「鯛の活き造り」

 

ある料理屋の一室。
 「社長、ここの鯛の活き造りは絶品なんですよ。」
 そう言うと山田はパンパンと手をたたいた。
 すると襖が開き、大皿を持った店員が入ってきた。
 「ほう、これは立派だ。」
 その皿は様々な海の幸で彩られていた。しかも、皿の真ん中には特別大きな鯛の造りが横たわっていた。その鯛は体を刺し身にされながらも、口をパクパクと動かしていた。
 「元気がいいですね、社長。」
 「全くだ。」
 「天然物でこれだけ大きい鯛はそうありませんよ。その上、ここの鯛は今朝取れた物をいけすに入れてその日に出しているので、活きが違うんですよ。」
 山田がそう言った途端、鯛はピタリと動きを止めてしまった。社長が残念そうに言った。
 「力尽きたか。」
 「いえいえ、口にお酒をかけると、また元気に動きますよ。」
 そう言うと山田はとっくりの酒を鯛の口の中に注ぎ入れた。しかし、全く反応がない。
 「変だなぁ。」
 山田は更に酒をドブドブッと鯛の顔に浴びせた。
 「情けない。………今では私も、このざまだ………。」
 突然、鯛が口を開いた。
 「た、鯛がしゃべった。」
 山田は悲鳴に近い声をあげ、社長は驚きの余り声が出ない。
 社長と山田は顔を見合わせた。
 二人とも今一体何が起こったのか、理解することができなかった。
 社長は次第に気分を害し、山田を睨みつけた。すると山田の表情はしだいに情けなくなり、うつむきうなだれた。
 「こんなことなら、………妻やこどもに言い残しておきたかった………。」
 再び鯛が言葉を発した。
 その言葉を聞いて、社長と山田は鯛の方を振り向いた。社長はいささかその鯛が気の毒になった。私と同様その鯛にも家族がいたのだ。
 「………社長さん、その人を責めないで下さい。………その人はあなたを喜ばそうと思って、………やったことなんです。………お願だから、その人を………。」
 そう言い残すと鯛は動かなくなった。
 ズッシリと重たい空気が流れた。
 今度はさすがに山田も酒を浴びせようとはしなかった。
 社長が目からドッと涙があふれた。そして、震える声で言った。
 「山田君、君の言う通りこの鯛は絶品だ。私は今とても感動している。
 自分の身を刺し身にされ、それを食べようとしている人に対して、優しさを見せるなんて………。素晴らしいじゃないか。」
 そして、山田の方に振り向き、
 「山田君、ありがとう。」
 と頭を下げ、山田の手を握り締めた。
 「とんでもないです、とんでもないです。」
 山田の目からも、止めど無く涙があふれた。
 社長と山田は全くその刺し身を口にはしなかった。しかし、その刺し身は二人の心を十分すぎるほど満足させたのだ。
 「山田君、もう今日は帰ろう。」
 社長は山田の肩をポンと叩くとスックと立ち上がった。
 レジで店員が言った。
 「7万9千円です。」
 社長が眉をしかめて呟いた。
 「クソッ、食べときゃ良かった。」

おわり


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