ロリータ・コンプレックス。
ウラジミール・ナボコフって作家が書いた、少女偏愛小説(読んでません)のタイトルが、このいかにもイカガワしいボキャブラリーの源であるらしい。
その内容はなんせ読んでないのでさておき、「モー娘。の低年齢化」も「さくらタンのエロ画像キボンヌ」も「ちぃタン…ハァハァ♪」も「妹属性」もみいんなひっくるめると、日本男性のロリコン人口が母集団の25%を占めるのは公然の事実(ビデオリサーチ調べ)だが、こいつこれで全くもって侮りがたい、環境破壊に匹敵する潜在的脅威なのだ。
外側からの大雑把な認識であることを承知の上でロリータ・コンプレックスを定義すると、「幼い少女に対する(上からの、多少屈折した)愛情」ということになる。些細なベクトルの差異に基づく批判的ご指摘は炎の如くあろうが、一般の認識はそんなモンだ。不幸にもマーシーが背負ってしまった、ピーピングという「カルマ」同様、いやひょっとしたらそれ以上にも、陰惨な犯罪に直結しやすいイメージを持ったジャンルであるだけに、世間の風当たりは容赦なく強く冷たい。全く健常で明朗な肉体と精神をもって、妹と一緒の「はじめてのおるすばん」を誠実に勤め上げている全国のソウクールな「お兄ちゃん」達がとても気の毒になる。
しかし、だ。
本来、種の存続を第一に指向するべき動物の本能に照らせば、オスのベクトル(比喩表現ですよ)は、生殖機能の成熟、つまりは多産に耐えうる頑丈な骨盤、体力を象徴する豊かな皮下脂肪、様々の受難を切り抜ける健やかな知性なんてものに、より強く太く長く固く反応してしかるべきなのだ。事実、太っていれば太っているほど美しいとされる価値観は、発展途上国を中心に数多く存在する。
ロリコンというカルチャーが讃美し崇拝するのは、その真逆の特質だ。顔面全体との面積比にして巨大な瞳、あるんだかないんだかな胸やケツ、あどけなく辿々しい仕草、人生経験及びボキャブラリーの乏しさがもたらす「足りない」もの言い(そのくせエッチなことには興味しんしん)。
これはいったい、なんでか?(堺すすむレスペクト)
それはね(レスペクト)、あらゆる文化芸術の発展が頭打ちになり、前進よりも維持、停滞の季節を迎えた現代社会に於いて、行き場を失い極限まで内圧を高めた人の欲望が、遂に禁断の方向へ向かって噴出しつつある、ということだ。 自己の複製の放棄、種の存続の否定、リインカーネーションの破綻、それがロリコンという指向の本質だ。
こいつは誠によろしくない。二酸化炭素とノックスとソックスに汚される空しかり、工場廃液や重油に蹂躙される海しかり、微生物分解されない永久可塑性樹脂で埋め尽くされる大地しかり。サンバルカンもブチ切れの環境破壊や銀次ウハウハの世界不況と同様に、ロリコンの発現と増殖も、人間という存在の種族的アポトーシスの、端的な一例なのである。
ほんでもって、ナニが言いたいかと言うと。
巨乳礼讃。
|