4月1日。


或る携帯メールより。
「完全に一人エイプリル・フール。カフェで難解な書に取り組む姿までムダにビシキマです。通り過ぎ行くおばはんオーエル女子高生、みんながオレに一目惚れしてしまいやしないかハラハラ。なんせコピーロボットひとつとて持たぬこの身。破綻する需要供給バランス。オレ不足でオレ乞いも叶わず慢性化する絶対的オレ日照り。オレ求む女の子の圧迫されたオレ経済はやがて暴発オレ一揆。デモ、スト、暴動、打ち壊し、自爆テロのフローで政府転覆、あな恐ろしき四月オレ革命」






4月2日。


本日、5回目の入学式を経験しました。
サスガに、これが人生で最後の入学式になるのでしょうつうか最後にしてえ

みるからにフレッシュエキス垂れ流すが如き新入生の群の中、一人異彩を放つわが老醜。若さ故の過ちは認めたくないものらしいですが、年くってなお過ちを積み重ねた挙げ句、ココで恥じらっている自分はそれ以上に認めたくない。認めたくないけど認めざるを得ない。トホホだよカンチってな気分でした。

幸いなことに、揃いのウィンブレに身を包んだサークル勧誘部隊には一顧だにされることはなく、それ以上の辱めからは免れたのですが。

つうかれっきとしたフレッシュマンの頃から、サークルに勧誘して頂いたことなんてなかったんですけどね一度たりとも(※)


(※…除、アメフト及びラグビー、柔道系←全部合わせて余裕でハネました






4月3日。


制服を思う。
友人の寺西(仮名)が「制服は抑圧の象徴であり、そこから連想される『解放』即ち『堕落の姿』が、がエロスを喚起するのだ」と主張します。
確かに抑圧からの解放は禁忌の侵犯であり、背徳性がエッチな妄想を増進させるスパイスたり得ることは事実です。寺西(仮名)の指摘は、確かに一面を鋭く突いていると思います。


ただ、こと人間の欲望を扱うとき、こういった一義的な「括り」は危険だとオレは考えます。


制服というシニフィアンが纏うシニフィエには、確実に相異なる様相があり、それに対する人間の感受の有り様もまた千差万別です。ナースルックならば「慈愛」「献身」であり、スチュワーデスなら「沈着」「高潔」、婦警さんならば「正義」「権威」となるでしょう。
そういった様々のイメージから、「看護婦さんに優しく看護されたい」「医師の立場で、逆らえない新人ナースにいたずらしたい」或いは「高慢なスッチーを思う様服従させたい」「潔癖たるスチュワーデスに冷たく見下ろされながらオナニーしたい」「婦警さんに万引きを見つけられ、様々に悪戯される女子高生になりたい」といった様に、欲望は無限に派生していきます。
マス集団に対して、それぞれ相異なる極めて主観的な感情を、一概に定義することは不可能です。中には、そういった明確なイメージを持たず、なお妙に大きな引力でもって、心を引きつけてやまないユニフォームさえ存在するのですから。


最近、季節柄、リクルートルックの女の子に燃えています。






4月4日。


ここは秋葉原。
「電脳のソドム」「二次元の楽園」「同人天国」
畏怖と礼讃を込めて様々に称される、東京随一のカオティック・シティです。日に四度、アキバの方向に向かって礼拝するようになったらその道も一人前。オレは所詮、ネット世界のあっさい辺りを半端に流離っている程度の不信心者なので、日常的に「聖地アキバ」を意識することはなかったんです。

が。

いや凄えですねアキバ。マジで。オレごときの甘っちょろい認識など、足下にも及ばないヴァルハラ。

慣れた足どりで行き交う人々の中には、人目でそれとわかる「聖者」がうじゃうじゃ。いっぺんにこれほど多くの殉教者の姿を目にすることが出来るのは、この街をおいて他にあり得ないでしょう。池袋もいいセンいってますが、やはりちょっと格が落ちます。


体験用エックスボックスに向かって大声でブチ切れている長髪の人物は、ほとんどもう神に近い存在。
神々しくふくよかな肉体、さらに蛍雪の下での「教典」の読み過ぎか、眼鏡をかけた姿が多いのも特徴。
ネルシャツまたは薄い色のダンガリーシャツの裾をベルト・イン或いは指ぬき革手袋を始めとする独特のミリタリー調はもちろん正装。
「女教師礼子23歳」のポスターが貼られた「寺院」の前で、勇気を出しあぐねてうろうろ行き来する中坊も、既に立派な巡礼者


真摯な求道の姿に触れたとき、人はその高潔な精神に感動し、自らの怠慢を恥じるもの。

どうか、彼らが探究の道を全うし、さらなる悟脱の境地へ至ることができますように。


オレにはムリでした。


つうかなんで駅前にマックのひとつもないんだよ。ダブっちゃったトレーディングカードでも食ってんのか、あの街の民は?






4月5日。


ちょっとワケあって、相対性理論と実存主義哲学について、友人と携帯メールでディスカッションしてました。
そのタイトルのやりとり。

「so once again…」→「もう一度だけ」→「恋しくて」→「あきらめようとするけれど」→「指でなぞってるだけ」→「あなたしかみえない」→「いつも一緒に」→「痛かった」→「痛かった、うまい!」→「目標歌丸」→「でも鶴光」→「乳頭の色は?」→「オナニー週何回?」→「9回」→「答えんなよ!しかも中途半端に多いぞ!」→「多いか?普通だろ」→「一日二回してる日が週二日あるぞ!」→「水金日は二回ずつで月曜は安息日」→「伊藤美咲かわいすぎ」→「伊藤美咲のおまんこ」







4月6日。


オレによる、ファッションについてのいくつかの発言。


「流行の最先端のスタイルは、やっぱ『裏原系』なんでしょ?」(-25)

「あのさ、『B系』ってナニ?」(-35)

「ああ、あれでしょ、千鳥格子」(-5)

「コムサでしょ、トラコンでしょ、後は……ええっと、ベルサーチ?」(-45)

「GAPって、ユニクロとどう違うの?」(+10)


……やっぱり、向いてないみたいです。

註…()内は、友人の寺西(仮名)による、ファッション能力の採点。






4月7日。


本日はバイトのシフトが入っていました。
テキストの方にも書いてある通り、オレのバイト先は某ビジネスホテルなんですが、三年以上も続けているとサスガに古株の部類に入ってくるワケでして、異動のそれなりに激しい会社の方針からか、社員でさえその半数以上が「後輩」だったりします。そんなワケで、今や誰に叱られることもなく、フロントカウンターの中、非常に居心地がいいんです。
さて本題。
今日、仕事の合間に社員と交わした会話の中で、衝撃の新事実が発覚してしまいました。オレの尊敬してやまないある人物もまた、若かりし頃に一時期ホテルマンとして働いていた、というのです。
その人物とは、そう。










加藤鷹


………うおおおおおさん!!ハラショー!!

およそ男子として生を受けた中で、彼に憧れない者がいるでしょうか。仮に「セックスワールドカップ」が開催されるとしたら、間違いなく代表に招集される男。指先のカリスマ、潮の職人。百戦錬磨の女優達が、こぞって賞賛するそのテクニック。
「男は、長さや太さじゃないですよ」その言葉にどれだけ救われたことか。

そんな神にも等しい人物と経歴がカブっただけでもう有頂天。気分はすっかり加藤鷹です。


「あ〜すごいね〜エッチだね〜〜ほら、ほら、ああこんなにいっぱい、いっぱい、ああ〜ホラ出ちゃってるよ〜〜すごいよ〜〜ビチャビチャだね〜気持ちいいの、そんなにいいの、どうなの、そうなの、ああ〜〜エッチだね〜〜あ〜〜すごいイッちゃうの、またイッちゃうの、あああああ〜」


つうかね、ちょっと喋りすぎ






4月8日。


最近友人になった男に、Dというイニシャルを持つのがいる。
人はそれぞれ、自分なりのフェティッシュに殉じて生きているものだが、Dにそれを問うたところ一瞬の躊躇もなく「それはパンチラである」という回答が返ってきた。
「パンチラ状態にある女の子に、見られていることを気づかせない」という、珍奇な自信を披露しつつDが語ったところを要約すると、パンチラとは「凌駕の美学」であるらしい。Dはそれを、盗塁に喩える。
自分が塁に出た時点で、バッテリーは警戒態勢に入っている。何としても走らせまいと、投手は牽制球を繰り返し、捕手のリードは自然、二塁への送球がしやすい外角へ偏る。そんな困難極まる状況の中でなお、投手の背中を凝視し、巧妙にモーションを盗み、まんまと二塁を陥れたときのカタルシス、それがパンチラの快感である、と。

好きこのんでパンツを見られたい女のコは少ない。当然スカートの内部には戒厳令が敷かれ、階段で裾を押さえる手や、電車で膝に置かれるバッグが、厳重にそこをガードする。そんな厳戒態勢の中、まんまと「奥」に到達した視線、それは確かに、一流の怪盗の「勝利」さながらである。Dにとってのパンチラは、ルパン三世の背中で泣いてる類のものなのである。


Dの言い分もわからなくはないが、オレにとってのパンチラは、少し違う。


一言で言えば、それは「弛緩の哲学」だ。女の子の厳戒態勢に起因するところまではDと同じだが、オレがパンチラにみとめる最大の価値は、その鉄壁のカーテンがほころびた、油断の姿だ。外敵に対する警戒がふと緩み、包み隠されていた可愛らしい本質がふと露呈する、一瞬の無防備。そこに立ち現れてくる初々しさ、瑞々しさ。


オレにとってパンチラは、「3つのS(※1)」を駆使し力ずくで勝ち取る栄光ではなく、偶然に垣間見る無垢なる一瞬(※2)に於ける、イデアとの対話なのだ。






※1…「盗塁に必要な3つのS」=「スタート」「スピード」「スライディング」
※2…「パンチラに必要な3つのS」=「スカート」「スリット」「スライディング」






4月9日。


この時期、一日の寒暖の差が激しいです。
日中は春らしく気温も上がり、ヘタすれば半袖Tシャツ一枚でも過ごせるくらいなんですが、夕方から陽が落ちると、ぐっと寒くなります。デブの皆様、汗などの対策にはお気をつけ下さい。






4月10日。


夕方の「再放送枠」あるじゃないですか。

ドラマをやってた頃から思ってたんですけど、本放送の時滅多に見てなかったのに、再放送も滅多に見ないのに、何故かその「珍しく見たことのある回」にヒットすることって多いです。どうせなら、見逃した回だったら嬉しいのに。


前に一度うっかり噛んじゃって口内炎になりかかってた「ほっぺの内側の肉」を、恐るべき正確さで寸分の狂いもなく思い切り追撃してしまった時と同じ質の悔しさ。







4月11日。

依然として日常的にあります。ワンギリ着信

スパムメールと違って、うっかりかけ直してしまわない限り金銭的な被害が生じないので、まだマシと言えます。寝てるときにかかってきて迷惑するという話も聞きますが、オレの場合はその程度じゃ基本的に起きませんし、よしんば起きたとしても瞬間的に再入眠できる体質なので、それほど気になりません。つうかかけ直すとどうなるんですか?アレ。
なんにせよ、番号通知が一般化した現在だからこそ成立する「商売」と言えます。

番号通知は確実に、社会にある種の安心を与えた一方で、同時に新しい現代的な不安を産み出すことにもなりました。「非通知」や「知らない番号」からの着信です。ちょっと前までそれが当たり前だったんですが、番通が一般化すると同時に、それは前以上に得体の知れない、不気味なものとして意識されるようになったワケです。

まとめて着信拒否してしまえばなんてコトないんでしょうが、実際、会社等で内線を経由する回線からの着信は非通知になる場合が多いようですし、知らない番号を全てシャットアウトするというのも余計な不便を産んでしまいそうです。結局シカトするしかないんですが、やはり気持ちのいいものではないです。まあ、普段からお天道様に恥ずかしくない、清廉な生活をしていれば、ビビる必要もシカトする理由もないんですがね。生憎心当たりが山ほど
で、ひとつ法則を導いてみました。


「非通知や知らない着番に異常に怯えるヤツは、過去から現在にかけていろいろやらかしている


つうかその手の着信に躊躇なく応答できちゃうような森田健作みたいなヤツなんか、むしろ友達になりたくないですが。







4月12日。

「きっかけですか?友達と原宿を歩いてたら、スカウトされて」

メディアのインフラ整備がガンガン進み、「グローバリゼーション」すら死語になりつつある昨今、芸能界の「入り口」はオーディション全盛です。そんな風潮の中、スカウトという古典的手段をきっかけにするケースは今後どんどん減ってくんじゃないかと思うんですが、ともあれまだ今のところ、冒頭のような言葉を耳にすることは多いワケです。

自然、東京や原宿には、テレビ局のぷろでゅーさーでぃれくたーいっぱいいで、あだすみだいなめんこいコは、まんず速攻ですかうとされでびゅーすることになるにちげぇねっちゃ。あゆみでぇになんて、ツッコみドコロ満載の認識を持っている女子も、まだ全国に相当数いると思われます。
まあ実際は案外その通りだったりもして(嘘です)、どっちにしろオレにはビタイチ関係ないハナシなんですが。

が。

白状します。

今日は、ホンキで構えてました。スカウトに備えてました。

マジで「スカウトされたらどうしよう」って思ってました。そうここは両国。


ああどうしようきっと駅から一歩踏み出したらインドの空港みたいに人がぐあーーーっ!!って寄ってきてそれがみんなガタイのいいオッサン達でよく見たらその中に九重親方双子山親方二所ヶ関親方なんかが混じっててみんなが口々に「ウチに来ないか?」「一緒に綱めざそう」「オマエならやれる」「泪橋のたもとに虹が見えるぜ」とかなんとか言いながら怒濤のがぶりや突き押しで一斉に詰め寄られて自分でもナニがなんだかわからないうちになんかサインとかさせられててにされてマワシ締められてムリヤリ股割り鉄砲やられちゃって気づいたら食わされてるんだちゃんこうああああああどうしようどうしようどうしようとかそういうのが大江戸線乗ってる間中頭の中をぐるぐる回ってたんですが。


いや〜まさかそれが現実になるとは(嘘です)






4月13日。


いよいよ、今夜12時、サイトオープンでございます。
つっても、特になにも変わらないですけどね、誰も知らないし。
バイトの新人くん(ハタチの美少年)と戯れつつ、カウントダウン。


あ。

トップページに最新日記入れとかないと、カウンターまわんないよな、と今気づいた。






4月14日。

今度、バイト先の副支配人が異動することになりました。

思いがけず急な人事で、誰もがあれっと思うようなタイミングだったんですが、いろいろ話を聞いてみると、やはり本社から異動してきた新しい支配人との折り合いの悪さが原因のようです。
副支配人は、入社以来ホテル一筋20年という人物で、支配人は去年の六月に異動してきたばかり。様々な業種にわたって多角経営をしているそれなりに大きな会社組織の中、部門の一つとは言え、ホテル部門はほとんど独立企業のような業務形態を持っているのですが、「上」はより大きい枠組みで組織を捕らえようとしがちな為、こういった現場無視とも言える「首のすげかえ的人事」は往々にして起こるわけです。
副支配人は過去にいろいろあったらしく、いわゆる「出世コース」からはとっくに脱落しており、本人もそれを自覚してもいたんでしょうが、それにしたって自分を飛び越していきなり「上」に座る人間がいたらそりゃ面白くはないでしょう。そうしてやってきた人間が無能だったら尚更です。
そう、この新しい支配人、全くといってイイほど使えないんです。

口では「未練がねえのが不思議なくらいだよ〜」と茶化しながら、内心ブチ切れの副支配人。支配人への痛烈な反発を露わにしながら語られたのは、むしろ「お互い様」と言いたくなるような、単なる足の引っ張り合いの顛末だったんですが、そこからはいわゆる大人のやり方みたいなモノがあまりにも典型的に浮かび上がってきまして、なんつうか、こう………。



大人って汚え


「出る杭は打たれるので出ない」「自分の失態は部下の失態、部下の手柄は自分の手柄」「長いものには巻かれろ」「タンコブは排斥」なんとなくイメージしてきた、ある意味でどこまでもガキっぽいエゴイズムにまみれたリーマンの処世術、企業内ロジック。すみません、そんなんフィクションで、世の中ってもう少しレベル高いのかと思ってました。

全然だよマジで。

これまでは、自分のピーターパン症候群に多少の気後れを持ってたんですが(いやホントに)、完全に消えましたね。モラトリアムマンセー。大人になんかなりたくないよ。

ウチの研究室の先生は、芸術家気質が過ぎるあまりにその道の主流に順応することができず、疎外された正にピーターパンなんですが、バカと蔑まれる研究室が実はネバーランドだとしたら、オレは喜んでウェンディになりたいと思います。いつまでも子どものまま、夢の世界で戯れていたいって隣になんかうるせ〜のが来たな。いや実は喫茶店にいたんですけどね。なんでこの世代(オバハンとオバァの中間ぐらい)て、こんなにデカいですか声。狭いドトールのテーブルでは距離が近くて読書のジャマに「ここなら詰めれば五人座れるわよ」っておい待て四人掛けに五人て「ああ〜〜来た来たこっちこっち〜〜〜〜!!!」マジかババァ!!
ネバーランドから一気にババーランドだよ!!



撤退。









4月15日。

よく、右脳型、左脳型なんて言い方をします。
右脳は全体把握的、直感的な傾向を持ち、図形感覚、絵画など、映像イメージを司るが機能があるようです。対して左脳は、分析的、論理的な傾向を持ち、言語、或いはそのより抽象的な形態である数学的論理構成などを司ると言われています。
軽く検索かけたら早速チェックテストがひっかかったのでやってみたんですが。



結果:★ 中間型人間 ★
あなたは、空間・音楽的能力(右脳)と計算・理論的能力(左脳)のバランスのとれた中間型で、臨機応変に物事を直感的にも論理的にも判断しますが、個性のない人と思われがちです。

……引っかかる言い方しやがって。






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