長草の猩々

鳴海の猩々アタラシ

名和の猩猩は「暴れ猩猩」
ここでは名和の猩猩の由来を紹介します。

 猩猩の伝説
 むかし、中国の金山の麓に、高風(こうふう)という者は、大変親孝行者でした。
ある夜、不思議な夢を見て、街の市に出て、酒を売っていたところ、市のたつ毎に出てきて
大酒を飲む者がいるが、彼はいくら飲んでも顔色も変わらないので、名前を尋ねると、
それは「猩猩」でした。名前を知った高風(こうふう)は壺に酒を用意して、猩々の来るのを
待ちました。
やがて「猩猩」が海中から出てきて、高風と酒を飲み交わし高風の心の素直なことを誉め
くめども尽きぬ泉の酒を壺に入れ高風に与えました。
酒を呑む交わし呑んでいるうちに、秋の夜は明け高風の夢は覚めてしまいました。
酒壺は残り、家は代々繁盛し栄えました。
 親孝行の高風に猩猩は「福」と「徳」を授けたということです。
猩猩にはこうした不思議な「夢」と「福」と「徳」を授けるところから、いつしか「祭礼」に
現れるようになりました。
猩猩は、時代とともに、ある時は「暴れ猩猩」となって境内、町内を走り廻って子供たちを
追いかけ「めった切り」をすることから「猩猩めった」とも言われるようになりました。
時勢に変遷に従い、数年間「猩猩祭礼」行事を中止したところ「村中に疫病が流行し、
人口、戸数が減った」とし村人は「猩猩祭礼」を中止したために「疫病が流行し、
人口、戸数が減った」とし、村人が相談の結果再興した。
 その後、いかなる凶作や飢饉たりとも中止しなかった結果、人口も増加したので
村民は敬神の意を厚くし、現在は「無形民族文化財」.的存在として継続されている。
【歴 史】 戦国時代(室町時代)のころから存在すると言われています。
【地 方】 名古屋市南部から知多半島北部地方に「無形民族文化財」.的存在として
       秋の祭礼行事に登場しています。
【バリン】 猩猩が持って歩き廻るもので、大竹で下が割れている。このバリンに
       たたかれたり触ったりすることにより「福」と「徳」を授けると言われています。
       また、「厄払い」「厄除け」としても信仰されています。
       最近は安全上、青竹の『バリン』から「ウレタン製のバリン」に姿を変えています。
       昭和40年代子供たちは「しょうじょうメッタ!くそメッタ!」と猩猩に対しはやしたて
       猩猩に追いかけられる光景が船津神社ではよく見られました。
【猩 猩】 中国では、想像上の怪獣で、人に似て体は天狗の如く、声は小児の如く
       毛は朱色で、面人に類似し、よく人語を解し、酒を飲む。
                                
             (東海市名和 北脇地区に伝わる「猩猩伝説」一部修正しています。)
祭礼当日、境内を走り廻り「福」と「徳」を授ける   酒が大好きな「猩々」
猩猩の由来

名和の暴れ猩猩の基本形

バリンで子供の頭を触り徳と福を授ける
                2005年 愛知万博会場にて