若かりし日のミーハーおだっち。
この写真、ようやく見つけ出してきた写真なのです、おだっちの実家から。
写真に写っている人が誰かわかる人は、きっと、この当時が懐かしいかも。
これが撮影されたのは、1985年春(のはず)。おだっちが中学2年から3年へ進級するときの
選抜高校野球での一コマ。当時、超ミーハー甲子園ギャルしていたおだっちは、
朝4時ごろ起きて、友達(プラスなぜかおだっちの妹)と甲子園まで朝から行くという
無謀なことをしていたもんだったわね。この日もきっと朝イチのPL学園の試合を見に、
朝っぱらから気合入れて行ってたんでしょう、甲子園に。しかも1回戦なんていう試合だった
のかなあ。お客さんいないしね。いつのどの試合なのか、調べればよかった〜。
当時の私達は、お目当てのチーム側の内野席の最前列の席を取ることにすべてをかけていました。
このときもそう。ベンチのすぐ側の席は確保が難しかったので、私達が狙っていたのは
ピッチャーが投球練習するところ。そうここが最高だったのだ。
この写真も、その席から撮ったもの。ここではいろんなピッチャーを見てきました。
本当はね、写真が見つかりさえすれば、投球練習してる清原選手なんかも載せたかったんだけど、
ゴメンなさい、この写真しかなかったです。
というわけで、これは、現在Gにいる桑田真澄投手です。当時はPL学園でエースでした。
5番バッターなんてこともやっていて、彼が甲子園で投げるのは2回戦以降のことが多かったはず。
ライトの守備位置についていた彼もよく見たものでした。
選手層、厚かったですからね、当時のPL学園。清原選手も、当時は4番バッター。
ファーストを守ってましたが、一度だけ、3年生の夏に、甲子園で登板もしています。
もともと彼も投手だったんですからね。
甲子園というところは、本当に厳しいところです。常に優勝候補と言われ続けた当時のPL学園。
連続出場できたことだけでも、実は素晴らしいことだと思うのですが、その上で、当時のPLは
甲子園での優勝まで期待されていました。しかし、この写真に写っている桑田投手が甲子園で
優勝できたのは、1年の夏と3年の夏だけ。2年の春が準優勝(優勝は岩倉)で夏も準優勝(優勝は取手二)。
3年の春はベスト4(優勝した伊野商に準決勝で敗れる)と、実は当時のPLを破っている学校も
あるんです。なんてことを書き出すと、おだっち、ミーハーだから、止まらなくなるぞ〜。
ちなみに、おだっちは、取手二高が大好きでした。1984年の夏。大好きなあまり、
選手の家に電話をかけたり
までしてました(電話番号、たまたまわかったりしたんで)。当時はテレカもない時代。
10円玉をみんなで集めまくって、友達同士、公衆電話から電話したりしてました。ひゃあ〜、恐ろしい。
・・・すみません、皆様のご迷惑になるようなことをしてしまって。と15年以上昔のことをいまさらのように
謝ってしまいます。そんな中。現在阪神にいらっしゃる取手二高の当時の主将、吉田剛選手は居留守も
使わないで、電話によく出てくださってました。ありがとうございます。
おだっちの中学1年〜3年は、本当に高校野球に一番力を入れていた時期。今もあの頃を思い出すと、楽しくなってきます。
当時つるんでいた友達はみんな今ごろ何をしてるのかなあ・・・。