスープの上にのった赤と緑が、見事なコントラストを見せている。この紅ショウガとネギには、トンコツの臭みを中和するという効果もある。そのほかの具としては、白ゴマがあるが、好きなだけ入れてもいい店も多く、ゴマ好きにはうれしいサービスだ。このように、九州ラーメンの具は、いたってシンプルにしている店が多い。それもすべて、スープがあまりに濃厚なため、具でスープの味を邪魔しないようにという配慮からきているのだろう。

喜多方ラーメン

ラーメンブームが、いっこうに衰える気配を見せない昨今、町おこしも兼ねて、各地方でご当地ラーメンが続々登場している。そんななかで、東京、北海道、九州につづくご当地ラーメンの筆頭格と言えば、福島県の「喜多方ラーメン」だろう。戦前、あるいは戦後の混乱期頃から、すでに名が知られていた三大ラーメンに比べると、喜多方ラーメンの名が全国にとどろき始めたのは、昭和50年代後半と新しい。しかしその歴史は意外に古く、大正末期にまでさかのぼる。そもそもは、中国から日本に来たハンキンセイという人物が、福島県の喜多方で「源来軒」という屋台のラーメン屋を開いたのが、喜多方ラーメンの始まりだと言われている。日本に来ても仕事を見つけられなかったハンさんは、中国で覚えた麺作りの技術を活かすしか、生きる道がなかったのだ。特に、名物料理のない土地だったせいか、ハンさんの作ったラーメンは、地元の人から直ぐに受け入れられた。やがて、喜多方の人達にとって、ラーメンは”ごちそう”の一つとなり、祭や来客の時も、寿司ではなくラーメンでもてなすほどだったと言う。やがて「源来軒」の味をマネした店がどんどん登場し、ラーメンは喜多方の町になくてはならない存在となっていった。今では、朝食や学校給食で食べるのは勿論、会議の席や畑仕事の作業中に、出前をとる人も珍しくないほど、ラーメンは喜多方の人達の日常食となっている。さて、そんな喜多方ラーメンの特徴は、そのあっさり味にある。だからこそ、地元の人が毎日食べられるくらい、生活に密着することができたのだろう。スープはトンコツと鶏ガラに煮干しを加え、そこにしょう油を加える。かなり日本人好みの味付けと言える。喜多方には昔からしょう油の製造元があり、ラーメンに使われるしょう油も、地元で作られたものだ。麺は、太麺で有名な札幌ラーメンよりも、更に幅広の縮れ麺。弾力があってコシが強いのが特徴である。こうした麺は、基本的に「源来軒」で使われていたものを、今日まで踏襲している。片方の端を綱で固定した太い竹を使い、竹のもう片方に体重をのせて練った生地を打っていく。但し、元祖「源来軒」の麺は、現在の喜多方ラーメンに見られるような、幅広の麺ではなかった。幅広麺になたのは、「源来軒」が屋台をやめ、ちゃんとした店を構えるようになってからだという。麺の縮れは、手で握りつぶして作る。具は一般に、チャーシューにメンマ、カマボコ、刻みネギで、東京ラーメンとかなり近い。チャーシューは、焼き豚ではなく煮豚を使う店も多い。喜多方は、もとは「奥の細道」にゆかりのある、蔵造りの小さな町だ。人口36000人程度の静かな町は、ラーメンの町としてマスコミに紹介されて以来、一転、観光客が押し寄せる町となった。昭和60年に60軒だったラーメン屋も、平成元年には114軒と、倍近くに増えた。東京など大都市では、「喜多方」と名の付くラーメン屋も見かける。この10年ほどで急浮上した喜多方ラーメンだが、すでに”古参”のような風格すら見せている。

佐野ラーメン

「嵯峨の豆腐」「灘の酒」など、うまい料理や酒があるところには、名水が流れていることが多い。実はラーメンの中にも、名水を使っていることを”売り”にしているものがある。名水仕込みのラーメンを作っているのは、栃木県佐野市で、ここでは町おこしの一環として、近年盛んに「佐野ラーメン」の宣伝につとめている。というと、町おこしのために、無理やりラーメンを作っているのかと思われるかもしれないが、佐野ラーメンのルーツは古く、大正時代には、すでに佐野ラーメンの原形が誕生している。「佐野ちぢみ」と呼ばれる織物が盛んだった佐野市では、家庭の主婦のなかにも、織物職人として働いている人が多かった。そのため外食や出前は日常茶飯事で、しょっちゅうラーメンを食べていた。ラーメンは、佐野市民にとって極めて馴染み深い食べ物だったのである。佐野ラーメンの特徴は、スープに日本の名水百選の一つ「弁天池」の地下水を使っていることにある。この水を使って作られるスープは、あっさりしたなかにもコクのある味わいで、色は澄んだしょう油色。鶏ガラやトンコツをベースに、煮干し、コンブ、カツオ節、ショウガ、ニンニク、ニンジン、タマネギ、キャベツなどを煮込んで作る。煮干しやコンブ、カツオ節といった和食の食材を使っているせいか、「あっさり」と「コク」の調和がとれた、日本人好みの味となっている。麺は縮れ麺を使うが、これは大正5年頃からの歴史を持つ。佐野ラーメンのルーツと言われる「宝来軒」の主人が、中国人から教わった「青竹打ち」という方法で作られる。膝の下に挟んだ青竹の下によく練った小麦粉を敷き、跳ねるようにして延ばしていくのだ。現在も佐野ラーメンはたいてい、このやり方で作られる。具はチャーシューにメンマ、ナルト、刻みネギと、東京ラーメンとほぼ同じだ。佐野市は、東京からだと東北自動車道で1時間弱の距離。ドライブがてら、噂の佐野ラーメンを訪ねにくる客も多いようだ。ラーメンだけでなく、ラーメンのもととなる水も、是非味わいたい。

飛騨高山ラーメン

飛騨の小京都・高山には、毎年大勢の観光客が訪れる。古い町並みなど見所はたくさんあるが、意外に知られていないのが、ラーメン。実はこの高山、知る人ぞ知る、ラーメンの町なのである。高山のような山間にポツリとある古い町だと、「そば」は結びついても、ラーメンはおよそ結びつかないように思えるかもしれないが、高山の町の人にとって「そば」とは、日本そばでなく「中華そば」のこと。高山では、ラーメンをラーメンと言わず、中華そばと言うが、ともかく、そばと言えば、中華そばを指すくらい、高山市民とラーメンの関係は密接なのである。最近では「飛騨中華」といった名前で、持ち帰り用も登場し、かなり知られるようになってきた「飛騨高山ラーメン」だが、その歴史は古く、昭和13年には、前に紹介した「まさご」が、ラーメン屋台として登場している。高山とラーメンを結びつけたのは、高山の近くにあった神岡鉱山だと言われる。当時、神岡鉱山で強制労働させられていた中国人によって、ラーメンの作り方が伝えられたと言うが、それ以前から、すでにラーメン屋台は出ていたという説もあり、はっきりしたことはわからない。いずれにせよ飛騨高山ラーメンのルーツが、昭和10年前後にまでさかのぼれることは確かなようだ。戦時中、麺の原料である小麦粉が不足したとき、高山の人達は、コンニャクを代用品にしてラーメンを食べていたと言う。それほどラーメンは、飛騨高山の人達の生活に密着している食べ物になっている。飛騨高山ラーメンは、見た目は東京ラーメンに近いしょう油味のスープである。但し、寒い土地柄のせいか、東京ラーメンよりも、やや味が濃いのが特徴。麺はスープがからみやすい縮れ麺で、少々お腹がふくれていても、軽く食べられてしまうのが特徴である。具は、いたってシンプルである。飛騨ネギと呼ばれる地元のネギのほか、チャーシュー、メンマ程度といった店が多い。飛騨ネギの旬は11月から3月頃で、この頃の飛騨ネギは、ひときわ甘さ・柔らかさを増し、刻んで入れると、ラーメンの味がグンとアップする。スキーのあとや温泉のあと、飛騨高山ラーメンを”ちょっと一杯”というのも、なかなかオツである。ちなみに、最近、”飛騨高山ラーメン”を名乗るチェーン店が登場しているが、高山の人に言わせると、地元の「中華そば」とはまるで違う食べ物ということになる。

上川町ラーメン

「国連憲章」「児童憲章」など、組織や団体の理念や規約をうたった憲章は、世界に数多く存在する。そんななか、ラーメン王国・日本ではついに”ラーメン日本一”を目指して「ラーメン憲章」を作った町が登場した。このラーメン憲章は、北海道は上川町の町民達で作られた。上川町は、大雪山の北東にある、絶景で有名な峡谷・層雲峡をひかえる町として知られる。ラーメン憲章に記された条文は、次の通りだ。「上川町ラーメン憲章 上川町のラーメンは、大雪山の清らかな霊水で製麺し、スープを作り、麺をゆであげ、加えて、洗練された技術と研究により、お客様に日本一おいしいラーメンと喜ばれることを自負し、そのためにあらゆる努力を傾けることを誇りとして、この憲章を高くかかげます。1.ラーメンのスープを90度にして出します。2.ラーメンの味を守るため、一度に多量の麺をゆでません。3.ラーメンの味を楽しんでいくため、各店独自な味を出します。4.ラーメンの日を毎月1日とします。5.ラーメンを気持ちよく食べていただくため、店内を清潔にします。6.ラーメンをこよなく愛し、お客様をあたたかく迎えます。」この憲章に基づいて作られる上川町ラーメンは、トンコツをベースにしたまろやか味のスープ。麺は、コシとねばりがあるストレートの細麺で、後口の爽やかさが特徴だ。この憲章によって上川町の町おこしは成功するのかどうか。それは、ひとえに上川町のラーメンのうまさにかかっている。

そんぴんラーメン

上杉15万石の城下町として知られる米沢市は、米沢牛で有名な土地だ。伊勢の松阪牛と並び賞されるほど、最高級の牛肉の産地である米沢が、近年、米沢ラーメンの普及に取り組んでいる。米沢市では、地元の業者が、ラーメンの共同組合を設立するほど、ラーメンに力を入れている。この共同組合の後押しで、米沢には「そんぴん亭」というラーメン屋も登場した。「そんぴん」とは、意地っ張りの意味で、この名を使った「そんぴんラーメン」を、これから売り出そうとしている。そんぴんラーメンの特徴は、手もみの製法の縮れ麺にある。小麦粉は強力粉を使い、そこにカン水と塩を加えて打っていく。打ち上がったら、そのまま2〜3日間ねかせて、麺が熟成するのを待つ。スープはやや薄口の辛味噌仕立て、具は地元の山の幸と、わざわざ取り寄せたエビ、ホタテなど、海の幸を贅沢に使っている。見るからに、かなりボリューム感のあるラーメンだ。そんぴんラーメンをだす店は、米沢市内に増えてつつある。果たして今後、牛肉と並ぶほどの米沢名物となることができるだろうか。

新潟ラーメン

「越之寒梅」「八海山」「麒麟山」など、日本海岸最大の町・新潟は、うまい酒にこと欠かない。”酒を飲んだ後のラーメンがうまい”とはよく言われるが、そのせいか、新潟の飲屋街には、ラーメン屋も多く見られる。しかもうれしいことに、そのいずれもがうまいラーメンを出す。「新潟のラーメンはうまい」という評判がたち始めたのは、およそ10年ほど前である。東京から上越新幹線で2時間と近いため、新潟ラーメンの噂は次第に広まっていった。今や新潟ラーメンは、酒・米につづく名物となりつつある。新潟ラーメンのうまさは、何と言ってもスープにある。トンコツ、コンブ、煮干し、サバ節などをベースに、しょう油で味付けした、和風味の透明なスープだ。東京ラーメンに近いが、東京ラーメンよりも更にさっぱりしている店も多い。しかし、さっぱりしているのにコクがあり、それでいて腹にもたれない。まさに、飲んだ後に食べるのに向いている。麺は縮れ麺で、具はチャーシューにメンマ、刻みネギ程度の店が多い。うまい酒や米をつくるのに、うまい水は欠かせない。この新潟のうまい水が、うまいラーメンをつくるうえでも、大いに役立っているのかもしれない。

金沢ラーメン

加賀百万石の城下町・金沢は、日本三大名園の一つ・兼六園をもち、創業100年を超える老舗料亭も多いという。そんな土地にも、ラーメン好きはちゃんと根を下ろしているようで、ご当地ラーメンが存在する。例えば、金沢市にある「バサラ」という店は、「金沢ラーメン」を大々的にうたっている。金沢ラーメンの特徴は、乳白色のスープと細い麺だ。一見すると博多ラーメンそっくりだが、味は博多ラーメンよりもかなりマイルドで、クセがない。具には高菜と火であぶったネギがのっており、ネギの焦げた香りも、このラーメンを特徴づけている。丼が変わっていて、おなじみの唐草模様や双喜紋などを使った中華風のものではなく、純和風である。加賀会席で有名な、金沢ならではのこだわりが感じられる。この金沢ラーメンを出す「バサラ」は、東京・六本木にも店を出している。興味がある人は、一度博多のラーメンと食べ比べてみるのも、おもしろいだろう。

大阪ラーメン

「大阪の食いもんは、安くてうまい」という例にもれず、大阪のラーメン屋にも、うまい店は多い。大阪の二大繁華街・キタとミナミには、飲屋街の中にラーメン屋が点在し、”飲んだ後のラーメン”を求めてやってくる客達の舌を楽しませている。大阪のラーメンのルーツは、はっきりしていない。戦後の混乱期に、いつの間にか生まれたものらしい。大都市・大阪には戦後、中国からの引揚者や中国人など、様々な人達が大勢集まった。そんな中からラーメン屋が登場し、味にうるさい大阪人たちのふるいにかけられながら、うまい店が残ってきたのだろう。そのせいか、大阪のラーメン店には、小さくても活気に満ちた店が多い。さて、大阪ラーメンのスープは、薄口しょう油を使ったトンコツスープである。関東のうどんは汁の色が黒く、関西では薄いとはよく言われるが、ラーメンのスープにも、同様のことが言えそうだ。麺は細麺の店もあれば太麺の店もある。格別「これが大阪ラーメン」といえる麺はなく、あえて特徴を探し出せば、縮れの少ないまっすぐな麺の店が多いというぐらいか。具も店によって様々で、特にこれと言った決まりはない。ハクサイやシュンギクが入った店などもあり、各店の工夫が見られる。キムチ入りのラーメンも多く、テーブルの上にキムチを置き、お客の好きなだけ入れられるという店もある。以上が大阪ラーメンの基本的な特徴だが、この基本にあてはまらないラーメンが多いのも 大阪ラーメンの特徴だろう。中には、ミナミにある「神座」のように、和洋中合わせて25種類の材料を使ったラーメンで人気を集めている店もあり、これといったくくりがしにくい。そう考えると、「うまいが雑多」が大阪ラーメンのキーワードと言えるかもしれない。さすが食い倒れの街・大阪と言うべきか。

京都ラーメン

「京風ラーメン」の店というと、デパートやショッピングビルのなかにある、和風仕立てのラーメンの店、メニューにみつ豆なども置いてあるような店をイメージする人も少なくないだろう。スープは、コンブとカツオ節をベースにした、あっさり味で、麺は細くて縮れている−こんなラーメンを、京都のラーメンと思っている人も多いだろうが、現実は大違いである。「インディアン」が「インドの人」を意味しないように、「京風ラーメン」は「京都のラーメン」を意味しないのである。この「京風ラーメン」は、”京都的なイメージで作ったラーメン”と言った方が正しい。生まれも京都は限らず、なかには東京で生まれた、東京人向けのラーメンとして開発されたものも多い。要するに、最近のラーメンブームにのって生まれた”企業戦略的ラーメン”が、今時の「京風ラーメン」なのである。では、実際に、京都のラーメン店ででてくるラーメンがどのようなものかというと、意外なことに、あっさり系は少なく、こってり味のものが多い。京都のラーメンがいつ頃生まれたのか、そのルーツはハッキリしないが、おそらくは、やはり戦後の混乱期なのだろう。この本物の”京都ラーメン”の特徴は、アブラが浮いているのがハッキリとわかるほど、こってりしたトンコツスープにある。どろりとしたスープをたいらげるだけで、もう満腹になりそうなほどで、具のチャーシューもボリューム感があり、「千年の都・京都」というよりも、「学生の町・京都」的な色彩が強い。同じトンコツでも、九州ラーメンとは、しょう油の使い方が違うらしく、そこは京料理できたえられた知恵が生きているということか。またトンコツだけでなく鶏ガラも使い、そこにしょう油をブレンドした、比較的あっさり系のスープを出す店もある。こうした店では、スープの中に豚の背アブラを入れるところも多く、あっさり系とはいえ、東京ラーメンと比べれば、はるかに濃厚である。麺は細麺のまっすぐ系が多く、このあたりに、かろうじて京都らしい繊細さや、優美さが感じられなくもない。具はボリュームたっぷりのチャーシューのほか、京都の九条ネギを使い、京都らしさをかもし出している店もある。いずれにせよ、普通我々がイメージする「京風」「和風」と、本場の”居風ラーメン”は、似て非なる所か、全く別物。やはり、ラーメンは気取って食べるものではないと言うことなのだろう。

熊本ラーメン

九州ラーメンというと、トンコツ仕立ての白湯スープということで、ひとくくりにしがちであるが地方によってそれぞれ強烈な個性をもつ。博多ラーメンについで人気がある熊本ラーメンの場合、見た目は同じ白湯スープでも、飲めば味の違いはすぐにわかる。熊本ラーメンは、トンコツをベースにしながら鶏ガラやキャベツ、タマネギといった野菜も加えて煮込んでいる店が多い。そのため、スープ全体がまろやかになり、口当たりのあっさりしたものになる。そこが、トンコツだけをぐつぐつ煮込んで作る博多ラーメンと大きく違う点だ。熊本ラーメンのルーツは、九州ラーメンの例にもれず戦後の混乱期にあるようだ。焼け跡のなか、中国人や中国からの引揚者などによって、あちこちにラーメンの屋台が出され、それが熊本ラーメンの基礎になっている。見た目に比べてあっさり味の白湯スープのほか、固めの麺も熊本ラーメンの特徴だ。白くて縮れが少ない細麺だが、なかに芯が残る程度にゆでてある。スパゲッティで言えば、まさに”アルデンネ”の状態である。具はチャーシューのほかにゆで卵、ニンニク、ネギ、刻んだワカメやコンブなど、好みで様々なものが入れられる。ニンニクは、生でなく焦がしたものを使ってあり、これが熊本ラーメンに、独特の個性を加えている。香ばしい香りが食欲をアップさせるだけでなく、生に比べてにおいが残らない。安心して食べられると好評だ。焦がしたニンニクを、細かく粉にして出す店もある。また、ニンニクを揚げた油をマーユといい、これをスープに加えることもある。この熊本ラーメンは、東京では「桂花」というチェーン店が良く知られている。その強烈な個性のあるスープは、一度はまると病みつきになるというファンが多い。

鹿児島ラーメン

「中国人から手ほどきを受けた」「大陸からの引揚者が、中国で覚えた味をもとに店を開いた」など、九州ラーメンにルーツにまつわる話は多い。そんななか、鹿児島ラーメンのルーツについて、興味深い話がある。”戦後ラーメンの母”と言われる道岡ツナさんの話である。道岡ツナさんは、戦時中、横浜で看護婦をしていた。このときの患者の一人に中国人コックがおり、献身的に看護するツナさんに対し、彼は感謝の気持ちを込めてラーメンの作り方を教えてくれたとだという。戦後、故郷の鹿児島に帰ったツナさんは、中国人コックから教えてもらったラーメンに、独自の改良を加えた。トンコツのしつこさを抑えるために、煮込むときに野菜も加え、麺もカン水を使わない白い麺にする。こうしてオリジナルのラーメンが生まれ、ツナさんは「のぼる屋」というラーメン屋を始める。これが鹿児島ラーメンのルーツというわけだ。「のぼる屋」のラーメンにカン水が用いられなかったように、現在の鹿児島ラーメンも、カン水の量を少なくしている店が多い。そのため色が白く、しかも太麺タイプのため、ラーメンと言うより、チャンポンに使われる麺のような印象が強い。スープはトンコツを主体としていながらも、トンコツ臭さを感じさせない。これは各店とも、トンコツ臭さを消すため、タレ作りに独自の工夫をこらしているからだ。タレにはしょう油、塩、長ネギ、ショウガ、カツオ節、コンブ、シイタケ、ラードなどが使われる。また黒豚の産地・鹿児島らしく、トンコツに黒豚の骨を使う店もある。具にはチャーシュー、メンマのほか、キャベツ、モヤシ、キクラゲ、ネギなどが使われる。ネギは焼きネギが使われるのが、鹿児島ラーメンの特徴の一つとなっている。まろやかな口当たりのなかにもコクがあるのが、鹿児島ラーメンの特徴だが、最近は、さっぱり味のものが好まれる傾向にあるとか。ご当地ラーメンの味も、時代とともに変わっていくのかもしれない。

尾道ラーメン

大林宣彦監督による映画”尾道三部作”のおかげで、広島県尾道市は若者達にすっかり有名な町となった。古い町並みと石畳の坂道で知られるこの町は、実はご当地ラーメンの町でもある。尾道ラーメンは、昭和3年まで、そのルーツをさかのぼることができる、年期の入ったラーメンだ。中国・福建省出身の張さんという中国人が、尾道にラーメンを根付かせた功労者である。中村製麺所に住み込んでいた張さんは、手回し麺延ばし機を使って麺を作り、トンコツスープのラーメンを売り出した。このラーメンは、尾道の人達に好評で、その後尾道の町には、同じ製法でラーメンをつくる店が続々と生まれた。こうして尾道は、ラーメンの町となっていった。尾道ラーメンは、コクのあるスープとコシのある麺に定評がある。特に、スープの表面に、豚の背アブラが揚げ玉のように浮いているところが、ほかのラーメンにない大きな特徴だ。観光で尾道を訪れ、はじめて尾道ラーメンを食べ、意外なうまさにファンになる人も多い。土産用のラーメンを出している店もあり、いま尾道ラーメンは、全国にそのファンを増やそうとしている。これからは全国の”映画ファン”だけでなく、”ラーメンファン”からも人気を獲得しそうな気配の尾道である。

沖縄そば

かつて、琉球王朝として独自の国家を築いていた沖縄は、本土とは違う個性豊かな文化が根付いていることで知られる。ラーメンもその一つで、沖縄のラーメンは、普通我々が、ラーメンと呼ぶものとは、少し趣が異なる。名前もラーメンや支那そばではなく、「沖縄そば」と呼ぶ。さらに正確に言えば、「そば」ではなく”すば”というのが、沖縄では正しい。この沖縄そばのルーツは、明治20〜28年頃と言われている。このころ「トォーンチュ」と言われる人が、沖縄で最初のそば屋を開いた。トォーンチュとは、沖縄語で中国人、台湾人、朝鮮人を意味しているが、では、そのうちのどこの国の人が沖縄にそばをもたらしたのかは、正確なことは伝わっていない。ただ、トォーンチュがもたらしたそばを、現在の沖縄そばに近いものにしたのは、ベェーラーという名のそば職人であることはわかっている。トォーンチュのそばと味比べをして、ベェーラーが勝ち、このときのそばが、沖縄そばの原形になったと言われており、このベェーラーの話は、歌劇になるぐらい、沖縄では有名だそうだ。また別の説では、ルーツは中国の福建省や広東省で、ここから伝わったそばが、沖縄の食と混ざり合ったのが、沖縄そばの原形だという。この沖縄そばの原形は、沖縄では当初、特別な日に食べる贅沢なご馳走とされており、現在のような味になったのは、戦後のことらしい。いうれにせよ、古くから大陸との交流が盛んな土地だけに、日本のなかでも、早くから食べられていた料理であることは、確かなようだ。沖縄そばが、普通のラーメンともっとも違うのは、麺が平らなことで、名古屋名物・きしめんを細くしたような形をしている。この麺は、小麦粉に塩と、木灰と呼ばれる木の灰を水に溶かした上澄み液を加えて作られる。但し、戦後は木灰の入手が難しくなり、普通のラーメン同様、カン水が使われることが多くなった。打ち上がった麺は保存のため、すぐにゆでて、アブラをまぶしておく。食べるときは、この麺を湯にかけて、アブラを流し落として使う。スープは透明で、あっさりした塩味が特徴。トンコツや鶏ガラ、カツオ節をベースに、ショウガや塩などが加えられる。しょう油を使わないのが、普通のラーメンと違い、祝い事使うときは、カツオ節の量を増やす家庭が多い。具は、豚の三枚肉とカマボコ、ネギが定番である。豚の三枚肉の代わりに「ソーキ」と呼ばれるスペアリブをのせた「ソーキそば」も、普通の沖縄そばと同じぐらい親しまれている。沖縄そばは、いささか上品で物足りないという人もいるようだ。一方、本土のラーメンとは違った、独特の麺やスープの味が気に入り、病みつきになる人もいる。好き嫌いがはっきりでやすいラーメンと言えそうだ。

函館ラーメン

北海道のラーメンというと、圧倒的に札幌ラーメンが有名だが、九州ラーメンが博多ラーメンだけでないように、北海道にも様々なご当地ラーメンが存在する。そんな北海道ラーメンのなかで、まずは、”塩ラーメンの本家”を自認する函館ラーメンを紹介しよう。札幌ラーメンのところで述べたように、味噌ラーメンが登場するまで、北海道のラーメンはしょう油味か塩味が普通だった。で、そのうちの塩ラーメンの元祖が、函館ラーメンだという。確かに、函館は幕末期に長崎や横浜と共に開港された港町である。当然、早くから中国人が移り住んでいたはずで、彼らの手によって北海道初のラーメンが作られたことは想像に難くない。では、なぜ、そのラーメンは塩味だったのか。これについては、函館には塩味系の好きな関西出身者が多かったという説、ラーメンを函館に伝えた中国人が、たまたま塩味の湯麺をラーメンとして出したという説などもあるが、これだという決め手はない。いずれにせよ、塩味にこだわる函館ラーメンは、長い歴史の中で独特の工夫が加えられたいった。トンコツを使っていながら、九州ラーメンのように白濁しないスープ。北海道ラーメンらしからぬ、細めのストレート麺。しかも、カン水を使用しない全蛋麺を使う店が多いのも特徴である。具は、チャーシュー、メンマ、ネギだけというシンプルな店が多く、逆に言えば、それだけスープと麺に自信があるということなのだろう。ラーメンファンには「塩ラーメンこそラーメンの原点」とこだわる向きが少なくないが、塩ラーメンを語るためには、函館ラーメンを避けて通るわけにはいかないようである。

旭川ラーメン

北海道の中心に位置する旭川は、盆地というせいもあって、札幌や函館よりずっと気温が下がる。寒いところには頑固者が多いと言われるが、ここ旭川のラーメン店も頑固な店が多い。どんなふうに頑固なのかといえば、旭川のラーメン店には、「しょう油味一筋」「塩味一筋」といった、一つの味だけで勝負している店が多いのである。それだけに、スープに対するこだわりは尋常ではない。ベースは、トンコツと鶏ガラを使った濃厚濁り系だが、ここから先は、しょう油一筋の店、塩味一筋の店によって、加える材料が違ってくる。アジの丸干しを加える店、そうかと思うと干ダラを加える店など、同じ干し魚でもスープの味によって材料が違ってくる。それが、各店の頑固なまでの個性をかたちづくっているわけである。麺はカン水の入った縮れ麺、具はチャーシュー、シナチク、ネギというシンプルな店が多いが、シナチクは太く固めに調理してあるのが旭川ラーメンの特徴と言えるだろうか。いずれにせよ、地元・旭川の人々の札幌ラーメンに対する敵愾心はけっこうなものがあり、「札幌ラーメンは、観光客相手の名物にしか過ぎない。北海道ラーメンの良心は、旭川にこそある!」と断言する人もいるらしい。

水戸藩ラーメン

町おこしや村おこしをしたい市町村にとって、温泉は最大の観光資源。毎年のように、各地で新しい温泉が生まれているのも、こうした観光を目的にした、町おこしの成果というわけだが、この温泉に負けないぐらい、全国の市町村で開発が盛んに進められているのが、ご当地ラーメンと言えそうである。例えば茨城県水戸市では、「水戸藩ラーメン」なるものがある。水戸黄門でおなじみの水戸藩だが、この黄門さまは、江戸でうどんの製法を習って、自分で打つほどの、無類の麺好きだった。あるとき、中国の儒学者に、そのうどんをごちそうしたところ、お礼に中国の麺の作り方を教えてもらった。これが水戸のラーメンの元祖で、水戸藩ラーメンは、その味を現代によみがえらせたものだという。豚のもも肉と丸鶏でダシをとったスープを使い、ニンニク、ニラ、ラッキョウ、ショウガ、ネギを添えて食べる。この五種類の野菜は中国で「五辛」と呼ばれるもので、五臓の働きを促進する効用があるという。明治以降に伝えられたラーメンとは、ひと味違った味が楽しめそうだ。

葛生原人ラーメン

次のご当地ラーメンは、栃木県葛生町の「葛生原人ラーメン」である。葛生町は豊富な石灰岩層をもつ土地で、ここを通る地下水は、麺作りに適したアルカリ性の強い水になる。すなわち「葛生原人ラーメン」は、この地下水を豊富に使うのが売りになっている。ご自慢の麺は、佐野ラーメンでおなじみの佐野市に近いだけに、佐野ラーメンと同じ「青竹手打ち麺」だ。良く練り上げた生地を、大きな青竹を使って延ばしていく。スープはトンコツ、鶏ガラがベースでコクのある味わいに仕上がっている。

和歌山ラーメン

こってり系のしょう油味を特徴とするのは、「和歌山ラーメン」である。鶏ガラとトンコツをぐつぐつ煮込んで作られるスープは、東京ラーメンと博多ラーメンの中間といったところ。見た目はどろりとしていてかなりしつこそうだが、飲んでみるとさほどくどくない。麺は細麺である。

信州ラーメン

長野県のご当地ラーメン「信州ラーメン」は、信州味噌で有名な場所だけに、味噌味が主流。普通の味噌ラーメンよりもあっさり味で、いくらでも飲めそうなスープである。信州の特産品・エノキダケやシメジなどを具として使う店もある。

UFOラーメン

石川県羽咋市は、古くから「UFO伝説」が伝わる土地と言うことで、UFOを使った町おこしを行い、一時話題になった。この町おこし運動の一環として作られたのが、「UFOラーメン」。具のゆで卵は月、ワカメは夜、イイダコは宇宙人、ホタテ貝はUFOを表す。遊び心いっぱいのラーメンである。

麺は食感の主役

食感とは、口当たりや歯ごたえ、舌に感じる感触など、食べ物を口に入れたときの味覚以外のトータルな感覚である。この食感は、食べ物のうまさを決定づける大きな要素となっており、食べ物から味を除いた、その”うまさ”の60%は食感によって決まる。ラーメンにおける食感と言えば、その90%は麺により決まる。つまり、麺の太さ、湯で加減などによって、ラーメンのうまさは大きく左右される。

長寿を祈るために生まれた麺料理

人類で最初に麺を作って食べたのは、中国人であると言われている。その製法は、生地に水をつけながら手で延ばして長くするというものだが、12世紀頃の記録には「長寿麺」という言葉が残っており、当時の中国の人々は、子供が産まれたときや長寿を願うために、麺を食べたらしい。このラーメンの原型は、シルクロードを経てイタリアではパスタという食文化に結実する。そして、極東の日本では、20世紀になって、ようやくラーメンという国民食に結実する。

麺作りに最適な小麦粉

麺は小麦粉を水で練って細長くしたものである。これは、ラーメンもうどんもパスタも同じである。小麦粉には薄力粉、中力粉、強力粉の3つがあるが、ラーメン作りに適するものは、強力粉であり、その理由は小麦粉に含まれるグルテンの量にある。グルテンとは、小麦粉のタンパク質から作られる成分で、水と一緒にこねると、グルテンの働きで麺に弾力が生まれる。この麺の弾力が、ラーメンのシコシコ感をつくりだすのであるが、小麦粉の中でもっともグルテンが多いのが強力粉である。但し、拉麺のように、手で麺生地を引き延ばして作る麺の場合は、中力粉や薄力粉が使われることが多い。強力粉では生地の弾力が強すぎて、細く長く延ばすことができないからである。また、小麦粉は灰分の含有量によって、1等級から3等級に分類されるが、ラーメンに最適なのは灰分が最も少ない1等級である。こうした小麦粉の生産地は、ほとんどがアメリカ、カナダ、オースチラリアなどの海外である。

麺のコシはカン水で決まる

カン水の源は、昔、中国で偶然に発見された山から湧き出す清水である。この湧き水の上流には「鹹湖」という湖があり、アルカリ性の水質であった。小麦粉にアルカリ性の水溶液を加えると、化学反応が起きて小麦粉中のタンパク質がほぐれ、こうした状態で生地をこねるとグルテンが形成されやすくなり、結果として麺に強いコシとなめらかさがうまれる。現在、カン水は化学的に合成されたものが使われており、その成分は、炭酸ナトリウム、炭酸カリウム、リン酸カリウム、リン酸ナトリウムなどである。

ラーメンの麺の色

カン水の働きにより、麺特有の黄色い色を発色させることができる。しかし、低等級の小麦粉ほど発色しやすい傾向にあり、1等級の小麦粉では発色が悪くなる傾向がある。そこで、良心的なラーメン屋さんの中には、卵を加えて不足している黄色を発色させ、更には卵によって麺にコシを出そうとしている。

麺をおいしくゆでるコツ

「さら湯は身の毒」とは、昔からある格言であり、一番風呂はお湯に垢などが溶け込んでいないため肌に刺激がありすぎるという意味である。プロの中には、中華麺をゆでる場合もそうだと言う人がいる。つまり、新しいお湯は麺には刺激がありすぎる、本当に麺がおいしくゆだるのは、20人前くらいゆでた後のお湯だということである。そうかと思うと、常に釜に少しずつ水が供給されている店もある。ゆで釜は、何十人分もの麺をゆでているうちに、表面にぬめりが付いたり、アルカリ性が強くなる。そうなるとさすがにお湯を交換せざるを得ないが、釜に少しずつ給水していれば、常にお湯を麺になじんだ状態にしておくことができるという理由である。

冷凍麺は侮れない

ここ数年、冷凍食品が驚くほどうまくなっている。プロの店にも冷凍食品はどんどん進出しており、冷凍中華麺の実力もかなりのものである。冷凍麺とは、麺をゆでた直後、すなわち釜揚げの状態で急速冷凍させたもののことである。中華麺に限らず麺がもっともおいしくゆで上がった状態というのは、麺の外側の水分が80%、中心部の水分が50%前後の状態だと言われる。その差が麺を噛んだときの弾力、つまりコシになるわけであり、生麺をこうした状態にゆであげるのは、なかなか難しい。冷凍麺を熱湯で1〜2分ゆでて引き上げれば、プロがゆであげた麺と同じ麺が家庭で味わえることになる。

カン水を使わない麺

一般的に中華麺には「カン水」は絶対不可欠なものであるが、中にはそのカン水を全く使わない麺もある。小麦粉と卵だけでつくる贅沢な麺で高級中国料理店にいくとお目にかかることができる。卵だけでコシを出すわけで、大量の卵が必要になり、結果高価なものとなる。

北と南で麺の太さは違う

北は太く縮れていて、南は細くてまっすぐ−これが、日本のラーメンにおける麺の形状の原則である。まずは、麺が太い理由だが、これはたとえば札幌ラーメンのように、北のラーメンには味噌味などの濃いめのスープが多いことと関係がある。札幌ラーメンは、ツルツルと流し込むと言うよりむしろ”食べる”という感じのラーメンであり、こうした濃いめのスープの味に負けないで、なおかつ食べるという食感をだすためには、麺は太くなければならないのである。麺が縮れている理由は、その方が麺とスープがよくからむからである。一方、博多ラーメンなどの南の麺は、細くてまっすぐのものが多い。これは、南のラーメンのスープは北よりもずっと濃厚だからである。こうしたスープに縮れた麺を使うと麺にスープがからみすぎて濃厚さが鼻についてくる。また、こうしたスープでは太麺も似合わない。博多ラーメンには“替え玉”がつきものだが、これは細麺だからこそ可能なのである。南のラーメンはスピーディーに流し込むのがその食し方で、スープの濃厚さを考慮すると、やはりまっすぐな細麺が似合う。

麺は熟成させるとうまくなる

打ち上がった麺を熟成させるのは、麺のコシをつくるグルテンの働きを活性化させるため。グルテンの働きがよくなると、それだけ麺にコシが生まれツヤやうま味も増す。一般的には、10〜15度くらいの温度で最低1日ねかせるのがよいとされているが、店によってかなりばらつきがある。

麺のゆで上げは「糸一本分の白さ」を残す

ゆで上げのポイントは麺の透明度である。麺が完全に透明になってしまったら明らかにゆですぎ、中心が半分ほど白いというのでは芯が残りすぎである。麺の中に糸一本分ほどの白さが残っているのがベストのタイミングである。

スープ

「三大スープ」

無限にあるスープもメインの材料によって次の3種類に分けられる。@鶏ガラ系(グルタミン酸が主なうま味の成分) Aトンコツ系(イノシン酸が主なうま味の成分) B和風ダシ系(コンブのグルタミン酸、カツオ節のイノシン酸が主なうま味の成分)。ちなみに、味噌、しょう油、塩という三種は、スープに加えるタレによって味を変えたもので、ベースになるスープは基本的に同じである。多くの店では、この三大スープを独自の配合でミックスしている。それは、グルタミン酸とイノシン酸を10:1の割合でミックスすると、それぞれを単独で使った場合よりも5倍も味が強くなると言われているからである。

鶏ガラスープは透明さが命

鶏ガラスープを濁らせないための最大のポイントは、火加減である。次々に浮かんでくるアクもスープを濁らせる原因となるので、ひっきりなしにすくわなくてはならない。もう一つ、鶏ガラスープを濁らせないためのポイントは、鶏ガラの下処理である。汚れている鶏ガラは15分程度下ゆでし、たわしなどを使ってきれいに水洗いする必要がある。

鶏ガラスープに最適な鶏

若鶏よりも老鶏のほうが良い。その理由は、鶏ガラの中に含まれる髄であり、これは骨の中の空洞部分にある脂肪状の結合組織で、鶏ガラスープのうま味のもとになるものである。この髄が老鶏のほうが発達している。また、ブロイラーよりも地鶏のほうが骨格がしっかりしており、骨の髄やゼラチンの元になるコラーゲンが多く含まれている。

トンコツスープが白濁している理由

トンコツスープは、”ゲンコツ”と呼ばれる大腿骨を金槌でたたいてから、長時間煮込んでつくる。トンコツは、鶏ガラに比べるとコラーゲンが多く、このコラーゲンは普段は水に溶けにくいが、強火で加熱されるとゼラチンに変化するという性質がある。その一方で、トンコツからは大量のアブラがでる。煮立てることでそのあぶらはスープの表面に浮いてくるが、このときコラーゲンが変化したゼラチンがそのアブラを包み込む。その結果スープが白濁する。つまり、コラーゲンが一種の乳化剤の働きをして、水と分離していたアブラを水に溶け込ませてしまうのである。

おいしいスープにはアブラが欠かせない

人間の味覚がアブラ分によって大きく左右されるのは、マグロのトロ、霜降りの牛肉の味を思い浮かべればよくわかる。アブラ分の全くない食事というのは、ハッキリ言ってまずい。そのことは、ラーメンにもあてはまり、トンコツや鶏ガラからにじみ出てくるアブラの他に、豚の背アブラをスープに加えている。更にもっとうま味が欲しい場合は高価な腹アブラを使うこともある。

中国人は顔をしかめる和風ラーメンスープの正体

中国人のコックに言わせれば、日本の麺はおいしいが、スープはちょっと…という人が多い。彼らは日本の和風ダシの味に慣れていないからである。しかし、日本人は、コンブやカツオ節でとったダシに慣れ親しんでおり、それらをトンコツスープや鶏ガラスープにミックスすることにより味の相乗効果が期待できることをよく知っているわけである。ここで、和風ダシを加えるときの簡単な注意点をあげておく。コンブを使う場合は、沸騰したらさっと引き上げるのが基本であり、長時間沸騰させると、コンブのぬめりがスープに移り、海藻くさいスープになってしまう。カツオ節やサバ節などを使う場合は、数分間煮たせたら、それをこすのが基本であり、加熱しすぎると渋みが出てくる。

スープづくりには野菜が不可欠

野菜を入れる第1の理由は、肉や魚の臭みをとることである。代表的な例が、ショウガとネギである。第2の理由は、スープにまろやかさをだすためであり、その代表がタマネギである。このほかに、スープに使われる野菜には、ジャガイモ、ニンジン、セロリ、キャベツの芯、ニンニクなどがある。

スープのアクは取るべきか否か

鶏ガラのスープの命はその透明さにあるが、あえてこのアクを取らない人もいる。つまり、アクといえども材料からでたうま味の一つと考えているわけである。アクとは、骨や肉から溶け出た不飽和脂肪酸やタンパク質が加熱されて固まったものである。これがスープの表面に浮いてくるのは、タンパク質が固まるときに、余分な脂肪を中に抱え込むからである。脂肪は水より軽いためスープの表面に浮いてくると言う理屈である。こうして固まったタンパク質や酸化した不飽和脂肪酸は、そのままにしておくと細かく砕けて、一見アクがなくなったように見える。しかし、結局はスープを濁らせ嫌なにおいの原因にもなる。但し、アク自体はすくい取るべきだとしても、アクをすくい取るとき、スープの上澄みも一緒にすくってしまってはいけない。この部分には、うま味やアブラ分が凝縮されている。

なぜスープとタレは別々なのか

スープにはしょう油味も味噌味もついていないから、タレによってその味を加えているわけであるが、これを一緒にしてしまうと、しょう油や味噌などの調味料が加熱と共に時々刻々と味が変化する。スープの色が変色したり、まずくなることもある。

タレの味を決めるしょう油あれこれ

スープの味を10とした場合、その味を左右する割合はスープが9,タレが1というところである。利用されるしょう油には、濃い口しょう油、淡口しょう油、たまりしょう油、再仕込みしょう油などがあるが、実際のラーメン店ではこれらを独自にブレンドして使っている。

シナチクとチャーシュー

具の三大要素は、シナチクとチャーシューとネギであり、特に作り手の技術やこだわりがもっとも現れるが、シナチクとチャーシューである。シナチクの原料は「麻竹」と呼ばれる竹の一種であり、これを様々に下処理し天日で干したものがシナチクである。明治期の横浜の南京街の中華料理店が具として、このシナチクと豚肉を一緒に煮込んだものを使用したのが最初である。しかし、当初は豚肉のほうは不評であり、食わず嫌いの傾向があった。そこで、豚肉をスライスしてのせるようになったのが、チャーシューの始まりである。当時は煮豚ではなく焼き豚を出していたが、余分なアブラ分が抜けているためさっぱりして香ばしく好評なものとなった。この日本ラーメンの原形が完成したのは明治40年代の初頭のことだったという。

シナチクをメンマと呼ぶようになった理由

シナチクをメンマと呼ぶようになったのは、戦後のことである。シナチクとは「支那竹」から派生した言葉だが、これがメンマと呼ばれるようになったのには次のような秘話がある。「麺の上にのせる麻竹」なのでメンマでいこうと、日本の丸松物産の社長である松村秋水氏が突如としてひらめいたらしい。メンマの材料は「麻竹」であり、長さ60〜70cm、直径15cmほどの麻竹を刈り取り、皮をむいて先端と底の部分を切り落とす。残った中心部分を加工工場で細かく裁断し、1時間ほど煮る。次に麻竹を竹カゴに入れて、1ヶ月間土中に埋め、自然発酵させる。十分に発酵が進んであめ色になった麻竹は、カゴから取り出されて天日干しされる。更に塩水に漬けてからもう一度、天日干しし、工場のなかで風圧によって乾燥させる。日本にはこうしてできた乾燥メンマが輸入される。

チャーシューの種類

1つ目は本物のチャーシューであり、下味を付けた豚肉の塊にホンサオと呼ばれる赤いタレをたっぷりとかけ、特製の釜でじっくり焼いたもの。スライスすると周囲が昔のクジラベーコンのようにピンク色をしており、独特の甘味に特徴がある。二つ目は焼き豚で、皮付きのバラ肉の塊に塩や香料などをすりこみ、専用の釜で焦げ茶色に焼き上げたもの。以上2つのチャーシューは、昔から中国料理にあるもので、その意味からすると本格派ということになるが、実は日本のラーメンには、こうしたチャーシューは、ほとんど使われていない。使われているのは多くは煮豚である。これは”秘伝のタレ”を入れて煮込んだもので、やわらかく、適度にアブラが抜けてさっぱりしている。最近は鹿児島の黒豚などの一部の銘柄豚を除くとうまい豚肉が少なくなっているらしい。その原因は、豚に与えるエサと飼育の方法に問題があるからだと言われる。養豚業者のなかには、生産コストを下げるために、食用油を混ぜたもっとも安いエサを与えてるところが多い。このような豚肉は肉にしまりがなく、”水ブタ”と呼ばれており、調理して口に入れたとき、口の中が余分なアブラ分でぬるぬるし、においも悪いのである。更に、体重が100キロくらいの豚がおいしいのだが、エサ代の節約や加工業者が加工しにくいことから、80キロほどの未熟な豚が出荷されることが多い。こうした未熟な豚は、味が水っぽく風味がないのが特徴である。チャーシューとなる豚肉の部位は脂身の多いバラ肉、脂身の少ないモモ肉、あるいはやわらかいロースなどスープとのバランスを考えて選択される。

ネギは丼にスープを入れる直前に切るべし

切ってから時間が経過したネギでは切り口が干からび、香りもうまさも逃げていってしまっている。また、ネギはその上から熱いスープを注がれることによって絶妙の火の通り具合となる。それがネギの香りと味を引き立たせる。ラーメンのネギはソーメンのネギのように生であってはいけないのである。ネギは冬にとれる「ゴタクレネギ」がラーメンにはことのほか合う。またネギには発汗作用があることも冬のラーメンをおいしくしている。また、西日本では青ネギ、東日本では白ネギが使われることが多い。

東京ラーメンとナルト

ナルトはカマボコの一種である。ナルトの模様は中国の唐草模様に似ている。ラーメンのルーツは中国であるが、中国人コックがすっかり日本化してしまったラーメンにルーツが中国であることの証を残そうとしてナルトをのせたという説がある。あるいは、日本人コックが中国に敬意を表してナルトをのせたという説などもある。

ノリ、モヤシ、ホウレンソウ

ノリはその溶けやすい性質からせっかくのスープを濁らせる、その磯の香りでラーメン本来の香りが失われるなどの理由で邪道扱いされる場合もある。モヤシはその絶妙な火の通り具合と適量が、やや柔らかめの麺とマッチするという目的で使用される。ホウレンソウは色彩的に、また貴重なビタミン源として支持される場合もある。いずれにせよ、賛否の分かれるところである。

ラーメン雑学

スープは最後の一滴まで飲み干すべきか

ラーメン店のおやじのなかには、客がスープを残すと不機嫌になる人がいるらしい。確かにスープはラーメンのなかでも一番お金と手間がかかっており残すのはもったいない代物である。しかし、スープには1日の摂取量の42%程度の塩分が含まれていることにも注意したい。

ラーメンとコショウの関係

コショウはその香りのもととなるリモネンという成分が含まれており、アブラに良くなじむ。そのコショウには、ピリッとした刺激が特徴の黒コショウと、マイルドな香りと刺激が特徴の白コショウがある。ちなみに、コショウはしょう油ラーメンにもっとも良く合う。

飲んだ後にラーメンが食べたくなる理由

ラーメンのスープをトンコツでとる店は多いが、秘密はこのトンコツにある。トンコツでダシをとったスープはイノシン酸を多く含んでいる。このイノシン酸はアルコールを中和する働きがある。従って、飲んだ後のラーメンはトンコツスープがお勧めである。

インスタントラーメン

袋麺の麺1本の長さは平均65cm程度であり、平均本数は79本程度である。一袋に入っている麺を全てつなげると50m強くらいになる。そのカロリーは袋麺で350〜450Kcal、カップ麺で300〜350Kcalくらいである。インスタントラーメンの主流は油揚げ麺であり、ここで使われているアブラは太陽光線が当たると酸化してしまう。従って「直射日光を避け常温で保温して下さい」と記載されているわけである。ちなみに、世界のインスタントラーメン第1号は、日清食品の「チキンラーメン」であり、昭和33年に誕生した。戦後の食糧難で日本人が苦しんでいるいるとき、家庭で手軽につくれる栄養食品として開発されたものである。当時比較的余っていた穀物の小麦粉を使い、アブラを用いてカロリー補給をしようと意図された食品である。

ラーメン丼の模様

ラーメン丼には、唐草や龍模様などが描かれている。この模様は大きく分けて三つあり、「唐草模様」、喜の漢字を横に二つ並べた「双喜模様」、中国に古くから伝わる伝説の生き物である龍と鳳凰を描いた「龍と鳳凰模様」の三種類であるが、これらはいずれも非常におめでたいことを意味している。唐草模様は正確には「雷文」といい、唐の名が表すように中国でよく使われ、この模様は中国では魔よけの意味をもつ。魔物は迷路のような唐草模様のせいで道に迷い、逃げていってしまうらしい。

チャルメラ

チャルメラとはもともと、屋台のラーメン屋などが吹いている笛である。その先祖は日本の楽器ではなく、16世紀末にポルトガルあるいはスペインから伝わってきたらしい。語源はポルトガル語のチャラメラである。ラーメンの屋台がチャルメラを使うようになったのは明治30年代後半で、横浜が発祥地といわれる。チャルメラは木管楽器で、前面に7個、裏面に1個の指穴があり、哀愁ただようように音色を奏でるには、かなりの熟練が必要である。

カップヌードル誕生秘話

袋入りのインスタントラーメンと並ぶ、戦後日本が生んだ世界に誇る”食文化”といえば、カップラーメンである。この元祖は昭和46年に発売されたカップヌードルであり、開発者もチキンラーメンと同一人物である。チキンラーメンをアメリカに輸出したところ、丼も箸もないアメリカでは食べ方が日本と違った。小さく割ったチキンラーメンを紙コップに入れ、そこにお湯を注いで食べるのである。カップのアイディアの元はコーヒー用の発泡スチロール製のカップであり、蓋のアイディアの元はマカデミアナッツ入りのアルミ容器の蓋である。

ラーメン二郎

ラーメン二郎とは、東京の三田・慶大前にある三田本店を総本山として関東で展開する人気なラーメン屋を指す。基本的には濃厚な豚骨醤油味とカロリーも2000kcalを超えるという噂もあるくらいボリュームが多い迫力があるラーメン。このラーメンを愛する人たちを「ジロリアン」と呼ぶなど、熱烈なファンがいることでも有名

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