モモと時間どろぼう 劇団仲間
2003年2月20日


 新聞の鑑賞チケットプレゼントに応募して招待券を頂きました。ありがとうございました。
実は、この公演を見る数週間前から、「ミヒャエル・エンデの作品を読みなおす」というのがマイブームになっておりまして、私にとっては大変タイムリーな作品でした。ただ、原作となった「モモ」は思い入れの多い作品なので、イメージが壊れやしないかと、それだけ心配でした。

ストーリー
 「あてもなく旅する男」の前に、男とそっくりの男が現れる。同じ電車の向かい合わせの座席で旅しながら、そっくりな男は「モモ」の話しを始める。

 野原に住む女の子の「モモ」には、家族がいない。でも、かわりに大人や子どもの友達がたくさんいる。子どもたちはモモと一緒だと、道具なんかなくても楽しい遊びを次々に考え出せるし、大人はモモにゆっくり話しを聞いてもらうことで、日々の悩みを解消できる。モモの周りにはいつも友達がいる。
 ところが最近、モモに会いに野原にやってくる友達がだんだん少なくなってきた。
モモも、友達も気づいていないけれど、街の中に「時間どろぼう」が出没するようになったのだ。
時間どろぼうは、コートに丸い帽子をかぶった、表情のない男で、一人ではなく たくさんいる。でもみんな番号で呼ばれ、個性もない。時間どろぼうは人間の時間をかすめとり、それで自分の命をつないでいるのだ。時間どろぼうたちは街の人々を「立派な人間になって、人々から尊敬されるには、時間を節約しなければならない。今の生活では時間の無駄が多すぎる。節約だ!」と、脅し、どんどん時間を節約させる。しかしその存在は人間たちには気づかれない。時間を盗まれた人間の生活はだんだん味気ないものになり、みんな怒りっぽく、イライラしながら過ごすようになる。
 時間どろぼうにとって、目の上のタンコブはモモだ。彼女がいると、街の人は時間の節約を忘れてしまう。彼らはモモをどのように扱うか慎重に考えるが、早まった時間どろぼうの一人がモモに近づき、うっかり秘密を漏らしてしまう。
 時間どろぼうの秘密を知ったモモの前に、カメの「カシオペア」が現れる。「時間博士、マイスター・ホラのところに一緒にいきましょう。」

モモは時間どろぼうに盗まれた時間を取り戻せるのだろうか。


感想
 「イメージが壊れなくて良かった」です。
ただ、2時間と少しの時間では、やはり「モモ」の本に書かれている全てを語り尽くすのは無理だと感じました。はしょり方は上手でしたが、個人的に好きなところ(時間どろぼうが現れる前段の、「モモに話しを聞いてもらうことで、自分から答えが見つけ出せる」というくだりや、登場人物「ジジ」について)が省略されていたのがちょっと寂しかったです。ジジは一応舞台に登場しますが、掃除夫の「ベッポ」ほど重要に描かれていません。(というか、ベッポがジジの役割も引き受けてた感じかな)
 舞台が始まってすぐに、時間どろぼうの一人が「子どもってやつは、時間の節約など全く考えやしない。『早く起きなさい』『早く食べなさい』『早く支度しなさい』『早く宿題やりなさい』『早く寝なさい』 何を言っても早くやろうなんて考えない。」というような台詞を言いますが、それを聞いた瞬間、噴き出してしまいました。私の隣で同じ舞台を見ている男、SHUがまさにそんな日々を送っているからです。ヤツは時間どろぼうへの抵抗を、毎日地でやっていたわけです。

 時間どろぼうは「人と触れ合う時間」「読書や思索の時間」などをすべて「ムダ」と排除することを勧めます。
そのように生きてしまっている人は多いのかもしれません。生活のためそうする、というのもあるかもしれません。

モモは、時間博士マイスター・ホラのところで「時間の花」を見ます。人間の時間の1秒1秒がかけがえなくいとしいものだと体感します。
私たちの住む世の中には「モモ」はいませんが、例えばゆっくり考えたり、お茶を飲みながらボーっとしたり、本を読んだり、そんな時間、ちょっと立ち止まって「?」と思う時間そのものが、私たちの「モモ」であるかもしれないと思いました。ムダに見える時間が、人生を豊かにすることもあるのです。
マイスター・ホラの、モモへの台詞「お前の人生の一時間一時間が、私のおまえへのあいさつだ」これ、自分宛てのメッセージのような感じがしました。生活をやせさせることなく、時間を「大切に」暮らしたいものです。
でもでも、舞台を見て本を読んでいない人には、「本も読んで!!」と言いたいです。

若い俳優さんの多い、エネルギーあふれる舞台でした。舞台全体が、斜め(客席側に向かって傾斜している)になっているように見えましたが、傾斜した舞台での演技は疲れるのじゃないかな、と思いました。