はじめて「ラリった!?」

時:10歳
場所:自宅二階。親の寝室になっている和室
心境:なんか頭いたいなぁ。

小学校4年か5年のとき.
私たちのちょっとした遠出は親と行く駅前のイトーヨーカドーとユニーだった。
(これで私の住んでる場所がわれちゃうかも)
親が買い物をしている間はもっぱらおもちゃ売り場で来るべきプレゼントイベントに何をねだるかを物色している子供だった.
が、このころにはお年玉を自分で使う能力(?)が養われ、駄菓子や以外でお金を使って買い物をするようになっていた。
そしてついに念願のアレを自分のお金で手に入れた.
彦根城だ.
プラモデルである。しかも購入理由が
本物の芝が生えてくる!
だったら日本の農家シリーズの方がよさそうな気もするが、農家とお城ではお城のほうがカッコイイとおもったのであった。
だから、彦根城がどこにあるかもわからず、誰の城かも知らないまま、持って帰った.
色は自分でつけなければいけないので、プラモデル用接着剤と茶色か何かの色を買っていった気がする.
結構な額だが無事、買い物は終了した.

決戦の日は次の日曜日にした.
何しろプラモデルを組み立てるのは皆無で、しかも難しそうだったからである.
子供心にちゃんと計算はできていた。
が、そこで間違えるかな、というところで致命的なミスをしたのだ。

ともかく、決戦の日がきた.
まだ寒い、が親の部屋にはコタツがあった.
締め切った部屋で、すばらしいお城を目指して、朝からがんばった.
お昼ご飯のときだけ、一回に降りて、あとは麦茶だけをもって二階で格闘していた.
夕方、母親がきた。
部屋をあけた母は、「なにやってるの!」と怒るではないか
私には怒られる理由などなく、せっかく塗装にかかっているのに失敗してしまうことを恐れていた.
「頭痛くない?」ときかれ
「うん。でもいつも頭痛いからあまりきにならなかった」
私は頭痛持ちだったのでいつものだろうくらい考えていた。
母はドアと窓を全開にした。
私が寒いと抗議をしたら
「シンナー中毒になったらどうするの!」
というではないか。
シンナー。
それは悪い子の遊びであると知っていた.
学校の体育館でシンナーはいけませんビデオをみたからしっている。
が、私はシンナーなるものがどんなものかしらなかった。
私以外のみんなはプラモデル接着剤や塗装剤にシンナーがはいっているってしっていたのかしら。
だって、そんなこと先生もビデオでもいってなかったのに。
それからあともうちょいだから、窓あけてやるからと懇願し、プラモデルを完成させた.

翌日、熱をだして学校を休んだ.

このころ、やっと数年間のいじめから開放され、クラスメイトとも会話ができるようになっていた私は日曜日の出来事を友達に話した.

私のあだ名はしばらくの間
プラモデル
となった。

その後、芝は育たなく、ほこりをかぶる一方だったので
中学校にあがってからすててしまった。

ああ、いまは日本の農家シリーズをやってみたい。