| お友達のKazumiちゃんがルワンダへ行きました。私には未知の国…いろいろな事が知りたくなりKazumiちゃんにルワンダについて書いてもらいました。Kazumiちゃんの視点からでなく、データも添えてくれました。Kazumiちゃん、ありがとう! |
ルワンダ共和国
〔地理〕
「アフリカ大陸のへそ」と表現できる、赤道直下の小さな国(四国ほどの面積)であるが、平均標高が1600mという山岳気候ゆえ、大変過ごしやすい。四方をコンゴ(旧ザイール)、ウガンダ、タンザニアなどの国に囲まれた内陸国のため、輸出入に不利であり、石油や宝石などの資源もなく、貧しい国家である。
〔概要〕
首都:キガリ
人口:約830万人
公用語:キニヤルワンダ語、フランス語(元ベルギー領)
民族構成:フツ族90%、ツチ族10%、トゥワ族0.1%
〔歴史〕
ルワンダの地には農耕民族のフツ族が何千年も前から存在していた。15世紀、牧畜民族のツチ族が流入し、王国を築いた。ルワンダは、19世紀ドイツ植民地となり、第一次世界大戦後ベルギー統治領となった。ドイツ、ベルギーはツチ族の王政を支持し、政府の重要なポストや教育をツチ族だけに受けさせ、フツ族の不満は募った。
1994年、フツ族の反乱による、ツチ族大虐殺が世界的に報道された。この内戦、集団虐殺(ジェノサイド)により、100万人以上の人々が殺され、地雷や斧で手足を失った人々や、障害者が人口の1割もいるという。妻がツチであるフツの夫は、妻と子を自分の手で殺害しなければならない状況だった。
〔生活事情〕
2002年現在、ルワンダの政治状況は安定している。しかし、キガリなどの都市と農村地区の貧富格差は拡大しているように見うけられる。私達の生活した農村地では、大多数の家が土壁とバナナの葉の屋根でできている。電気、水道がつながっているのは一部の富裕層のみ。その富裕層所得ですら、日本人所得の1/10である。私と生活を共にした現地NGO幹部スタッフ30歳男性は、ルワンダ語、仏語、英語等5ヶ国語を話し、コンピュータースキルも十分あるエリートだが、彼の月給は2万円である。教育を受けていない農民は、月に3000円ほど。
では物価が安いかというと、そうでもない。1リットルの水が100円する。彼らにとって、どれだけ水が貴重か理解できる。生水を飲んで伝染病にかかり、死んでしまう人もいる。
〔識字教育〕
識字力とは、成人(15歳以上)の母国語の読み書き能力である。識字率が知的障害者などを除いて、ほぼ100%の日本にとっては、なじみの薄い言葉である。しかし、この読み書きができるという事は、大変高等な能力であり、世界人口の4人に1人は非識字者と言われている。
ルワンダでは、人口の約半分が非識字者(読み書きができない)である。日本と同じように小学校もあるが、貧困から学校に通えないでドロップアウトし、そのまま大人になってしまった人々である。
〔現地NGO〕
私達が参加したNGO団体は、農村地区に多い、そうした非識字者のための学校を設立、管理し、支援している組織である。スタッフは10人のルワンダ人。資金源であるスポンサーは、日本の民間団体や、個人寄付金からまかなわれている。
私の通う東京の某私立大学は、このルワンダ某NGO団体に縁があり、毎年夏休みに2、3人の学生を受け入れ、識字教育の現場を体験している。
ルワンダ活動報告
〔識字プロジェクト〕
日本人大学生の私達は、もちろん現地の先生のようにルワンダ語を教える事はできない。その代り、ルワンダ語を使って生徒たちと楽しみ、日本の理解を深め、勉強する意欲を持たせることが、私達の訪問の目的である。
〔今年の活動内容〕
私達はこのNGO団体が支援している識字学校のうち8校と、卒業後の専門学校2校を訪問した。
l
日本紹介
日本の小学生なら誰でも習った縦笛(ふるさと&おぼろ月夜)を演奏し、歌(上を向いて歩こう)を歌う。音楽は世界共通である。黒人のリズム感には感心する。すぐにこのメロディーを覚えてしまった。
また、ドラえもんがルワンダ語で日本の四季を紹介するポスターを披露した。生徒たちの反応は、「雪ってどんなもの?」、「秋には何が収穫できるの?」、「日本でも牛飼ってる?」、などなど、興味津々。
l
紙芝居
次にディズニー名作「ダンボ」の紙芝居をルワンダ語で披露。ルワンダ語の発音練習は何日も繰り返された。
「ダンボ」のストーリーを選んだ理由は、自分のコンプレックス(弱点)であった大きな耳が、友達の支えによって自分の大きな自信につながったというメッセージを何かしらつかんでもらうことであった。読み書きができない、片足がない、など様々な困難を抱えていても、強く生きていってもらいたい思いは通じた。「どんなハンディキャップがあっても強く生きていこう」と、ある生徒が発言していた。
l
カードゲーム
さて教室を出て、体を動かしてみよう。生徒たちにカードゲームを試みた。
日本人なら誰でも知っている「借り物競争」の「人間版」を実行。ルワンダでは、借りる「物」自体がないため、「白いシャツを着ている人」、「目が大きい人」、「ダンスが上手な人」、等が書かれたカードを作り、観衆の中から探し、手を握って二人でゴールするという仕組みの『借り人競争』にした。
カードをめくってすぐに読みこなす生徒もいれば、この程度の文字も読めずに立ち往生している生徒もいた。文字が読めなければ、こうして人に負けてしまう悔しさを味わってほしかったのも、一つのねらいである。ゲームは、スポーツ好きのアフリカ人、すぐにルールも飲み込み、気持ちがあせってころぶ人もあり、ゴールした後も、「えー、この子が目大きいですって!!」などと、お互いに大爆笑だった。
l
畑仕事
最後に、識字学校の庭に小さな畑を作ってもらい、日本の野菜(キャベツ・とうもろこし・えんどう豆・かぼちゃ・かぶ・だいこん)の種を植えてきた。先生と生徒が畑を準備してくれており、楽しみに待っていてくれた。時には、肥料や、水まで用意してくれていた。(ルワンダで水はとても貴重であるし、キオスク〔給水所〕から学校に運んでくるのも手間がかかる。)
ルワンダではほとんどが農業なので、やはり彼らの方が経験もあり、私達をリードする場面もあった。一緒になって泥んこになりながらルワンダに種を植えてくることが出来た。
l
ルワンダ農村の叫び・生の声
私達は、今回ルワンダの旅で、たくさんの笑顔と優しさに包まれ、この「インタビュー・プロジェクト」を実行しなければ、数年前、この人々が互いに殺しあったなどと、想像できずに帰国したことだろう。 しかし、ルワンダの明るく、優しい、「表の顔」だけでなく、事実として残る、冷たく、暗い、「裏の顔」に対しても、向き合う決心をして、ルワンダへ旅立った。
2日に分けて、様々な事情で、識字教室に登録しながら通えていない生徒たち(約10人)の「家庭訪問」及び「面談」を実行。
あの内戦で親を亡くし、10代で弟妹を育てている女の子は、学校へも行けず、自分の名前すら書くことがでない。また、彼らはマラリアに頻繁にかかるのに、治療薬が買えない。よって病気がちで、働きが少なく、生き絶え絶えに話する人もいた。
ボロボロの服を身にまとい、うつろな目をした彼らの生の声は、私達の胸を刺すような叫びに思えた。
「日本はルワンダに貢献してくれて、とても感謝している。ありがとう。でも、個人的にぼくの生活は、何も変わってはいない。」(ある男の子のコメント)
あの戦争で、親を亡くした子供たちは、、、、マラリア熱で働けないお父さんは、、、、字を読むことよりも、計算を習うことよりも、生きることで精一杯なのです。
流した涙の数だけ、この世界の人々を救うことができたら、ずっとずっと泣き続けよう。でも、そうじゃない。もっともっと勉強をしよう。やがていつか、私達の知識が、力が、彼らの幸せにつながるように。
以上 Kazumi より