先日、映画通の友人と喋ってたときに、故伊丹十三監督作品「タンポポ」の話になった。
恥ずかしながら、ってかいつものことなので慣れちゃってベツに恥ずかしくもなんともないのだけどこの映画を見ていないオレは、どっかで聞きかじった程度の浅〜い認識しか持ってなかったワケです。つまりは、未亡人が経営するサビれたラーメン屋を立て直す、なんて「美味しんぼ」に20回ぐらいパクられてるようなモチーフね。
そんな大筋に加えて、実際に見た人の感想を聞くと、伊丹監督が映像に表現しようとしたもうひとつのテーマに、「食とはエロい」というテーゼもあったみたいですね。いや知らないんですけどね。そう聞いたモンで。我ながらムリもないことだと思うんですけど、それを聞いた瞬間にオレの中でできあがった計算式は、
「未亡人+エロ+ラーメン」ですよ。
「未亡人+エロ」なんてもう「翼くん+岬くん」バリのゴールデンコンビじゃないですか。 夫に先立たれた若き未亡人は、49日の法要の日、夫の遺影の前で、正にその面影を持つ夫の弟に犯されるじゃないですか。喪の意を示す黒い和服の裾が割れて、コントラストも鮮やかな真っ白い太股が露わになるじゃないですか。やはりモノトーンに凍り付いた夫の笑顔に見下ろされ屈辱に涙を流しながら、いやそれがゆえになおさら、まだ若いひとりの女としての本能に抗いきれずに、巧みな指使いに呼応してしまうだなんてああヒトの性とはなんと悲しいじゃないですか。つうかそうに決まってるじゃないですか。そこにプラスラーメンですよ? 「未亡人 淫らな49日〜むしろあたしは69日〜」から、「未亡人2 淫らな49日〜むしろ私は69日〜悶絶!!ラーメン地獄!!」ですよ? 華麗もたいがいにしてほしいぐらいのバージョンアップじゃないですか。
「白い裸身に絡みつく中太のちぢれめん」
「チャーシューの如く縛り上げられ肉汁を滴らせる女体」
「半分に切った半熟の煮卵を思わせる秘部」に「メンマ挿入」
もう想像力という名の翼に思いっきり風を受けて力強く羽ばたき、子どもたちの夢を乗せて、遠くお空の彼方へと飛び去ってしまいそうになるペガサス体質のオレを、「いやそういうことではない」と冷静なツッコみで現実に繋ぎ止めてくれた友人に感謝。あんときはありがとうマジで。
で、役所浩二が登場するわけです。こいつ、都会から流れてきたチンピラで、雄フェロモンムンムンのセクシーガイ。地元の若い海女さんを誘惑するんですって。「Shall we ?」って。そこんとこで、とれとれの生牡蠣かなんかを介して描かれる官能的映像が、もう凄ぇエロいんだそうですよ。
まあ、敢えて「タンポポ」を引用するまでもなく、「食欲」と「性欲」の2つは関連して語られることが多いようです。フロイトに言わせれば、共に一次的な生への欲求即ちリビドーとして同列です。「食べちゃいたいほど愛してる」なんて言い回しの意味するところはそれなりに実感できるし、「口に入れる」行為は確かに、愛撫のやり方として最も敬愛すべき部類に入ることにも深々と納得です。「目」が「露出した脳」ならば、「口」も「生殖器」も共に「露出した臓器」である点で同じだし。そういったあれこれを考えれば、「食」と「エロ」が親和性を持つこと自体は、さほど抵抗無く受け入れることができそうです。
「あ、じゃあさ、エロビデオ見ながらメシ食「アホか」
これって、「同一の対象に捧げる性欲と食欲」が類似した感情である、というだけであって、空腹時にセックスやオナニーしたくなるかっていうとそういうモンでもない。(※)
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