何年か後・・・自分は高給優遇で知られる運送会社に就職し、更に辞めた後普通の会社での
仕事に就くことが出来なかった。・・・当たり前だ・・・給与が違い過ぎで働く気がしなくなる。
その後同級生である彼の家の事業(首都圏で3つの会社を経営)を手伝いに(就職)上京する。
久し振りの東京で夢と期待に胸を膨らませる。高校の頃東京の学校に推薦入学させて貰ったが
結局入学はしなかった。当時は都会に夢も希望も無かった。唯東京という大きなイメージしか・・・
彼の家が興している事業は3つの会社共に、官公庁が取引先で、主に都営住宅の補修工事を
をメインとする特定建設業、官庁や都の美術館の受付業務(警備業)、官公庁の受水槽清掃、庭園等の
池の清掃、施設維持管理や水質や大気の分析結果を証明する計量証明事業、排水管や公園等の
排水管清掃等等と手広く経営しているのです。
上京当時は毎日彼と2人で汗水垂らしながら、一生懸命仕事をしていました。
初めての仕事は多摩ニュータウンの空き家で、床にPタイルと言うゴム製(30×30cm)の床材を
貼り付ける仕事でした。当時の給与は日当¥6,500円で地方の日額給与に比べて良い金額
と満足していました。仕事も段々と高度な仕事へと移り変わる時、自分の適性を考える様に成りました。
都営住宅の空家補修の為に、大工、電話線撤去、襖、畳、ガラス等の雑工事を覚えました。
初めは釘が打てなく上司から、根性が曲がっているから釘も曲がるんだ!と言われて休み時間に釘の打ち
方を練習しました。その内に鋸や鑿も使って仕事が出来る様に成りました。
次はガラスの切り方、パテの補修、モルタルの詰め方と習い練習しました。塗装は昔バイクに乗っていた
頃、部品等の塗装をしていた為に得意な仕事です。会社にある5台の車を塗装した事があります。
仕事も複雑な仕事に成って来た時図面が読めず、仕事の適性と給与に不満を感じ、転職を決意しました。
転職する時彼は、お前が居なく成るのは、俺にとっては大問題だと焦っていましたが、
餞別をくれた事があったなぁ・・・
転職後休みの日お世話に成った会社に遊びに行った時彼は、暫く来なくても良いと機嫌悪そうでしたが
彼の両親(社長)に、また何かあったら戻っておいでと催促を受け手伝う縁もありました。
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