*今年もサンタサンからのプレゼントはなかったなぁ・・・。毎年サンタにあってるにもかかわらず、一年経っても変わらないということは、ずっとかわらないんだろうなぁ。とおもうと、見切りどきかもしれないな。わたし?そりゃもちろん、私はいつだってサンタですよ。誕生日もクリスマスもずっとこんな調子なんだから期待してなくてよかった、学ばない男は嫌い。女は学ぶぞ、これでも結構。
*かるーく手術をしました。ものの10分程度だったのかしら・・・部分麻酔をして。まったく痛くも痒くもなかったのは幸い。でもやはり、針が皮膚を通る瞬間は嫌なものです。にしても、医療費って高い。結果によってはあと2.3回おなじ手術をするらしいですよ。そのたびに税金も払います。費用の半分は自費負担税だったことに驚き。「まあ、まちがいないとおもうけどね」なんていわれてあといかほどの医療費がかかるんだろう?生き難い世の中だ。
*体調がすこぶる悪い。悪いといっても、風邪ひいた・頭が痛い・咳が出る・怪我をした・熱がある・だるい…などという生きていれば一年間に何度もお目見えするような症状ではない。そんなんだったら、いつでも来いといいたいくらいだ。25を超えたら年に一度は検診をというが、ほんとうにそうかもしれない。やっぱり、ガタがくるのだ、人間にも。四半世紀生きてきて、初めてぶちあたる症状というのが、ある。そして当然だが、これからどれだけ生きられるかわからないけれども。生きているぶんだけの、“初めて”がある。いちいち、そんなものに動揺してはいけないのかもしれないけれど、相手はカラダ。何らかのシグナルであることには変わりなく、それを無視するわけにはいかない。怖いのは、外見何ともない自分の内側で、何かが・・・たとえば赤血球だの白血球だの粘膜だの・・・戦っているということ。知らないうちにカラダの内側で、戦艦ヤマトも機動戦士ガンダムも一連の戦隊ものヒーローもサリーちゃんもメグちゃんもルンルンもジェダイの騎士もハリーポッター等も出動して、ひたすら戦っている。メンテナンスも必要だ、いまとなっては26年物のカラダ。何が起こっていてもおかしくないのだ。
*もともと男性より“ものわかりのいい”女性が、ものわかりよく振舞うということは、つまりものわかりが悪いということだ。そう、見苦しいということだ。自分では気取っているつもりでも、絶対に巧くいっていないのだ。覚悟を決めなさい、女性たち。オンナは何も画策せず自然体で居ることが最もものわかりがいい状態であるということを、悟りなさい、ワタシよ。そして道に迷った今、何もしてはいけない。他人を読もうとするんじゃない。どんな言葉を投げかけても、貧乏神は離れていかないのだから。ただ、寒い空気と空の下で、鼻歌うたって歩くのです。
*再び訪れたこの違和感、ピンチはチャンスなのだろうか?。ギクシャク、ギクシャク。金の威力は絶大だ。人間の中に潜むマイナスの性質すべてを露呈させる。『調子悪いのはわかるけど、いちいちネガティブな返事が返ってくるのは本当に落ちる。正直言って付き合い切れない。』、ここまで白状させた私の過ち。すべては根拠の無い誤解と解釈。でも、それを引き起こしたのは、日常的な非友好的態度であることは想像に難くない。そしてまたそれも大いなる誤解の産物。自分が意図しない他人の産んだイメージを払拭するには、どうしたらいいのだろう。それは悪あがきをしないこと、言い訳も弁解も事態を悪化させることのみに威力を発揮する。虚しいのは誰もが承知、それでも私が悪いのです。
*暮れも押し迫ったこの時期に、私は職を失った。いや、チャンスを失ったというだけのこと。試験も受け、3回も面接にいったにもかかわらず、落とされたのだ。呆れて、怒るより何より、笑ってしまう。結果などどうでもいいのだ。断罪されるべきは、失われた時間を返して!!ということ。10月から半拘束され、12月に放り出された26のワタシよ。今日の私は、偉かった。成長した。こんな時だからこそ、ツイてない時だからこそ化粧をした。どこに行くわけじゃないとしても、診察に行くだけであっても、化粧をした。冬の寒い道、ときたまチラチラ映る自分の姿をウィンドウに認め、ああ化粧をしていてよかった、と安心する。前向きな私がいるだけで、まだまだ世話にはならないよ。
*ワタシの胸を締め付けたのは、たった一つの表現、『しけた顔』、彼のメールに込められたこの単語の殺意に、ズタズタに切り刻まれる。でも、よくみてごらん。確かに私はしけている。梅雨の2年館の教室のようだ。こんなヒトを愛せるわけがない。冷たい視線はまだまだ続く。どうにも出来ない苛立ちを、人のせいにはしないつもりだが、知らないところで不快感を放出していたらしい。この埋め合わせには相当の犠牲がはらわれるだろう。愛はいまどこにあるのだろうか・・・。
*彼は私に言いました、『今まで、近所に買い物に行くんじゃないかっつーような格好だったもんな』。今日の私は、ヒールを履き、黒のタイトミニスカートに網ストッキング、紺の鎌倉シャツ といういでたちだった。彼のとあるご希望で。悲しかった。指摘された恥ずかしさとかショックとか、それなりにいろいろあるけれど、なによりも今までの私はなんだったの?、いままでずーっとそう思っていたの? ピエロや道化師にでもなった気分、道化の気持ちがよくわかると今年に入って何度か思った。どうして思った時に言わないの?どうして今更取ってつけたように便乗してそういうの?今までの私をどうして好きだといえたの??今までの私は一体なんだったの?信じるものは救われない、すべては自分で気づくこと。私はまたあなたをも最後まで信じない。
*私はプライドが高いらしい。何を今更という感ありだが、でもそれはそんなに悪いことじゃないと思っている。というのは、それこそ場合と限度によるというか、少なくともプライドが持てるほどに自分で打ち込んだ何かがあるということだと、信じている。そういう意味では、非常にショックだった『この子バカなんだけどさ、明るいしナンタラカンタラ〜』バカねえ、直球の意味合いでバカなんていわれたことは、この数年ないわ。たかだか国語と算数の知能試験の結果ひとつで、バカっていわれるわけだ。アンタは一体私の何を知ってるんだ?? 問いたいさ。人間知っていることを聞かれたら100点取れる、誰だって。またその逆しかり。私はこういっちゃ何だが、受験勉強だけは誰にも文句を言わせないほど、やったのである。受験勉強の良し悪しではなく、それが私的人生史上初、自分の力で勝ち取った勝利であり、自信であり、根幹をなしている。あれが出来たのだから、世の中にもう出来ないことはないを思わせるだけの努力をしたのである。だから、自分のことを賢いとは思わないが(いや、心の中では思っているかもしれない)、バカだとは言われたくない、心外なのだ。しかし、私は立ち止まった。ひょっとして、事実なのかもしれない。昔取った杵柄、それは維持する努力なしでは、手元に残るものではない、それを思い知る時なのかもしれない。謙虚さを再度心に刻んでおくこと、そして事実・現実・現在を直視する勇気を持てと、諭されているのだろうか。
*水曜日を利用して、ハリー・ポッターみちゃった。食わず嫌いだったものを、ビデオレンタルして第1作観たところ非常に面白く、予想外に興奮し、家にあった原作本を借りて読んだところ、原作の方がはるかに面白く、第2作目は必ず劇場で観ようと決めていたのです。そう、映画は映画館で観るもの、基本。作る側はそのサイズで作ってるわけで、当然伝わり方も違うさ。だからハリー・ポッター劇場で観て!成長しちゃってるあたりも、リアルにいいと思えます。にしても、ロンはすごい声変わりだし、大人になりすぎ?でもとぼけた顔が魅力的。ハリーは眼鏡をとるとほれてしまいます。ハーマイオニーはこれから先お色気女優になっていくであろうことが残念、ハリウッド女優の宿命か。
*あの会社にまた呼ばれた。これは間違いなく、果たし状だろう。決闘といっても、過言ではない。さあどうする、あと数日間で、敵をうならせるくらいのことをして、こっちから願い下げるくらいの度胸でいかねばならぬ。スターウォーズエピソード2---不細工の攻撃---。
*結婚の話。初めて持ち出してみたのだけれど(まだするつもりないという方向で)、メールという文明の利器を使用したためか、次にあったときの気まずいこと気まずいこと。相方も、まだまだするつもりはないと書いていたし、そういうのって自分と同じであること・予想もしていたこと なのにぼんやり悲しくなるの、なぜかしら。そう、言ってほしかったなぁ、するならお前がいいとかなんとか。あと何年したら別れるかな。ひょっとしたら、数ヶ月かも。そういうことが、いちばん怖い。漠然と、わたしとの結婚のことを考えたことはあるそうだが、だから何なのか、どう思ったのかは、教えてもらえなかった。そんなこんなで久々に会ったのだから、気まずいわけだ。ああ、あとどれくらいで別れるかなあ。
*九州に行ってきました。福岡に住んでいる若夫婦(妻の方が高校の友人)のもとに、貴重な週末金・土・日、転がり込んみまして、旦那が発狂寸前だったことは想像に難くない、今更ながら申し訳ない。最初から最後までまったく地理が飲み込めず、なにがなにやらわからなかったけれど、天気に恵まれたこともあり、旅自体はかなり充実。しかしまぁ、帰りの飛行機の中で連れ合いの友人と激しく共感したのは、彼氏って最高! ってこと。そう、ほんとにわたしたち女子は彼らに甘い生活を注いでもらっているのだわ。らくちんなんだもん。女友達はそれはそれで要所役割があるのであり、それは長い旅行には不向きかも。いい歳した女が数人もあつまりゃ、ザワザワするわ。自分たちの足がはっきりしている旅なら、女同士も十分楽しい。でも、彼氏との生活に慣れきっている感覚をちょっとした間違いで持ち込んでしまうと、とてもつもなくストレスが溜まってしまうもの、お互いに。どんな女の子にも、やっぱり『彼』は特別なのでありました。
*土曜日の20:30,半蔵門。待っていたのは何ともいえない挫折感。続報ですが、二次面接行ってきました。結果はNO、その場ですぐに結果を頂きました。理由は簡単。服装、それだけ。ようやく意味がわかる、当たり障りの無い、もしくはコンサーバティブなものを、得てして選択するものですが、彼らはそういう意味で、落としたわけではない。『キミにとって今日は勝負の日だろう??』---そう、彼らは落としに来い!といっていたのである。前回言ったことを覚えているかと聞かれ、覚えているからこそ、自宅で一度したメイクを落とし、考え直して化粧し直して、マニキュアも塗りなおして臨んだわけです。重ねて述べますが、彼らは自分でチャンスをダメにしたねと言ったのです。今日、どういう格好で来るかで、私の合否はきまったそうで。曰く、中身に問題は無いのだそうだ、だからこそ試験でボーター以下だったにもかかわらず二次面接に通したのだそうだ。そう、私に足りなかったのは、企画広報と言う名の営業で取引先を落とすミニスカート・胸の谷間の出るトップス・ここ一番女を武器にして契約を取り付けるセクシーさだったのです。これを聞いてどう思うかしら?皆の衆は。ワタシ?納得よ、ごもっともだと思った。『胸の谷間が見えないような服を着てくるやつは帰れを先方に怒鳴られるくらい平気か?』そう問われた。---そう、ワタシは知っている。そういう世界なのだ、業界の現場でつい数ヶ月前まで働いていたワタシは、知っている、そういう雰囲気が嫌で抜けたのに、今その彼らを取引先として迎え、売り込めと言う。そのために必要なもの、それは、紛れも無く、面接官がワタシに求めたものに他ならない、ごもっともだ。ではなぜ、ワタシがこんなにも複雑に心を痛めているのかというと・・・それは、わかる人にはわかるでしょう。悲しい現実だな。
*銀座のタイスキのお店に行きました。でも並んでいたので、コースのタイスキフロア進出は断念せざるを得なく、単品フロアへ。それにしてもトムヤムクン旨い! おそらく初トムヤムだったのですが、おいしかった。その他もろもろ単品料理もよかった。ショウロンパオ(メニューにそう書いてある)も、肉汁ジュワーで、ヨカタヨ。しかし、皿に取るのに失敗することしばしば、うまみはもちろん皮の外へ・・・これは悲しい。やわらかくやわらかく、ショウロンパオを扱うべし。
*予告どおり、今週の水曜日は『ドライブ』の日、ということで鑑賞。やはり、大当たり。SABU監督の映画、スキ。ところどころにキュンが隠されているので、ぶちあたったとき、本当に幸せ。テンポがいいのもすき、だらだらしないの。必要なところに必要な分だけ、そんでもって逸脱した発想
*ワタシはキミに問いたい。要求を要求と思っているのかい? もしそうだとしたら、そんな晴れ晴れと、そして甘い身のこなしで呼びつけないでいただけるかしら? おかしいわ。もう知らないと、憤ったところで、結局飛び込んでしまうのだから、不甲斐ない自分。いただけない、これはほんとうにいただけない。聞こえてる?淋しいのはもう耐えられないって言ったのよ!よく覚えておいて頂戴。
*そして何故か予選通過してしまったようだ・・・。しかも翌日結果報告とは・・・話が違いますねぇ。いいんですけど・・・逆に怖いです。さらに、報告文書にはまぎれもなく『次のステップへ』の文字。まだあるんかい・・・。これで落とされるんだから、かなわんな。2ch ではスレに上がっても相手にされていなかったニューカマー。
*この歳になって、キャリア就職面接で国語30分プラス算数40分の能力試験を受けさせるのは、犯罪じゃないでしょうか? AさんBさんCさんの誰がいちばんに目的地に着こうが、何mあろうが、何分かかろうが、正しいとは言い切れないものが何番だろうが、そんなこと社会ではどうでもいいことです。要は、最も簡単な方法で最も恨みっこなしに選別する基準を設けているだけのこと。生きている限り、一生ワタシは何がしかの形で、比較され裁かれるのです。そう、それはワタシだけではないのですよ、アナタもソナタも。そんなの悲しすぎると思いませんか??今宵は、まだまだにぎやかで華やかな19時台、なれないヒールで母校の前をフラフラ歩きつつ、学生を見やりながら微笑んで帰りましょう。
*先週の水曜は渋谷で“OUT”を観て、今週の水曜は近所で“ロード・トゥ・パーディション”を観て・・・。水曜日はレーディーズディなんだから、なにはなくとも映画を観ないと損な気がしてしまうのは、私だけではないはず。次に私が見るものは、SABU監督の“DRIVE”ともう決まっている。限定で近所の映画館に今週末からやってくる。本当は、きちんと公開しているうちに都内で見ようと思っていたのだけど。SABU監督の映画にはずれはない。昔、池袋の文芸座にMONDAYとトークショー目当てに行きまして、そのときのSABU監督・・・怖かった。けど、ほんとはきっと怖くないんだと思ってる。根拠はない。SABU監督の映画にはずれはないといういうことは、堤真一にはずれがないということで、また大杉漣にはずれがないということでして。そこに今回は、結局この世で一番胸キュンで若手のACTORとして買っている安藤政信氏が出演するのですから、ビデオ借りてでも観て欲しい、諸君。柴崎コウ嬢がどうでるかに、期待大。洗顔料はつかってませんと、嘘でも言い切るところに期待大。
*連休でしたが。土曜日の夕方、母猫に“土日月と3連休だけど、デートはしないの?”と聞かれ、カレンダーに沿った生活とはここしばらくとんとご無沙汰の私は、そういえば 前回相方に会った時に3連休だということは教えてもらったけど、会おうとも言われなかったし、これといって約束などしていないことを思い出し、“別に何の予定もない”と告げたところ、“つまんない彼氏ね”と言われた。まさしく・・・つまんない二人、だなあと思った。最近はすっかり、嫌なことは気にかけないような順応性を搭載したと思われる最新型自分マシン。しかし、言われてみれば、思い出してみれば、つまんない二人。土曜日昼間、泳ぎに行った帰り、デート遂行カップルが沢山いて、天気も秋晴れで、めずらしく“うらやましい”とメールで訴えたものの、返事はこなかった。そのときは、ただの土曜、いつもの土曜、だと思っていたのだが、真実は3連休の土曜だった。こうなると話は別で・・・。相方に時間がないことは知っているけど、今まで3連休は必ず“1日くらい会おう”といってくれるものでした。だから余計にズシンときまして、“つまんない彼氏ね”。結局会わないどころか、連絡もほぼ一方的で消化不良なものでした。メールでね、邪魔しないように。っていうかこれは今更ながら恋愛じゃないかもしれない?と気づくのでありました・・・。
*初めて撮った二人の写真はプリントクラブ。ここ数年の間に、かなりの進化を遂げたとみえる、ゲームセンターの一角、にぎやかな箱。何がなんだかよくわからなかったけれど、手元に残ったシールが、妙に愛しく思えたのは、うれしかったかもしれない。
*なんてことだ・・・ダンブルドア校長がお亡くなりになられてしまった。私は誰がなんと言おうと、特別この映画のファンではなかったが、かなり楽しく鑑賞したのです。ファンタジーイイッ!!って思いました。ご冥福をお祈りします。
*予想外なんてことは、謎なんて何も残ってないんじゃいかと思っても仕方がないこの世の中では、そうそうお目にかからない。それは・・・大体想像がつくから、というのも経験があるから、大人になればなるほど。なのでこんなに“しあわせな誕生日”が来るとは思っていなかったのです、そう過去の、去年の経験から。人によって、価値観とか思い入れとか対処法とか大きく違うんだなあ、ということでいろいろなことをあきらめざるを得なかったのが昨年の誕生日とクリスマス。いやいや、基準をどこに設けるかであって、最低限の幸せは保証されていたんですよ、どんなときも(だからケーキ買ってきてくれたし。とりあえず(てのも失礼だが)一緒に時間を過ごしてくれたし)。なので今年、“受身のイベント”に関して、まったく敏感でなかったのです。“もうすぐ誕生日だね”なんていわれても、“あーそうだね、そんでさー・・・”みたいにほかの話題の方が優先したりして。真理は期待しないのが一番の幸せってことなのかもしれません、結果的に。銀座で(内容は普通にだけど、場所が我々にはがんばってる感じがする)ご飯をご馳走になって、ケーキを食べて、心底愛する同輩“アメリ”のDVDをなんと!プレゼントしてくれたのです・・・。これを奇跡といわずになんと言う。私が昔から思っていることは、プレゼントのすばらしさは、物質的問題ではなく、相手のことを念頭に置き思案し相手が喜ぶものを選びその反応を楽しみたいと思える相手なんだよ君は、という気持ちにあり、事前作業であることが前提なのだ。まったく予期しない幸せな誕生日を迎えたことで、ひょっとしたら私たちはこの一年でとってもなかよしになったのかもしれない・・・と思ったのでした。
*0時に電話が鳴ります。“おめでとう。ねらってみました(笑)。"---あら、いつからそんなことができるようになったのかしら。微笑むよりほかに何が出来るでしょう。
*今夜はちょっと興奮気味。舞台をみて参りました、蜷川幸雄演出・唐沢寿明&大竹しのぶ主演“マクベス”いわずと知れたシェークスピアの四大悲劇のひとつ(ハムレット、リア王、マクベス、オセロー)。原作が賞賛に値するのは公然のこととして、それを生かすも殺すも“どう表現するか”にかかっているもの、いつの時代も。蜷川演出鳥肌立ちました、冒頭。生い茂る植物のなかを這う血だらけの戦士、とどろく音響、赤い紐。鏡の世界も、素晴らしい。今回の公演を見て本当に良かったと思ったのは、六坂直政氏登場おいしいシーンで、当時のシェイクスピア劇団を鑑賞した人々も同じように“ウケた”のだろう感じさせる、現代の客の反応、観客として幸福。全体を通して勝村政信氏がなんといっても役者として存在感を発揮。持って生まれた声の高さが、聞き取りやすい。カツゼツもよい。明日千秋楽を迎えますが、たくさんの人に見ていただきたい。そしてNY公演を是非成功させていただきたい。
*“愛してるって言わないなんて愛してないのとおんなじだと思う”“つめたいのが好きならつめたくしてアゲルわ” うーん、いつ思い出しても名曲だと思う。すばらしく核心を突く詞です。“つめたいのが好きならつめたくしてアゲルわ。”最高。
*ゴブサタdeath。人生二度目の血尿でたりして、なんとも苦しく不健康な日々を送っておりました。そう、おなじみの出血性膀胱炎。私はなぜかいつも出血性、しかも、おまけに急性という冠がつく。自分を恨みます。世の中で頼りになるのは何はなくとも抗生物質。この苦しみはなった人しかわからないものでしょうが、昨年12月同様、今回も真夜中の救急病院劇となりました。昨年は一人暮らしをしていたときだったので、死を覚悟で自転車でなれない土地を奔走。二時間ばかし漕いでも同じところをクルクルしても着かないものは着かないのでして、ガソリンスタンドで道を聞いた人、しかも店員ではなくお客さんのほうが、教えた道が間違っていたとかで、わざわざ車で追いかけてきてくれて、なんと見知らぬその人に頼み込んで車で病院まで送ってもらったりしたもんだ(乗ってた愛自転車プジョー君を一時乗り捨てて!)。実家から母を呼びつけ(夜1時)、注射&点滴まで打って、かえったぞなもし。今回は、家に母が居たもんで、でも平日の夜中、次の日仕事の母を起こして、徒歩10分程のところにある夜間病院に車で連れてってもらったよ。検尿もしたよ。地獄だよ。だって綺麗な赤い水しかでてこないんだから、それがものすごい激痛を意味することを、知っている人は少なかろう。映画“グリーンマイル”でトム・ハンクス演じる看守が十度の尿路感染症にかかっているのですが、ある台詞で“かみそりの刃をにじりだしているようだ”というのがある。私はあながち理解しきれないこともないのである。そんな自分に・・・同情。男性の尿道が30cmくらいあるのに比べて、女性は3、4cmくらいしかないらしく、感染率が高いとのこと。不公平だ。男はそういう意味でも非常にずるい。
*リンリンリン。鳴らない電話はだいきらい。届かないメールもだいきらい。返らない返事がいちばんきらい。リンリンリン。女ってほんとめんどくせーよなー。そんなこと言わせてたまるか。リンリンリン。
*ワタシは、『水曜日の女』。もう最近ずーっと水曜日の女。『お嬢さん、明日会いませんか?』、なにが“お嬢さん”ですか。『あー、明日水曜日だもんねー』、皮肉カナ?そう少しは皮肉、いや、思いっきり皮肉、だな。言わんとしていることが手に取るようにわかるようで、その癖『なに?一日ずらそうか??』-----んーお兄さん、『そういう問題じゃないでしょうが、そういう問題じゃ・・・』めずらしく言ってみた。電話かかってくるだろうなって、思ってたし。どう答えるかもちゃんと考えてた。でもね、お兄さん“考えとく”って言ったからって、そんなにわかりやすく落ち込まなくたっていいじゃない?つぶやかなくたっていいじゃない。“え?考えとくの??考えとくかぁ・・・”。-----強く出れるわけがないじゃない。こんなの-----。毎度毎度のことですが、結局なんとなくごまかして、大丈夫路線をひとり大暴走することになっている。あなたが頑張ってること、私が一番(だといいなぁ)知ってるから、本当は心のなか、すごく感謝してます。やることいっぱいあるなかのひとつに組み込んでくれて、必ず会ってくれる事、感謝すべきことだ・・・とわかってはいる。でもこうなっちゃうとまるで、歯を磨く事みたいじゃない?そういう規則性って、虚しくもなるのよ。週1で会うこと、本人曰く 私の限界 と思ってくれてる分と 彼側の限界 である部分と両面らしく、たまたまいつも同じサイクルでそういう状況が訪れる、ノダト。疑う自分も情けないが、歯を磨くのと同じようなポジションになってしまっているとしたら、それはすごく終末的な事項だよなぁ。限界を埋めることの重要性も、身にしみてわかってますワタシ。会ってしまえば向こうのペース、名残惜しくなるのも、コチラガワ。セツナセツナセツナ。それでも毎週水曜の夜、絶対来週は会わないと心に誓っていたりする。腑に落ちないっていう表現のまんま。だってワタシは『水曜日の女』。いつまでたっても水曜日の女。心のどこかで何よりも優先してほしいと、願う、水曜日の女。『お嬢さん、明日会いませんか?ねぇ、お嬢さん』
*昨晩の出来事。駅からの途中に、小さな小さなネコたちの溜まり場がある。0時半過ぎ、コンビにニよって帰ろうetc考え事をしながら歩いていると、その中の一匹が私の目数メートル先でタクシーに轢かれた。バコンって音がして、一瞬何のことだかわからなく・・・よく見ると道路の上で体と尻尾をばたばたさせて・・・ 私は瞬時に動けなくなってしまった。口に手を当てて呆然としているうち、ネコはまったく動かなくなった。近寄れなかった。何分も立ち尽くしていた。もぐげきしたのは目撃者は私を含め5人もいなかったろう。先に歩いていた二人くらい、少し気にして見ていたけど、みんな通り過ぎる。ある女の人が、「(ねこに向かって)活きてる?あーあー」って覗き込み行ってしまった。ああ、だめなのかって、でも自分で確認するのが怖くて、私も結局素通りしてしまった。自己嫌悪。どうしたら良いのかまったくわからなくて、拾い上げたとしても、夜間の動物病院もないし、そんなことを考えていたら、なんて動物に対してやさしくない世の中だろうと思った。轢かれたネコを脇でほかのネコたちがうずくまって見てるの。それを思うと今でも疼きます。彼らの思いって・・・。自責の念に駆られる夜、だって、目撃したんだもの。もしかしてまだいきてるかもしれない。即死ではないはず?轢かれ動いてたんだから。だとしたら、放置されて痛いまま息絶えるほうがつらいよね、悲しいよね。あー、やっぱり自分の目でしっかり確かめて救ってやるべきだったのだろうか。死んでたとしても、再度ひかれないように道端に移動してあげるべきだったのだろう。あー、目の前で一部始終見てしまった。人が轢かれるのと同等程度の衝撃だった。残されたネコのことを思うと申し訳ない気持ちで沈む。あんなに小さなネコたちには何もできないもの。誰か助けてください!って叫ぶことも、救急車を呼ぶことも。抱きかかえることも。人間がなんとかしてあげる他になにもない。 こんなのってないよ。即死なら仕方がないけど、活きてるとしたらどうやって生かしてあげられただろう?0時過ぎの夜中ではまったく不可能なこと・・・だよね?違うかな。私が駆け寄って少しでも触れてあげれば、産まれて来てよかったって思っただろうか、愛されると感じて死んだだろうか。
*不思議なことがたくさんある。理解しきれないことがたくさんある。どうしていいか途方に暮れてしまうことがたくさんある。いったいどこへ行けばいいんだろう。
自分に自信がないということは、それだけで凶器。思わぬ方向に事態が進んでいく。俺もギリギリでやってるんでこのくらいが限界」限界って、見回してもそこには何もないんでしょうね。シャボン玉のなかにすっぽり包みこまれているようね。シャボンの塀越しに、きっとこちらを振り返ることもなく、まんなかで膝を抱えて聞えないふりをするのでしょう?透明なしゃぼんの中と外で、ぴったり手を重ね合わせることもなく。流行りなのか知れないが、最近の本屋さんには、男と女の違いを謳った本がたくさん平積みされいる。こういうものに手を出すのは、ろくな女じゃないと思っていた。 そして、今私はろくな女じゃない。だけどね、男性の書いた本は男性上位的で「男はこういうものである」ということを声高に謳い、だからそんな男を理解しようね、と言うのです。女性の書いた本は「女性がこう思うことも、男性はそうは思わない。そのことを肝に銘じましょう。」、「男性はこういうときにこうしてもらうことを望んでいる。これさえマスターすればあなたは幸せをつかめるでしょう」、というの。私はろくな女じゃないけれど、鵜呑みにするほど馬鹿じゃない。わたしの幸せは、そんなところに在るというのですか?
秘密とか、内緒とか、いろんな事情でたくさん産まれる。最初はね、その言葉の持つ濃厚な甘さに酔ってみたりもするのだけれど、首に巻き付く蛇のように少しずつ少しずつ蝕んでいくのです。そして、いろんなことを問いただしてしまう。覚えていて欲しい。責めているのではないの。今までもこれからもあなたを責めるなんてことは絶対無い。・・・自分に自信がないのです。あなたを責めているのではない。あなたの過去に打ち勝つことの出来ない自分を責めているのです。相変わらず今の自分に打ち勝つことの出来ない自分を責めているのです。本当は自分でどうにかしなければいけない、けれどそれは途方もない苦しみや悲しみに充ち満ちた場所で、自分で這い上がる辛さに、ふと欲しくなるのです。「大丈夫だ」と、あなたがヒトコト言ってくれさえすれば。でもそれは、あなたの過去と自分に打ち勝ったことにはならないのです。同じことを繰り返すだけ。昔の彼女のこととか、その別れにどれだけ悲しい思いをしたかとか、恋愛論とか、高校時代の話とか、近況とか、性格分析だとか。知りたくて知った情報でもなければ、あなたの口から聞いたわけではない。私は思ったの。男性の言う限界は、本当に最果ての地。そこまで導いていってしまったのは、私なのでしょうか。
