「たぬきバス」



  まもなく帰りの幼稚園バスが出発します。智絵ちゃんのお友だちはみんな庭に集まって
 います。おかたづけ当番だった智絵ちゃんも急いで帽子をかぶり、カバンを肩から掛けま
 した。バサッという音がしたのはそのときです。教室入り口に絵本が投げ込まれたのです。
 急いで廊下に出てみましたがだれもいません。首をひねりながら智絵ちゃんは絵本をめく
 ってみました。

   ぼくはタヌキです。タヌキは、いろんなものに化けられます。人間に化
   けるなんてかんたんなことです。

  智絵ちゃんはあわてて絵本を閉じました。
 (どうしよう。幼稚園にタヌキがきたら)
 「智絵ちゃん、早くお庭に出てください」
  先生が呼んでいます。智絵ちゃんは絵本をそのままにして玄関に走りました。
  駐車場からバスがゆっくり走ってきました。
 「あっ」
  バスのヘッドライトが、智絵ちゃんをじろりとにらみつけたのです。
  スルスルとバスのドアが開きました。智絵ちゃんにはタヌキが大きな口を開けたように
 見えます。お友だちがバスに乗り込んでいきます。智絵ちゃんも目をつぶってバスに乗り
 込みました。
 (タヌキにさらわれちゃうかも知れない)
  智絵ちゃんは足をバタバタさせました。
 「痛っ」という声が聞こえます。
 (あれぇバスがしゃべった)
  こんどは座席をこちょこちょっとくすぐってみました。バスが体をひねって走りだしま
 した。
 (やっぱりバスはタヌキだったんだ。私も友だちもさらわれないようにしなくては)
  智絵ちゃんはもう一度こちょこちょっと座席をくすぐりました。
 (あの信号を右に曲がりなさい。でないともっと強くくすぐるわよ)
  バスは体をよじりながら右に曲がって停まりました。お友だちが手をふって降りていき
 ます。
 (さあ、今度は公園の前で停まるのよ。言うこと聞かないと両手でくすぐるわよ)
  公園で智絵ちゃんは降りるのです。お母さんの姿が見えてきました。バスが停まると智
 絵ちゃんはお母さんの両手に飛びこんでいきました。バスはガスッと黒い煙をはいて走り
 だしました。
 「お母さん、こわかったよ」
  智絵ちゃんはさっそくタヌキのことを話しました。
 「そうだったの」
  お母さんと智絵ちゃんは手をつないで歩き出しました。
 「でもねえ、そのタヌキは悪いタヌキでないと思うな。だってバスが停まったときと発車
 するとき、バスがお母さんに頭を下げてあいさつしてくれたような気がしたもの」
 「でも……」
  智絵ちゃんはタヌキににらまれたときのことを思い出しています。
 「じゃあ、お夕飯を食べたら幼稚園の駐車場に行ってみようか。智絵の思っているような
 タヌキなら、今夜きっと悪いことをするから止めないと大変なことになるでしょ」
  駐車場に行くことはとてもこわいことでした。でも、もしお母さんが一人で駐車場に出
 かけたら、智絵ちゃんは一人でお留守番になってしまいます。


  お夕飯が終わるとお母さんの車で幼稚園の近くまで行き、そこからバスの駐車場まで歩
 きました。空にはまん丸のお月様が出ているので、懐中電灯を点けないで駐車場まで歩き
 ました。でも駐車場にはバスはなかったのです。
 「智絵、あそこを見てごらん」
  お母さんが指差したところはいつもバスが停まっているところです。ドラム缶や、外さ
 れた車の座席も置いてあります。
 「あの座席の上に何か寝ているでしょ。あれってタヌキじゃないの。しかも子ダヌキよ」
  お母さんが目を細めて言いました。
 「寝ているわ。近くに行ってみよう」
  お母さんに手を引かれ智絵ちゃんも歩き出します。靴音を響かせないようにして、タヌ
 キの顔が見えるところまで近づいてみました。小さく盛り上がったタヌキのお腹が月の光
 に輝いています。寝顔はタヌキというより子羊のようでした。子ダヌキは笛のような寝息
 をたてています。
 「泣き声みたいだね」
  お母さんが智絵ちゃんの耳元で言います。智絵ちゃんもそう思いました。
 「起こすとかわいそうだから、今夜はこのまま帰ろうね」
  お母さんと智絵ちゃんは静かに後ずさりしていきます。
 「やっぱり悪いタヌキじゃないわね。今夜から智絵の部屋で寝かせてあげようよ」
 「でも」
  智絵ちゃんは怖いと思いますし、自分の部屋のどこでどうに寝かせたらいいのかわかり
 ません。
 「智絵が赤ちゃんのときに使ったベッドがあるから、あれを掃除して使いましょ」
  お母さんがウィンクしました。
 「智絵は明日幼稚園に行ったら子ダヌキちゃんにそのことを話しておきなさいね」


 「読み聞かせの時間ですよ」
  先生が開いたのは、智絵ちゃんが昨日少しだけ読んだ絵本でした。先生はさっそく絵本
 を読み始めます。

   ぼくはタヌキです。タヌキは、いろんなものに化けられます。人間に化
   けるなんてかんたんなことです。ぼくはお母さんと町のお祭りに行く
   ことにしました。山の中までたいこや笛の音が聞こえてくるのでうきう
   きして出かけました。
   お母さんはサルビアの花の色をしたワンピースを着ました。

  先生の開いたページには人間に化けたお母さんの絵が描かれてあります。お母さんはと
 ても太っているので赤い服ワンピースがムームーみたいに見えます。
                             
   町に着くと、ぼくは焼そばや綿菓子を食べてみたり、たこ焼きを作
   る早わざをずっと見ていました。ところがです。ぼくがいろんなお
   店をのぞいているあいだにお母さんとはぐれてしまったのです。

 「さあ大変。お母さんとはぐれたタヌキはどうなったかな」
  それから先生の読んでくれた話では、子ダヌキはずっとお母さんをさがしましたが、会
 えなかったということでした。子ダヌキは警備のおじさんに、「赤い服を着た人を知りま
 せんか」とたずねました。でも、おじさんは「お祭りはこの町内だけじゃなくて、たくさ
 んの町がやっているからね」とだけしか答えてくれませんでした。
  そして絵本の最後です。子ダヌキの描いたお母さんの大きな顔とともに、
 
   ぼくのお母さんです。知っている人がいたら教えてください。
  
  という言葉が書かれてありました。
  もう智絵ちゃんはじっとしていられません。教室を飛びだすと、バスの駐車場まで走り
 ました。
 「昨日はくすぐったりしてごめんね。わたしも一緒にお母さんをさがすからゆるしてね。
 お母さんの絵とそっくりなポスターを描いてコンビニやパン屋さんや八百屋さんに貼った
 ら、すぐにお母さんは見つかるよ。」
  バスのヘッドライトがパッと光りました。
 「外で寝ていると風邪ひいちゃうから、私のおうちに泊まりに来てね。お母さんが泊まれ
 るように用意して待ってるから」
  ライトがいっそう明るく光りました。

  帰り道、智絵ちゃんはバスの座席をそっとなでました。お母さんがいつもこんなふうに
 なでてくれるからです。バスはプルプルプルーンと気持ちよさそうにエンジン音を響かせ
 ます。
 「夜になったらお迎えにいくから待ってて」
  お母さんの待つ公園が見えてきました。
 「あれっ、お母さんが」
  智絵ちゃんのお母さんが、白いボードを胸のあたりにかざしてこちらに向けています。
 そこには

      「子ダヌキちゃん、大歓迎!」

  とマジックインキで太く大きく書かれてあります。
  タヌキバスはヘッドライトとお尻のライトをパパッと光らせて、小踊りしながら公園前
 にすべりこんでいきました。



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