7月1日。






昼間でも人気の途絶えがちな裏通り。
雑居ビルの裏側に、1人がやっと通れる間口の狭い階段が、漆黒の地下へと下っている。
だがそれは巧妙に配置されていて、よほど注意力のある人間でも、ともすれば見落としてしまうだろう。
階段の突き当たりには、見るからに威圧的な鋼鉄の扉が常に閉ざされ、不思議なことにはその四周に僅かの隙間もないようである。

あなたがもし、符丁となる複雑なノッカーの打ち方を知っていて、身分証明と誰かの紹介状のチェックをくぐり抜けたならば、一枚目の扉が開かれるだろう。



そこは小さなレセプションで、窓口とカウンターがしつらえられており、所定の料金が徴収される。無論、持ち歩くのに難儀するほどの法外な額だが、円かアメリカ・ドルのキャッシュだけが通用する。同時に、全ての手荷物は預けられなければならない。



次の扉も鉄製だが、さらに密閉を期してかサッシを介した引き戸になっている。
開くと同時に、微かな唸りが空気を振るわせている。あなたはやがて、それが空気清浄機のたてる音だと気づく。

そこで衣類を脱ぎ捨て、貫頭衣のようなガウンを身につけることを要求される。高密度樹脂製のガウンの表面は徹底的に滑らかで、粘膜めいた光沢を放っている。



再び引き戸が引き開けられた途端、更に凄まじい勢いで風が鳴っている。
そこは廊下と言うよりもむしろ、巨大な金属製のチューブの内部のようだ。床から壁面、天井に至るまで、むくの量塊を刳り貫いたように一体化していて、一筋の継ぎ目すら見当たらない。
風は背後から吹き付け、緩やかなアールを描いた廊下の奥へと、来訪者を誘っていく。



長い廊下を抜けた先に、円筒形の空間に辿り着く。丁度、廊下のチューブを上下に貫通するような格好である。
その空間の内部で、空気は一転して上下に移動している。

エキスパンド・メタルで覆われた円形の天井全体が吸気口を成し、巨大な排気口の上に張られたグレーチングの上にあなたは立っている。足下から吐き出された清浄な空気は、滞留も間断もなく、即座に天井に吸い上げられていく。
空間の中の空気が完全に入れ替わるのに、1秒もかかるまい。



その空間を通過した先に、ようやく最後の扉が現れる。

屈強な門番によって扉が押し開けられた瞬間、隙間から流れ出すのは、ミルクのように濃密で、芳しい煙だ。

青い間接照明、薄く流れるジャズ。
カウンター奥の壁面に、色とりどりの小箱がぎっしりと詰まっているのが、立ちこめる紫煙の向こうに煙っている。



「ご注文は?」

あなたは、震える声でオーダーする。

「セブンスター」




今では世界中で生産が禁止されているにも拘わらず、パッケージまで当時のままだ。
今や、この秘密クラブでしか巡り会えない恋人を一本抜きだし、深く吸い付ける。






増税に伴い、今日から全国一斉にタバコが値上げされたのはご存じの通り。
つまるところ現状では、タバコを吸うことは「悪」であるようです。そうである以上、やがては「犯罪」として規制されてしかるべきもの。

NYの現状や、古く禁酒法の例を引くまでもなく、やがてタバコは世界から追放されるでしょう。当局の取り締まりから身を隠し、裏通りの秘密クラブでこっそりと吸わなければならない時代がやってくるワケです。







7月2日。



塾の生徒はその大半が、ある中学校に通っています。
その中学には、かつてウチの塾でバイトをしていたキシベ(仮名)さんという先輩が教師として赴任していて、学校での生徒の様子や、差し支えない範囲での定期テストの傾向など、貴重な情報源となってくれています。
塾の飲み会にもたまに参加してくれたりもしまして、語り出せばこれが熱い熱い。
情熱に溢れ、現行の教育制度に怒れる、とってもいい先生なわけです。

ところがぎっちょん、人間とはげに不完全なものでして、このグレートティーチャーにも欠点があるんだな。



端的に言うところ、キシベ先生ロリコンです。
それも、オレが女の子の親だったら、絶対マジありえねぇレベル。



聞いてると、教え子を完全に異性として意識していたりしやがってマジ致命傷。結構キャパ広い方のオレらにしてヒッキヒキ、ブルー入ってとてもここには書けないような発言を、素でブチかましてくれちゃうわけです。

で、今日。
オレが教えていた中2女の子が、とうとう言い出しました。



「キシベ先生、絶対うち(=あたし)のこと好きだと思う」



………い。



今のウチに通報した方がいいのかも知れない。事件になる前に。







7月4日。



もうすぐ七夕です。

池袋の地下道にも、笹の葉がさらさら揺れていました。
テーブルと色とりどりの短冊が用意されていて、道行く人がそれぞれの願いを自由に書き付けては、枝に結んでいくという趣向。

既にたくさんのお願い事が、何本もの枝をカラフルに彩り、風物詩を演出しています。



「野きゅうがじょうずになれますように」
小学校の低学年でしょうか、辿々しい筆跡とあどけない夢があまりにも似つかわしく、思わず微笑みがこぼれます。

「好きな人に気持ちが伝わりますように」
女の子らしいかわいい文字が、切ない想いを想像させます。何の縁もない通りすがりの身にしてなお、その成就を願わずにはおれません。

「お通じが良くなりますように」
……。
ま、まあアレだ。一年に一度のチャンスにお願いするくらいだから、よほど切実な状態なん……だろう、な。多分。

「忘れた財布が9Fにありますように」
書いてないでとりに行け。早く。







7月6日。



そのコンビニは、閑静な住宅街の一角にあって、闇夜に一点の光をともしていた。

入ろうとして足が止まり、改めて目を擦って、愕然とする。
これはいったい、どういうわけだろうか。



虫だ。

間断なく発光し続ける、コンビニのガラス壁。その全面を、夥しい数の羽虫が、びっしりと埋め尽くしているのだった。



虫、虫、虫。

羽虫は、滑らかなガラスの表面にじっと手足を据え、ときおりじりっ、と僅かに身じろぎをする。それらの総体が、絶えずじりじりと蠢く、黒々と粒だった表面を構成しているのだ。
さらに目を凝らせば、そのひとつひとつが、微細な触角と端正な羽根を備えており、それらがまた、震えるように蠕動しているのが見て取れる。



やがて、どこからともなく、肥え太った家守が出現した。羽虫の犇めくそのただ中に、悠然と歩み出、ゆっくりと己が贄を睥睨する。

羽虫はそれでも散ろうとはせずに、捕食される瞬間をただ待っている。

まるで、光に酔うかのごとく。







7月8日。



牙が生えてきた。

正確に言うと、上の前歯の中央から左右三本目、いわゆる犬歯が、いきなり急成長を始めたのだ。
歯茎の根を揺るがし、両隣の歯との接面をぎしぎしと軋ませながら、二本の牙は素晴らしい勢いで伸びていく。

月齢を調べてみれば、折しも上弦の半月。夜ごと月は満ち、ルナ・パワーが充実し始める時期にあたっていた。

なんということだろう。
オレは、吸血鬼だったのだ。

ついに覚醒の時期が訪れ、文字通り満を持して満ちていく月の魔力に呼応するかの如く、牙は伸びる。それは即ち、闇の眷属である証だ。
突然突きつけられた現実は無論、容易には信じがたいものだった。だが裏腹に、オレの全身の血液は否応なく灼熱し、その激しさが困惑を押し流していく。

ああ、とオレは嘆息し、確信した。
体の奥から、未知の力が堰を切ったように溢れ出してくる。
同時に、凄まじい渇きに襲われる。
癒すものは言うまでもなく、処女の生き血以外にあり得ない。

そのとき、垂れ込めた梅雨の雲の一部分が突然途切れ、一条の月光がオレを照らし出した。月光に皮膚を洗われ、そのチリチリとした快感に、オレは思わず咆吼した。

その瞬間、牙の成長による圧力が限界を超え、先刻から軋んでいた、牙の間の四本の前歯に、音を立てて亀裂が入った。
と思ったのはオレの錯覚だった。実は砕けたのは牙の方で、それは勝手に自壊し、砂となって崩れ去ってしまった。

後にはいかにも間抜けな四本の前歯が残された、という夢を見ました。







7月13日。



おんがくがなっている
ついえてゆく時間
ぱらぱらと雨音のリズム
いつまでもあの日のままに

もう戻れないと知る
みかぎられた場所
ただ膝を抱える
いつまでもあの日のままで







ネタに詰まったら、あいうえお作文だ。







7月17日。



デジタル。



「digit」とは指、或いはアラビア数字のことで、「dijital」とはもともと指を折って計数することを指すことばです。
従って「digitalize」とは記号化し、抽象化すること、言い方を変えれば抽象化された記号でもって物事を近似的に記述することです。

メガピクセル携帯に象徴的なように、精度の上昇に伴いデジタル世界はアナログ世界へ近づいていきますが、それはあくまでも近似であって、この世がマトリックスでない以上、近似によって切り捨てられる端数は常に存在します。
オレは理系なので、どっちかというとデカルト的な議論が好みではあるんですが、それでも明解に納得ができない曖昧模糊とした現実には往々にして遭遇するわけで、闇雲なデジタル指向にはやはり、そこはかとない猜疑心を抱いてしまいます。



とはいえ、数値化することなしに社会を営んでいくことは不可能です。
「単位」によって共通の物差しを設定することがデジタライズの始まりで、それこそ本来的には、円滑な社会システムを構築するために創り出された道具であるからです。度量衝、時間、通貨、多くのアナログが単位によって規定されており、その枠組みの中でのみ、オレらは価値或いは座標というものを定量しうるワケです。

例えば援助交際なんかは、デジタルな思考の最たるものです。
肉体の価値を金という物差しを使って定量し、取引を行う行為からは、感情や道徳など水っぽいアナログが完全に排斥されています。エンコーに関係する2者間では、そういったものを持ち込むことは最大のタブーです。それが、金の多寡という明解な尺度で割り切ることのできない、不確定要素の強いファクターであるからです。



だからエンコーのことを、「割り切り」っていうんですな。









7月20日。



できあがったものを改良していくことは難しいです。
国家のような、複雑で巨大な組織になれば尚更。

人間の数だけ価値観が存在し、そいつらが錯綜、衝突、干渉しあうその順列組み合わせのパターンは、それこそ人知の及ばない領域にまで膨れあがります。
全ての人が納得し、幸福になることは、いまさら不可能です。

だから、社会を語る議論は、常に哲学の理想論に陥りがちであって、そこには欺瞞の罠が大きな口を開いています。
洗練された社会は、各構成者の高度なモラルとその共通化の上にのみ成立し得るもの。
前提からして現実離れも甚だしく、語れば語るほどその乖離は激しくなるばかりです。

オレは理系なので、理想にはあまり興味がなくて、その構造を理解することの方が楽しいようです。










7月27日。



教師をやっているウチの親が、常々口にしていた教えがあります。
曰く、「親と先生だけは、自分ができないことを、他人に要求しても良い」

この場合の他人というのはもちろん、自分の子や生徒に限られ、早い話お説教の決め台詞として、我が家ではおきまりの如く多用されるフレイズであったワケです。
「要求される側」の立場でこの台詞に触れる度に、当然オレはその身勝手さに反発し、憤りを覚え続けてきました。

ところが。
いざ自分が子どもを教える側に立ってみると、こいつは誠に都合の良い、しかも理に適った考え方で、ついついなるほどなあと納得してしまうんですな。

教育というのは究極的に、「理想の人間」を育成することを目標とするものです。
そういう目的の中で、被教育者である子どもたちに示されるべき規範とは、非の打ち所のない完璧な理想像であるのは自明。

自らその理想像を体現し、我が身をもってこれお手本となす事が、ナンセンス極まりない無謀そのものの試みなのは自明でしょう。相次ぐ不祥事を例に引くまでもなく、教師は所詮人間という不完全な存在に過ぎないからです。



つまるところ、宿題をやってこない生徒の頭を偉そうに張り飛ばし、長々と説教をたれているオレからして、本日、某国家試験の受験当日を、一秒も勉強しないまま迎えてしまったという次第。

全く、人に言うのと自分でやるのは大違いです。
完全なダメモト、欠伸しながらチンコ掻き掻き、他の受験者に申し訳ないほどダレッダレの態度で、オレは受験会場に足を運びました。







これから受験を控えた中三、高三生諸君。
先生の端くれとして、お前たちに要求する。




「受験会場まちがえんな」














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