2nd イメージ・リング
Recollect RING.
 太陽の指輪。それが最も整って見えるのは、この地球の一部地域の一定時間でしかない。そうして、その時間内も常に唯一太陽の指輪を見せてくれる、地球の衛星、月は止まることをしない。そして地球自体も止まることはない。つまり、じきに太陽は三日月のようになって、その顔を見せはじめる。そして、暗くなっていた地上は、太陽光線に照らされる。暗い間は手を休めていた人々も働きはじめる。そして、一瞬の地上の静寂は、元のざわめきにのまれていく。人々はもとより太陽の指輪を臨むのであったかも知らない。
 いつからか太陽の指輪と呼ばれるようになったその現象を、学者は日食と言い、文者は日蝕と書いた。日、つまりは太陽を月が食ってしまう、また、むしばんでしまうということだが、それは一時的に過ぎない。必ず、太陽の指輪は断ち切れ、消えてしまうものだ。人々は、そう信じて、うたがう気なぞはもってはいなかった。
 今回の太陽の指輪は、例のごとくに消えはしなかった。一瞬の出来事であるものが、宇宙が止まったように長く感じられた。いや、感じられたのではなく、それが事実であったのだ。そうして長く地上は暗さを保った。そして、人々も同じく休めた手を動かすこともなかった。無理もない。宇宙が、いや少なくとも月と地球の運動が、若しくは太陽の運動が、正常ではなかったのだ。信じれぬのは天文学者だ。こんな事は一度もなかった。時にハレーが地球をかすめても、事態の不思議は一時の恐怖に終わった。まして、観察するには絶好であった。それは、必ずしも動いていてくれたからだ。それらの持つ運動によって自然と動き、近づきはなれる。だから恐怖で済むのだ。ところが今回の太陽の指輪は、何らかの異常事態によって起こった原因不明の現象である。それが、どのような結果を引き起こすか、誰にもわからない。それにもまして、現状況さえ人々には不明なのだから、恐怖の次には何がくるかわかりはしない。とにかく、それで終ることはあるまい。
 何故、太陽の指輪は切れぬのか。月の地球に対する停止か、太陽に対する停止及び地球の太陽に対する停止、それとも全宇宙の停止なのだろうか。とにかく地上の気温・地温はいちじるしく低下することだろう。その結果の異常気象は、まぬかれないだろう。そうして学者達は、そうなることを恐れた。学者にも色々あるだろうが、何か事が起こる度に、いくつかの対処があるなら、確率よりも先に希望を以って行動するだろう。しかし、どんなに科学が発達したところで星の移動を制御することなぞできはしない。それが分っているにもかかわらず、何らかの対処を設けようとしている。とうてい答はでないだろう。
 彼等の心配をよそに、地上は何の変化も起こさなかった。ただ、太陽の元より見えぬ夜の世界と、太陽の指輪を臨む地上が暗いままのだけで、起こるべく異常事態はおとずれなかった。こうなるとますます困るのは学者達である。一向夜でも一部を除いては普通の仕事はできる。ところが、学者達の頭の中で、この自然の起こす矛盾は彼等の限界を絶することとなった。長時間地表が太陽の光熱によって温度影響を受けないでいるのに、全くのところ寒くならない。かと言って熱くなるものでもないがそれも起こらないとなると、その原因がますます姿を見せない。それが彼等の学識だけでは足りない世界を語るかのごとく状態して、そうして人々の心に不安を呼ぶのであった。望んで太陽の指輪を待っていた者は感嘆ではすまなくなった。こうもなると、いやとしか言えなくなってしまうのだ。
 もしこのまま、指輪が続いたら、皆の頭はくるってしまうだろうか。暗闇の中で暮らすことは、いつか堪えられなくなるだろう。それよりも、朝の来ない夜の世界では、太陽光熱を利用していた器具は一切が使えないのだから、困る事ばかりなのだ。そうして、つまり、地上で今まで得られてきたエネルギーは発生せず、何もできない状態である。それをなんとかしようと、学者達は頭を回転させて技術者達と考えているのだ。
 闇の中でなんとか光を受けている地球は、異常な気温低下に見舞われなかった。氷河期がおとずれても不思議のない現象であるにもかかわらず、そういった異常事態も発生しなかった。いや、異常といえば確かに異常は発生・継続されている。暗い地上に生える植物は生長しているのだ。暗いはずなのに、光を受けていないのに、生長する植物なぞ見たことはない。それが全ての植物に対して起こっているのだから異常であろう。あえて、現状は普通と全く変わらない。ただ暗い世界が続くだけで、他は普通どおりなのだ。しかし、それを正常と呼ぶわけにはいかない。なぜなら、異常事態の起こるべく状態でありながら、常と変わりのないというのは異常であるというべきだろう。
 植物とは、はたして水だけで生存できるだろうか。いや、少なくとも光と水と大気を必要とする。大気、そう、酸素も必要なのだ。もちろん我々人間とて酸素を必要とする。植物が生存できる状態であるかぎり急激に地上の酸素はなくならないはずだから、我々人間そして動物達はその点において恐怖を得ないだろう。他の動物達は夜のまま日のおとずれない世界にいて、狂いはしないだろうか。彼らの生理的野生が、いつか死することを選びはしないだろうか。その彼等の意識・感覚は、人間達が忘れてしまった野生の部分が気付くであろう危険を感知しているにちがいない。そうしてその感覚を持たない人間達の恐怖に思わない性質をうらやむことであろう。はたして人間達にとって、それはその危険を感知しないということは、幸せなのだろうか。きっと、少しずつ異常の起きている事に気付かぬことは、何の対処もできないが故、不幸なのだろうか。そうして、彼等がふとそれに気付いた時、世界はパニックを起こすだろう。

 世界はいたって平和であった。
 なぜなら、宇宙は廻っているのだから。