『伝言ゲーム』
四年生の修治が息を切らせて飛んできます。
「先生、ヤマカガシだよ。体がオレンジと黒だった。」
手にはスケッチブックも筆記用具も持っていません。後ろから走ってくる四人もどちら
かを手放していました。
「先生、ヤマカガシって毒蛇だよね。校長先生が話していたもの。」
千香先生のお腹に飛び込んできたのは美咲です。たしかに校長先生はヤマカガシを見つ
けたら近寄らないでと注意しました。でもイタズラをしない限り大丈夫ですとも言ってい
たはずです。
「さあ、落とし物を拾いにいきましょ。」
千香先生は美咲の背中をポンと叩きました。千香先生の後を五人が尻込みをしてついて
いきます。分校の四年生はこの五人だけです。この春から千香先生がクラスを任されてい
ます。シャクヤクを写生していた花壇に、スケッチブックや筆入れが散らばっています。
隣の農園にヤマカガシが現れたとのことでした。
「先生、ここは怖いから、他の所で花を描こうよ。」
美咲にそう言われ、千香先生はすぐ分校の裏に咲くオオイヌノフグリを思い出しました。
二ヶ月ほど前、えり巻きと手袋を離せないでいる千香先生に、春が来たことを教えてくれ
た花でした。オオイヌノフグリはそれからもずっとうす紫のじゅうたんを織りつづけ、分
校裏の草原をうす紫に染めていました。
「では学校裏の花を描きましょう。」
「あんなところに花が咲いていたかな。」
「たくさん咲いてるよ」
千香先生が先頭に立って分校裏へ歩き出します。オオイヌノフグリは五月の空を写した
湖のような色で咲いていました。
「この花はオオイヌノフグリというのよ」
「ちっちゃい花。」
五人は鼻先で笑いました。
「小さいのに一生懸命咲いているからすてきじゃない。」
「でもやっばりきれいな花が描きたいな」
「この花びらを見てよ。」
千香先生はこしをかがめてオオイヌノフグリの花びらに触れました。
「四枚の花びらが、大きさも、色も、模様もみんなちがうのよ。こういう花ってあまりな
いと思うの。」
それでも五人は「シャクヤクみたいに美しくないものな。」「名前もカッコ悪いし。」
と取り合いません。
「そうですか。」
と千香先生は指をパチンと鳴らしました。
「じゃあいつもの伝言ゲームをやるから横に並んでください。」
「え、こんなところで。」
五人があわてて並びます。口は尖っていますが瞳は輝いてます。
生徒にしっかり覚えて欲しいことがあるとき、千香先生は伝言ゲームをすることにして
います。算数でも、国語でもそうでした。先生が生徒に耳打ちした言葉を五人が正しく伝
えられるまでゲームは繰り返されます。
「ではいつものように修治君からね。」
千香先生は両手でメガホンを作り、声が漏れないように修治の耳元でささやきました。
次々に千香先生の言葉が伝えられていきます。言葉を耳にしたとたん五人の顔がしぼんで
いきました。
「さて先生は何と言ったでしょうか。」
伝言を最後に受け取った美咲が申し訳なさそうな声で答えました。
「オオイヌノフグリの花は今日一日しか咲けない花なのです。」
「そうなのよ。だからこんな綺麗にかがやいているのよ。」
千香先生が笑いながらうなずきました。
「美咲ちゃんが今思っていることを、今度は修治君まで伝言ゲームしてみなさい。」
美咲は口の中で言葉を整理してから両手でメガホンを作りました。美咲の言葉をつなげ
る生徒の瞳が光りだします。最後に言葉を受けた修治が美咲に向かって
「スケッチだけじゃなく、ここで色ぬりもしよう。」
と念を押します。美咲が大きくうなずきました。
「じゃあ水入れと絵の具を取りに行こう。」
くりくりっと瞳を輝かせて全員が校舎へと走り出します。
「みんなありがとう。花が喜びますよ。」
生徒の背中にそう言ってから、千香先生はひざまづきました。そして一番手前に咲いて
いるオオイヌノフグリに唇を近づけます。
「とてもきれいですよ。」
まるで伝言を託すように千香先生はつぶやきました。すると声を掛けられたオオイヌノ
フグリが隣の花に体を寄せたのです。小さな小さな声ですが、たしかに千香先生の言葉を
伝えています。そしてそれを隣の花が、また隣の花へと耳打ちして、千香先生の言葉を波
紋のように広げていきます。千香先生はうれしくなって思わず拍手をしてしまいました。
「みなさんどんな花よりきれいです。」
一面のオオイヌノフグリが歌うように揺れだしました。
「ありがとう。ありがとう。」
千香先生の眼の中いっぱいに、うす紫がほほえんでいます。
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