神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどにこ                           の世を愛された。それは御子を信じる者がひとりも                            滅びないで、永遠のいのちを持つためである。

 「神は」ということばで始められた聖句は、しかし、その次に私たちの注意を、「この世」にひきつけます。「神は……この世を愛された」というのです。ですが、この世というものを描き上げようとすると、あまり明るい色の絵の具は使えないのではないでしょうか。この世は『浮き世』だとよく言います。浮き草のように風のまにまに水の上を漂う、はかなく定まりのない世なのです。「生者必滅、会者常離、諸業無常」(しょうじゃひつめつ、えしゃじょうり、しょぎょうむじょう)は世の道理です。形のある物は必ず壊れ、生きている者は必ず死に、会った人はいつかは別れなくてはなりません。すべてははかなく変化してゆく、これが世の中なのです。

私の知っているKさんというかたのご主人は、ある会社の重役でした。ある朝、元気よく出て行くご主人を玄関で見送ったKさんは、いつものように家事を始めておりました。ところが三十分もたったかと思うころ、けたたましいベルに、電話口に出てみると、それは近くの電車の駅からでした。お宅のご主人がホームのベンチで苦しんでおられると言うのです。家にいたむすこさんがあわてて駅に駆けつけました。そして胸を押えてうなっているおとうさんを助けて、タクシーで駅から5百メートルほど離れた病院へ連れて行こうとしました。しかし、その自動車の中でむすこの手をしっかりと握り、「健司、苦しい」と言ったことばが最後でした。

ほんとうに私たちは明日をも知らぬ、いいえ、一寸先はやみの命を生きているのです。

ダラスの空港で、歓迎の人波に囲まれたケネディ大統領を見ていた人のうち、それから数時間後に、その同じ空港でジョンソン氏が大統領の宣誓をすることになるなどと、だれが考えてみたでしょうか。人間ははかないのです。しかし、私たちはそういうはかなさのかげに、もっともっと根深いはかなさを見るのです。

朝日新聞のある記者がケネディ氏が暗殺された時に、ちょうど映画の都ハリウッドに招かれていました。ところが、この記者のところに電話がありました。あす大通りでテレビ・スターのパレードがあるから取材に来いというのです。彼は耳を疑いました。こんな時に、アメリカが、否全世界が悲しみに沈んでいる時にテレビ・スターのパレードなんて。しかし、彼は招かれて来ている記者団のひとりでした。来いと言われれば行かないわけにはいきません。彼はどうせ人など集まるまいと思いながら、それでも指定された時間にそこへ行ってみました。ところが彼が見たものはその大通りの歩道をいっぱいに埋め尽くした男女だったのです。叫び、わめき、手を振り、熱狂する人たちを見て、彼は、いったいこのアメリカ人たちにとって大統領の死は、いいえ、大統領の存在そのものが、どんな意味をもっているのだろうかと考えたと言います。しかし、これは一部のいわゆるミーハー族のことだけではなかったのです。ケネディの死をいたみ、彼のニュー・フロンティア精神を生かしていこうと大声で叫び続けている新聞、ラジオの論調の中で、私は幾つかの新聞が、何人かの著名人が、すでにケネディの時代は終わったのだ、ケネディは一日も早く忘れ去られなければならないのだと説いているのに気づかせられたものでした。さらに、ケネディ氏の死から数日たったころ、ある新聞は、アメリカの政治家たちが声を大にしてケネディ、ケネディと叫び続けているのは、実はケネディ氏からジョンソン氏への変化をスムーズにするための術策にすぎないのだと解説していたのです。ジョンソン政権の確立さえすれば、ケネディ氏の影響は消し去ってしまわなければならないと考えているのだというのです。そしてそれからのアメリカの政界の動きは、確かにその解説が的を射ていたものであることをはっきりと示したのではないでしょうか。

ケネディ、あのような業績を残し、あのような劇的な登場と死を遂げた人にしてこうであるとしたら、人間の名声や人間の仕事などというものは、なんとはかないものでしょうか。あなたは男子一生の仕事と思って務めている、しかし、もしあなたが死なれたとすると、そのあなたのすわっていたいすにだれかほかの人がすわります。そして一月、二月、いいえ、あるときはたった幾週間かあなたがいないということで、仕事はちょっと滞るかもしれませんが、しかし、やがて仕事はまた前のように、いいえ、前よりもっとよく流れていくかもしれないのです。そしてあなたはいつか忘れられていきます。意地の悪い想像かもしれません。しかし、それが事実ではないでしょうか。

 また、人間の愛も無常です。はかないのです。アメリカのある結婚式のサービスをする業者が、従業員にこう注意したといいます。「結婚式のときは特別によく注意しなければならない。統計によれば、きょう結婚式をあげた新郎新婦のうち、少なくとも6割はもう一度結婚式をあげるということ、すなわち、もう一度わが社のお客になる可能性があるのだということを、諸君はいつでも念頭においてサービスすべきである。」

 これはアメリカだけの話ではないのです。確かに離婚についての考え方の違う日本では、離婚の率はもっと低いかもしれません。しかし、冷えきった夫婦、世間体のためだけでいっしょにいるという男女――がどんなに多いことでしょうか。そしてそれは、男女の愛だけではないのです。親子の愛でも、友人の愛でもそうです。「かわいさ余って憎さ百倍」、「きのうの友はきょうの敵」こういった世の中なのです。

 真理と言われているものさえ例外ではありえません。私は実は、工学部の応用化学科の出身です。しかし、ある新進気鋭の化学者と、彼の研究テーマについて話し合ったことがあります。そして、私は現在の化学の「常識」が、私の学び、また、研究してきたころ――それはわずか十数年前のことでした――の常識と全く違っていることを痛感したのです。科学的真理でさえいつでも書き換えられていくのです。いわんや他の「真理」、たとえば道徳的な真理などは時代とともに全く変わってしまいます。私たちは戦争中、これこそ「古今を通じて誤らず、中外にほどこしてもとらない真理」だといって教育勅語を教え込まれてきました。しかし、今ここに引用したこの文章さえ知らない、いや意味もあまりはっきりしないという人のほうが多いのではないでしょう。

正義もまた、同じ道を歩まねばなりません。「勝てば官軍、負ければ賊軍」、「力は正義なり。」革命がいっさいをひっくり返してしまう時、昨日までの反逆は忠誠となり、悪徳は美徳とみなされるようになるのです。

 人生に何がいったい変わらないものなのでしょうか。ある人は、愛だとか、真理だとか、正義だとか、そんなきれいごとばかり言っているからだめなのだ、「地獄のさたも金しだい」、人間万事金の世の中、金だ、金だ、金さえあればこの世はどんなことがあってもだいじょうぶなのだ、とおっしゃるかもしれません。しかし、戦後のあのインフレの苦い味を味わったことのある私たちは、こういう意見をどうもそのままにのみこめない気がするのです。

  私の友人のT子さんというかたのおとうさんは、腕一本とよく言いますが、ほんとうに何もないところから工場主にまでなった人でした。おとうさんはT子さんによく、「おまえたちの一生食べるに困らないくらいのものは、もうできているからね」と言ったものでした。ところがあの大空襲でした。半生をかけて築き上げた工場も家も何もかも一夜にして灰になってしまいました。でもT子さんは「なにだいじょうぶ。おとうさんは無一文からあれまでやってきたんだ。裸一貫になったからって、もう一度やり直せばいいだけじゃないか」そう考えました。しかし、おとうさんはもう昔のおとうさんではありませんでした。空襲、そして敗戦とあまりので打撃に打ち伏せらてしまったのでしょう、毎日毎日酒ばかり飲んでぶらぶらしているのです。T子さんは思いました。財産はなくなった、おとうさんも当てにならない、そうだ、こうなったら自分だけだ、自分だけがたよりだ。彼女はめちゃめちゃにがんばりはじめました。T子さんのクラスの中で女子はT子さんを入れて全部で3人しかいませんでした。しかし、T子さんは負けなかったのです。彼女の成績はいつでもクラスのトップ・グループにはいっていました。彼女は自信を持ちました。婦人代議士か女博士になっている自分を想像してみたりしました。ところがそんなとき、彼女はちょっと病気になりました。あまりたいした病気でもありませんでした。ところがそれなのに彼女の成績はガタンと落ちたのです。ふくれ上がっていた自信は、パチンと音がしてはじけるようにしぼんでしまいました。私もやっぱりだめだ、彼女は深い絶望を味わいました。そうなのです、私たちはたよりになるもののないはかないこの世の中で、最後に自分だけがたよりだと考えるのです。しかし、いつの日かその自分という者もなんとたよりない小さい者かということに気づかせられる日が来るのです。

 彼女がそういうむなしさのとりこになっている時、近くの町にキリスト教会があるということを偶然の機会に知りました。T子さんはなんということもなしに行ってみました。説教はわかりませんでしたが、教会のふんい気にひかれて毎週通うようになりました。ところがある日、その教会の役員のひとりが礼拝のあとで、昼食に誘ってくれたのです。招かれて行った家は、古ぼけて、たたみも、ふすまもかなりいたんでいました。食卓に並んだものもT子さんの食べなれなれているものから見れば貧しいものでした。一目でこの子だくさんの家庭の生活が、決して楽ではないことがわかりました。しかし、食卓を囲んだ子供たちが、おとうさんが祈る食前の感謝に合わせて頭をたれ、小さな手を組んで神に祈っているその姿を見た時に、T子さんの心をことばで言い表すことのできないような感激がゆさぶりました。貧しさにもいじけず、苦しみにもめげず、愛し合い、助け合いながら明るく人生を生き抜いていく親子。ここには何かある。いいえ、この家庭にはどなたかがいらっしゃる。このはかない浮き世に、このたよるもののない世の中に、たよることのできる変わりたもうことのないおかたがいらっしゃる、彼女はそう感じたのです。あなたはいかがでしょうか。この浮き世にあなたは何をたよりとして生きていかれるのでしょうか。

 またある人は、この世は憂き世(うき世)だと言います。苦しい、悲しい、いやなことばかり多い憂き世だと言うのです。貧乏の悲しみ、病気の苦しみ、人種や生まれなどによる差別の悩み、私たちはそういった人生の傷口にいつもいつも触れています。しかし、悲しみ苦しみはそういう人生の底辺にだけあるのではありません。

 私を導いて下さった牧師が、あるとき街頭に立って特別集会の案内をしていました。そこへ美しく着かざった一目で何不自由ない生活をしている上流階級の奥さんとわかる婦人が通りかかりました。牧師は正直な話、このような悩みのなさそうな人は、キリスト教の救いなどにはなんの関心もないだろうと、そんな感じがしたのですが、それでもほかの人と同じように声をかけてビラを渡したのです。ところがその夜、粗末なテントの中で開かれた集会にこの奥さんが来たのです。そればかりか、その翌晩も、そして、その翌晩も顔を見せました。牧師は少し驚きました。ところが、天幕伝道の最後の晩、彼女は牧師のところへやって来ると、こうあいさつしたのです。「先生、ほんとうにありがとうございました。実は私は、先生からあのビラをいただいた時、自殺をしようと思っておりました。そこまで思いつめましてあの道を歩いておりました時、先生にお声をかけていただきました。そして、なんとなく心をひかれてこの集会に来させていただく気になったのでございます。でもこの集会にまいりましてほんとうによかったと思います。もう私は死のうなどと思わなくなりました。これからは信仰の道に励んでまいりたいと思います。先生、ほんとうにありがとうございました。」

 人生というものは、たとえそれが表面的には、はなやかに見えても、その底に悲しみをたたえているものです。いいえ表面が美しければ美しいだけそれだけ悲しみも根深いのかもしれません。だれからも愛されない悩みについては、もう前に考えてみましたが、現代は確かに群衆の中にある孤独の時代と言えるかもしれません。社会の仕組みはあまりにも大きくなってしまいました。そして、ひとりひとりはほんとうにちっぽけなつまらない存在のようになってしまいました。ですから私たちは、みんなと同じような服装をし、同じようなバカンスを楽しみ、同じようなテレビ番組を見、同じような考え方をしなければ不安でたまらない気持ちにかりたてられるのです。そしてまた一方では、しっかりと自分のからに閉じこもってしまって、ただ自分のことだけをせいいっぱいに求めていこうという生き方しかできなくなってしまっています。

 そして、こんな苦しく悲しい人生をなぜ生きているのでしょう。悲しみも苦しみも理由があればまだがまんできましょう。目的がはっきりとわかっていれば、苦しくても忍耐することができます。ある女子高校生がおかあさんに勉強しなさいと言われて、「そんなにただ勉強しろ勉強しろと言われたって、いったいなんのために勉強するのか、その目的もわからないで勉強なんかする気になれると思うの」と答えたそうですが、これは受験生ばかりでなく、私たちすべての嘆きの声ではないでしょうか。お金、地位、名誉、権力、前にも考えたそのようなはかないむなしいもののために、私たちはこんなに苦しまなくてはならないのでしょうか。ある大学生が、「私がきょう生きているのは、ただまじめに自殺ということを考えてみなかったからというだけの話ですよ」と言いました。確かに、死ななかったから生きている、ただそうとしか言えないような人生を、苦しく生きているのが私たちではないでしょうか。

 もう一つ悪いことに、私たちはこの憂き世が苦しいからと言って簡単に死ねないのです。死は私たちにとってあまりにも恐ろしい暗やみです。私は小学生のころ、どうしたわけかハンセン病が恐ろしくてたまらなくなったことがあります。毎晩こわくてひとりで寝られないのです。今でしたらノイローゼという診断が下されたことでしょうが、そのころは子供には神経衰弱はないというのが医学の定説でしたから、末っ子の甘ったれということで片づけられてしまいました。しかし、私は今でもそのときの恐ろしさをまざまざと思い出します。私たちは死にたくない、死が恐ろしいのです。しかしなぜ死が恐ろしいのでしょうか。なんの理由もない、子供が幽霊をこわがるような迷信的な恐怖なのでしょうか。

私たちはここで人生におけるもう一つの苦しみに当面するのです。それは罪の苦しみです。私は瀬戸内海の美しい島で吉成さんというかたに会ったことがあります。このかたは実は私が子供のときあんなにこわがったそのハンセン病の患者なのです。もちろん、ハンセン病は今日ではなおる病気です。かつて結核が死病と言われましたが、それが必ずなおる病気だと考えられるようになったのと同じようになおる病気です。第一に、患者を完全に隔離する、そうです、全く一生の間隔離してしまうなどという治療法――これが治療法と言えるかどうかは別として――をとり続けているのは、世界広しといえども日本だけと言ってもいいほどなのです。結核などと違って、感染の恐れのほとんどないハンセン病の患者は、フィリピンでもインドでもどこでも入院させないで通院治療を続けているのです。私たちはハンセン病に対するまちがった考えを改めなくてはなりません。しかし、それにしても、その手足が曲がり、顔かたちが変わり、感覚も失われてしまうというハンセン病は、悲惨な病気であるに違いありません。しかも、吉成さんは視力さえも失っていました。

 彼は私に会った時、もぞもぞとポケットのあたりを手探りしていました。そしてしばらくしてから、そのポケットを私のほうに突き出すようにして言ったのです。「すみませんが、ポケットの中の本を出して下さいませんか。手が麻痺しているものですから、取れないんです。」私がその新書版の本を取り出して見ると、それは『見える』という吉成さん自身の著書でした。「私の証しなんです。差し上げますから読んで下さいませんか。」私はその晩、療養所の中の宿舎の一室で、その吉成さんの半生の記録を読み通しました。

 それにはハンセン病とわかった時の彼の悩み、苦しみが書かれてありました。療養所の中で敗戦を迎えた時の絶望が述べられていました。しかもその上に失明したのです。触覚をすでに失っているハンセン病患者にとって、失明ということは全くの暗黒の世界の中にほうり込まれることでした。吉成さんは無心にさえずる小鳥を憎みました。夏鳴くせみを殺してしまいたいと思いました。鳥やせみでさえ見ることができるのがねたましかったのです。人間が全部原爆にでもやられて失明してしまえとさえ願ったのです。しかし、それでもまだ苦しみが足りないかのように、彼の奥さんがのどを冒されたのです。のど切り――気管切開――は声を失うことでした。見えない夫と話せない妻。吉成さんが世を呪ったからといってだれも責めることはできなかったでしょう。

ところが、吉成さんの奥さんはクリスチャンでした。そして教会へ行こうと誘ったのです。吉成さん自身もかつては園内の教会に行っていました。しかし、失明したころから教会を全く遠ざかっていました。自分にとってあまり重い憂き世の矛盾に、神を信じる心など全く失ってしまっていたのです。しかし、妻の勧めでまた教会に出入りするようになりました。しかし、疑いはますます多く深くなるだけでした。ところがあるとき、Mという牧師が療養所の教会にやって来て特別集会をしました。そしてそこで、吉成さんはM牧師の口を通して語られるイエス・キリストの十字架の事実に心を打たれたのです。罪のないおかたが罪人たちの手によって、打たれ、はずかしめられ、ののしられ、十字架につけられる――なんという矛盾だろうか。なぜ私だけが苦しまなければならないのか、なぜこの世の中はこんなに矛盾ばかり満ちているのか、そう考えていたのに、この罪のないおかたの負われねばならなかった十字架という大矛盾の前には、そんな矛盾は実にちっぽけな言うに足りないものだということに気づいたのです。こうして矛盾に悩む心は消えていきました。神を不公平だとは言えないと思うようになりました、しかし、そう考えても苦しいという事実は残るのです。いったいどうしたらこの苦しみから救われるのか、彼は求めました。そうしているうちに、吉成さんは自分がきよく正しい者でないと気がついたのです。それは全く新しい発見といったものでした。自分は罪人なのです。神の前に罪人なのです。憎しみ、ねたみ、ひがみ、自分はなんと汚れた者なのか。きよくなりたいのです。正しく生きたいのです。愛に満ちあふれたいのです。しかし、だめでした。吉成さんは自分の罪のために苦しみはじめました。そしてその苦しみは今までのいっさいの苦しみをすべてのみ尽くしてしまうような苦しみでした。罪の苦しみに比べれば、他の苦しみなど取るに足らないものだと知ったのです。

 私には痛いほど吉成さんの苦しみがわかります。私自身そういう苦しみを体験してきたからです。あなたはいかがでしょうか。死を恐れるということ、そのこと自体が私たちが、罪人であり神の前に立つことができないものだということを、私たちは心の奥底では知っているのだという証拠です。聖書の中に、「人間には、一度死ぬことと死後のさばきを受けることが定まっている」(ヘブル9・27)という聖句がありますが、人間は、だれに教えられなくても、この神の定められたさばきを予感して恐れるのです。

あなたはおっしゃるかもしれません。罪とはなんだろうかと。私は、「私には罪の意識が全くありません」と言った人に会ったことがあります。あとで私は、他の人からその人が女道楽で奥さんを苦しみ続けてきたことを聞いたのです。私はこの本を読んで下さるあなたが、そんなに道徳意識の低いかたであるとは思いません。ですが次の実例は、あるいはあなたの助けになるかもしれません。

 Aさんは中年になってから教会に出席するようになった主婦でした。教会に行きはじめてから3年ほどたった時、宣教師から「Aさん、もうそろそろはっきりと罪を悔い改めて洗礼を受けてはどうですか」と勧められたのです。しかし、Aさんにはそのことばの意味がよくわかりませんでした。すると宣教師はこんな勧めをしたのです。「家に帰って、紙とペンを用意して、それから神さまに私の罪をよく教えて下さいとお祈りするんですね。それからその紙に今まで自分がやった悪いことを思い出すままに書きつけてごらんなさい。」Aさんはその夜、家族が寝しずまった時、机の前にすわって、教えられたとおりやりはじめたのです。彼女は今までの自分の生涯を三つに分けてみました。子供時代、娘時代、主婦時代。まず子供時代でした。魚屋をやっていた自分の家のお店から店番の人の目を盗んでいろいろとつまみ食いをしたりしたことが、第一に思い出されました。考えていたほどりっぱな子供時代ではないように思えてきました。そして娘時代では、友だちをねたんだり、人を憎んだりばかりしていたことに気がついたのです。そして主婦時代になると、その上に虚栄心の固まりのようになり、しかも高慢になってしまった自分だということがはっきりとわかってきたのです。Aさんは恐ろしくなりました。自分がこんなに醜いきたならしい者だとは思いもよらなかったのです。彼女は思わず「神さまこういう罪人の私をお救い下さい」と祈らずにはおられなかったのです。これがAさんの悔改めでした。ある大学生は、「罪とはどういうことだと考えていますか」と聞かれてこう答えました。「聖書を読んでいると、自分で自分が恥かしくなるんです。それが罪だと私は考えています。」あなたはいかがでしょうか。あなたは次のような聖書のみことばを読んでどう感じられるでしょうか。

「『姦淫してはならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいている女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです」(マタイ5・27、28)。

「『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5・43、44)。

「忌わしいものだ。……あなたがたは、杯や皿の外側はきよめるが、その中は強奪と放縦でいっぱいです」(マタイ23・25)。

「人から出るもの、これが、人を汚すのです。内部から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさ」(マルコ7・20−22)。

「ですから、すべて他人をさばく人よ。あなたに弁解の余地はありません。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めています。さばくあなたが、それと同じことを行なっているからです」(ローマ2・1)。

「なすべき正しいことを知っていながら行なわないなら、それはその人の罪です」(ヤコブ4・17)。

いかがでしょうか、このようなほんのわずかな聖書のみことばに触れただけでも、私たちは自らが恥ずかしくなりはしないでしょうか。いいえ、パウロと同じように、「私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。私は、自分でしたいと思う善は行なわないで、かえって、したくない悪を行なっています。……私は、ほんとうにみじめな人間です。だれかこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか」(ローマ7・18、19、24)と叫び出さずにはいられないのではないでしょうか。そして自分自身が幸福になれないのは、このこと、あのこと、この人、あの人のせいではなく、実はこの罪のためであるということに気づかせられるのではないでしょうか。

 吉成さんはこのような罪の苦しみを自覚したのです。そしてどうしてもその罪から救われたいと願ったのです。そしてそのとき、まさにそのとき、イエス・キリストの十字架の意味がわかったのです。すなわち、イエス・キリストがこの罪から自分を救うために身代わりとなって十字架について下さったのだということでした。そして吉成さんはイエス・キリストを信じたのです。そしてその苦しみから救い出されたのです。

ある人(多分『山室軍平』だったと思います。実は、私がこの小著を書き始めたのは、彼の『平民の福音』の現代版をという野望を持ったからです。これが不可能な『野望』であったのは、当然でしたが。)は、この世ははかない浮き世であり、また苦しい憂き世であるが、しかし、イエス・キリストを信じる時、有喜世(うきよ)、すなわち喜びのある世に変わるのだと言っています。T子さんも、A子さんも、そして吉成さんもこの世を有喜世に変えることのできた、いいえ、神によって変えていただくことのできた人たちです。

 私はこの章を終える前に、もうひとりの実例をあげたいと思うのです。それはやはりハンセン病患者であった工藤さんというかたです。私はあるとき、工藤さんのお部屋におじゃましてお茶をごちそうになっていました。この工藤さんはハンセン病の人の中でも珍しいほど重症のかたでした。手足はもちろん変形して全く不自由でした。目は失明し、ただ腹部の手のひらほどの広さの感覚がわずかに残っている所を除いてはからだじゅう全く麻痺していました。しかも味覚もも全然だめになっていたのです。つまり、五感と言われるもののうち、かろうじて残っていたのはただ聴覚――耳だけだったのです。私たちがいろいろ話をしていますと、そこへふたりの中年の男の人がはいって来ました。聞いてみると近くの人で、もちろん病人ではないと言うのです。「なぜここに出入りするようになりましたか」と尋ねてみると、なんでもこの療養所の中に、病気でありながら毎日喜んで生活している人たち――つまり工藤さんたちクリスチャンのことなのですが――が百名もいると聞いて、その人たちに会って話を聞いてみたいと思ってやって来るようになったと言うのです。ところがどうもすなおに信じられない。それできょうも話を聞きにやって来たと言うのです。私も少しばかりお話をしたのですが、工藤さんがにこにこしながら、回らない舌で、「信じなさいよ、信じさえすればほんとうに幸福になれるんですから」と言うのに、健康は人たちのほうは、「そうらしいんだねえ、それがどうもねえ」と暗い顔をして下を向いているのです。

 私はそこにはっきりと二つの世、二種の人々を見たような気がしたのです。それは健康で何一つ不自由のない生活をしながら、なお浮き世であり、憂き世であるこの世に住んでいる人と、からだは全く文字どおり病気にむしばまれながら、また、一月わずか五百円の小づかいを支給されて、一生外へ出ることも許されないような不自由きわまりない生活を送りながら、しかもこの世を有喜世として生き抜いている人です。そしてイエス・キリストを信じるか、信じないか、ただこの一つのことだけが、この二つのグループをあまりにもはっきりと区別していたのです。

 私はあなたにお聞きしたいのです。あなたの生きておられる世は浮き世ですか、憂き世ですか、また有喜世でしょうか。そして、有喜世に住みたいと願われるのでしょうか。イエス・キリストはあなたの生涯も喜びに満たして下さるのです。