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焼成の原理

素焼きの窯に火が入っている。
比較的大物ばかりを詰めた素焼きなので、いささかの緊張を感じながらワープロに向かっている。
趣味で購入した小さな電気窯を焚いていた頃にはあまり感じなかった緊張である。
それには幾つかの理由がある。
ひとつは、電気窯が持つある種の穏かさにある。
電気窯は、火で焼くというよりは熱で焼くものなので、器に与える負荷が少ない。だから、亀裂が入ったり、割れてしまうことも少ない。
ことに、趣味の小型窯では、炉内温度のばらつきもなく、全くと言っていいほど失敗したことはなかった。
もうひとつの理由は、器が小さかったことである。轆轤の技術が未熟で大物を挽けなかったからであるが、湯呑みや茶碗、精々中鉢くらいの作品であれば、滅多に事故は起こらない。適当な量を詰めて、内臓のコンピューターに温度推移をインプットしておけば、後は時間が経つのを待つばかりであった。

今、火の入っている窯はガス窯である。薪窯ほどではないにしても、火の厳しさは小型電気窯の比ではない。まして直径50センチを越える大皿や、高さが40センチ以上の壷などを詰めてあるとなれば、何が起こるか判らない。
それも腕のうちと言ってしまえばそれまでだが、轆轤を挽いている最中に、何があっても窯の中で切れない作品だと言える自信は今もない。
火の洗礼をくぐらねば作品にならない宿命を背負った陶芸の奥深さと面白さは、実はここにあると思う。誤魔化しや慢心を許さない関門があるからこそ、どこまでも初心を忘れるわけにはゆかないのである。

火を入れて3時間が経った。炉内温度は228度を指している。かなりゆっくりとした推移である。最初の課題、200度を越えつつある。この辺り危険領域である。前回にふれた被膜水が脱水し、やがて始まる素地に含まれた有機物が分解し、結晶水が解放される350度近辺にむかうことになる。
油断は禁物、その後600度近くで起こる珪酸質の膨張による破壊の危険を通り過ぎるまで穏かな昇温を維持しなければならない。
予定の750度、約10時間のゴールまでの大半は、こうした危険領域の無事通過に費やすことになる。

よく聞かれることのひとつに、
「何度くらいで焼くんですか?」がある。
端的に答えるなら、「私の場合、掛けた釉薬にもよるけれど、概ね1240度から50度くらいかな」になる。
しかし、この数字が単純な温度ではないことを説明するのは簡単ではない。
つまり、1240度の高温にさらしさえすれば焼きあがるのかと言うなら、そうでもない。
仮に1時間で1240度に昇温させられる窯があったとしても、器は焼けたことにはならない。表面だけが焼けた、言ってみればミディアムレアのステーキみたいなもので、生焼けでは器は水漏れしてしまうことだってある。
磁器と違って若干の通水性を持つ陶器ではあるが、年中水を張っておかねばならない花器が水漏れでは艶消しでもあろう。素地土が充分に焼き締まりってこそのやきものである。従って、
「1240度くらいで火を止めた」が正確である。問題は、その1240度までをどのような経過で焼いたかである。
温度板に記録をとってデーターとして保存することは、大抵の陶芸家がやっていることである。
縦軸の温度と横軸の時間、それに前回に書いたダンパーやドラフトの操作、それにガス窯の場合ならガス圧の操作などが記録される。
こうしたデータをトータルに見れば、焼成は温度ではなく、器に加えられた熱
カロリーの総量であることが判る。
望ましい結果を得るために様々なパターンで試されるが、これが正しいと言える焼成方法があるわけではない。窯によっても、陶芸家個人によっても千差万別であうr。従って、いつでも「これは私の場合・・・」と断って述べるべきことである。
私の場合、ガス窯ではおよそ24時間かけて本焼きするが、攻め焚き(還元焼成)に入るまでの焙りに15時間位かける。温度は900度から950度までである。この間は、俗に言う窯まかせでゆっくりと焙ることにしている。とりわけ、朝鮮伝来の粉引きを生掛けで焼くことをテーマにしている窯では、なお低温の慎重さに留意する。釉薬が溶け焼成の成否が決まるのは1000度を越えてからだが、低温でしっかりとカロリ−を加えておくことは、勝負に勝つための基礎体力とも言える。700度くらいまでは炉内も殆ど真っ暗で物が焼けている印象はないが、来るべき勝負の時に向かって着々と戦場を整える静謐さがある。
 
焙りから攻めに入って還元をかけることになる。ドラフトを抜いて煙突を短くし、ダンパ−を調節して炉内に燃焼ガスを膨満させ、内圧をかける。
色見穴から炎がほとばしるのはこの時である。窯焚きらしさが漂ってくる。
酸素の供給を制限するわけだから、昇温の速度は鈍る。まるで蒸気機関車が登攀線路を気息奄々で登るみたいなものである。
約10時間の間、焦れずに窯を信じて無闇な調整をしないことが肝要でもある。言うは簡単だが、実際にその場になると、何とかしたくなる。
ガス圧をあげたり、ダンパ−やドラフトに触れることである。 その誘惑に勝って必要以上の操作をしないことが焼成の正否を左右する。
最終の段階で一時的に酸化焼成を混じえることになるが、還元による煤けた雰囲気を消すためであり、発色の風合いを得るためでもある。

粉引きの白の発色に僅かな温かい赤みをひくのも酸化焼成を取りこむ効果である。 しかし、どんなことをしても、冷めて窯出しをするまで結果は見えない。焼いている最中に修正できない賭けにこそ、焼成の醍醐味がある。
火を止め、全てを封じて興奮覚めやらぬままに眠りにつく瞬間から、窯出しの期待に膨らむ新しい興奮が沸沸と押し寄せてくるのである。






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