7月5日。


一体何日ぶりの更新なのか考えるのもドリアン(イヤ、の意)なんですが、ともあれお久しぶりです。W杯が終わって、上沼恵美子の出ていない「恵美子のお喋りクッキング」状態のタカハシです。でもあの番組、講師役の料理人も案外喋りイケてたりして。




というワケで、あまり時間がないので、今日は男子のみなさんに耳より情報をひとつ。


「恋愛の黒魔導師」タカハシが教える、「レベル7の呪文」。




「『ごめんなさい』なんて言うくらいなら、『ありがとう』って言ってよ。少なくともオレの前では、さ」


効力はギラ程度から、TPOと相手のキャラによってベギラマぐらい。




追記。
それと、超ひさびさに、テキストに追加。メシ食いながら読んじゃダメよ。







7月25日。


7月は、公私ともにごちゃごちゃしとりまして、長いご無沙汰となってしまいました。

一応チェックしてくれてたマニアックな皆様、ごめんなさい。

夏休みとは言え状況は大して変わってませんが、これからは頑張るつもりです。睡眠時間を鉋で削ってでも。




さて。

オレという人間は、それなりにいいトシブッこいて、飽きも懲りもせず学生なんぞやっとります。

未だにオヤジの保険証に乗っかってる自分の名前を見るにつけ、ちょっぴりヘコんじゃったりもするワケなんですが。

ま、それはさておいて、そんなダメ人間なりに、いっちょまえに持ってるのが「20代のうちにやっておきたいことリスト」。

多少ムリをしてでも、そろそろ意識的にクリアしていかないとヤバいなっと思っています。



というワケで先日、そのうちのひとつを達成してきました。



「叙々苑の焼き肉」



叙々苑、おお叙々苑。

政財界人から芸能人、ひいてはキャバクラのお姉ちゃん達やそれにモテたいオヤジリーマン層までにわたり、絶大な支持を一身に集める、言わずと知れた焼き肉界のスーパーブランドです。

さらに、都内中心に30店舗を展開するグループの中でも、ワンランク上として他と区別される、銀座、赤坂、西麻布、新宿歌舞伎町の4店舗、その名も「幽玄亭」。

「幽玄亭の肉食ったら、安楽亭の肉なんて粘土だね粘土」

これまでその高名こそ聞き及んできたものの、オレごときが噛み締めることを許されるのは果てぬ憧憬ばかりだったニクリストの聖地「幽玄亭」。

齢26にして、初めて足を踏み入れることと相成ったワケです。



老舗のキャバレエを思わせるゴージャスな内装、支配人を始めどこまでも行き届いた接客。

卓上には、「おろしニンニク」の小壺も、「味の素のレモン汁」の黄色い容器も、そればかりか、安楽亭なら「甘口」「辛口」「和風」なんて、3種類くらいは用意されているはずの「たれ」さえ、影も見あたりません。

余裕の幽玄亭。

1200円のキムチ盛り合わせは辛さの中にほんのりと甘く、一杯700円の中生が否応なく進みます。



いよいよ、光臨です。

「いちにんまえにせんななひゃくえん」の「じょうかるびさま」のお成り。

ゼイタクに「サシ」の入ったそのたたずまいは威風堂々として、見るからに「いいがら食ってみ? んめぇがら」的な自信に満ち溢れています。

果たして、今までオレが「お肉様」だと信じ、落涙しながら頂いてきたモノは、粘土だったのか。

その答えを前にし、鼓動のビートアップをどうにも抑え切れません。





震える箸先が、「いちにんまえにせんななひゃくえん」の「じょうかるびさま」をつまみあげます。



甘いキスのように唇を開き、口腔内に包み込み、咀嚼すること一回、二回。







……………
















ちょおうめえ。





「肉質がいい」って言葉あるじゃないですか。意味を思い知りました。

厚めに切られた「じょうかるびさま」の表面が、前歯の先をざっくりと受け止めた、思った瞬間、あっけなくそれはぷつり噛み切られて、こっくりとした脂の味が口の中じゅうに広がります。

官能に恍惚としながらほんの数回咀嚼するうちに、肉の繊維はさらさらとほどけ、気づいたときには心地よい余韻を残して流れ去っているのです。

あっけない幕切れに慄然としかけたときにはもう、アミの上で次のお肉様が手招きしているという寸法。

嗚呼、なんたる幸福。

願わくば、この時よ永遠なれ。



「じょうかるびさま」に感動し、「じょうはらみさま」に感激し、「ねぎたんしおさま」に感謝し、「じょうろーすさま」に感涙する二時間半。

圧倒的な満足感の中、いつしか宴は終わっていました。



もうアレだね。

これを「お肉様」だと思ってしまってはいけない。

今まで認識していた「お肉様」が「粘土」にしか思えなくなってしまったら、これからの人生きっと不幸です。

今日食べたものは、肉よりも遙かにオイシイ、「ベツの何か」。

そう、さしずめ。






















そう思うことにします。




つうか。

翌日から顔中にブツブツできててちょうかゆいんですけど、ベツに、なんか、自分の器に入りきらないようなゼイタクはかえって人を不幸にするとかそういうことはビタイチ考えてないです。









7月29日。



禁煙始めました。冷やし中華も始めました。


禁煙始めました。冷やし中華も始めました。


禁煙始めました。冷やし中華も始めました。


禁煙始めました。冷やし中華も始めました。


禁煙始めました。冷やし中華も始めました。


禁煙始めました。冷やし中華も始めました。


禁煙始めました。冷やし中華も





タバコ吸いてええええええええ


現在、禁煙生活14時間に突入。






Textに追加。
抜けるような青空の下








7月31日。




そろそろ人でも殺しそうな禁断症状のイライラから、人間の尊厳を賭けて目を背けつつ。


彷徨える思考は、濁った精神の海をいたずらにかき回すばかりで、一向に明確な方向性を見いださないのです。

自分にとって大事な人物が直面している問題に、咄嗟に最善策を提示してやれないもどかしさ。

年を経る毎に不自由になっていくのは人の常として、それにしてもここんとこの我が精神活動の不如意はあまりにもアレ。


早い話、呆気にとられる程急激に、バカになってってる気がするワケです。




ロジックはギャグに過ぎない、という認識は持っていたつもりでしたが。


ギャグはオレにとっての鎧です。


弱点をギャグで覆い隠すこと、即ち理論武装。

武装という手段がいつしか目的化して、そこに拠り所を求めるようになってしまっていました。


ここに、本末転倒の構造が、ひいてはオレの感じている「己のバカ」の本質があります。

論理的であることを最大の価値とすると同時に、直感的に本質を掴み出す能力に対して、コンプレックスを感じています。




「ちょっとそこまで」「お塩少々」日本人ほど感覚的な民族はいないかもしれません。


具体を恥とする宴曲の美学は、ちゃんとオレの中に根付いているとは思います。


ダンサーを夢見る毛唐の少女の自己顕示欲には、ちゃんと抵抗を感じます。

それでもなお、論理の頸城に、中途半端に捕らわれているのです。



「正しいこと」は、必ずしも人間を幸福にはしません。


「好きなこと」は、往々にして人間の幸福の鍵となります。




例えば、誰かを救いたい、と強く願ったとき。



直感的な感情でモノをいうことができず、かといって明晰な論理でもって進むべき道を見定めることもできず。

後づけの結果論で、その場を凌いでいくことに、激しい吐き気を催さずにはおれません。

おえっ。






必要に応じて、いっときの感情に身を委ねることができるということ。


それも知性のひとつの様態である、と思うわけです。















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