(1)爆竹
フィリピンのお正月は信じられないぐらい鳴る”爆竹”で明けて、暮れる。0時前から、そこらじゅうで激しい爆竹の音が鳴りはじめる。鼓膜が破れるのではないかと思うほどの音だ。
人々は一回4000P (1P @2.3円=約9200円)もする花火を購入してご近所競い合うように打ち上げる。貧しい人でもこの日のために借金して1000P(約2300円:彼らの約5日分のお給料)
の花火を上げちゃったりするらしい。考えられないでしょう!!
次の日のニュースには大人、子供が花火で大火傷して病院に運ばれたケースが何件も痛々しく流れていた。日本のダンジリと祭りと一緒で毎年怪我人が出ても止めれないのねぇ。なぜそこまでして。。。と思わずにはいられない。
うちのホストファミリーはその辺、賢く、無駄なお金を使わずご近所の花火を見ながら楽しみ、我々は安い棒状の花火を購入して家の前でパチパチした。
(2)新年パーティ
0時過ぎて1月1日になってからAte Helenの実家へ。まだ爆竹の余韻が残り、そこらじゅうものすごい煙の中、Ate
Helenのお兄さんKuya DIKOの車で向かった。彼女の実家に着くとそこにはすでにたくさんの親戚が集まっていた。30人ぐらいはいたのではないだろうか。なんせ、フィリピンは大家族なのだ。そして何が始まるのか分からないまま、”Welcom!!”と部屋の中に引っ張られ中央の椅子に座らされた。狭い家の中でマイク登場!ガンガンに音楽が鳴り響き、踊りが始まる。新年パーティーの始まりだ。
歌って踊って、フラフラになった3時ごろ、突然音楽が止み静かになりATE HELENのお母さんとお父さんから孫達への一言が始まりまった。今年一年、孫にしっかり勉強するように。そして神に感謝して家族を大切にして過ごすように。
そして最後はATE HELENを中心に祈りが始まった。
実はこのとき、初めて知ったのだが、ATE HELENは神様の声を伝える特別な能力があるらしい。いわゆるカトリックの一派なのだが、新興宗教的なカリスマティックグループに所属し「GIFT OF TONGUE」という特別な能力を使いながら人を癒しているらしい。タガロク語でもない、英語でもない、どこの国の言葉か分からない言葉をものすごい速さで語りだす。ATE
HELENのお母さんは泣き出し、私は何が何だかわけが分からない。ただ彼らにとってはとても大切な祈りであることは確かだ。
最後は落ち着いたATE HELENが英語で私のことを祈ってくれた。「神様、私達のところにSAIKOを連れてきてくれてありがとう。彼女があなたの声を聞き、使命に向かって歩むことができますようにお導きください」と。嬉しくて胸がいっぱいになった。
ATE HELENの家族はみんなとても温かい。特にお母さんとお父さんは私を孫の一人のようにかわいがって下さった。この新年パーティ以来、私はちょくちょくこの家に行き、ATE HELENの親戚の子供達と折り紙などをして過ごした。
だた、この後、私にとんでもない事件が待っているとは。。。!!!
(3)この新年パーティの後の思いもかけないKUYAとのトラブル!
次の日の朝、ATE HELENがキッチンで悲しそうな顔をして料理をしている。何があったのか、理由を聞くと、KUYA NANIが昨夜、ATEが新年パーティに私を連れて行った事をひどく怒っているらしい。よく考えたら、KUYA NANI と NANAYはあのパーティに来ていなかった。。でも、あんな素敵なパーティに同席させてもらって私はとても嬉しかったのになぜKUYAは怒っているのか。別に怪しい場所に行ったわけではなく、ATE
HELENの実家なのに何が問題なのか、よく理解できなかった。
夕食後、1月の私の予定について話していたときに、KUYAが昨夜の件について切り出した。彼の言い分はこうだ。
「SAIKOは修道院から預かっている子だ。だからむやみに外部の人と接触させるべきではない。もし、悪い虫でも付いたら、修道院に申し訳が立たない。」そして彼は続けた。「SAIKO,.Bahay
Madre(修道院)と教会へ行く以外は外出してはいけない。」
「これは困った!!彼は私を完全に修道女候補だと勘違いしている。冗談じゃない!ここは腹を割ってきちんと話をしたほうがいい。」と決意し、KUYAに順序立てて説明した。
まず、「私は修道女にはなりません。そもそも、私はクリスチャンではありません!!」(そりゃ〜ごもっとも。クリスチャンでなきゃあ修道女にはなれないのですから) そして勢いよく続けた「私はフィリピンの文化を勉強に来たんです。いろんな人と出会って話をしたり、フィリピンの文化的な経験をしたいのです。一人で知らないところに出かけたりと危険なことをするつもりは全くありません。必ず修道院のシスターかKUYA、NANAY、ATE HELENが一緒の場合です。だから分かってください」と。
どれぐらい話しただろうか。3時間、いや4時間?それでも彼は最後まで”OK、分かったよ”とは言わなかった。”君は修道女になるんだから”と最後まで壊れたオモチャのように繰り返し言っていた。ここまで頭カチコチのガンコ兄さん、こうなったら戦うしかない。。と、この時決意したのだった。
それからの戦いは結構大変だった。私の行動は全てKUYAに報告しなくてはならなかった。子供達へ図工や音楽を教えに修道院やLearning for Living Centerへ出かけても、何時に出かけて、誰に会い、昼食は誰と何を食べて、何時にどうやってここに戻ったか、全てを聞いてくる。正直とても苦痛だった。
でも彼はとても責任感が強く、外国人である私が外を出歩いている時間が心配でたまらないのだ。私が危険な目にあってないか、悪い人に会ってないか、ちゃんと食事はしているか。だんだんそういった悪気の無いお兄さんの気持ちが分かってきて細かいスケジュールでも何でも素直に話せるようになった。気が付くとお兄さんも安心してきたのか、次第に質問が減ってきて少しずつ開放されていった。人間って不思議なモンですね。
しかし、今思うと、私のKUYAに対する態度はかなり問題があったのです。なぜならフィリピンでは上下関係がハッキリしていて目上の人が言うことは絶対で、面と向かって逆らうことはかなり失礼にあたるのです。でも自分の考えを言わなきゃ永遠に分かってもらえないですよね。(←これは日本人の考え)
(例えば、フィリピンで目上の人から誕生日会に誘われて、その日用事があっても面と向かってNOと断れないのです。でも当日来なかったりはするんですけどね。(笑))
でも、KUYAの子供は大変ですぞ。自分の道をほとんど自分で選べないのですから。
・・・と、この事件を始まりにして、KUYA NANIとはいろいろ言い合いもしたけれど、ある意味、本音で話せる相手となり、今でもKUYAは頼りになる良い兄です。



Kuya Nani と Harvey