「妖怪ボウボロ」
晩酌をやっているうちに寝こんでしまったらしい。
喉の渇きで目を覚ましてギョっとした。
誰かの膝枕で寝ているのだ。
「目が覚めたかい。すぐ終わるからな」
あっ、ボウボロ。顔を見るのは一年ぶり。
ボクは舌打ちしながらボウボロを見上げた。
「随分お見限りじゃないか。お陰で髪の毛は見る影もなくなってるぜ」
ニャっと笑うボウボロ。
「いつもながら、あんたの頭は簡単でいいや」
「なに言ってるんだよ。そっちが一年に一度しか来ないからこんな頭になっちゃった。
置き薬屋だって年に二度は来るってのに、どうしてくれるんだ。責任とれ」
ボウボロはのんびりと返事を返してきた。
「あのさ、あんたの頭はね、家系の問題。ひーじいさま、じいさま、親父どのの頭、
思い出してみな。ここにある過去帳を見たって、あんたの家系は髪に縁の薄い家系だ
とはっきり書いてある」
ボウボロは分厚い過去帳をこれ見よがしにペラペラっとめくった。
カビの臭いが顔の上に散らばり、ボクはたまらずに体を起こした。
「あれっ。ボウボロ、今夜はどこかで飲んで来ただろう」
ボウボロはいつもより赤ら顔をしていた。
「飲んでなんてこないさ。あんたの寝顔を肴に、そこの一升瓶から少しいただいただ
けさ」
一升瓶の中身がひとこぶし分減っていた。
「飲まれても仕方ないだろう、あんた起きないんだから。膝枕での施術費用で換算す
れば、あと三合は飲める計算だ」
伸び放題の髪と細面の顔をヌッと突きだしてボウボロが言う。
眼も唇も2Hのエンピツで描いた線みたいにはっきりしていないけど、気持ちよさそ
うに酔っているのはわかる。
「そんなわけで一杯いただいくよ」
ボウボロが一升瓶に手を伸ばした。
「あぁいい酒だ。あんたに一つだけ偉いところがあるとしたら、それは酒選びだ」
ボウボロは一気に半分ほどを飲み干した。
が、それからボウボロはやけにしみじみとしてきて、コップの中身をのぞいているだ
けだった。
「ああ、わしは泣くぞ。これが泣かずにいられるかい」
突然の大声だった。
「なんだよ、いきなり。いやだね、泣き上戸かよ」
「好きな人ができたんだ。仕方ないだろう」
「女性を好きになって泣く奴があるか。自分の気持ちを伝えればいいことじゃないか」
「言えるようなら、わしはこうして酒など飲まん」
「しょうがねえな。その年で初恋でもあるまいし」
「いや、その初めてってやつだ。なあ、頼むよ。うまくとりもってくれないか。タダ
とは言わない、あんたの髪を若い頃みたい生やしてやろう」
ボクは生唾を飲み込んだ。
「そんなことができるのかい」
「十ヶ月増毛法で増やしてやるよ。一度にふさふさになっちゃ、わしだって、あんた
だって具合が悪かろう。秘法中の秘法だ」
断る理由などあるものか。
「一肌脱ごうじゃないか。で、どこの娘さんだい、お相手は」
ボウボロが照れくさそうに女性の名前を言った。
「のっぺら嬢さんだよ。とっても美しい人だ」
即、鳥肌が立った。
「ノッペラボウのように顔が無いのか」
「素顔のときはね」
「顔がないのに、どうして美しいのがわかるのだ」
「それは人間的な発想だ。顔なんか無くっても、美しさはわかる」
「どうして」
「心の美しさは全身からにじみ出る」
「わからないな。見えないものがどうして美しいと思えるんだよ」
「あんたは可哀想だね。まあ彼女に会ってみたらわしの言ってることがわかるさ」
ボクはそれ以上逆らわなかった。「十ヶ月増毛法」をふいにしたくなかったもの。
二日後、客のまばらな喫茶店。ボクはすぐ乾いてしまう唇をアイスティーで潤して
いた。
テーブルの上に携帯電話。
あの晩、酔ったボウボロは、さかんにのっぺら嬢へ電話してくれるよう懇願した。
「この携帯を使えばのっぺら嬢さんと話せるからさ、まず会ってみてワシの気持ちを
伝えてよ」
ボクは尻込みしていた。
「のっぺら嬢は口が無いのにどうやって話すんだい」
「あんたは屁理屈ばかりで困るね。いいからかけてみな」
ボウボロはのっぺら嬢の電話番号をプッシュすると、携帯電話をボクに無理矢理手渡
した。
電話はすぐに繋がってしまった。ボクは深呼吸をしてから話し出した。
「もしもし、のっぺら嬢さんですか」
「はい、さようでございます。どちらさま」
返ってきた声の涼しさにボクはとまどった。
「突然すいません。ボクはボウボラ君の友人なのですが、彼から大切なことづけを頼
まれましたので、お伝えするために会っていただければありがたいのですが」
胸の血管がドクンドクンと鳴っている。
「お仕事のヘルプを本部にお願いしたから、そのことについてかしら」
「事情は良く飲み込んでないのですが、とにかくボウボラ君に頼まれましたのでお会
いしていただければありがたいのですが」
「そうですか」
しばらく沈黙が続いた。誰かに全身をボディチェックされているような感触がした。
「わかりました。どこで会おうかしら」
そしてこの喫茶店を指定された。
いったいどんな女性なのか。やたら背筋が冷たい。
携帯に着信があった。
「もしもし、わたしですけど」
「・・・」
声が詰まった。
「お待たせしてすみません。これからあなたのお席にうかがいますけど、どんな顔で
まいりましょうか。お決めになってくださいな」
「顔ですか」
「ええ、あなたが思い浮かべたとおりの顔をつけてまいります」
急に思いつく女性の顔なんて無い。かろうじて自室の壁に飾ってあるポスターの女優
を思いだしたた。
「申し訳ありませんけどオードリー・ヘプバーンでは目立ちすぎます。もう少し平凡
なお顔にしてくださいな」
すまなそうな返事だった。
ボクは眉間にしわを寄せて考えた。平凡な顔か。会社の受付嬢なんてその類の女性な
のかな。おっといけない、と思い受付嬢の顔を目頭から消し去ろうとした。が遅かっ
た。
「お待たせしました」
受付嬢の顔をした女性が、テーブルの脇でボクにおじぎをし、向かいのボックスに座
ったからだ。その顔のそっくりなことと、しなやかな仕草に驚いた。
顔こそ受付嬢そのものだけれど、女性としての奥行きに各段の差があった。
シャツブラウスにシフォンの膝丈スカート。髪はゆるやかなアップにまとめて、小粒
のイヤリングが顎の線をきれいに引き立たたせ、女性の成熟度と清潔感とを程よいバ
ランスで漂わせていた。
ボクは腰を浮かせて丁寧なお辞儀をした。
「初めまして。ボウボロからの突然のお願いを聞いていただきありがとうございます。
それにしても、びっくりしました」
「人間の世界を歩く時はどなたかの顔を使わせてもらっています。素顔だともっとび
っくりさせてしまいますもの」
引き込まれそうな気持ちのいい笑顔だった。
「人間の男性と喫茶店で会うのは本当に久しぶりです」
ボクはのけぞった。
「驚かないで。わたしはもともと人間です。ボウボロさんもそうですよ。自分を高め
ようと努力を続けていると、やがて妖界に入って他人のために尽くせる人生を心おき
なく過ごせるようになるのです」
「じゃあボクも自分を崇高な人間にしようと努力さえすればお仲間になれるのですか」
「あなたは無理。だってあなたは劣等感で苦しんだことがないでしょ。わたしは自分
の顔に自信が無くて、暗い女だと思われたり、職場に馴染めないのは顔のせいだと思
って死ぬほど苦しんでいたのです。整形も考えたほど。でもある日、こんな考えが浮
かびました。美しい人に憧れよう、こんなとき美しい人だったらどうするかをいつも
考えて行動しようと思うようになったのです」
「はあ・・・」
「そうしましたらね、なんだか心が磨かれたらしく、元気に生きられるお礼を社会に
還元したくなったの。そんなある日、妖界の組織から人間の幸せのために役に立つ仕
事をしないかって誘われたのです。わたし自分の顔のことがトラウマになってました
ので、冗談ぽくノッペラボウでいいのなら是非って」
「それをまともに取られて・・・」
「はい。今は妖界の一員として善意の風を起こすお仕事に専従しています」
「善意の風、ですか」
「身近なところでは赤い羽根募金もそうですし、被災地への援助金募金も、世界遺産
保護活動もそうです。人の集まるところに出向いて、人様の心に善意の気持ちを育て
させてもらってます」
「つまり、募金が積極的にできるように人の心を耕すお仕事ですか」
「はい」
のっぺら嬢の全身が微笑んだ。
「ボウボロ君が言ってました。あなたは心の美しい人だって。ボクもあなたの笑顔を
今見て、そう思いました」
「ありがとう。ボウボロさんがそんなことおっしゃってくれましたか。うれしいです。
心の中で笑顔をこぼせるようになれたのは、妖界のお友達がとても素敵な言葉を教え
てくれたからなんですよ。たぶん聖書の中の言葉だと思います。妖界での生活では、
わたしは顔がないでしょ。だから胸の中で笑顔を作る練習をしていました」
「その言葉って、どんな言葉ですか」
「少し長いですけど、よろしかったら覚えてください。。
ほほえみは、お金を払う必要のない安いものだが、
相手にとっては非常な価値を持つ。
ほほえまれた者を豊かにしながら、ほほえんだ人は何も失わない。
瞬間的に消えるが、記憶には永久にとどまる。
お金があっても、ほほえみなしには貧しく、
貧しくても、ほほえみのある家は豊かだ。
ほほえみは、家庭に平和を生み出し、社会を明るく善意に満ちたものにし、
二人の間に友情をはぐくむ。
疲れた者には休息を与え、失望する者には光となり、
いろいろな心配に思い病んでいる人には解毒剤の役割を果たす。
しかも買うことができないもの
頼んで得られないもの
借りられもしない代わりに盗まれないもの
もし、あなたが誰かに期待したほほえみが得られないなら、
不愉快になる代わりに、あなたの方からほほえみかけてごらんなさい。
実際、ほほえみを忘れた人ほど、
それを必要としている人はいないのだから。」
体中が点滴注射を受けたときのようにポカポカしてきて、のっぺら嬢もボクも、しば
らく言葉の余韻を楽しんでいた。
「ありがとう。しっかりとメモして覚えることにします。ところで、ボウボロ君も何
か苦しむことがあって妖界に入ったのですか」
「ボウボロさんの家系は占いや卦のお仕事を代々やってきました。ボウボロさん自身
もさまざまな占いをやっていました。でも当たったり、当たらなかったりで自己嫌悪
と劣等感の板挟みになったようです。それでも、なんとか人間の幸せに役立つことを
やりたいということで、こちらにいらっしゃったと聞いてます」
「それがなんで人様の髪の毛の手入れなんてしているんでしょうね。お門違いじゃな
いですか」
「えっ」
のっぺら嬢が首をひねった。
「ボウボロさんは、世の中の占い師が不適切な道しるべをお客様に伝えないよう、占
い師のみなさんの直感を鋭くするお仕事をしてます。占い師さんの家をつぶさに回り、
妖界で会得した技術を指導しているみたいです。元々、そういう家柄に生まれた方で
すから、うってつけのお仕事ですよね。ボウボロさんのご活躍で、随分と占い師のみ
なさんの的中率がアップされ、救われる人が増えているみたいです」
「しかし、そんな仕事をしているボウボロ君がどうしてボクのところに来たのでしょ
う」
「ボウボロさんは、暇を見つけてはいろんな人々に降りかかる災いを取り除くボラン
ティアもしてます。ただし、その人が大切にしているもの一つを棄ててもらい、災い
を起こす妖界の者と取り引きをしてますけど」
「それではボクを訪ねてきたのは、ボクの髪を抜くためだったのですか。ボクを守る
ために」
「そうかも知れません。あなたに災いが起こることを察知すると、あなたの所に出か
けて行って、あなたを災いから守っていたのだと思います」
「どうしてボクにそんなことをしてくれたのだろう」
「もしかしたら、髪の薄さを売り物にしているあなたが気に入ったのかも知れません
し、髪が無くなったら今度は何を売りにするか見届けたかったのかも知れませんよ。
これ冗談ですよ」
ボクの頭髪を見てのっぺら嬢が優しく笑った。ボクも笑ったけれど、瞳の底から涙の
粒が押し出されてきた。
「わたしね、自分のお仕事のアドバイザーになっていただけたらと思って、以前から
ボウボロさんとお友達になれたらって思ってましたの。だからあなたが人間だと知っ
ていてもここに来たわけです。でも来てよかった。あなたの涙を見たら、人間のため
にもっともっとがんばろうって思いました。綺麗な涙をありがとう」
「恥ずかしいな」
ハンカチがないのでナプキンで涙を拭いた。
「ボクからもボウボロ君と仲良しになってくださるようお願いします。あんな顔です
けど、とっても良い男です」
「男の顔は女が作ります。ご心配なく」
のっぺら嬢がにこやかに、しかし、きっぱりと言った。
「ひとつだけお聞きしていいですか」
「はい、なんなりと」
「妖界には、わさわざ災いを起こす人もいるということですが、人間の幸せを追求し
ている妖界にあって、それっておかしくありませんか」
「だってそうしないと気づいてくれないのが人間でしょ」
涙が一気に乾いた。
一人で晩酌をしている。
あれから一月ほどが過ぎたというのに、ボウボロからは何の音沙汰もない。初恋はう
まくいかなかったのか。
「コトッ」
玄関で音がした。行ってみると一枚の葉書が投げ込まれていた。
仰天した。ボウボロからの転居通知だ。
「私、このたびローマ勤務を命ぜられ赴任いたしました。日本在職中にはひとかたな
らぬご厚情をたまわり…」
更に驚いた。
「なお、当地にて結婚式をあげ、新生活をスタートさせる運びとなりました」
葉書を裏返すとそこにはボウボロ夫妻のツーショット写真があった。ボウボロに寄り
添っているのは『ローマの休日』そのもののオードリーだ。蕾のように美しい。
携帯が鳴った。
「よう、わしの出したハガキ、着いたかね」
呆気にとられているボク。
「写真、よく撮れてるだろ。彼女がねえ、エヘへ、あんたに感謝したいと言って、あ
の顔にしたんだよ。転勤が急に決まったもんで、挨拶やら礼を言う間もなくてね。悪
かった」
「そんなことはいいんだ。幸せになってよ。二人してたくさん幸せになってよ」
「約束の十ヶ月増毛は、わしが専門の者に頼んでおいたから安心してな。近々あんた
の家に専門の者が行くから」
ボクは思わずのけぞった。
「ボウボロ、それだけはかんべんしてくれ」
「遠慮はいらんよ」
「いや、遠慮なんかじゃない。髪が増えれば、災いに狙われる」
「なんだって」
「いや、気持ちだけありがたくいただくよ。とにかくボクは今の頭が気に入ってるん
だ」
それだけ言うと、ボクは磔(はりつけ)にあう罪人のように叫びだした。
「助けてくれぇ。助けてくれぇ。髪の毛なんかいらないよー」
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リメーク作品 「妖怪ボウボロ」少年編
誰かが体を揺すっている。豆電球にして寝たつもりなのに蛍光灯がまぶしい。
「あっ、ボウボロ」
思い切りふきげんな声を出すボクに、ぼさぼさ頭の妖怪は「いよ、ひさしぶり」と
右手をあげた。
「何してたのさ、ずっと来ないで。おかげでパパの髪はすっかり薄くなったじゃない
か。参観日なんて、僕のおじいちゃんと間違えられたんだよ。髪の毛を生やすのがボ
ウボロの仕事でしょ。ちゃんとしてよ」
ボウボロがつまらなそうに言葉を返してくる。
「あのさ、あんたの親父さんの頭はね、家系の問題。ひいじいさま、じいさま、思い
出してみな。ここにある過去帳を見たって、あんたの家系は髪の毛に縁のない家系だ
とはっきり書いてある」
ボウボロは分厚い過去帳をこれ見よがしにペラペラっとめくった。カビくさい匂い
とともに少しだけお酒の匂いも運ばれてきた。
「あれっ。ボウボロ、お酒を飲んでるでしょ」
のぞき込んで見ると、ボウボロの顔がいつもより赤い。
「わかるかね」
伸び放題の髪と細面の顔をヌッと突きだしてボウボロが言う。眼も唇も2Hのえん
ぴつで描いた線みたいにはっきりしていないけど気持ちよさそうな表情はよくわかる。
「あんたの親父さんに一つだけ才能があるとしたら、それはおいしいお酒を選べるこ
とだ」
「またお父さんのお酒をだまって飲んだ」
僕は口をとんがらせたが、ボウボロはすまし顔のままだった。
「好きに飲んでいいと言ったのは君のパパだよ。盗っとみたいなこと言わないでくれ
よ」
ボウボロはクヒッと喉を鳴らせると急にしんなりと肩を落としてしまった。
「ああ、わしは泣くぞ。これが泣かずにいられるかい」
突然の変わりようにボクはうろたえた。
「好きな人ができたんだ。おまえにだけは教えてあげる」
「えっ、ほんとう」
「本当は酒など飲んでいる場合じゃない」
「もう告白したの」
「いや、その、あんたうまくとりもってくれないか。こういうことは子どものほうが
うまくいくと思うんだ。タダとは言わない、親父さんの髪を若い頃みたい生やしてや
ろう」
僕はベッドに正座しなおした。
「ほんと。そんなことができるの」
「少しずつ生える増毛法で増やしてやるよ。一気にふさふさすると周りがびっくりし
ちまう。友だちに髪増やしのカリスマがいるから頼んでみるよ」
「僕、なんでもやるよ」
びっくりするほど弾んだ声だった。
「それじゃあひとつ、頼まれてくれ。彼女の名前はのっぺら嬢さんというんだ。とっ
ても美しい人だ」
「えっ、ノッペラボウのように顔が無いの」
「素顔のときはね」
「顔がないのに、どうして美人だってわかのさ」
「顔なんかなくっても美しさはわかる」
「どうして」
「心の美しさは全身に出る」
「わからないな。見えないものがどうして美しいと思えるんだよ」
「言葉で説明するより、まあ彼女に会ったらわかるさ」
ボウボロは2Hの目を一層細めた。
次の日、学校に行っても気が気ではなかった。ボウボロとの約束は友だちにも言え
ないし。
五時間目の授業が終わると、みんなはがやがやと教室を出て行く。マラソン大会の
選手はグランドに降りていった。生活委員の僕は今日から、みんなが持ち寄った新聞
の切り抜きを模造紙に貼り付け「教室新聞」を作らなければならなかった。生活委員
は全部で四人。けれどそのうち美咲ちゃんと太君が、市内の学校対抗マラソンの選手
なので、今日は奈緒ちゃんと二人だけでその作業をしなくてはならなかった。
美咲ちゃんはもうトレードマークのポニーテールを揺らして校庭を走っている。体
にぴったりしたTシャツと短パンで空気を突き裂くように走っている。
僕はクラスメートから預かった新聞の切り抜きを机の上に並べ始めた。隣の席で奈
緒ちゃんも同じことを始めだした。土曜は、美咲ちゃんと太君の応援に行かなければ
ならない。奈緒ちゃんとじゃつまらないけど、生活委員会のときに四人で約束したこ
とだからしかたない。
教室新聞作りは一時間で終わり、僕はのっぺら嬢との約束の場所にやってきた。初
めて一人でファミリーレストランに入った。
「いらっしゃいませ。お一人、ですか」
「あとから姉がきます」
ボウボロに教えられたせりふを言ってボクはウエイトレスの後についていった。
「じゃあ、お姉さんがいらしたらご注文をお願いします」
テーブルにはランチタイムのメニューが置かれた。僕はドキドキしながらカバンか
ら携帯電話をとりだすとテーブルの上に置いた。
あの晩、ボウボロはのっぺら嬢に電話してくれるよう両手を合わせてボクを拝んだ。
「この携帯を使えばのっぺら嬢さんと話せるからさ、まず会ってみてわしの気持ちを
伝えてよ」
「のっぺら嬢は口がないのにどうやって話すの」
ボウボロはのっぺら嬢の電話番号をプッシュすると、怖い物でも放り出すように携
帯電話をボクに投げてよこした。電話はもうつながっていた
「はい、どちらさま」
「突然すいません。僕はボウボロのおじさんから頼まれたんですが、えーと」
すぐに言葉がつまった。
「お仕事のことで本部にお願いしたから、そのことについてかしらね」
胸が苦しくなってボウボロを見たけど、ボウボロは頭の上で両手を合わせているだ
けだった。
「すいません、よくわからないけど、会ってお話しをさせてほしいんですけど」
「また突然ですね」
しばらく沈黙があった。
「わかりました。どこで会おうかしら」
携帯が鳴っている。
「こんにちは、わたしです」
「……」
たくさんのお客さんがわいわい話しながら食事をしているというのに、ボクだけ無
人島にいるような心細さだった。
「これからあなたのお席にうかがいますけどどんな顔でまいりましょうか。お決めに
なってくださいな」
「えっ」
「あなたが思い浮かべた顔にしてそちらにまいります」
「そんなこと言われたって…」
「じゃあ、君のガールフレンドとか、あこがれている人の顔なんてどうかしら。その
子が大人になったときの顔をつけていきます」
僕のアイドルといえば美咲ちゃんなのに、頭に突然うかんできたのは奈緒ちゃんの
顔だった。
「奈緒ちゃん、生活委員の子ね、わかったわ」
いけない、もう一回やり直します、そう言おうとしたが電話はもう切れていた。
「お待たせしました」
そこにはほほえみを浮かべたお姉さんが立っていた。お姉さんは「びっくりしたで
しょう」と言って向かい側の席に座った。
「わたし、人間の世界を歩く時はどなたかの顔を使わせてもらっています。素顔だと
もっと驚かせてしまうから」
もしかしたら、これが大きくなった奈緒ちゃんの顔。
「そうよ、奈緒ちゃんの将来の顔です。こんな顔になるなんて想像できないでしょう」
僕はうなずいた。奈緒ちゃんはたしかにやさしい子だけど、特に付き合いたいって
思ったことはなかった。でも将来こんなに美人になるなら、美咲ちゃんより奈緒ちゃ
んをと思ってしまいそう。
のっぺら嬢さんは僕のために苺パフェを注文してくれた。
「ファミレスで食事するって久しぶりだわ。わたしはもともと人間ですし、ボウボロ
さんもそうですから」
ボウボロからそれは聞いてきた。
「どうしてあなたが妖怪なんですか」
「あら、女性の妖怪はたくさんいるのよ。みんなボランティアのプロなんです」
「妖怪って、いたずらをする人たちや気持ちの悪い人たちじゃないわけですか」
「それは漫画やアニメの世界でしょ。ボランティアを最高にやりやすくするために特
殊能力を持った人のことを妖怪というのよ」
「じゃあお姉さんもすごい力を持っているのですか」
「私は今、善意の風を起こすお仕事をしています」
「風」
「人の集まるところに出かけて、みなさんの心に善意の風を吹かせるお仕事です。た
とえば赤い羽根募金や被災地や世界遺産保護活動への援助金募金なんかもそうです。
人々の善意に訴えかけて、善意を形にしてもらってます」
「どんどん募金したくなるような気持ちにさせる仕事ですか」
「はい。ボウボロさんなんてもう十年以上妖怪をやっているから尊敬してしまいます
ね」
「人間の髪の毛を生やす仕事を十年もですか」
「えっ」
のっぺら嬢さんは首をひねりながら言葉を続けた。
「ボウボロさんのお仕事は、いろんな人々に降りかかる災いを取り除くことです。た
だし、その人が大切にしているもの一つを捨ててもらってますけど」
「じゃあボウボロさんはパパや僕たちを守るために、パパの髪の毛を抜いていたの」
「そうかも知れません。災いが起こることを察知したのであなたの所に出かけて行っ
たのだと思います」
「どんな災いだったんだろう」
「例えばお父さんの居眠り運転とか、たばこの火が原因で火事になるとか、いろいろ
なことが考えられるわ。ボウボロさんにはどんな不幸が起こるのか分かっていたはず
です」
「それなのに僕はボウボロさんにひどいこと言ってしまった」
僕はもうしわけなくて肩を縮こませた。いきなり涙が絞り出されてきた。
「お願いします。ボウボロさんのお友だちになってあげてください。僕、ボウボロさ
んの役に立ちたいです」
のっぺら嬢さんからハンカチが差し出された。
「わたしね、お仕事のアドバイザーになってほしくて、前からボウボロさんとお友達
になれたらって思ってたの。あなたと会ってボウボロさんへの興味がまたまたふくら
んできました。こんなにきれいな涙を流してくれるお友だちを持っているなんてすば
らしい人ね」
のっぺら嬢さんのハンカチがふわっと涙を吸い取ってくれた。
「ボウボロさんにはのちほど私から電話してみますね。ところで一つ質問していいか
な。ボウボロさんはどうしてお友だちになったの」
僕は去年の運動会の日から話し始めた。たまたま校門前を通りかかったボウボロは
そこに出ていたお店でフラッペを買うと喉をうるおしながら運動会を見物していた。
ちょうどボクの「借り物競走」がスタートしたときだった。僕は一番早く走って封筒
を開けた。
「それでどんな借り物だったの」
のっぺら嬢さんが表情をわくわくさせて聞いてきた。
「帽子でした。僕はゆっくりグランドを走りながら当てはまる帽子をさがしました」
「条件も書かれてあったのね」
「はい。フラッペを食べていたボウボロさんの帽子がぴったりでした」
「帽子の条件は何だったの」
「ぼろぼろでよれよれの帽子、と書いてありました」
のっぺら嬢さんは声を殺さずに笑った。
数日後、学校から帰ると郵便受けに僕宛の手紙が入っていた。
「ボウボロからだ」
僕は急いで封を切った。封筒の中には写真が入っていて顔中くしゃくしゃにしたボ
ウボロと、美しい女性が写っていた。写真の裏に何か書かれてある。
ボウボロです。おかげさまで仲良くなれました。大切に付き合っていきたいと思
います。ありがとう。
薄くて読みづらい字だ。その隣にとてもきれいな文字が書かれていたからなおさら
だった。
このあいだはありがとうございました。ボウボロさんにいろんなことを教えても
らいながら楽しく過ごしてます。今日の写真は将来の美咲ちゃんの顔で撮りまし
た。
写真を手にしながら、ボクはうなってしまった。やっぱり美咲ちゃんはすごい美人
になるんだ。困った。これは困った。
土曜日は絶好のマラソン日和になった。
約束の応援ポイントまで出かけていくと、もう奈緒ちゃんが来ていてピクニックシ
ートの上にはランチボックスと水筒が置かれていた。
「もう女子はスタートしているわよ」
のっぺら嬢と会ってからというもの、奈緒ちゃんがそばにいると僕は妙にそわそわ
するようになっていた。
奈緒ちゃんから渡されたコーラを飲んでいると、あたりが騒がしくなり、カメラを
構える人たちが道の両側にひしめきだした。白い一団が走ってくる。
「美咲ちゃん、頑張って」
奈緒ちゃんが大声で応援を始めた。大人たちにはさまれながら、奈緒ちゃんは何度
も何度も飛び上がって声をはりあげた。飛び上がるたびに段カットした髪がサラサラ
と鳴った。
目の前を通過していく美咲ちゃんはきりりと胸を張って走っている。一瞬だけ僕ら
の方を見たけど、すぐに前のランナーの背中に目をやった。
「美咲ちゃん、頑張って、美咲ちゃん、頑張って」
奈緒ちゃんが必死に声を張り上げる。僕は奈緒ちゃんの横顔に釘付けになった。
携帯メールの着信音が鳴った。ボウボロからだ。
今日の美咲ちゃんはりりしいですし、奈緒ちゃんの応援する姿もさわやかです。
君はとても男の子らしい顔つきです。みんなそれぞれの青春がスタートしまし
たね。
僕は沿道に身を乗り出してボウボロを探した。姿はどこにもない。僕は人混みをぬ
って走り出す。ボウボロに会いたかった。
「おーいボウボロ、僕はどうなっているんだ。おーいボウボロ」
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