三国史経営学vol.002
『至弱より始まりすべての敵を崩し、やがて至強をも倒すに至る』
冒頭の言葉は曹操の初陣、184年 黄巾の戦い(黄巾党vs官軍)
齢30歳のときの言葉です。
実を言うと本当にこのようなことを言ったかどうかはわからないのですが、曹操は黄巾の戦いのときにまだ兵とはいえない身内のもの100名を率いて、官軍側に騎都尉(数ある武官の一つ)として戦いに赴きます。ただし、参加した時点ではそれこそ数多くいる武官の一人として参加しています。
このときの黄巾の戦いは決して、官軍が楽に勝てる戦いではなかったのです。長い腐敗の政治が続き、官軍と言ってもその中身は単なる義勇兵の集まりでしかなかったといいます。
それに比べて黄巾党の兵はその意気は高く、全員が太平道の教義の元に団結し、死をも恐れぬ狂信の軍隊と化していました。そんな黄巾党に対して官軍はなすすべもなかったのです。しかし、そのような戦いの中で頭角をあらわしたのが曹操、孫権、劉備の後の三国史の主役達でした。
でも、曹操の出発点は間違いなくこの時点なのです。彼はその言葉の通りまったくの至弱の軍を率いて始まり、その後、彼自身こそが漢帝国といえるところまでの軍を作り上げます。
これは曹操自身の目的意識の高さがなせる技ではないかと思えます。
このことを今の世の中に当てはめるとこの頃の曹操というのは若き企業家であり、腐敗した漢帝国というのは汚職はびこる現在の日本ではないかという気がします。そして、時代はまだ黄巾党が出現する前の漢帝国なのではないかと。
つまり、今はまだ若き企業家達にとっては伏龍の時なのではないか、そんな気がしてならないのです。
そして黄巾の乱に値する大きな乱があることで日本の経済も大きな転換期を迎えることになるのではないか? その大きな転換期を迎えたときこそ、世の中の伏龍達が世に放たれるのではないか? そんな予感が私の中にはあります。
それはいったいいつになるのでしょう。
こういうことを言うと不謹慎だと思われるのではないかという気もするのですが、今回のアメリカの対テロ対策のイラクへの武力行使がきっかけになるのではないかと思っていたりします。
今回の対テロ対策の武力行使を皮切りに北朝鮮への対応など、日本を取り巻く国際状況の変化が近い未来として起こることが予想されます。
この変化はこれまで海外に対して大きなアドバンテージを持っていた企業にとっては向かい風となるかもしれませんが、逆に中小の企業にとっては大きなチャンスとなりえるのではないか?
時代の大きな流れを感じ取る嗅覚を持った伏龍がどんどん現れるのではないか?
期待がどんどん大きくなります。
さて、では、大きな転換期がこなかったときはどうしたらいいのか?
ということになりますが、この場合は伏龍たちにとってはまだまだつらい時代が続くことになると思います。つまり、まだまだ大きな大乱にも耐えうる力を自分の中に蓄えていくことになります。
また曹操の話になりますが、黄巾の乱の前の曹操はどのようなことをしていたかというと曹操の一番最初の役職は北部尉でした。北部尉とは都の北門の警備隊長のことであり、長く繁栄を続けた漢朝にとっては閑職と言ってもいい役職でした。これは祖父の曹騰が宦官の中常侍(天子に仕え、後宮にも出入りすることができた高官)であることを考えれば、かなり低い役職といえました。
この時代では役職をお金で売り買いをしていました。それは時の天子が商売に対して非常に興味があったこともあります。そしてその制度を非常に活用した人達がいます。それは宦官です。
宦官は自らの性器を切り落とすことによって、天子の身の回りの世話や政事の補佐を行っていた人達です。
もともと高給である上に天子に最も近い立場ということもあり、その身の回りに集まってくる財は並大抵のものではありませんでした。
そしてそうして得た財を使い役職を買いまくり、自分の身の回りの人間に割り振っていったのでした。
そういった背景を考えたときに宦官として財をなし、天子に仕える宦官としてもそのときに実権を握っていた十常侍達に匹敵する権力を持っていた曹騰を祖父にもつ曹操がたかが北門の守備隊長という低い役職というのは当時としては考えられないものでした。
ですが、曹操が北部尉時代に行った業績としてはすさまじいものがありました。
北部尉本来の業績としてはその当時ないがしろにされていた北門の通行制度を正し、本来あるべき厳しい規則に戻しました。その内容はかなり過激だったようで、皇族や高官などでも容赦なく処罰したことから、鬼部尉とまで呼ばれ恐れられたようです。
ですが、その実、北門あたりの治安はよくなり、住民達は安心して商売ができるといった利点もありました。この辺は現代からするとなかなか想像しずらいのですが、当時の治安は私たちが思っているよりもかなり悪いもので、日中の往来で平然と強盗事件がおきたり、警備を行っている官吏自体も汚職まみれというような状態だったので、一番庶民に近いところから改善を行っていったというところはさすがというところだと思います。
また、北部尉の仕事以外でも十常侍や宦官がはびこる原因となった党錮の禁の調査、そして天子への上奏(天子に対する意見の具申)を行っていたりします。
曹操は既存の役割の中でも苛烈にその役目を全うすることで強力なリーダーシップを発揮していました。
とかく変化がない、チャンスがないと嘆く前に現在の役目を苛烈に実行し、またチャンスを自ら生み出していくといった強さが必要なのかもしれません。
参考資料:蒼天航路