なぜか始まったこのコーナーの記念すべき其壱がお酒についてとは、なんとも俺らしい気がするな。まぁ、そんなわけで、始めますか。
さて、人類の歴史史上、火とお酒というものはその時代の環境や思想などとは無関係に存在してきたと言えると思うのだが、なぜ人はお酒を飲むようになったのだろうか。
一つにはお酒というものの薬的側面があるだろう。日本でも昔の言葉に「酒は百薬の長」という言葉があるぐらいだし、極寒の地域では体を温め、また気付けの効果があったのも事実であろう(よく冬山の遭難者の救出にウイスキーを持っていく例がある。)。
もう一つの側面として、親交を深める為や、感情を整理・表現する為などに使われてきたという事実がある。
確かに、親交を深める為(コンパや打ち上げ等)には有効である。お酒というものは科学的根拠はともかくとしても、本音を出す時や、言いにくい事柄を言うときなどに補助的・補強的役割を果たす。これは筆者も経験したところ大であるし、みなさんも経験したことがあるのではないだろうか。
また感情を整理・表現、具体的には嬉しい時の祝い酒や気持ちが沈んでいる時のまったり酒などは、感情をより深いレベルで感じることができるし、それによって発散できる側面もあるであろう。
また、消極的側面として、「もしお酒が無くなったら」という事を考えてみたい。
親交を深める事は今よりは困難になるケースもあるであろう。つまり、見えない壁というものを打ち破る手段が一つ減るわけであり、選択肢が減少する分、困難性が多少なりとも増える事は否定できないであろう。
そして感情の整理・表現にお酒が使えないとなれば、今まで培われてきた伝統のいくらかかは無くなってしまうだろうし、代替手段がうまく見つけられない人は心的ストレスが増大する可能性(そこから来る病の増大の可能性も含む)もあるだろう。
それどころか、仮に代替手段を見つけたとしても、その手段が麻薬などであった場合、より有害な社会が出来あがってしまう可能性すらある。これは恐ろしい未来像であると言えよう。
ただ、世の中には、お酒を飲めない人・飲まない人がいることも事実であり、お酒というものが人類にとって絶対的に必要なものでもではないかもしれない(まぁ、そうは言っても料理酒なんかでは使っているわけだが・・・)。
そうは言っても、人類の歴史上これほど長く続いてきた「お酒を飲む」という習慣が今後なくなるとも思えない。そういう意味では絶対的に必要なものとも言えるのではないだろうか。
付け加えておくが、筆者は別にお酒を飲むという行為を絶対的に肯定しているわけではなく、その必要性・許容性を論じているのである。したがって、過度の飲酒(それによっての迷惑行為も含む)に対して言い訳を認めるわけでもないし、飲酒によって体を壊す事を認めているわけでも決してない。よって、下手な自己正当化などによる言い訳などをせず、迷惑をかけたら(筆者も経験有り。みなさんもあるのでは?)素直に謝るのがマナーであろうし、体調をくずした時には飲まないのが当たり前である。
そんなわけで今回の戯言はとりあえず終了でごじゃる。まぁ、これを読んで「いや、それは違うだろ!」とか「そんな事はないだろ!」とかいう意見もあるでしょうが、これは、あくまでも筆者の戯言のコーナーなんで、許容してくださいな。 以上