
<寺田屋の場所>
伏見区南浜。京阪中書島から徒歩5分市バス中書島から徒歩1分。
見学料500円。時間10時から3時50分
電話075−622−0243
泊まれます。
時代的背景
19世紀〜日本はまだ鎖国をしていた。徳川幕府の力は衰えて行くばかりではあったが、まだ武士の時代であった。
そんな時に、アメリカの提督ペリーが黒船に乗って浦賀にきた。1853年のことだ。日本は騒然とした、戦争をしかけてくるのか、そうなれば到底勝ち目は無い。お上はどうするんだろう?と不安が日本を包んだ。外国はとてつもない、軍事力をもっているらしい。もう幕府ではだめだ。近年 幕府に対する不安と不満がくすぶっていたが、一気に加熱し、尊王攘夷の世論が強くなった。が、またその反動も大きかった。
京都の寺田屋は、薩摩藩士がよく利用する旅篭であった。
このやどは、そんな荒荒しい時代を見てきて、それを静かに語っている。江戸から、京にのぼり伏見から船に乗って川を下って、大坂へ行く。その川の辺に寺田屋はあった。いわば、駅前のビジネスホテル、ともいうかも。
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寺田屋騒動その1<1862年>
薩摩藩士有馬新七を首領とする九人の藩士と浪人集団が伏見の寺田屋に集まり京都襲撃の計画を実行しようとしていた。京都所司代の屋敷に斬りこんで所司代を殺し、中川の宮(のちの安政の大獄で隠居)を奉じて錦の御旗を上げ、島津久光を中心に京都を占領して天下の勤王の志士を集めて、江戸に打って出るという過激なものだった。
暴発に出た彼らは、島津の怒りをかった。島津が出した計画中止を伝えに来た薩摩藩士の忠告を聞かなかっため、主君の命令通り彼らを斬りつけた。
寺田屋騒動その2<1866年>
坂本竜馬は討幕が目的というより、天皇を中心とした近代日本を願っていた。勝海舟の弟子と成り教えを乞い、西郷隆盛、高杉晋作らと話し合いによって、薩長連合をつくり、幕府に勝つ事を目的とした。
そんな中で、寺田屋で、三吉慎蔵(長州藩)と飲んでいた時幕府の捕り方に囲まれていた。のちに竜馬の妻となるお竜がその気配を、感じて竜馬に危険を告げ竜馬は命からがら薩摩藩邸に逃げ込んだ。
念願の薩長連合ができたのは、その後である。
<二人の京おんな>
寺田屋の女将、お登勢は面倒見のいい女性であったそうだ。お竜は、身元の分からない女性であったらしいので、お登勢がその身元引受人になった。そのため、竜馬と結婚できたのである。お竜が竜馬の危険を感じたのは、彼女が入浴中の時であった。一刻を争そう危険な状態!早く知らせなくては。お竜が愛する竜馬を救う為最初にとった行動は竜馬の部屋へ行くことで、着物を着る事ではなかった・…情熱的です。
お竜さんの、竜馬以後の人生は、寂しいものでした。竜馬の土佐の家族とはなじめず、再婚しますが、それも幸せではありませんでした。