
陶芸の散歩道 (3) 晩学の奨め
大抵の習い事というものは、若い時から始めたほうが良い。
スポーツなどは、絶対若い方が良い。芸術的な分野でも、音楽などは3,4歳からの世界である。
基礎練習に,体力や運動能力を養ったり、使ったりする必要があるからである。
その点、陶芸は晩学礼賛である。勿論、若い時から始めて悪いことはない。
しかし、若い時に持ち合わせていなかったものが生きるということで、晩学もまた有効なのである。
4歳の子供に、幾ら天才教育だと言っても、陶磁器に興味を持たせること自体難しかろう。
人生を長く生きてきて、その間に培われた生活感覚や、様々な体験が、好みの器がどんなものかを決める。
好きな器があればこそ、それを自分の手で作ってみたいというところから稽古が始まる。
教室を訪ねる年輩の初心者の方々が、揃って口にするのは、
「こんな歳からでもできますか?」である。
百歳を越えて歩くのも覚束ないならともかく、50歳や60歳ならどうってことないと思っている。
「器を見たり、気に入ったものを買って使うのは好きなんですが、自分で作れたらもっと楽しいと思って・・・。」 それで充分である。
「私不器用でセンスがないから・・。」 これもよく聞く。
こう答えることにしている。
「器用な人がなめてかかるより、不器用と思っている人がコツコツと積み上げてゆく方が結局早道であることが多いようだし、センスは磨かれるもの、名手が作った名品を、これ好き、これ嫌いと自分に問いかけながら眺めていると、色々わかってきて、それがセンスにつながってゆくんじゃないんですか」。
縄文式からなら一万年、中国の伝来品を模倣しようとした奈良、平安からでも千年、そして、日本独自の文化にまで高めた安土桃山から四百年、大の大人たちが、時に命がけで連綿として代を重ねた職人芸である。一朝一夕に名手になれるほど生易しいものではないと思うべきなのだ。
だからこそ、ゆっくりと、しかし、その奥行きの深さに感動しつつ楽しめるのが陶芸なのである。
4歳で始める必要のない所以である。
さて、晩学礼賛であることはお分かりいただけたかもしれないが、何か稽古事を始める時、大人になって始める場合と、子供のそれにはひとつの大きな違いがある。
習い事には必ず基礎訓練が求められる。単調な繰り返しであることが多い。子供は嫌がらずにこれに順応するが、大人は直ぐに先に行きたがる。
ピアノの先生がよく言うことであるが、
「大人は直ぐに曲を弾きたがる。まだ無理だとわかっていても、今の私に弾ける曲はありませんか?って聞かれるね。」
子供にとっては、練習曲も曲である。色々なことを知っているわけではないから繰り返しに耐えるが、大人は知識や情報として知りすぎている。ショパンが弾きたい、リストが好きだの類である。
陶芸でも同じ、明日にでも唐九郎になりたいのである。
まあ、楽しく稽古してほしいというのが私の信条でもあるから、出きるだけ飽きないように進めてゆくのだが、やはり、多少は反復練習が必要であることは理解してほしいと思っている。
陶芸の世界では、「菊練り3年、轆轤6年、焼き一生」と言い伝えられている。この格言も、プロの陶芸家の内弟子となって修行を積む者には大事なことであろうが、陶芸教室でこれを言ったら、殆どの生徒さんは投げ出すに違いない。
そこで、私の教室では3ケ月を目途に轆轤に移ることを心がけている
勿論、充分な菊練りができているわけではないが、そこは大人のよいところ、理屈や体験で菊練りが不十分であることがわかると、俄然上手くなってゆく。
「何故?」を解からせてあげることが、ここでも大切である。
「芯だし」「土殺し」ができるように教えることには自信があるから、これで結構それらしきものが挽けるようになる。
取り敢えず「曲」に取り組んだことになるではないか。その時の嬉々とした表情を見るのも楽しい。
「暫くは真っ直ぐに挽きあげた湯呑みを作ってごらんなさい」
私もビギナーであった頃、湯呑み百個挽くまでは他のものは作らないと決め、本当にそうした。
一回に2,3個しか出来ない頃の百個は一年がかりの目標だったが、今なら半日もあれば充分である。
つい自分の体験を思い出して、湯呑み作りを奨めるのだが、
「そんなに沢山湯呑みがあっても困るんですけど・・。」と反撃を受けることになる。
粉引湯呑み 2001
きっちりとした湯呑みが出来ないうちに茶碗だ鉢だと言っていると、どれものが半端になってしまう。
湯呑みができれば、大抵のものが案外楽に作れるようになるのだが、そういうことを解かってもらることも大事な指導だと思う。
ここをくぐり抜ければ、後は楽しくなる一方である。
ことに主婦は、毎日の料理との関係で、あれも作りたい、これも作りたいの境地に入ってゆけるのである。
書道を習っていた、水彩画を描いていた、木工や彫刻が好きだった。
そのどれもが生きてくる。これまで生きてきた人生の全てが表現につながってゆくのだ。
だからこそ、晩学の奨めなのである。
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