2003年10月14日(火) 「フィリピンに帰ってきた!」

 再びフィリピンに帰ってきました。 
空港にはこれからお世話になる修道院のシスター2人が迎えに来てくださっていました。
空港を出れば以前と全く同じ、EDSA St.の大渋滞。 渋滞の中、止まる車にお花や新聞、雑巾を売る子供や大人たち。 真っ黒な排気ガスを出しながら走るジープニ。 あー、フィリピンだ〜!

 6年半勤めた会社を辞め、いまやプー太郎となった私は念願叶ってフィリピンに戻ってきました。29歳、独身女性いわゆる「一世一代の賭け」の新しい人生の始まり?!とでもいうのでしょうか。そんなたいそうなモンじゃないですが、とにかく私にとって新しい生活の始まりです。

 9月15日に会社を辞めてから二日後、私は40度の熱を出して寝込んでいました。3日経って、ようやく37度ぐらいに熱が下がったものの、微熱が続き、変な咳をしだしていたのでした。
「病院に行きなさい!」という母の言葉を無視してベットに居たのは、いまや、プー太郎となった私には健康保険がなく、病院に行ったら莫大なお金を支払わなくてはならないという思いと、「高熱時に医者に行かずにここまでがんばったんだから、最後まで自力で治してやる」という妙な気合だけだったのだろうか。 と今振り返っています。でも、正直、とても辛く、貧しくて病院にいけない人の思いが良く分かりました。 

 注)私は親の扶養になるべく手続き中だったので、この時健康保険書がなくても、後で手続きをすれば後で負担した治療費は返金されるとのことでした。それは会社の総務の方から説明を受けていて、知っていたのですよ。(*^〜^*)

 ともあれ、結局完全復活するまでに3週間ぐらい掛かったでしょうか。まる2週間は、ほとんど家から出ず、ベットの中で人はこんなにも眠ることができるのかというほど寝ました。 その間、いろいろ考えていました。 そのときの私の思考をここで書くことはしませんが、(というか、理屈で語ることのできない複雑な思考のため、言葉に表すのは難しい)いろいろ考えていたわけです。

 「もう一度フィリピンに戻りたい」そういった時、家族は私のことをずいぶん心配して良く考えるようにいいました。 良い会社で働かせてもらっているのに、それを辞めてまで、フィリピンに戻るなんて、なぜなのか。 29歳にもなって結婚もせず、これからどうなるのか。 なぜフィリピンでないといけないのか。 他に代案はないのか。 それが多くの人の意見でした。 
 
 これから自分がどのような人生を歩むか私にも分かりません。 来年の私が何をしているか、どんな風に生きているか想像できないなんて生まれて初めてです。 あまりにも計画性のない、無謀な出発ではないかと思われるかもしれません。 しかし、私の人生の大切な探し物がフィリピンにあるような気がしてならないのです。 より意味のある人生を歩むために、フィリピンの人々から学ぶべきことが私にはまだまだあるような気がしてならないのです。 ここが私にとって理屈で語れない部分なのです。 

 「遠回りをしてもいいからあなたのやりたいことに向かってみなさい。」 最後に母から出た言葉です。

 あの高熱は医学的にはインフルエンザだったでしょうが、 私の中では そんな人生の大きな切り替わりを告げる熱だったように思います。

さあ、新しい生活の始まりです。 
これからはマニラのカムニンにある ドシェーン修道院に滞在です。