大学2年の時に初めて本格的な‘おつきあい‘をした。彼、Pさんはサークルの先輩だった。出身高校が同じ市にあってその話でだいぶ盛り上がった。初めて会ったのにこんなに打ち解けて話せる人は今までいなかった。Pさんのことが好きな後輩もいて私は二人の橋渡し役になろうと思っていた。
ところが、彼は会って2週間目に「つきあってくれないか?」と言ってきた。Pさんはそれまで別の女性とつきあっていたがつい最近振られたらしい。なので信じられなかった。私は断ったものの、一緒に帰ったり授業の合間をぬって外堀のボートに乗りに行ったりした。そのうちに手紙が来て、「つきあってくれ。」「結婚しよう。」攻撃が始まった。
多分、Pさんと私のやり取りは8往復はしたと思う。自分のこと、家族のこと、将来のことなど、(手紙で)まじめに話し合った。
でも、つきあう以前にきわどいとこまでいってしまい、結局、押さえ込められる形でつきあうことになった。
Pさんはやさしかった。ディズニーランドには何回も行った。彼がバイトしていたからだが、結構趣味もあって(本当は私に合わせてくれていたかもしれないが)彼と一緒にいると安心感が得られた。
ただひとつ、気になったことは結婚の約束をしていながら私の両親に会おうとしなかったことだ。別に結婚するしないにせよ、私は両親にちゃんと紹介した形でお付き合いをしたかった。無理やり連れてきても、挨拶が満足にできない人だった。
私はいらいらした。彼のご両親にもちゃんと紹介してくれなくて、そのくせ結婚はすると言っている彼がだんだん信じられなくなっていった。それでも私たちのお付き合いは7年目に差し掛かろうとしていた。
その頃、私は塾長として忙しい毎日を送っていた。デートはおろか、会う時間もなくなっていった。彼とすごすより、講師の先生たちと交流を深めるほうが楽しくなっていた。そして、彼より好きな人が出来てしまったのだ。
結婚をすると言いながらまったく行動に移さない彼に、もう私は愛情を感じなくなっていった。
7年目を迎えた秋に私たちは別れた。
愛されてつきあっても、いつかはダメになるのだ。それは一種の「愛されている」という優越感によって彼も自分もダメにしてしまうのではないだろうか。私はむしろ、自分から愛する人のそばにいたい。それがたとえ苦しい恋であろうと。
私は軽い‘おつきあい‘ができない女かもしれない。つきあうのなら結婚することを前提につきあいたいと思っている。でも、それは自分を保護したいからであって、それは、もしかすると、『愛』を取り違えることになるかもしれない。
Pさんは本当にやさしい人だった。今は彼に幸福が訪れるのを祈っている。