満月の夜、チリーン、チリーン。
「何の音でしょう。」
「何処かの坊さんが托鉢でもしてるんだろ。」
とあるスナックにて。
山田はいぶかしげに言った。
「こんな夜中に托鉢なんて、変じゃありませんか。」
「別に不思議じゃないさ。なぁ、マスター。」
「さぁ、どうでしょう。」
斎藤はグラスの水割りを一気に飲み干すと、マスターに空のグラスを振って見せた。
「僕、お坊さんのイヤな思い出があるんです。」
山田が急に真顔になった。
「何だよう、そのイヤな思いでっていうのは。なー、山田。」
斎藤はかなり酔っている。
「イヤ、別に………。」
そう言うと山田はうつむき、カウンターの端っこを見つめた。
「何だよう、気になるだろう。言えよ、山田。言え。」
斎藤は強引に山田の肩をつかみ、揺さぶった。
「斎藤さん。止めて下さい。」
「いいから話せ、山田。」
「で、でも、きっと信じてくれないですから。」
「そんなこと話してみないと分からないだろう。」
斎藤はそう言うと山田の頭をコツンと小突いた。すると突然、山田は斎藤方をゆっくりと振り返った。そして、低い声で呟いた。
「それじゃー、話しますけど、恐いですよ。」
斎藤は、今まで見たことのない山田の目つきに、ゴクリと息を飲んだ。
「あぁ、話してみろ。」
「実はですね………。これから話すことは………。」
山田はそう言うと遠くを見るような目つきで天井を見つめ、再びゆっくりと斎藤の方をむいた。
「実は、実話なんです。」
「てめーふざけてんのか。」
斎藤は山田の胸元をつかんだ。
「そ、そんなつもりはないんです。あ、あ、偶然シャレになってただけで………。そんなつもりは………。」
「ならいいから、早く続きを言えよ。」
斎藤は手を離し、水割りを飲み干した。山田は一息つくと再度語り始めた。
「あのう、僕が小学校四年生の時のことなんです。
夏休みに友達と時を忘れて鬼ごっこか何かして遊んでたら、すっかり夕暮れ時になってたんです。それで、もう帰らなきゃならないと慌ててうちに向かったんです。
鬼ごっこしてた空地とうちの間には小さな林があったんです。僕はいつもはそこを通らなくて回り道をするんですけど、急いでたのでとっさに近道を選んでしまったんです。」
「それで。」
「しばらくいくと、泣き声が聞こえてきたんです。しくしくと悲しい声が。
それで僕は立ち止まって辺りを見わたしました。すると、小さなお坊さんがうずくまって肩をゆらしてたのです。その時はもうすっかり日が暮れてたのに、満月が皎皎とその子を照らしてました。その子はまるでマンガの一休さんみたいな格好をしてました。それで僕は後ろからゆっくりと近づいたんです。そして『どうしたの?』と声をかけると、その子が振り向いたんです。そしたら………。」
「そしたら。」
「その子に顔がなかったんです。つまり、のっぺらぼうだったんです!」
それまで真剣に聞いていた斎藤の顔が歪んだ。
「のっぺらぼう? バカいうなよ。のっぺらぼうだなんて、そんなものいるわけないじゃないか。転んで夢でも見てたんだろ。」
斎藤はそう言うと氷だけのグラスをカラカラ鳴らした。
「マスター、水割もう一杯。」
斎藤は口をニヤつかせながら、水割りに一口つけた。
「山田、いくらなんでものっぺらぼうはないだろ。」
「斎藤さん、全然信用してませんね。」
山田が真面目な顔をして言った。
「バカ、信用しろという方が無理だよ。」
山田の顔がしだいに強ばってきた。唇を噛み締めてながら、握り拳をぶるぶる震わせた。
「斎藤さん、でも本当なんだ。」
山田の目には涙が浮かんでいた。
「ど、どうしたんだ山田。飲み過ぎたのか?」
「本当に、本当にのっぺらぼうだったんだ。本当に………。
あー、僕は何てことをしたんだ!」
突然山田は頭を掻きむしりながら叫び、そしてうつむいた。
「な、何なんだ。」
「小刀があったんだ。うちに帰っても。べっとり血のついた小刀が………。」
「おい、どうしたんだ。」
山田は頭を掻きむしるのを止めた。そして静かに話しだした。
「僕はいつもそうなんだ。何かあるといつもいじめられて………。
あの日も僕だけが鬼役。捕まえると殴られて、捕まえられなくても殴られて。
あまりに惨めだった。自分自身にむしゃくしゃしてたんだ。
そんな時、あののっぺらぼうと出会った。
体が随分と小さくて、僕にはそののっぺらぼうが、奇妙な人形のように見えたんだ。
その時僕のランドセルには、たまたま工作用の小刀が入っていた。それを取り出すと、僕は彼の首をつかんだんだ。
そして彼に言ってやった。
『そんな顔じゃ、僕の顔を見れないでしょっ。』て。
僕には彼が震えてるのが分かった。それでも僕はやめなかった。
『僕が見えるようにしてあげる。』といい、僕は右手に握り締めた小刀を彼の目のあたりに突き刺した。、
彼は耳をつんざくような悲鳴をあげた。
それでも僕は彼の目の辺りの肉をえぐり取った。
そして今度は同じように、鼻の辺りを突き刺した。そして口をえぐり取った。
彼の悲鳴は僕の心臓に突き刺さるようだった。それでもやめなかった。もしかしたらその声は、その時の僕にとって心地好いものだったのかもしれない。
身体中血だらけだった。
それからしばらくして、僕自身そのことは、何か悪い夢だったのかとも思った。
あの時の小刀も林の中に捨てたきりだと思ってた。
でも違ったんだ。ある時、僕の机の引出からハンカチに包まった、あの小刀を見つけたんだ。血だらけの小刀を。
僕は、今でも彼の悲鳴を覚えている。」
山田の話を聞いて、斎藤は口が聞けなかった。体が細かく震えていた。グラスを振りながらマスターに言った。
「み、水をくれ。」
斎藤はそれを飲み干し、ハーァとため息をついた。
斎藤は思った。何て不愉快なんだ。これこそ悪い夢なんだ。この場はさっさと引き上げるのにこした事はない。
「マスター、お勘定。」
斎藤がそういったその時、ドアが開いた。
チリーン、チリーン。
「やっと見つけた。」
振り返った斎藤の見たものは、顔中傷だらけのお坊さんの姿だった。
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