ここは6ヶ月滞在の中で一番思い入れのある場所となりました。

◇ミンダナオからの出発

 前にも書きましたとおり、この幼稚園はカナダ人のパトリシアさんによって設立されました。彼女達は元々ミンダナオの山奥で貧しい子供達のための幼稚園を始めました。しかし彼女達の活動を危険視する人々から命を狙われ、ルソン島のここモンタルバンに移ってきたのでした。パトリシアと設立当時から共に歩んでいるのがエルビーです。当時、彼女はミンダナオで教会のスタッフとして働いていました。そこでパトリシアに出会って現地語を話せ、地元に詳しいエルビーがお手伝いすることになったそうです。学校もない山奥の小さな町で活動は始まりました。

◇神学者パトリシア

 彼女は現在、Learning for Livingの取りまとめをする傍ら、神学者としてマニラの大学で教えています。彼女はミンダナオに来る前は長くイギリスの大学で神学を教えていました。そんな彼女とフィリピン。いったいどういった運命の出会いがあったのでしょうか。それは、カナダに帰ったとき偶然フィリピン人のシスターとの出会いにありました。それまでに彼女はいつか途上国で生活をしたいと考えていたのでこのシスターをからフィリピン聖心会のシスターを紹介してもらい、フィリピンの大学で神学を教える仕事を得たそうです。
 彼女に初めて会ったときの第一印象は、”パワフルな人だ!”でした。さすがこれだけのことをやってきた人だなと納得できる”熱”と”力”の持ち主でした。
この日、彼女に散歩に出かけようと誘われました。彼女はエルビーの2歳になる子供バーヤンを連れながら歩きます。そして、道端で4歳〜6歳ぐらいの子供がフラフラ遊んでいるのを見つけると近寄って優しくタガログ語で話しかけます。「君のお名前は?何歳かな?学校には行ってるのかな?」子供が就学の年齢で「学校に行っていない」というと、「なぜ行かないのか」と聞いて、Learning Centerに来るよう誘います。親が近くにいれば親にも彼に教育を受けさせるよう説得します。彼女はこの”親の説得”がとても大切だといっていました。特に教育を受けていない親はその大切さがなかなか理解できず、子供を学校におくろうとしません。
また、途中で、最近Learning センターを辞めた子供に出会いました。彼女は近寄っていって、なぜ学校に行かなくなったのかと尋ねました。子供は分からないという顔をします。近くにちょうど彼の母親がいたので彼女は引き続き母親に理由を聞きます。答えは「お金」でした。月たった40P(92円)のお金が支払えないのでしょうか。パトリシアはお金は無くても良いから彼を学校に行かせるよう母親を説得していました。

このお散歩の間に彼女の活動の原点を見たような気がしました。

◇ATE エルビーとの出会い

 エルビーは私にとってお姉さんのような存在です。彼女ほど温かい人にはなかなかめぐり会えないのではないかと思います。優しすぎて、ちょっと甘すぎるんじゃないの?と感じることもありましたが(特に息子に対しては!)彼女と一緒に居ていろんな話を聞くにつれて、彼女の温かさは今までの彼女の沢山の苦労経験が生み出したもので、それはとても深いものなのだということを感じました。

 彼女は現在、旦那様のロミオと2歳になるバーヤンの3人で暮らしています。夫婦共々ミンダナオからパトリシアについてやってきました。Learning for Living Centerの正規教員であり、指導要領から運用までパトリシアと二人三脚でやっています。

 いつも笑顔で優しいエルビーですが、子供が注意も聞かず何度も悪いことを繰り返すと、厳しく対応します。あるとき、ある子供がはしゃいで何度注意しても教室中を走り回り、友達にちょっかいを出すのでエルビーはその子をクラスの輪から離れたところに座らせました。「そんなことではもうこのクラスでお友達と一緒に勉強することはできません」この一言で、子供はわぁー!と大きな声で泣き叫びました。「そこにしばらく座っていなさい」と子供を残し、授業は続きます。子供はまだ泣いています。みんながサヨナラをするまでその子供はずっと離れたところに座らされていました。子供が帰った後、エルビーはその子と二人で静かに話をします。なぜそんなことをしてしまったのか。ヒクヒクと肩を震わせるほど泣いている子供の肩をさすりながら、反省を促していました。私は正直びっくりしました。子供がこんなに泣くなんて。彼はここの授業が大好きで楽しくってたまらなくて行き過ぎて騒いでしまいました。それだけにクラスに入れてもらえないのはものすごい辛かったのでしょうね。もちろん、その子供は次の日も元気いっぱいで学校にやってきました。良かったです。それにしてもちょっとは反省したのかなぁ〜

 ちょうど私がLearning センターでお世話になり始めたころ、彼女は夫のロミオの暴力に苦しんでいました。彼は毎日お酒を飲んで彼女に暴力をふるい、最後には息子のバーヤンにまで手を出したのでした。あまりの状況にどこかに非難させ保護したほうがいいという話まででていたぐらいです。フィリピンの男性はとても甘く優しいといわれますが、現実、アル中、ヤク中、暴力で苦しむ女性は多くいるようです。要は甘えているんですよね。フィリピンの女性はとても世話好きで優しいですからそれがかえって男を甘えさせているのではないかと私は思うのですが。暴力を受けても、「ごめん、許してくれ。君を愛しているよ」と甘くささやかれると、愛する者は彼をもう一度信じてみようと思うのでしょうね。そして何度も暴力は繰り返されるのです。。この問題は語るときりがないのでこのあたりで止めておくことにします。ともあれ、ロミオの場合、ミンダナオからエルビーと出てきてモンタルバンで生活していましたが、稼ぎはすべてエルビーにあり、自分はもっぱら子供の子守役だったことが男としてやるせなかったのではないかと思います。結局、彼は一人ミンダナオに戻り、そこでプランテーションの事業を始めたそうです。私が帰国する6月にはロミオもモンタルバンに戻って前と同じように家族で仲良くしていました。このままロミオが落ち着いてくれることを祈らずにはいられません。

 帰国前彼女にサヨナラを言った時、「あなたは私達の家族同然。それを忘れないでね。帰ってくるのを待ってるよ」といってもらいました。その場は「ありがとう」と言って笑顔でLearning センターをあとにしたものの、帰り道を歩きながら、見送ってくれたときのエルビーの優しい目や子供達のことを思い出してあふれる涙を止めることができませんでした。

◇Learning for Living Centerの子供達との生活

 私は大抵、エルビーのクラスに入ってお手伝いしていました。アクティビティーには私がいるということで折り紙を教えたり、その他工作、ネンド、水彩絵の具を使ったものを行いました。また、子供達にアルファベットの書き方を教える機会もあり、私にとっては絶好のタガロク語の勉強の場となりました。幼稚園の子供が話すタガロク語はゆっくりで比較的同じ言葉を繰り返すので初心者には非常に勉強になります。喧嘩の仲裁に入らないといけないときや、子供が言うことがあまりに分からない場合は、エルビーが通訳をしてくれます。とにかく英語でも日本語でも良いから彼らに話しかけようと思い、声を出すことを心がけました。そうすると不思議とコミュニケーションがとれて自然に彼らに打ち解けることができたように思います。私がたまにタガロク語を話すと子供は喜んでるのか、私のへんなタガログ語が可笑しいのか分かりませんがケタケタ笑ってくれました。一日、笑ったり泣いたりしている子供達ですが、彼らから沢山のことを学ばせてもらいました。彼らと過ごせた時間は一生の宝です。

 担当したクラスの中に一人特別気にかかる子供がいました。彼の名前はジェイソン。はじめは私を叩いたり、引っ張ったりしていたのですが、だんだん膝の上に座っていたり、肩にぶら下がっていたり、とにかく私にヘバリついてくる子供でした。大抵スキンシップを求めてくる子は愛情が不足しているという説がありますが、この子はこの説に当てはまる子でした。
ジェイソンにはお母さんがいません。ジェイソンのお母さんはジェイソンがまだ小さいころ、子供のクリスマスプレゼントを買いに大きな町に出かけ、その慣れない場所で迷子になり、行方不明になりました。捜索の末、ある山奥で半身焼かれて見つかったそうです。その時彼女はまだ息があり急いで病院に運ばれましたが、そのまま息を引き取られたそうです。ジェイソンのお母さんにいったい何があったのか分かりませんが、ジェイソンはそんな形で小さいころお母さんとお別れしたのでした。お父さんは再婚して彼には腹違いの妹ができました。でもその新しいお母さんとどうもうまくいっていないようで今はほとんどおばあちゃんと一緒にいます。ジェイソンのおばあちゃんはいつもジェイソンと従兄弟のジェロムを迎えに来ます。遊んでいる姿はごく普通の子供ですが、その心にはいろんな悲しみを抱えてるんだなと思うとなんだか切なく感じました。
 卒業式の練習では、自己紹介や踊るので舞台の前に出るのは絶対にイヤだといってなかなか聞かなかったジェイソンですが、本番は堂々と前に出ていました。とてもシャイで寂しがりやのジェイソン。。。これから小学校に進んでも、のびのびと豊かに育ってほしいと思います。


  

Learning for Living Center

左から私、エルビー, バーヤン、パトリシア