1月1日。




新年明けましておめでとうございます。


更新は滞ったまま、月日は流れ、いつしか年も変わりました。



今年も、皆様とオレに幸多かれ。










1月6日。



つかのま意識が途切れて、目が覚めたときに事態が飲み込めなかった。

大音響のビートとシンセサイザーの電気的なリリック、そして耳を劈くようなハウリング。自分がどこにいて、何をしていたのか、そのせいでまた一層わからなくなる。

歌っているのは女だ。歌は巧いが、いかんせん音が大きすぎる。



今日の日中は確か、オレは塾の講師として振る舞っていたはずだ。

いかにもガキらしい屁理屈で口答えをする中坊の頭を張り飛ばし、思い掛け鋭い質問に内心テンパりつつもなんとか体裁を整え、8時過ぎに授業を終えた。

メシを食いに行こうというハナシになったのはともかく、この時期、単車の後ろに乗っけてもらったのは失敗だった。凍死するところだった。



女の歌声が一段と大きくなる。



危うく定食屋に辿り着き、同僚の先生達と男4人、生で乾杯をして、麻婆茄子定食を食った。

で、飲み足りないから近くのカラオケ館に来て……そうかここはカラオケボックスの中だ。

ならこの、鼓膜をブチ破らんばかりの大音声も不思議じゃ………いやまて。



オレ達は、男4人だったハズだ。

しかも、途中で歌に飽きて、飲み放題の薄いカクテルをガブガブ飲みながら、教育について語り合って



女が叫んだ。







「ちんこまんこちんこまんこちんこま〜んこ!!イェ〜〜〜〜!!!」






隣のブースから乱入してきた女子高生は、性器の名称を連呼しながら、タバコをバカバカ吸っていた。



イェ〜〜〜〜〜。









1月14日。



麻雀くれ〜スキにさせろよ、まったく、もう。

というワケで、昨夜は夜通し麻雀をして、ようやく正月モードでした。ありがとうマイフレンズ。オレ、幸福だよ。







1月18日。



困ったことに、オレは顔がデカいです。

「顔がデカいんで」と言うと「え、そうでもないんじゃん?」と言われることも多いんですが、体が横に広いため、相対的に「普通」に見えるだけで、ジツは結構、本格的にデカいです。

ちなみに、頭回りのサイズは63センチ。全盛期の橋本聖子の腿回りと同じサイズで、芸能人のプロフィールには、まず登場しない数字です。

ま、頭の鉢の円周と顔のサイズが比例するかというと厳密には違うんでしょうが、残念ながらオレのケースではそこんとこ正しい調和を成しており、つまるところオレの顔は大きいわけです。



で、ここにひとつの定理があります。「デカい顔に似合う帽子は存在しない」



かつては、世界のどこかで、きっと自分に似合う帽子に出会えるはずだ、という幻想を抱いていました。それが、若さ故の甘すぎる認識であることに気づいたのは、比較的最近のことです。

答えのない問いを抱いて旅を続ける求道者の如く、オレは数限りない帽子を試着し、その度に例外なく深い失望と落胆を味わってきました。

時が経ち、裏切られた経験を重ねるにつれて、立ち直るためのエクスキューズを捏造することに、いつしか疲れ果ててしまいました。

諦念はあるとき突然やってきて、人間を寂しく虚ろにし、そして楽にしてくれます。

旅が終わり、オレは苦行から解放されましたが、それでもまだ、帽子売り場を通りかかる度に、砂を噛むような思いに捕らわれます。

生まれ変わるなら、きっと小顔に。爽やかな野球帽や、可愛いニットキャップが似合う、スッキリとした小顔に。




そんなオレの頭を、そっと包み込んでくれたアフロのヅラは、それはもう母のように優しく。



その優しさに護られて、オレは司会の大役を勤め上げ、結婚式の二次会は成功を収めました。











1月19日。



オレはよく眠りますが、わりとすぐに目を覚ます方です。

ベトナムでは、兵士達はいつ何時ゲリラ戦をしかけられるかわからない緊張感に晒され、神経をピリピリと研ぎ済ませながら、ギブアップできない蒸し風呂のような長い夜を過ごしていました。いまだに、当時のことを夢に見ては夜中に不意に飛び起きる、という者も珍しくありません。
戦場では、勇敢な者から順に死んでいきました。生き残ったのはよっぽど運の強いごく少数と、戦闘能力に秀でていたワケでも、頭が切れたワケでもなく、単に臆病だった連中です。
帰還して与えられた勲章を誇る気になれないのは、それが臆病者の証に他ならないからです。



で。



ここどこ?






京急蒲田の駅を通過したのが、10時40分過ぎ。

昨晩、夜勤明けで二次会の司会を勤め上げた後、三次会もだいぶ盛り上がってしまったので不安でしたが、この分なら11時には横浜に着いているはず。どうやら、遅刻も笑って許される範囲に収まりそうです。早起きに成功し、オレはほっと一安心しました。

少しばかり微睡んだようです。

気づいたら、その車両に乗っていたはずの人々は見あたらず、電車は見知らぬ名前の駅に停車中で、時計の針は240度くらい進んでいました。



ベトナムとは無関係です。第一、ここは吹きっさらしで恐ろしく寒いってばよ。











1月20日。



バスに乗って文庫本を読んでいたら、背後から険悪な声が聞こえてきました。

「え〜〜なんで?!嘘つくなよ!!」

「だっておかしいだろ、明らかに!」

「表示が間違ってるってことか!?」

「そんなの汚ぇよ!!ムカつく、文句言ってくる!!」



そしてその男の子は、お母さんに引きずられるようにしてバスを降りていきました。

車内の電光表示と、実際の停留所がズレていて、降車ボタンが押せなかったんですね。

所詮はガキよ、ガキ。








1月22日。






多分、ファンタジー全般に通底する、「お約束」的なものってあると思うんですよ。

例えば「魔法使い」ならば、「杖」「マント」「ネコ」や「フクロウ」そして「ホウキ」など。こういった小道具は、「魔法使い」という架空の概念を端的に表現する記号として、非常に有効なツールです。

それは既に、自明のものとして刷り込まれている前提的な条件であり、そいつらをこれ見よがしに駆使することによって、受け手の認識力とか想像力とかの不足を補い、物語に対する理解の足がかりとしているワケです。

つまり、過去から繰り返し語られてきて、既に一般常識の域にまで達したそういうコンテクストを下敷きにして、多くの現代ファンタジーは織りなされている、ということができます。

そういう場合、そうした魔法グッズは、ファンタジー用のフィクショナルなアイテムではなく、むしろ世界観にリアリティを与えるための装置として作用し、それは例えば、ドラえもんの道具などとは全く逆の役割を担っているということが言えます。

ま、「アイテムの記号論」はとりあえずさておき、なんでこんなコトを言いだしたかといえば、ハリー・ポッターを見たからです。「2」じゃなくて「1」の方。DVDで。

でもって、それに対するオレの感想は、早い話あまり感心しなかったワケです。



自明でありながら強く「異世界」であるところの魔法グッズ、そしてその主である魔法使いの社会そのものが、「現実」のすぐ隣に人知れず存在している、という世界観は確かにそれなりに魅力的ですが、オレにはいささか安易に思えました。

宮崎駿やその他の例を引くまでもなく、そんなもんよくあるハナシだからです。

世界観そのものに限らず、ハリー・ポッターの場面設定、人物像、ストーリーのトリックといった様々な要素について、過去にどこかで見たことがあるいずれかの、単なる引用に過ぎないように思えました。確かにひとつひとつは魅力的ですが、それらは魅力的であるが故に、既に使い古されてしまったステレオタイプです。



このことと、コンテクストを下敷きにすることは全く違います。

ハリポタはサンプリングです。それも相当質の低いヤツであって、独自の面白さ、オリジナルな創造性が完全に欠落しています。現代における創造活動の限界性の議論よりも、さらに低い次元で、その質は文字通り子供だましレベルだと感じました。最もオリジナリティが発揮されてしかるべき主人公のキャラクターが、イマイチ弱いのがその証拠。

この世界的フィーバーの理由がわかんないような、何となくわかるような。




つうかね、当初の予定としては、「魔女」が「女」でなければならない理由と、乗り物としてのホウキの関係論を書くつもりだったのに。












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