☆Holy Weekはカトリックの信者には年間で一番重要な時期です。またこの時期は日本で言う、ゴールデンウィークのような連休を向かえ、多くのフィリピン人は家族と共に過ごします。また、最近では旅行に出かける人も多いようです。
◇Ash Wednesday(灰の水曜日)
◇Palm Sunday(枝の祝日)
◇Holy Thurday(聖木曜日)
◇Good Friday(聖金曜日)
◇Holy Saturday(聖土曜日)
◇Easter Sunday(ご復活祭)
◇Ash Wednesday(灰の水曜日):四旬節(Lenten seson)の始まり
さすがカトリックが85%を占めるフィリピンです。朝の6時のミサから沢山の人が教会にやってきます。
この日のごミサでは神父様がシュロの葉を燃やした灰にオリーブ油を混ぜたものを信者の額に十字に塗ります。この灰は人はいずれ死を迎え、灰にもどることを意味し、ご復活祭前に罪を悔い改めるという意味があります。
◇Palm Sunday(枝の祝日):復活祭1週間前 Holy weekの始まり
イエス様がエルサレムに入城された際、住民がシュロの葉を振って迎え入れたといわれ、これを記念して行われる行事です。フィリピンでは椰子の葉で編まれた飾りを信者が持ち教会に集います。ごミサの終わりに、司祭は聖水にをかけながら教会を回り人々のもつシュロの枝を祝福します。これは悪霊を追い払うものと信じられ、一年間、家に保管されます。
教会の外には沢山のシュロの枝が並び、とても美しかったです。
◇Holy Thursday(聖木曜日):最後の晩餐(The last supper)
この日はアンティポーロ大司教会で行われる聖香油の合同ミサに参加するため、朝3時に起床して、Nanay他、教会の人たちと一緒にジープニーを貸切って出かけました。教区の沢山の神父様と信者が集まり、教会は入り口も溢れんばかりの人でした。司教様によって聖水と聖香油が聖別されます。オーケストラが入り、音楽も迫力満点。とても美しい典礼でした。
また、この日はイエス様が十字架にかけられる前日の「最後の晩餐」が行われた日です。この中でイエス・キリストが”人に仕える者になりなさい”と言われて自ら弟子たちの足を洗われました。これを記念して、午後3時からのミサで司祭がイエス様となり、教会に奉仕する人が12人の弟子となって、司祭が人々の足を洗います(洗足式)
これはかなり感動しました。本来、弟子が主人の足を洗うものですよね。それが、逆に主人が弟子の足を洗うわけです。当時であればありえない、信じられない行動であったでしょうと思います。このように当時の価値観を打ち破り私達に互いに愛し合うことを身をもって示されたイエス様の姿をこの儀式で感じました。また、私の普段の傲慢さを改めて省みた瞬間でした。
この日のお夕食は最後の晩餐にちなんでか、チキンの丸焼きなどが出てちょっとゴージャスでした。
◇Good Friday(聖金曜日):主の受難(The passion of the Lord)
この日はイエス様の受難の(十字架に処せられた)日です。この日は町の交通機関も止まり、人々は静かな一日を過ごします。修道院は完全に沈黙の黙想の時を過ごしていました。
午後3時にはモンタルバンにある教会で十字架にかけられるイエス様の受難を偲ぶ祈りがあるというので向かいました。タガロク語だったので全く意味は分かりませんでしたが、説明によると、”Last
Seven words”といってイエス様が残した7つの言葉についての講義のようなものが神学者やシスターなどによって説明が行われ、その後、6つぐらいの福音を読んでいるようです。我々は立ち上がったり、座ったり立ち上がったりを繰り返すのでした。また、この祈りの最後に司祭がイエスとなり、我々が周りを取り囲む民衆となって十字架にかけられる瞬間を再現するところがありました。そこで最後に我々が「十字架に張りつけろ!」と大声で叫ぶのです。なんだかゾッとしました。
そしてこの祈りの最後に、信者は十字架の足元にキスをするために長い行列をつくります。これら全て約3時間。。長かった。。。
夜には修道院内にあるご聖体を別の場所に移し、一晩中沈黙の中、祈り続けます。朝まで、お当番で誰かがそこに居て祈っていました。
また、これは聞いた話ですが、パンパンガの辺りでは、この日、イエスの受難の苦しみを実際に体験するために実際に十字架を背負い、鞭で打たれるなど、自らの肉体に傷をつけ、最後には釘を手に打ちつけて十字架に掛かるという人がいるらしいです。ひとつの観光の目玉にもなっているらしいですが、実際に見た人の話ですと、あまりに惨すぎて見ていられないとか。そんなことをして、イエス様は喜んでくれるのでしょうかねぇ。。。ここに、ちょとt行き過ぎた情熱的なフィリピン人の信仰を見ることができます。
◇Holy Saturday(聖土曜日):Easter Vigill
この日も修道院は沈黙の日を迎えています。夜8時半ごろ「復活徹夜祭」があるというのでモンタルバンの教会に出かけて行きました。教会の前には焚き火があり、まわりは真っ暗。そして人々が大勢集まっています。
司祭によって、祈りがはじめられ、この焚き火から大きなロウソクに火が灯されます。そのロウソクに付いて人々が教会内に入ります。そしてこの大きなロウソクから信者は家から持ってきたロウソクに火を灯し、教会いっぱいが温かい灯火に満たされます。そのあと、暗闇の中、長いお祈りが唱えられた後、いきなり、教会の全ての明かりがパッ!と点けられ、十字架を覆っていた紫の布がとられ、ご復活の真っ白のイエスキリストが現れ、人々は「Papuri」(栄光の賛歌)」を歌います。この時うちのNanay(ホストマザー)は嬉しそうに白い美しい花束を祭壇においていました。人々が喜びに満たされる瞬間です。そして司祭から木曜日に聖別された聖水による祝福が行われます。また、この日、新たに7人の方が洗礼を受けられました。
当時、私は信者ではなかったのですが、実はこの「復活徹夜祭」には忘れられない思い出があります。上に書いたとおり、「光の典礼」である人々の持つロウソクは、希望の象徴でカトリックの信者達には非常に重要な意味を持ちます。ごミサに出かけるとき、シスター方もこのロウソクをもって行ったわけですが、私は信者でなかったのでもって行きませんでした。ですので、教会が光で満たされたとき、私は一人ロウソクを持っていなかったわけです。この時、なんともいえない孤独感に襲われました。今まで感じなかった信者でない自分に直面したのでした。そんな私に気付いたのか、隣に座っていたスペイン人のシスターが自分の持っているロウソクを差し出し、「一緒に分かち合おう」と言ってくれました。わたしは信者でないから良いと頑固な姿勢をみせました。でも彼女は、「私達は共に生活し、食事も祈りも分かち合ってきたじゃない。だからSAIKOが信者で無いからといってこのロウソクを分かち合えないということはない。」と言ってくれたのでした。このとき私は彼女の優しい言葉とまた、なんとも言いようのない孤独感で心が大きく動きました。この経験は私にひとつの気付きをあたえてくれました。”信者と信者でない者の違いは何か。”私は信者でなくてもイエスキリストを信じ、カトリックの教えから多くのものを学んで生きていました。ですから、わざわざ洗礼を受けなくても良いと思っていました。でも、実はロウソクの光を持たないこの時の姿と同じように、私は自分自身のなかには信仰の光はなく、イエスキリストを受け入れてはいなかったのです。これで自分の人生は良いのか。この日から自分の中にあるなんともいえない不安と孤独感の中、”洗礼”について深く考えるようになりました。
◇Easter Sunday(ご復活祭):春分後の最初の満月から数えて最初の日曜日
この日の朝5時ごろからマリア像とイエス様の像を乗せて行列するProcessionという行事が行われます。私も早起きをして教会に向かいました。教会の前の大通りにはものすごい人の行列です。まだ暗闇の中、飾り付けられたマリア像がとても美しく光っていました。最後は教会の前でイエス像とマリア像が出会い、教会の敷地に入ってきます。
フィリピンの子供たちはこのProcessionがとても楽しみらしいです。真夜中の「復活前夜祭」は終了が夜中の0時を過ぎるので子供は大抵参加できず、大人だけの場合が多いのです。ですからこのProcessionには多くの子供が集まり、また子供が天使の姿で聖歌を歌う場面もありました。
そして我々は午後にマニラにあるManalo修道院に行き、皆でEasterのお祈りとお祝いをしました。

教会はシュロの枝を持つ人でいっぱいです


