ワイン色の憂鬱用語解説


サントリーのワインカタログ

現在では書店で購入できるようになった、サントリーのワインカタログも当時は酒販店に配布されているものでした。川上善兵衛の岩の原ワインの話や国産の貴腐(?)ワイン「ノーブルドール」などが巻頭の方で紹介されていたと記憶しています。シュロス・ヨハニスベルガーは当時 サントリーさんが正規に取り扱いをしていました。その後ニッカさんに移っていきました。同様にサントリーさんが酒販店用に配布していたものに「LIQUOR SHOP」(月刊)というものもあり、内藤陳氏の書くお酒とハードボイルド小説のコラムが素晴らしかったです。後に一度就職採用になった島田屋さんはこのリカーショップの中のコーナーで発見することになりました。

シュロス・ヨハニスベルガー

ライン・ガウのみならずドイツワインを代表する醸造所でしたが、一時期低迷していました。最近復活の兆しが見られオールドワインファンには嬉しい限りです。この醸造所を語る上で忘れてならないのは1775年のシュペトレーゼの発見です。簡単に言うと領主からブドウの摘み取りの許可を得た伝令が何かしらの突発事故に遭遇しヨハニスベルガーへの到着が遅れてしまったのが結果として遅摘みの発見につながったそうです。昔のラベルは紋章を使ったものでしたが、現在はシュロス・ヨハニスベルガーの風景になっています。一節には現在のご当主が船遊びが好きで あのようなラベルになったとのうわさもあります。

ザンクト・ウルスラ

ゴールデン・オクトーバーという銘柄のドイツワインを作っていました。基本的には親しみやすいグロースラーゲ(集合畑)の物でした。僕のお気に入りはダイテスハイマー・ホフシュトック・カビネットでした。このワインは有坂さんの「私のワイン日記」で単一畑と解説されていますが、間違いのようです。尚、ゴールデン・オクトーバーではリープフラウミルヒを2種類出していました。ラインヘッセンのものとラインプファルツのものです。たまに表のラベルを裏ラベルがテレコになっていることがあって苦笑いしたものです。

ワインスキャンダル

1985年に発覚したオーストリア産ワインの一部に不凍液(ジエチレングリコール)が混入されていた事件。詳細はフリッツ・ハルガルテンの「ワインスキャンダル」(三一書房)を参照してください。簡単にいうとこの無色透明の液体を混ぜることで安ワインを高級甘口ワインと見まがうような味にして販売していたと言うものです。当時日本でも外国産ワインを混ぜていかにも国産のように販売していたのですが、これによって表示なども厳しくなったようです。有名国産ワインメーカーも厳しい追及を受け、写真週刊誌(FOCUS)にでていた所もありました。ドイツワインでも影響が大きく、一時期は国内の酒屋さんからドイツワインが消えるような勢いでした。その後、政府の指導(だと思う)で「ジエチレングリコール検査済み」シールが貼付されたワインが店頭にならび騒ぎも一応終息に向かう。96年に入船屋さんでこのシールの付いたワインを観て非常に懐かしかったです。因みに一番損をしたのは似ているというだけで割を食ったオーストラリア(豪州)ワインです。この事件をきっかけに日本におけるドイツワインの低迷が始まったのかもしれません。

ホットワイン

何年か前に日本でもブームになった暖めて飲むワイン。日本酒にお燗があるようにワインを暖めて飲んでもおかしくないと思うのですが、当時の日本でのワインを取り巻く環境は、ワインを暖めて飲むなんで考えられなかったようです。その時も同行者には飲んでもらえず、結局自分一人で飲みました。使ったワインは十勝ワインの赤で砂糖を入れて暖めただけの単純なものですが、日本で最初にホットワインを楽しんだ何人かの一人と自負しています。そんな訳で数年前のブームの時に偶然にホットワインのテレビ取材に出演したのも 何かの因縁なのかもしれません。因みに正統派のレシピは和田浩行氏の「もっと知りたいドイツワイン」をご参照ください。最近は出来合いの物の他にブーケガルニやティーバックのような形態のホットワインの素も販売されています。また北欧のインテリア専門店のイルムスではホットワインを作る道具も販売していました。これはインテリアとしてもかわいいです

ヴィノテーク

日本を代表するワインジャーナリスト有坂芙美子氏の主宰するワインと食の情報誌。昨年(2001年)創刊20周年を迎えた業界の老舗。因みにヴィノテークとは「ワインとワインのぎっしり詰まった箱」を意味するそうです。以前は赤坂のマンションの一室に事務所があり、そこで就職の面接をしました。面接をして下さったのは有坂さんと編集長の吉田さんで、結果的には落第でした。その時指摘された語学力の無さは今も変りません。最近ドイツワインの特集が無いのでお願いしたのですが、こればっかりはニーズあっての物なので難しいのでしょう。有坂さんも書いているではないですか・・・「ドイツワインは我が母港」って!!

有坂芙美子

日本を代表するワインジャーナリスト。ワインと食の情報誌「ヴィノテーク」を主宰。代表的な著作に「私のワイン日記」(白水社)があります。以前(80年代)は試飲会などでよくお見かけしました(昔は業界も世界が狭かった)その時から華のある方でしたが、今もお変わりないようです。

木村克己

通称”キムカツ”さん。田崎慎也氏の前に、そして日本で初めてメジャーになったソムリエ(だとおもう)。いろいろなタイトルや肩書きを持っているのですが、第一回パリ国際ソムリエコンクール日本代表として総合4位になったことが一番わかりやすいかもしれません。僕は当時「笑っていいとも」に出演したキムカツさんをみて、ソムリエもメジャーになったものだと思いました。その後、アカデミー・デュ・ヴァン東京校の創設にかかわったり、「ザ・ハウス・オブ・1999」の取締役支配人兼エグゼクティブ・ソムリエをされていました。、「ザ・ハウス・オブ・1999」には会員制のワインクラブがあり当時学生であった自分には高嶺の花でした。ここは今、「ザ・ハウス・オブ・1999・ロアラブッシュ」といってレストランウエディングなんかもやっているので訪れたかたも多いかもしれません。木村さんは他にも飲食にかかわる仕事を数多く抱えていて先日知人が参加した紅茶のセミナーで講師をされていたそうです。僕が始めて会った印象は”関西弁しゃべってる!!”でした。

カリフォルニアワインコーナー

1980年代後半、西武百貨店所沢店地下1Fにあったカリフォルニアワイン専門のコーナー。当時通路を挟んで向かい側にお酒の売り場がありました。カリフォルニアワインと言えばホワイトジンファンデルとカリフォルニアシャブリ位しか日本では知られていなかった時代に思い切った売り場を造ったものだと感心しました。因みに現在はなくなってしまいました。早すぎた売り場でした。西武のワイン売り場といえば同時代にあった有楽町西武の「酒蔵」も有名でした。あそこの売り場を思い出すたびにアメリカのASTORを連想します。

田辺由美

ワイン アンド ワインカルチャー(株)代表取締役。「十勝ワイン」の生みの親である元池田町長.丸谷金保氏の次女。詳しい経歴は他の書物などにお任せします。レーヌペドゥークで有名な廣屋の女性だけのワインチームに所属されていました。このチームにはワインスカラの石井もと子さんもいらっしゃって 確か3名のチームだったと思います。僕とこのチームの接点は学生時代にバイトをしていたお店が廣屋さんの三鷹支店と良い関係にあり、一度ワインチームの方を招いてワイン会を行ったことがありました。後になって石井もと子さんにそのときのお話をしたところ、石井さんではなかったとおっしゃっていたので田辺さんとそのときに接点があったのかもしれません。所沢西武でお見かけしたときはちょうどカリフォルニアワインコーナーで試飲のデモンストレーションをされていました。「カリフォルニアワイン」を出された直後で自分も購入していたところでした。本の話になった時に「まちがっている所があったら教えてくださいね」と謙虚におっしゃっていた事が印象的でした。

ヴィナディエ氏のセミナー

88年(89年かもしれません)頃、池袋西武のワイン売場でヴィナディエセレクションという一連のワインを扱っていました。その前は岩野先生の岩野貞雄セレクションという物もありました。今でもヴィナディエさんの経歴は思い出せないのですが、ワインセミナーがあり参加しました。いくつかのワインを試飲してP・モンラッシェの美味しさをはじめて実感したのが印象的でした。そのときにお手伝いというか通訳をされていたのが田崎さんでした。試飲に使用した田崎さんデザインのワイングラスは今でも持っています。池袋西武にはいろいろな方が関わりをもたれていて一時期は石井もと子さんと岩野貞雄先生が売り場でお買い物のアドバイスをされていた時期がありました。社員さんでもヴィレッジセラーズにいかれた山井さんやコンサルティング業で独立された山田恭路さん、意外な所では某有名女性ソムリエの義弟さんが池袋西武で働かれています。業界では日本酒コンサルタントで日本酒輸出協会会長の松崎晴雄さんも西武の出身ですね。日本酒のバイヤーをされていた時に面識がありますが、いつも穏やかな方でした。

和田浩行

八丁堀にあるドイツワインの聖地ともいえる入船屋さんの三代目。世界の三大ワイン大学であるドイツ・ガイゼンハイムワイン大学で正規の学生として勉強され1991年1月に卒業試験に合格し、日本で二人目のDiplom-Ingenieur fuer Weinbau und Oenologieになる。因みに一人目は伊藤眞人氏(著書に「新ドイツワイン」あり)。在学中からインターネット上で「もっと知りたいドイツワイン」を立ち上げ、同時にメーリングリスト「もっと語ろうドイツワイン」を主宰。親子二代に渡る豊富な経験と最新の情報を持ち合わせ、現在国内におけるドイツワインのオピニオンリーダー的存在。

呼称認定資格

財団法人日本ソムリエ協会の認定するワインに関する資格。大きく分けて「ソムリエ」「ワインアドバイザー」「ワインエキスパート」がある。ソムリエ、ワインアドバイザーの資格試験を受ける条件としてそれぞれ実際の職務年数が必要で飲食店や酒販店で何年か働いた実績がないと受けられない建前になっているが、いまや形骸化されているようです。若いテレビ局のアナウンサーが何故ソムリエの資格を取れるのか今でも不思議です。よく人に次はソムリエの資格を取るんですか?と聞かれることがありますが、基本的にソムリエは飲食店でサービスをする職業の方の資格でワインアドバイザーは酒販店で販売に従事する方の資格であり、どちらが上とかは無いと思います。ワインエキスパートもそうですが一次試験の問題内容は同じ物を使い二次試験についてはその職制に応じた試験内容になっています。他にも似たような名称の資格を認定する団体がありますが、最近は資格商売みたいで本質が何かわからないですね

カリフォルニアワイン

カリフォルニアワインを初めて飲んだのは大学生の時(85年頃)だったと思います。当時は赤は日本では珍しくカリフォルニアシャブリとかホワイトジンファンデルがもてはやされていました。カリフォルニアワインに対する認識が変わったのは98年に友人に薦められてカレラ・ミルズを飲んでからです。それ以来ドイツワインとカリフォルニアのピノノワールが好きなワインの筆頭となりました。

ラック・コーポレーション

ブルゴーニュワインといえばここ!といったインポーターさんです。会社の発足は昭和54年とそれほど古くはありませんね。当初はドイツワインから輸入・卸売りを始めた(昭和56年)ようですが、昭和60年にフェブレ社と契約を締結したことを機会にフランス中心の品揃えになったそうです。現副社長の桜町さんとは以前一度だけワインを一緒に飲んだことがありますが、もう忘れちゃったでしょうね

ブルゴーニュの巨人たち2

平成8年の「ブルゴーニュの巨人たち」(8社参加)に引き続き平成11年にブルゴーニュを代表する醸造元16社を招いたプロモーション。帝国ホテルを会場として3000円の参加費でしたが参加する価値大でした。このとき発見したのはヴィレーヌさんのリュリー・クロ・サンジャックでした。とても溌剌としたワインで並み居るグラン・クリュに一歩も引けをとっていませんでした。

ヒュージョンソン

イギリスのワイン評論家。このポケットワインブックのほかにも「ザ ワールドアトラス オブ ワイン」を著す。よくNHKのワイン番組に出ている赤ら顔のおじさんです。80年代後半に池袋西武にヒュージョンソン・コレクションといったコーナーがありました。銀器を中心としたワインを楽しむグッズのコーナーでした。見ているだけでも美しいものでしたがすぐなくなっちゃいましたね・・・残念。今はジャーデンさんのコンサルタントもしているようですし、ハンガリーでザ・ロイヤル・トカイ・カンパニーのオーナーの一人としてますますご健在のようです。2001年のグルメジャーナル4月号別冊「ソムリエ」の表紙で元気そうな姿を見せていますね

ポケットワインブック

ヒュー・ジョンソンの編纂によるポケットサイズのワインブック。「はじめに」でヒューが書いているように「小型車や電話ボックスに何人の人間を詰め込めるかというゲーム・・・」といったやりかたで作られているが、内容は大型本のそれを凌駕しています。ぼくの所有のものは1981/1982年度版で当時は鎌倉書房がだしていました(現在は早川書房)。価格は当時で1500円現在は4000円になっています。