2 ゆりかごの歌
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、
世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとし
て滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ところが、まず第一に「神は」とあるのです。多くの人はもうここでひっかかってしまします。この20・9世紀の宇宙時代に、まず「神は」などと言い出すのはあまりに時代離れしすぎています。私たちは、神があるなどと言おうものなら迷信家扱いをされかねない「科学」万能の世の中に住んでいます。宗教はアヘンだと考える人もたくさんいます。しかし、それで神はいないと言いきれるでしょうか。宗教改革者カルヴァンはこんなことを言っています。「宗教というものは、陰険な悪がしこい人々が単純な人々を押えつけ、治めやすいようにするために考え出した悪だくみにすぎないなどと考える人もいる。確かにずるい人々が民衆をたやすく支配するために、宗教にいろいろの工夫を取り入れたことは事実である。しかし、人々の心の中もともと神をおそれ、神を求める心がなかったとしたら、このような工夫はなんの役にもたたなかったに違いない。また、神などそういう圧制者の道具だなどと言い張っている人にしても、自分の心をのぞき込んでみるならば、その心の底に神はあると感じているに違いない。」そうです。私たちは、どんなに神はない、神など迷信の作り出したものだなどと考えてみても、心の奥底に、「でも、やっぱり神はいるのではないだろうか」という小さな声を聞くのです。
私は少年時代にこんな話を読んだことがあります。台湾が日本領になったばかりのことでした。当時、高砂族(台湾の山地に住んでいる台湾の原住民)の村は、蕃社と呼ばれていました。そして日本に好意をもっている人々を熟蕃 、反抗を続けている人たちを生蕃と言っていました。そしてそういう蕃社を治めるために、熟蕃の蕃社には武装した警官が駐在していたのです。ところがあるとき、生蕃の一隊が手に手に三日月型の蕃刀を振りかざして、熟蕃の蕃社を襲ったのです。村の人々は、日本人の警官を先頭にして戦いました。何時間かの激しい戦いののちに、生蕃は撃退されました。ところが、戦いが終わって、ほっとして家に帰った警官夫婦は、恐ろしいことに気がつきました。娘が、ゆりかごの中に寝かせておいたはずの小さな娘がいないのです。ふたりは必死になって捜し回りました。しかし娘の行くえはわかりません。そのときひとりの男が、なんだか乱戦のさいちゅうに生蕃のひとりが警官の家に走り込んで行ったのを見たような気がすると言い出しました。「ああ、それなら娘はさらわれたのだ。あの恐ろしい生蕃に、あの鬼のような首狩り族に。」警官の妻はその場に泣き伏しました。夫である警官も嘆く妻のかたわらでただくちびるをかむのでした。
それから20年近くの年月が流れました。ひところいくらか静まっていた生蕃が、また騒ぎをくり返すようになりました。あちこちの熟蕃の蕃社が襲撃を受けました。ところが妙なうわさが流れました。その襲撃隊の指揮をしているのが、色は黒く、髪はもじゃもじゃではあるものの、どうも高砂族らしくなく、日本人のような感じの女だというのです。これを聞いてはっとしたのは、生蕃に娘をさらわれた母親でした。彼女はいっしょうけんめいに夫の上官に頼みました。その女首領を捕えてほしい。殺さないで生けどりにしてほしい。母の願いは聞かれました。女首領のいるという蕃社に特別な討伐隊が派遣され、激しい戦いの結果、女首領は捕えられたのです。
おどる胸を押えて母親は、娘に会うためにやって来ました。「娘!」と飛びついて行きました。がしかし、彼女の聞いたのは女首領の冷たい蕃語でした。「この女が何を言っているのか、私にはわからない。私は日本語がわからない。私は日本人じゃない。私は高砂族だ。日本人は私の敵だ。さあ、私を殺したらよいだろう。こんな女につきまとわれるのはまっぴらだ。」通訳を通して母親はかきくどきました。「おまえは私の娘だ。おまえはさらわれて行ったのだ。おまえは日本人なんだよ。」しかし、答えは同じでした。「さあ殺せ。私は日本人が憎いんだ。」
望みはないように見えました。父親だったらあきらめたかもしれません。しかし、母親はあきらめないのです。彼女は娘の目をじっと見つめながら歌い出しました。それは日本の子もり歌でした。娘を寝かせたあのゆりかごのそばで、いつも歌ってやった歌でした。静かに母は歌い続けました。女首領の目に驚きの色が浮かびました。そしてその目は、何かを思い出そうとしているかのように伏せられました。母親はなおゆりかごの歌を歌い続けました。やがて娘の目から一筋の涙がまっ黒なほおを伝わって流れ出しました。そして娘は顔を上げると叫んだのです。「かあちゃん。」それはゆりかごの中からさらわれて行った時、ただ一つ話せるようになっていた日本語でした。
私は少し長々と話しすぎたようです。しかし、私はあなたにわかっていただきたかったのです。神が私たちに「ゆりかごの歌」を歌って聞かせていて下さるということを。私たちは神を離れました。私たちは神を忘れました。しかし、神は私たちに思い出させようとしておられるのです。わからせようと思っておられるのです。それは、私たちが神によって造られ、神のみもとに立ち帰るまではほんとうに幸福になれないものであるということです。あなたは、今、神の「ゆりかごの歌」をお聞きになっておられないでしょうか。
ある人々は自然の中に、「わたしがあなたを造ったのだよ。わたしのところに戻っておいで」という神の「ゆりかごの歌」を聞きます。現在S県で引退生活を送っているYという女医の先生の場合もそうでした。Y先生は戦争中から戦後にかけて北関東のM市の医大に勤めていました。そのころ先生は、医学部の中にありがちな人間関係に悩んでいました。彼女はその解決を求めました。しかし、得られなかったのです。彼女は迷い続けました。そんなある晩秋の夕方、彼女は宿舎の窓からふと利根川のほうを見たのです。白い波のくだける断崖、その向こうのすみれ色の榛名山、空は黄金色に輝いていました。彼女は思わずおもてへ飛び出しました。川原におりて行きました。
刻々と変わる山の色、空の輝き、 彼女は思わずつぶやきました。
「神様はいらっしゃる。このすばらしい世界を造られたかたは確かにいらっしゃるのだわ。」彼女はそれから熱心に聖書を読み、教会に通うようになったのです。
ある人は同じ自然の中から違った音色の「ゆりかごの歌」を聞きとるかもしれません。たとえばアメリカ科学振興協会の会長だったウィーバー博士のような人です。彼は「ルック」に寄稿した「科学者は神を信じることができるか」という一文の中で、こんなことを言っています。「私は原子や分子というものを見たこともないし、それらに触れたこともない。しかし、原子や分子の存在を認めれば多くの実験的事実を説明できるし、また論理的にもなんの矛盾もない。だから『科学者として』原子や分子の存在を信じている。そしてそれと全く同じ理由で神の存在を『科学者として』信じているのだ。この世には神があると認めて初めて説明がつく事がらがたくさんあるのだ。」岡山県のある町で集会をしていた時のことです。ある日私は、渡り鳥が太陽の位置によって自分のいる所の緯度を知り、飛んで行く方向を見つけるのだという話をしました。実はこの話は、桑原教授の『動物と太陽コンパス』というおもしろい本からの受け売りだったのです。集会が終わってから、その町の教会の牧師さんから、近所の家のご主人がこの特別集会に来て、信仰をもつようになったということを聞きました。そしてこのかたは、「話を聞いていうるうちにだんだん神さまというおかたがわかってきましたが、特にあの渡り鳥のお話を聞いて神さまはいらっしゃると思いました」と言っていたというのです。このかたは、引退した船長さんでした。彼は海にいた時、毎日毎日6分儀で太陽の高さを測り、クロノメーターで時間を知って、それから船の位置を割り出していたのです。ですから、こんな高等な航海術を鳥がやれるということがわかった時、その鳥を造って下さったのは神さまに違いないと思ったのです。
ある人が研究室でとても恐ろしい機械を見せられた時のことを書いています。それは小さな箱でした。箱の外についているスイッチを入れると、スッとその箱のふたが開きました。そして箱の中から1本の腕がニュッと伸びてきました。そして外側のスイッチをプツンと切るとその腕は箱の中に引っ込んでしまいました。ふたがもう一度しまり、そしてそれだけでした。何も起こりませんでした。自分の仕事をやめる以外に何もしない機械、全くなんの目的も果たさない機械、それほど底冷えするような恐ろしさをもつものを、それまで見たことがなかったとその人は書いています。どうでしょうか。この複雑な、驚くべき世界が、この天が、この地が、そしてこの動植物が、そして何にもまさって私たち人間が、ただ偶然に生まれたものであって、もともとなんの目的もない、ただいつかはやって来る死と破滅へ向かってどうにもならない行進を続けているだけなのだなどと考えられるでしょうか。それで満足できるでしょうか。神が目的をもってこの世を造られたのでないとしたら、私たちはどうしてこの世の目的、人間の目的、そして私の、あなたの生きる目的を見つけることができるのでしょうか。自然があるということが、私たちが生きているということそれ自体が、神の存在を示す「ゆりかごの歌」ではないでしょうか。
また、人の中に神の「ゆりかごの歌」を聞く人があるかもしれません。私の尊敬する人にIという人がいます。しかし、今から30年ほど前にIさんは、決して「尊敬」に値する人間だとは言いきれないようでした。彼には才能がありました。能力もありました。むしろありすぎたのかもしれません。彼は引き揚げ者でしたが、終戦後のどさくさの中で一旗揚げたのです。彼の経営するメリヤス工場はおもしろいほどもうかりました。ところが好景気のあとに不景気がやって来ました。手を広げすぎていた仕事に不景気風の風当たりは強かったのです。商売はうまくいかず、家に帰って家族の顔も見るのがつらくなりました。毎晩、友人のところを泊まり歩いて、マージャンで夜を過ごしました。たまに家に帰ると、事業の資金だと言って金を持ち出しました。奥さんが3人の子供の教育資金にと蓄えていたかなりの貯金が、あっという間になくなりました。奥さんの結婚指輪まで酒代になってしまったのです。
たよりにならないご主人に、奥さんはとうとう働きに出ました。それは宣教師の家のお手伝いでした。彼女はそこで生まれて初めて、クリスチャンの家庭というものに触れたのです。自分の家庭と比べてなんと違っていたことでしょう。私の家もこうだったら、そう考えた彼女はいつしかその宣教師の教える神を信じるようになっていました。彼女に新しい生きる力と喜びが生まれてきました。毎日、宣教師とともに祈り、日曜日には教会に行く、それが楽しみになりました。子供たちも教会に行くのを喜びました。しかし、うれしくないのはIさんでした。金もない、どこに行く当てもない、そんな日曜日に寝ていると、小学生の長男をかしらに3人の子供が、「おとうさん、みんなでいっしょに教会へ行こうよ」と言って枕もとを離れないのです。ええっ、しかたない、女房に働かせている手前もある、そんな気持ちで教会に行きました。しかし、信仰心などあるはずもなく、みながお祈りをしましょうと頭を下げると、自分ひとりは頭をあげて、きょろきょろとあたりを見回していました。
ところがある日、宣教師が「Iさん、どうです、お昼に私の家に来て下さいませんか」と招いてくれたのです。アメリカ人のディナー、悪くないな、そう思ったIさんは招待を受けました食事は思ったとおり、ごちそうでした。このまま帰ったら失礼だ、そう考えたIさんはほんのあいさつのつもりで言いました。「イエスさまっていったいどんなおかたなんですか。」宣教師は喜んで話しはじめました。通訳を使っての少しばかり不自由な会話でした。神が人を造られたこと、人間の罪、イエス・キリストの十字架――話が進んで宣教師は尋ねました。「Iさん、わかりましたか。」「わかりません。」もう一度話は初めにもどりました。「わかりましたか。」「いいえ、わかりません。」 そしてもう一度初めからやり直しです。「わかりましたか。」「少しも。」いったいこれが何回続いたことでしょう。Iさんはふと窓の外を見ました。驚いたことにもう暗くなりかかっています。時計を見ればもう5時です。話は、食事が終わってすぐですから1時半ごろから始まったのでしょう。もう4時間近く――。なぜだろう、ふとIさんは考えました。飲んだくれの日本人、貧乏人の私に関係して、いったいこのアメリカ人は何か得になることがあると思っているのだろうか。何も得にならないのはわかりきっているじゃないか。それなのになぜ――。
初めて自分の回りの人に気がつきました。自分と宣教師と通訳とそのほかにふたりの人がいました。宣教師の夫人と自分の妻でした。そして、そのふたりは頭をたれて祈っていたのです。祈っている。私のためにこのふたりの人たちは祈っている。Iさんの心をなんとも言えない思いがかすめました。思わず人前も忘れて、横にいる自分の妻の手をとりました。もう何年も握ったことのなかった手でした。その手はおろし金のようにざらざらと荒れていました。私のために、この夫である私のために、妻はこれほどまで苦労して……。それなのに祈っている、私のために……彼の目から涙がどっとあふれてきました。そして宣教師のほうに向かって叫んだのです。「わかりました、先生わかりました。私が罪人だということがわかりました。私はどうしたら救われるのでしょうか。」それがIさんへの「ゆりかごの歌」だったのです。
北海道の炭坑で有名なY市に行った時のことです。伝道所での集会を終えて教会に帰ってみると、ちょうどひとりの青年が教会の玄関に着いたところでした。近づくとぷんと熟柿のようなにおいです。おやおや飲んでいるなと思いましたが、まあはいりなさいと迎え入れました。さて、となったところで、この青年、背広の下から取り出したのがなんと1升びんでした。酔った人とはよく話したことがあります。しかし、教会でのお近づきのしるしに1升びんを出されたのは初めてでした。酒をくみかわして語り合うということだけはお許し願って、まあいろいろと話しはじめました。話を聞いてみると、このO君はぐれん隊だというのです。町を歩いていてもまっとうな人はかまってくれない。どこでも声をかけたり話しかけたりするのは、ぐれたような男女だけです。酔った上で刃物ざたになったこともありました。 彼の洋服の肩には、その時あいくちで切られたあとが、ぶざいくに縫ってありました。しかし彼はこう言ったのです。「教会の人はみんな親切だものな。おれが行っても、いやな顔をしないものな。そしてなんていうのか、讃美歌っていうのかい、歌の本なんかあけてくれてさ。だからおれ、きょうも話を聞きたくてやって来たんだ。」彼は酒を飲まなくては教会に来られないような気の弱さを持つ青年でした。「おれみたいなやつでもよ、ぐれているやつだって、みんなよくなりたいって思っているんだよ。百分の一でもよ、とにかくよくなりたいと思ってるんだよ。おれでもだいじょうぶかなあ。ほんとうにだいじょうぶかな。」そして彼は、教会に住んでいるクリスチャンの老女のほうを向いて言ったのです。「おい、おばあちゃん、ほんとうに毎日うれしいんかい、うれしくってうれしくってたまんないほどなんかい。」「そうさ、あなただってそうなれるよ。」私は神がこの青年に「ゆりかごの歌」を聞かせていて下さるのを感じました。
さらに神は聖書の中に、「ゆりかごの歌」を歌っておられます。聖書というのは、堅苦しいめんどうくさい道徳の教科書みたいな本だと思っている人がいます。また、人生はいかに生きるべきか、それを教える処世訓のようなものだと考えている人もいます。また、神とは何か、人生とは何か。そんなことを知るために読む人もいるでしょう。確かに聖書はいろいろな面をもっています。しかし、まず第一に、聖書は神が私たちに語りかけて下さる書物なのです。ある人は聖書は神が人間にあてて送られた「愛の手紙」だと言いましたが、確かに神は聖書の中で、私に、そしてあなたに、そのすばらしい愛をささやいておられるのです。そこには、99匹の羊をさしておいて、迷った1匹の羊をいばらをかき分け、谷底に下り、その名を呼びながら捜し歩き、ついに見つけ出すまでは一休みもしようとしない羊飼いのように、神は罪人を尋ね出して救いなさるのだと教えられています。また、親からもらった財産を持って遠い国へ行き、そこでその金を放蕩のために使い果たしてしまって、だれも助けてくれず、何も食べるものもなくなってから、やっと目がさめて家に帰ってくる放蕩むすこを、快く迎えてゆるしてやる父親の愛にたとえて、神のすばらしい愛が語られています(参照 ルカ15章)。
「女が自分の乳飲み子をを忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ」(イザヤ49・15、16)。これが神のことばなのです。
「背信の子らよ。帰れ。――主の御告げ。――わたしが、あなたがたの夫になるからだ。……『イスラエルよ。もし帰るのなら、――主の御告げ。――わたしのところに帰って来い』」(エレミヤ3・14、4・1)これも神の「ゆりかごの歌」です。
私は先日、ひとりのアメリカ人の体験をその口から聞く機会がありました。彼の家庭にはひとりもクリスチャンはいませんでした。それで彼は神などというものについて全く無関心でした。ところが彼が大学にはいった時、学友たちの中にクリスチャンのグループがあるのに気がつきました。彼は哲学青年でしたから、「人間は神を知ることができない。なぜなら知るべき神などないからだ」というバートランド・ラッセル卿の考えに全く賛成だったのです。しかし、そのクリスチャンのグループは、神を知っていると言うのです。彼は興味をもちました。そして彼らと議論を始めました。彼らはいろいろと説明してくれました。しかし、どうもその議論は「哲学青年」を満足させるようなものではありませんでした。ですが彼らは議論ばかりしてはいなかったのです。彼に聖書を自分で読むことを勧めました。これは青年にとってあまりありがたい忠告ではありませんでした。彼は理性で納得できる哲学的な論証がほしかったのです。しかし、ある日彼は考えました。「私は神を知らない。ところが彼らは神を知っていると言っている。そして聖書を読んで神を知ったと口をそろえて言っているのだ。それなのに、私はあくまで私流の方法で神を知るんだと言ってがんばっている。これは少々愚かなことではないだろうか。」彼は福音書から読みはじめました。すばらしいイエスの教えが、まず彼の心を捕えました。すばらしいイエスのご人格が彼を圧倒しました。しかし、その次に彼は、自分の醜さをはっきりと聖書の中で教えられたのです。聖なる神の前に立つことなどとうていできない自分の汚れたありさま、そして最後にそういう汚れた人間を愛して、ゆるし、きよめ、いのちを与えて下さるという神の愛を知ったのです。こうして彼は、聖書の中で神を知ったのです。頭の中の知識としてではなく、毎日の生活の中で血の通った交わりのできるおかたとして体験したのです。
私たちはもちろん、新聞紙上で皇太子について「知る」ことはできます。しかし、それだけで、「私はナルちゃんを知っています」と言えるでしょうか。人を知っているということは、交わりがあるということです。お互いに心を通わせているということです。彼はそういう意味で神を知ることができたのです。多くの他のクリスチャンと同じように。
さらにある人は、いや多くの人はと言ったほうがよいかもしれません、自分自身の心の中に神の「ゆりかごの歌」を聞くのです。 ある人はいつも心の中に求めている平安がないために、神を知りたいとせつに願います。アウグスティヌスは、有名な『告白』という書物を、「主よ、私の心はあなたに向けて造られましたから、あなたのもとに行くまでは平安は得られませんでした」という祈りで始めています。彼は若くして雄弁の誉れが高く、教師としてもその前途は希望に満ちていました。その生活も自由でした。美しい女性と同居し、子供もいました。しかし、彼の心の中には平安がなかったのです。彼はその平安を求め、そして、神のもとでその平安を見いだしたのです。
ある人は、愛を求めています。いいえ、すべての人が、と言ってもよいかもしれません。私がある青年たちのグループの集会に参加した時のことです。一日の午後、「交わりについて」というテーマで話し合いをしました。ところがそのとき集まっていた若い男女は口々に言ったのです。「職場に交わりなんてありはしないですね。あるのはせいぜいつきあいだけですよ。」「心を打ち明けることのできる友だちなどありませんよ。」そしてある女性は言いました。「友だちっていったいなんなのでしょうか。」私はそのとき、ある夜私の教会にやって来たふたりの女性のことを思い出していました。そのひとりは、「私は寂しいのです。私を愛してくれる人がいないんです」と語っていました。そしてもうひとりは、「先生、私は30年の間、心から愛することのできるものを捜し求めてきました。でもとうとう見つからなかったんです。」そう言うと、そのままぽろぽろと涙を流しはじめたのです。三木清は、「孤独は山になく、街にある」と言いました。確かに私たちは多くの人間に取り巻かれていながら寂しいのです。確かに店には商品があふれ、私たちの家にも何台ものテレビが自動車があります。日本は世界で最も富んだ国になりました。しかし、そういう豊かさの中で、私たちは愛のききんに苦しんでいるのです。その青年の集会で最後に出た結論は、イエス・キリストだけが、真の神だけが、私たちのほんとうの友となって下さるおかただということでした。寂しさも神が私たちを招いておられる「ゆりかごの歌」ではないでしょうか。
人はまた、きよくなりたいと思います。新約聖書はギリシヤ語で書かれていますが、そのギリシヤ語で、人間ということばは、アンスローポスといいます。ある人は、これは「上を見るもの」という意味だと言っていますが、確かに私たちは「上を」見ているのです。もっとよくなりたい、もっときよくなりたい、いつでもそう思うのです。私が北海道で会ったぐれん隊の青年もそうでした。また、東大工学部教授だった菅野猛理学博士も「なぜあなたは神を信じるのかとよく聞かれる。その理由は簡単である。私は高校生の時代に、自分が罪人であるということを知らされた。そして、イエス・キリストがその十字架によって私をゆるし、きよめて下さるということを教えられた。そのとき、私はイエス・キリストを私の救い主として信じ、受け入れたのである。そしてそれ以来、私は神を信じ続けているのである」と言っています。私もまたそういうひとりです。私はかつて共産主義者でした。ですから、よく人から「なぜクリスチャンになりましたか」と聞かれるのです。そんなとき私はよくこう答えます。「私は共産主義がまちがっており、共産主義が恐ろしいから、それを捨ててクリスチャンになったのではありません――もちろん、共産主義がまちがってもおらず、恐ろしくもないということではありませんが――しかし、私が、クリスチャンになったのは、私自身がまちがっており、私自身が恐ろしい存在であるということがわかったからです。」私は、自分が世の中のためになるのだなどと大きなことを言っているくせに、自分のことしか考えないエゴイストにすぎず、それどころか親不孝の汚れ果てた放蕩者で、他人の金を平気で使い込むような自堕落な男だと気がついた時、なんとかしてよくなりたい、もう一度新しく人生をやり直したいと思うようになったのです。しかし、自分の力で、自分の意志でどうすることもできませんでした。眠れない夜が続きました。そしてとうとう唯物論者であった私が、神を信じるようになっていったのです。神は私の良心に向かって「ゆりかごの歌」を、毎日毎晩、歌い続けておられたのです。
あなたはいかがでしょうか。あなたは自然の中に、回りの人々の中に、そしてあなた自身の心の中に、神の「ゆりかごの歌」を、神の愛の招きの歌声を、お聞きになっておられないでしょうか。あなたはただなんとなく、神のことが気になっているくらいかもしれません。あるいはどうしても救われたいともがいておられるのかもしれません。しかし知っていただきたいのです。神はあなたを呼んでおられるのです。あなたが今この本を読んでおられること、それ自体が神の「ゆりかごの歌」ではないでしょうか。
しかし、あなたはおっしゃるかもしれません、「神というのはそんなおかたなのだろうか、私たちを造って下さり、愛して下さり、ゆるして下さり、きよめて下さり、毎日毎日を導いて下さるおかたなのだろうか。私たちの回りの神というのは、人間が手で刻んだもの、鋳たもの、印刷したもの、または、山だったり、木だったり、あるいは死んだ人であったりして、決して天地を造り、人間を造って下さったようなおかたではない」と。新島襄が初めて聖書を開いた時――それは中国語訳の聖書でしたが――その第一行に「はじめに神天地を造りたまえり」とあるのを見て、非常に驚き、「ああ、私がまちがっていた。日本は神国だ、八百万の神がいらっしゃるなどと考えていたが、真の神と言われるおかたはこういうおかたのはずだ」と言って聖書を学びはじめたと伝えられています。
私の知っているある人は、駅の暗がりでことば巧みに売りつけるサギ師に、にせ物のパーカーの万年筆を8百円で買わされました。ところがこの「パーカー」は、ふだんはぼた漏りするくせに、書こうとするとインクが全然出なくなるというしろもので使えたものではありませんでした。それからしばらくの間、この人はパーカーとか万年筆とかいうことばを聞くとそっぽを向いてしまいました。確かににせ物をつかまされると腹もたちます。おこりたくもなります。私たちは今までご利益主義のインチキ神さまばかり押しつけられてきたのではないでしょう。だから、神など信じるのは迷信だ、弱虫だと言いたくなるのです。
しかし、真の神はそんなにせ物と全く違ったかたなのです。聖書の教える神は、天地の創造主、聖なる絶対者でありながら、なお私たちを愛して、私たちをみもとに引き上げようとしておられるおかたなのです。そして今、あなたの心の耳もとで「ゆりかごの歌」を歌っておられるのです。「帰っておいで、ここにあなたのしあわせがある。ここにあなたのいのちがある。」あなたはお聞きになりますか。そして、あの生蕃にさらわれて行った娘のように、愛の胸の中に飛び込んで行かれるでしょうか。