安心・安全・おいしいミルク消費者に

牧草の自給から乳牛育成・搾乳・製品出荷まで

2000年にK市市民大学にパネラーとして出席した時の内容を私たちの取り組みがわかりやすく書き直して見ました。

はじめに

私は酪農の2代目です。親父が昭和22年に牛を飼い酪農をはじめました。

「勉強はしなくていいから、仕事をしろ」とスパルタ教育で育てられました。

私には3人の息子がいますが、3つのボウを柱に子供を育てました。

  1つめは「辛抱」

  2つ目は「貧乏」

  三つ目は「希望」です。

 

お百姓さんとは、百の技を持った職人、という意味だそうです。それだけ多くの事を知っていないと米は出来ないと言うことです。「いただきます」「ごちそうさま」これらの言葉はお百姓さんや土に感謝する言葉だそうです。

今、現実には専業農家は少なくて、殆どが兼業農家で米を作っていて、いい米を作ろうと言う気持ちが薄れてきています。

除草剤を使ったり,化学肥料を使ったりして機械で手早く作業を済ませてしまいます。有機肥料等良くわからない物は使いたがりません。色々考えたり観察することをしなくても今の米は出来るようになっているんです。

野菜作りにおいても仲間によると、商品として出荷する野菜と、自家用の野菜は作り畑が違うという。どうしてそういうことになるのかと言うと、米作りと同じように除草剤を使わなければ生活できるだけの生産力が上がらないし、労力的にも出来ません。季節ハズレの野菜を作るには普通にしていては出来ません。

同じ農業者として、皆に安全な野菜や米を供給しようとするのには、経済的にも労力的にも大変なのです。

生きていくためには、農業者もお金を稼がばければならない。そこのところを消費者に理解してもらうしかありません。化学肥料を使った作物が悪いと言われてしまうと農業者は困ってしまうのです。

今、大地牧場でやっていることはほんの一部分です。

有機農業がどれだけ大変かという事を、これから少しお話していきます。

オーガニックへの取り組み

何故 オーガニックに取り組んだか

中学生の時に酪農雑誌に「コンクリートジャングルの中で、一日中太陽の当らない職場で働く人々に、太陽をいっぱい浴びた完全栄養食を与える職業を」という記事を見て『俺の生きる道はこれだ』と思い、それからは迷いなく酪農の道に入りました。

わがままでいられ、自然が好きだということもあり、またしゃべるのが苦手なのでサラリーマンになることを私は選びませんでした。

化学肥料を使わなくなったのは10年前です。それまでは飼料用のトウモロコシを作っていて、その時、化学肥料は使っていましたが農薬は使っていませんでした。しかし雑草が増えてしまいましたので農薬を撒いたのです。その時使ったタンクを水洗いしてザーッと土に流しました。するとミミズがみんな死んでしまいました。『農薬はダメだ。収量は減ってもいいや』それで、牧草に切り替え化学肥料も使うのをやめました。

自分が酪農をはじめるきっかけが『食べるものだから体にとって安全なものを作り消費者に食べてもらいたい』ということだから。

私のやりたかった酪農が見つかった

鴨川に藤本さんという有機農業に熱心な方が住んでいます。歌手の加藤登紀子さんの御主人でもある人です。

その人が、私が無農薬で酪農をしているということを知り訪ねてきました。色々お話ししているうちに有機農業を教えてもらいました。実際100%有機肥料で牧草を育てるのは困難だということでした。

藤本さんと契約して『有機ミルク入りヨーグルト』を発売する事になりました。発売当初、明治の「ナタデココいりヨーグルト」の次に好調な販売成績でした。それには納豆菌を入れて製造したのですがそのために固まりにくく搬送途中でくずれてしまい易くて受け入れてもらえなくなりました。それから有機農業を勉強しました。

タカナシ乳業さんと出会うまでの私の酪農

私の酪農は自分で牧草を作って牛に与える草地型酪農です。親父はカレンダーに「ポプラ並木があって、少し離れた所に牛舎がある。」という絵を見て、又ニュージーランドで飛行機から見た「グリーンの上に、一番上が羊の白、次が斑点のある赤い牛一番下に茶色い牛がいる」そんな酪農がしたいと思ったそうです。

私の牛乳は組合に出荷していました。組合の経営も苦しかったので、組合長は利益の高い加工乳を販売したいという事でした。

自分の進む道と、組合長の方針が合わなかった。結局4人が組合を離れました。

その頃に、M乳業とタカナシ乳業が私の経営を知ってやって来ました。

M乳業は日本にはまだ有機畜産物についての基準がないので、とりあえず有機牛乳で売り出してしまおうという考えでした。

タカナシ乳業さんは、「有機認証という道があります。出来れば100%有機の製品を売り出したい」

それを聞いて「出来るの?困ったな・・・」その時の担当者の熱意に押され、はじめる事にしました

いまでも自分達で、牧草を作って刈りサイロに詰め、それを毎日取り出して牛に与えます。この仕事は凄い労力を要するのです。

時期もみなければならないしいつも手一杯でした。両親はもっての他と反対しました。

でも、どうせやるならやりたい事をやろうと思いました。

オーガニック認証機関「QAI」の認証取得

有機の認証自体には、私はあまりこだわりません。しかし消費者に理解してもらわなければならない。そのために第3者による有機認証が必要になってきます。そのために、私たちがしていることを紹介します。

乳牛管理

オーガニック飼料100%給餌

アメリカの認証団体、OCIAの認証を受けた有機栽培されたトウモロコシ、大豆、ルーサン、オーツヘイを輸入しています。横浜に陸揚げされた飼料は港で検査を受けます。

そこで、虫などの異物が発見されると消毒されてしまいます。そうなると有機では使用できませんので返品となります。

その後も、消毒薬や殺虫剤などに汚染されない、温度管理、衛生管理の行き届いた倉庫に保管されます。

そこから、大地牧場に運ばれるトラックも検査を受けています。

そして、一日に牛に与えられるえさの量、在庫量等、全て記帳されます。

抗生物質、ホルモン剤の禁止

牛の病気や怪我の治療に抗生物資、ホルモン剤、化学物質が、一切使えないのでまず病気を予防し、病気をさせないことを一番に考えて管理をします。

病気をすれば廃棄処分を余儀されなくなるのでとても神経を使います。

そして、乳牛は繋がれることなく牛舎内を自由に歩き適度の運動ができます。

草地管理

牧草を出来るだけ自給栽培しています。

牧草は、無農薬、無化学肥料で栽培され、サイロに詰められてサイレージになり、通年給与されます。

そして、糞尿は堆肥として再び草地に還元されます。

そして、これらの作業は全て記帳され、後々追跡可能であるように残します。

クレームがついた時に、認証機関は責任を持って答えなければ成らないからです。

出荷と搬送

そして、生産された生乳は専用のローリーで、足柄乳業の工場に運ばれます。

この工場もQAIの認証を受けています。そこで、他の牛乳と混ざらないように厳重に管理され製品になります。

毎日の仕事

         (牛舎)                 (ミルキングパーラ)            (フリーストール)

6:30お乳を搾る機械(ミルカー、搾るところミルキングパーラー)やお乳をためる機械(ミルクタンク)をすすぎ洗剤が残らないようにチェックする

7:00搾乳をするため牛をフリーストール(牛を放してある)牛舎から待機するところに追い込む
7:10フリーストールの中を掃除、ベッド(牛の寝る所)に敷き料を入れる
(バルククーラー>

7:10同時に乳搾りも始まる約1時間半掛かる(90頭)牛乳はパイプで密閉式のミルクタンクに入る約2,200リットル摂氏4度で保存されます。
搾乳後待機場、ミルキングパーラーの中を50分〜1時間かけて水洗いブラッシングをする。ミルカーは自動洗浄です
8:00より牛の餌を作り始める。サイレージ(有機栽培した牧草を細かく切ってサイロに詰めて発酵させた物牧草の漬け物)と有機のアルファルファの乾燥させた草と有機のトウモロコシを砕いた物と大豆の油を絞っただけの物を機械で混ぜて牛に与えるこれを1日三回行う13時と20時又この間にサイレージだけを2回与える。
18:00夕方の搾乳が始まる朝と同じく牛舎の掃除、搾乳、パーラのなかブラッシング
20:30これで親牛の仕事終わりです。

この他に育成牛80頭(牛は子牛を生まないとお乳は出ません親に成るまで2年掛かります。)有機の餌で育てます。掃除もします。この内哺乳牛10頭他雄5頭(生まれて約2ヶ月の間)搾った有機牛乳を飲ませる。
あと乾乳牛15頭(親牛で乳搾りをしていたのを次のお産の2ヶ月前に止めている)の世話、これが毎日やることです。

この他に糞尿の処理、堆肥作りです。オーガニックはこれが重要です。
あと牧草地の管理、堆肥を入れたり種を蒔いたり、草を刈りサイロに積めたり特に4,5,6月はとっても忙しいです。



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