私は「でんちゃん号」の艦長である。
名前はまだない。
などとどこぞの小節のような書き始めになってしまったが、先日出場した
「2003年 近畿水泳大会」の後悔・・・いや、航海日誌を読んで頂こうと思う。
これは、滅多に見せるものではないのだが、これらを開示する事によって
世間の我々に対する認識を深めて頂く一助になればと言う考えの元
公開に踏み切った次第である。
西暦2003年7月6日(日)、我が「エンタープライズ号」は・・・、「でんちゃん号」は
今期初試合となる「近畿水泳大会」に出場すべく、母港を後にした。
今回の会場は大阪光明寺の「ファイン大阪」と言うプールで開催されたので
あるが、いつも車で送って頂いているクラブの方が出場時刻の都合で
我が艦の出航時刻に間に合わない恐れがあるため、電車を乗り継いでの
会場入りとなった。
ただ、監督会議に出られるIさんに手引きをして頂けたので航路を迷う
恐れがなくなったのは感謝の限りである。
午前4時30分と言う時間帯起床しなければならなかったのは少々辛いものが
あったが、航海自体はノンビリとしたものであった。
8時過ぎに会場のファイン大阪に入港する事ができ、早速試運転
(アップね)に向かう。
最近の艦の整備状況は決して万全の状態とは言えないものの、週1回の
練習はきちんとこなし、軽いものではあるが筋トレによるメインエンジンの
パワーアップも図っておりいつもの大会より期待は高い。
ただ、惜しいかなバタフライの練習は練習場所の問題で全く行っていない
のが不安材料ではあるが、25mと短距離なので、少々の事があっても勢いで
切り抜けられるだろう。
そのための筋力アップなのだから。
さてさて、艦の艤装(あっ着替えの事ね)を済ませてプールに向かい、
障害者の施設には付き物の、スロープを使って船体を水に沈めて行く。
そのまま近くのコースに進むのであるが、あっ浅井!
1mぐらいか!
視覚障害者専用のコースに行き、アップを始めるのであるが、後ろから
泳いでくる他艦に衝突される事、事。
まぁ、我が艦も遠慮なく前を進む艦が停まった所に突っ込んで行くので
あるからお互い様と言ったところである。:笑:
両サイドの壁の所では「合図棒]を持った役員の方が待機してくれて
いるのであるが、いかんせん泳いでいる艦の数が多く、皆5m?辺りで
停まる事になり、合図棒が届かないのである。
さて、適度に試運転をした所で、スタート練習に行く事にする。
どの大会でも1コースはスタート(飛び込み)練習用にコースを取ってくれて
いるのである。
まぁ、ほとんどが1コースしかなく、反対にスタート練習をする艦が多いため
晴天の祇園祭のような混雑になっているのだが、全くしない訳にもいかず
一回だけは飛ぶようにしているのである。
実は、大会前の1ヶ月はクラブの方でスタート練習もしてくれては
いたのだが、我が艦の性格上、参加しなかったのである。
どうもこの艦は多人数が集まるのは好まないようで、実に困った性格である。
コースを移動し、プールサイドで順番を並び、コース台に乗った所で
俄に艦の循環ポンプ系が出力をアップさせている。
レッドゾーンに突入してはいないものの緊張しているのであろうか?
まぁ、毎度の事ながらも仕方のない事ではあるが・・・。
役員の方の合図とともにコース台を蹴って飛び出したが、なんだこの
スタートは!
勢いが全く感じられず、ふわぁぁんとした気の抜けるようなスタートでは
ないか!
いくらなんでも酷いものだ。
しかも潜りすぎているではないか。
これではブレスト(平泳ぎ)の深度だ。
うむぅ、練習をしておいて正解だったようである。
まぁよい、本番でちゃんとスタートしてくれれば問題はないのであるからな。
さて、せっかくだからバタフライをさせておこうと思い立ち、残りの距離を
クロールからバタフライにチェンジさせた。
そうして両手がリカバリーに入った直後、左メインエンジンに異常が
発生したのである。
船体の異常な振動、そして各メーターがレッドゾーンに跳ね上がったのだ。
私は艦内マイクを取り、機関室に報告を求めたのであるが、それは私を
震撼させて余りあるものであった。
なんと左メインエンジンの上方への仰角が充分に取れないのである。
無理に上げようとすると、強い付加がシャフト(肩ね)にかかり、下手をすると
シャフトが使いものにならなくなる恐れがあると言うではないか。
破壊される事はないにしても、痛みからいつもの出力は望めないようだ。
今更どうしようもない事で、騙し騙し使うしか仕方あるまい。
機関長からはいつもの「私は責任持ちませんからね!」と怒声が帰ってきたが
彼の口癖で、任せておけば心肺はいらないだろう。
しかし、毎度毎度大会毎にエンジンの不調を訴えているが、改善された
試しがない・・・。
しかも、回数を重ねる毎に酷くなっているような気すらしている。
まぁ、艦齢も新造艦とは口が裂けてもいえないのであるから、しかたがないと
言えばそうなのではあるが・・・。
丁度25mを泳ぎ終わった所でアップ終了のアナウンスが入った。
プールサイドに上がるのも面倒くさいので、コースロープをくぐりながら、
スロープへと向かったのだが、なんとこのプール5コースしかない
ではないか。
古い施設だとは聞いてはいたのだが、5コースとは・・・。
いやっ5コースがどうのと言うのではないが、最近の新しい施設では8コースや
10コースも当たり前であるのに、なんとなく不思議な思いを持っただけの
事である。
艤装を解除し、停泊地点(控え室ですね)にイカリを下ろし船体の
メンテナンスを行っていると、監督会議を終えられたIさんが帰って
こられた。
Iさんとお喋りをしつつ10〜20分も経っただろうか、随分シャフトの
可動域も広くなり、痛みも少なくなった。
これなら航行には問題はないであろう。
ただ、全力運転をした時に どうなるかはやってみないと判らない状況では
あるが・・・。
午前10時30分、25mバタフライの召集に向かう。
これまた毎度の事であるが、レーダー(ゴーグルね)にペタペタとガムテープを
貼られる。
まぁ、これは万が一視力の残っている人がB1クラス(全盲)と偽っていた場合
それだけで断然有利になってしまうので、同じ条件とするために取られる
措置なのである。
ちなみに視覚障害の区分にはB1(全盲)、B2(手動だったかな?まぁ目の前の
手が動いているのが判る程度の視力)、B3(弱視)と言った3グループに
分かれているのである。
それほど違いはないように思われるかもしれないが、プールの底のラインが
見える、壁の位置が判ると言うだけで、大きな違いがあるのです。
わが艦もコースロープへの接触がなければ、1秒は楽に縮められるものを・・・。
さて、召集も無事終わり、いよいよ出航の時がやってきた。
「第4コース、でんちゃん号!」
この瞬間が私は好きなのだ。
レース開始前の緊張が最高潮に達し、体中のアドレナリンが溢れ出し、
闘志が漲る瞬間なのだ。
「艦長、メインコンピューターがオーバーロードぎみです、機関出力も
レッドゾーンにさしかかっています。
このままではスタート直後にフリーズ、機関の暴走が懸念されますので、
もう少し押さえられた方がよろしいのでは。」
私の闘志に水を差すようにオペレーターの冷静な声が聞こえた。
いや、決してオペレーターが悪い訳ではない、彼は忠実に職務を全うしている
だけなのだから。
ふぅぅ、困った事に艦自体は、すこぶる緊張に弱いときている。
またスタート直後にバタ足を打たれても困るので、機関出力を押さえ、
幾つかのプログラムを終了させ、負担を軽減してやらなければならない。
「よぉーーーい!」
両エンジンをスタート台にセットし船体を大きく曲げ重心を前方に
移動させる。
ここで動き続けてしまうと、スタートの合図が鳴らないので ある程度の所で
艦の重心移動を止めなければならない。
重心が後方にかかり過ぎていると飛び出しが遅れ、前方にかかり過ぎると
体重が支え切れなくなってフライングしてしまう事になるのである。
どの辺りに重心を置くか・・・これも艦長の腕の見せ所なのだ。
「パァーーーーーン!」
プールにスタートの乾いた合図が響いた。
「でんちゃん号! 発進!」
私の命令一過、静寂と緊張に保たれていた各クルーが一斉に引き絞った
弓から放たれた矢のように動き始める。
と同時に私の元には各機関からの報告、データーが洪水のように流れ
込んでくるのである。
「艦長、スタート出遅れました! 他艦の入水音確認!」
僅かではあるが、スタートにロスが生じてしまった。
だが、この程度の遅れは許容範囲である。
「深度確認せよ、2キックで水面に出るぞ!メインエンジン出力最大!
ダッシュをかける!2ノーブレス(あっ無呼吸の事ね)の後2ストローク
1ブレスで行くぞ!!」
「アイアイサー、深度確認プラス5%、浮上角プラス5%修正します。
浮上します。」
「メインエンジン始動! いっけーーーーーっ!。」
急速浮上した船体を力強く押しだし両舷側の2基のエンジンが咆哮を
上げながら回転を始めた。
力強いプッシュで前方に進み出し、リカバリー(あっ腕を後ろから前に
戻す動作ね。)の時にそれは起こったのである。
「うぁぁぁーーーーっ!。」
「キャァーーーーーッ!」
艦内をいきなりの振動が襲いクルーの中には座席から投げ出された者まで
いた。
赤色の非常灯が点灯し、非常警報が神経を刺激する。
あやうく床に叩き付けられるのを回避したものの、クルーの狼狽が
一目でわかる有様が飛び込んできた。
「落ち着け!なにがあった、各部署どうなっている!!」
浮き足立つ皆を叱咤し本来の職務を思い出させ、現状を把握せねばならない。
そう、パニックが最も恐ろしいのだ。
状況が判れば対処の仕方は必ずあるものである。
「艦長、痛み係数がレッドゾーンに突入しました!!」
「左メインエンジン出力低下!エンジンシャフトの可動域が広がりません!」
「腰部のサブエンジンジョイント部に異常発生、腰痛を起こしています!」
矢継ぎ早に各からの報告が飛び込んできた。
クソッ!案の定左エンジンか。 しかも腰痛まで発生するとは!」
思わず呪詛の言葉が出てしまう。
「えぇい、気力を使え、うねりは諦める、上半身で進むぞ。
ドルフィンキックは膝の屈曲角を30%アップ、腰への負担を軽減させよ。」
「ラジャー、気力注入、10%・・・20%・・・40%。
エンジン出力正常値に戻りました。」
「了解、膝角度調整、腰部痛みに連動させます。
痛み係数減少しました。」
なんとか艦の状態は回復する事はできたようであるが、以前として危うい
状態には変わりはない。
「よぉし、このまま行くぞ、異常が発生し次第報告せよ。」
ザッパンッ、ザッパンッ。
うねりからのドルフィンキックが使えないので、メインエンジンに頼る
以外ないのだが、左エンジンの痛みは気力の注入で今は押さえ込めている
ようである。
このまま行ければいいのだが・・・。
「右エンジン、コースロープに接触します。」
「取舵!(左方向に進みます)」
早々にコースロープに接触するとは、やはりエンジン出力のバランスの悪さ、
可動域の左右差の悪影響が出ている。
うねりを使えないので、波に乗る事ができないのも不満ではあるが、
欲をあげればキリがない事だ。
ズガガガガガァァン!!!
「キャァーーー!」
「ウワァァァーーー!」
再び船体を揺るがす振動、いやそんな生易しいものではない。
激震が襲ってきたのである。
「なっなにごとだ! コースロープへの接触か!」
一気にスピードが低下するのを感じながら怒声を放つと、なんとか
コンソールにしがみついているオペレーターからの返答が返った。
「左エンジンがロープに接触・・・いえ、乗り上げています!、 なんと
言う事だ、エンジンのシャフト付近(肩の近くね)まで乗り上げています。
隣コースの艦に指先が接触しましたぁ!」
まさかそこまで乗り上げるとは。
ロープにこれほど深く接触したのは昨年の背泳だけである。
これではロープにしがみついているのと変わりはしない。
「離脱 離脱! 離脱しろ! ロープを押しても構わん!」
幸いな事に1回のストローク(腕の動きね)で離脱する事ができた。
しかし、これでどれだけのロスタイムが発生したことか。
ザパッザパッザパッザパッザパッザパッザパッザパッ
物凄く平坦な泳ぎになっているが、とりあえず進んでいるだけでも良しと
しておこう。
「そろそろ合図棒があるのではないかね?」
「そうですね、艦首上面(あっ後頭部の事ね)にくるはずですからセンサーの
感度を上げておきましょう。」
びっくりした。
いつの間にか副長が傍に立っていたのである。
今までどこにいたのだろうか?
ザパッザパッ。
「合図棒感知しましたぁ!」
探知員の声が艦橋内に響く。
「よぉし、キック一回、艦を伸ばせっ、ゴールだ!」
力強くキックを放ち両エンジンを前方に固定しググゥと艦全体が伸びる
感覚を感じながら壁に到達するのを待つのである。
「・・・」
壁につかない。
早すぎたか、そう、エンジンが一回りしてピタッと壁にタッチできるのが
理想なのではあるがこれがエンジンが水をかき始めた時に壁に近づいて
いると、艦首から激突する事になるのである。
つまりは、合図を受けた時にキックでゴールするか、もう一かきするかの
判断が重要になってくるのである。
「ちぃっ、早かったか。
キック追加!」
両エンジンは前方に伸ばしたまま、ドルフィンキックを一発。
と同時に、壁に触れる事ができた。
無事にゴールした安堵はあったが、やはりタイムは気になるもの。
マイクを手にし、船外スピーカーで掲示員の方に問い合わせる。
緊張の一瞬である。
各クルーも全身を耳にして艦内スピーカーに聞き入っている事だろう。
そして計時員の声が流れ始めた。
「えっと、18秒59です。」
その声が艦内に流れたと同時に、各部署から溜息ともどよめきともつかない声が上がった。
艦自体も悔しがっているかのような振動が伝わってくるではないか。
「18秒か・・・。」
私も同時に一人呟いてしまった。
この艦のベストは16秒台なのである。
大会での記録でも17秒台を出している。
2秒遅れ。
あの状態での2秒はよく健闘したと言ってよいのかも知れないが、悔しくないと言えば嘘になってしまう。
だが、そんな感情を出してしまっては皆の志気に関わる。
私は再びマイクを握り、今度は艦内に向かい話し始めた。
「諸君、ごくろうであった。
残念ながら記録更新とは行かなかったが、皆は実によく働いてくれた。
失望する必要などはない。
あの状況で、このタイムを出せた事は賞賛に値するものである。
艦長として礼を言わせてもらおう、ありがとう。
さぁ、次は本命の50m自由形だ。
諸君の一層の実力を発揮する事を切に願うものである。」
プールを後にし、停泊地点に戻りクルーの休息と艦のメンテを行う。
次の自由形は4時頃の予定であり、かなり時間に余裕があるのはありがたい
事である。
少しでも左エンジンの回復を計るためいろいろとチェック&調整を行って
いると、
「どうしたん?肩がいたいん?」
とIさんが声をかけてこられた。
思い切ってエンジンの不調を伝え、メンテをお願いする事にしたのである。
実はこのIさん「東洋式船体メンテナンス」の資格を持っておられるのだ。
なにを隠そう我がクルー達も持ってはいるのだが、やはり外部からメンテを
行ってもらった方が効果は高いのである。
(注)東洋式船体メンテナンスとは、ここでは按摩・マッサージの事だと思って
下さいませ。
早速、左メンインエンジンのメンテをお願いし、この時間から
やって来られたクラブの他の艦長達から「いいなぁ]と羨望の眼差しを
受けつつ調整を続けたのであった。
さて、やはり外部から調整をしてもらうと言うのはすごいもので、
バタフライの前に自分で行った調整とは比較にならないほど、軽くなって
いる。
完全に痛みを消し、ベストな状態とは行かないが、次は自由形でもあり
充分すぎるほどの状態である。
さぁ、自由形の召集時間まではまだ4時間ほどの余裕がある、今の内に
燃料補給とクルーの休養も取らせておかなければ。