チャンチャカチャカチャカチャンチャンチャン、
チャンチャカチャカチャカチャンチャンチャン、
チャンチャカチャカチャカチャンチャンチャン、
チャラララッチャンチャンチャン、チャンッ!
「こんにちは、「叡知 愛のなぜなに講座」略しまして「愛の講座』の時間です。
解説は私、叡知と、アシスタントのHIさんでお送りいたします。
「こんにちはぁ、HIでぇす。
愛ちゃん、白衣がカッコイイですね。
あぅぅぅ、いきなり青竜刀で殴るのはひどいのですぅ。」
「HIさん、先生と呼んでね。
さてHIさん、第1回目の講座は「本の広場で語ろう」メンバーの
陸上クラゲさんから頂きました年賀メールに書かれておられた「子不語」の
お話について考察してみましょう。
では、どんなお話だったか読んでいただけますか。」
「エヘヘ、朗読はあまり得意じゃないのですけどぉ読みますねぇ♪
{浙江地方に一目五(いちもくご)先生という五匹連れの妖怪がいた。
四匹には目がなく、一匹だけが目を一つ持っていた。
四匹は一目先生の後に続いて歩き、その号令に従った。
人が眠っているところに近づいてにおいをかぐ。
一匹にかがれると病気になり、五匹全部にかがれるとその人は死んでしまう。
ある旅籠に忍び込み、一匹が一人の客のにおいをかごうとすると、一目先生が
「その男は善人だ。かいではいかん」
と言った。
別の一匹が別の客のにおいをかごうとすると、
「それは福分のある人だ。かいではいかん」
さらに他の一匹が他の客のにおいをかごうとすると、
「その男は悪人だ。かいではいかん」
「では先生、どいつをやりましょうか」
四匹がそうきくと、先生は眠っている客のうちの二人を示して、
「あれとあれがよい。善いことも悪いこともせず、福も縁もない」
四匹がそのうちの一人の客に群がってにおいをかぎはじめると、一目先生も
それに加わった。
客の寝息が弱くなるにつれ、五匹の腹は膨れ上がっていった。}
と言うお話でしたのですぅ。」
「はい、よく読めましたね。
じゃぁ、HIさんはこのお話についてどう思われましたか?」
「えっとね、よく聞く昔話でしたら悪人が妖怪に嗅がれて死んでしまい
悪事を働かず善いことをしている人や、普通に生活をしている人は難を逃れたって
内容が多いのに、善人と悪人が難を逃れて、普通の人が嗅がれてしまうと
いうのが不思議なのですぅ。」
「はい、その通りです。
どうやらその辺りにこのお話の本質が隠されているようですね。」
「へぇ〜」
「では、お話の取っ掛かりとしまして、先ずは「一目五」という妖怪について
考えてみましょう。
HIさん、この5匹の妖怪からなにか思いつくことはありませんか」
「えぇっと、えぇっと、あっ戦隊シリーズですぅ♪
あぅぅぅぅ、ですから青竜刀で殴るのはひどいのですぅ。」
「陰陽五行説ですね。」
「それ知っていますぅ、世の事象を五つに分類して、それぞれの特徴や
繋がりを区分、説明しましたものですぅ。」
「あら、よくできました。」
「えへへ、これでも東洋医学の勉強はしましたのですよぉ。」
「さて、陰陽五行説と言う名前は聞いたことはない方でも
『木・火・土・金・水(もく・か・ど・きん・すい)』というのはお聞きになられた
ことがあるのではありませんか。
また色なら蒼・赤・黄・白・黒(それぞれ木・火・土・金・水に対応)の五つで全ての色を
作り出すことができますし、方角なら東・南・中央・西・北となり、季節なら
春・夏・土用・秋・冬となります。
こういった事象、空間、時間、行動、人体、病気など様々なものを五つに分けて
原因や結果、対策、説明を行うためのものなのです。
そうです、先ほどの妖怪が5匹なのもこの考えに即したものと考えられますね。」
「へぇ、そうだったのですぅ。」
「HIさん、頭は生きているうちに使った方がいいですよ。」
「えへへ、照れちゃいますぅ。」
「では、陰陽五行説に従って妖怪に当てはまるのは何ですか。」
「えぇっと、えぇっと、あっ、一匹だけ目がありますのですから
『五きょう(漢字が判りません・・・。)』か『五根』の『目・舌・口(唇)・鼻・耳』かなぁ・・・。」
「はい、よくできました。
お話の中では一匹のことと、嗅ぐという説明しか成されていませんでしたが、
それぞれに舌を持つもの口(唇)を持つものなどが居たと推測できますね。
見ようによっては舐めたり、吸ったり、聞いたりする姿は嗅ぐと言った
動作に似ています。
そこからお話として判りやすい嗅ぐと言った動作に集約された可能性が
考えられます。」
「へぇ、妖怪は判りましたのですけどぉ、どうして悪人を嗅がずに、
普通の人を選んだのですかぁ?」
「そこがこのお話の最も重要なところです。
では、HIさんはネズミ小僧次郎吉って人を知っていますか。」
「知っていますぅ、江戸時代に盗んだ小判を貧しい町民の家に投げ込んで
いった義賊ですぅ。」
「そうですね、では、彼は善人ですか、悪人ですか」
「えぇっと、貧しい人を助けたのでsからぁ善い人ですぅ。」
「でも、法を犯しているのですから悪人ではないのですか。」
「あっ、それはそうなのですけどぉ・・・。」
「じゃぁ、殺人犯にとって彼を弁護するために無茶苦茶な理由を繰り出す
弁護士はどう。」
[「えぇっと、えぇっと、犯人から見れば味方ですからぁ善い人に
なりますぅ。」
「では、被害者から見ればどう?。」
「もちろんムチャなことを言う悪い人なのですぅ。」
「まさにそうですね、同じようにこの妖怪が言っている善人、悪人と
言うのは、あくまでも人間の尺度で言う善悪のことで、みようによっては
善にも悪にもなってしまうものなのです。
東洋医学で言うところの「陰陽」と言うのは、ここから陽でここから韻と
はっきりした分け方ではなく、陽の中でも韻と陽に分けることができ、
韻の中でも韻と陽に分けることができる、双方のバランスが取れた状態が
最も理想的なものであるという考えなのです。
例を上げますと、男性(陽)の中でも女性(韻)のような男性もいて、女性(韻)の
中にも男性(陽)のような女性もいるといったところです。
何を基準にするかで韻と陽が変わってしまう、絶対的なものではなく
相対的なものだと言うことですね。」
「ふぅん、でもね、でもね、だったら善でもなく悪でもない人を嗅ぐ
理由もないんじゃないのですかぁ?」
「そうです、良いところに気がつきましたね。
つまりは、ここで言っている善、悪と言うのは善いことをする気の力を
持っている、悪いことをする気の力を持っているというものなのです。
それは生きていくための力を持っている、生きようとする気の力を
持っていると言えるのです。
五行に当てはめるとなんと言う項目になるかは判りませんが、近い所では
『五志』の『怒、喜(笑)、思(慮)、憂(悲)、恐』なんかが近いのでは
ないかと思います。
「だとしましたらですねぇ『善いことも悪いこともせず』と言う人は中庸で
バランスの取れた人とも考えられるのではありませんのですかぁ?」
「そうですね、一見そのように思えるかも知れませんが、ここで言っている
『せず』と言うのは『しない』のではなく『できない』という意味と
考えていいでしょう。
ですから『善いことも悪いこともせず、福も縁もない」』と言う人は
何の気の力も持っていないことになります。
気の力と言うのは、人が生きていく上ではとても重要なものと考えられて
います。
それが無いのですから、、近々死に至る人間と言えますね。
それを見極めて引導を渡すのが、彼らの役目なのではないでしょうか。
この5匹の妖怪は、西洋で言うところの死神に当たるものなのかも
知れませんね。
「へぇ、陰陽五行ってなんでも判るんですねぇ。」
「いえ、私だから判るのですっ。」
「あのぉ・・・」
さて、皆さん第一回講座はいかがでしたでしょうか。
また、次回の『愛のなぜなに講座」でお会いいたしましょう。」
「バイバ〜イですぅ♪」
注1)作中に登場しました人物は一部フィクションであり、実在する人物等とは
全く関係はありません。
注2)陸上クラゲさんが「本の広場で語ろう」に投稿された原本は こちらです。
注3)愛先生が青竜刀を持っている理由は こちらです。