お気に入りのコートを着て、ブラブラと町を歩いていると、停留所に
止まったバスから、大きなリュックが降りてくるのが見えました。
いえ、自分の背丈よりはるかに大きなリュックを背負った女の人が
微妙に揺れながら降りてきたのです。
なんとかといった感じで、歩道に降り立ち、バスがドアの閉じる音とともに
走り始めると、彼女の姿が消えました!。
いえ、消えたのではなく、リュックの下敷きになってしまったようです。
あまりといえば、あまりなことに呆然と立ち尽くしてしまいましたが
ジタバタと這い出してきた彼女は、キョロキョロと辺りを見回し、
そそくさと、リュックを再び背負い始めたのでした。
どうやら、人に見られる前に立ち去ろうとしているようです。
が、それより早く「きっと彼女だ」と、私は手を振りながら、駆け始めて
いたのでした。
「春子さ〜〜〜ん♪」
私の声にギクッと身体を跳ね上げた彼女は、また二・三歩よろめいた
ようでしたが、なんとか踏ん張り、ぎこちなく顔を振り向かせ、
駆け寄ってくるのが私だと気づくと、強張っていた表情を緩めてくれたのです。
「あら〜♪、愛ちゃんじゃないの、お久しぶりぃ」
同時にリュックがゆらゆらと揺れ、私に向かって倒れこんできたでは
ないですか。
二人の悲鳴が交差しましたが、今回も春子さんはかろうじて踏ん張り続け、
私の目の前数センチのところで、リュックの動きを止めるのに成功した
ようです。
「あ〜、全く重いったらありゃしない。」
こんにちはと挨拶する私に、挨拶を返しながら、彼女は歩道の端に
大きなリュックを置き、う〜んと重さから解放された身体を気持ち良さそうに
伸ばしています。
「今年も春子さんが、この町の担当になったんだぁ。」
私が喜びいさんで彼女の手をぶんぶんと振っていると、騒ぎを聞きつけた近くの
人が集まってきました。
彼女の弁によると、まだまだ新人みたいなもので、仕事がテキパキとこなせず
先輩にはいつも怒られているらしいのですが、町の人は皆そんな春子さんが
大好きなのです。
「さて、もうちょっと先の所でやろうかと思っていたんだけど、皆が集まって
きちゃったし、ここでやっちゃおうか。」
イヒヒと彼女が悪戯っぽい笑顔で辺りを見回すと、
「そうだよ、今だって愛ちゃんをペッチャン個にするとこだったじゃない。」
「これ以上動き回ったら、今度は春子さんがペッチャン個になっちゃうよ。」
そんな声に、周りの皆から明るい笑い声が沸きあがります。
「ありゃりゃ、見られてた。」
ペロっと舌をだし、大袈裟におどける彼女の周りから、さらに大きな笑い声が
広がっていきます。
「じゃ、早速始めましょうか。」
その声が合図となって、笑い声はピタッと収まり、変わって皆の期待が
じりじりと膨らんでいくのがわかります。
かくいう私も、さっきからワクワクのしっ放しなのです。
「じゃ〜ん!」
リュックの口から彼女が擬音とともに取り出したのは、なんの変哲もない
缶詰でした。
側面には、青地に淡いピンクで桜の花が描かれています。
彼女が高くその缶詰を掲げると、期待感とともに、ザワザワと小さな
どよめきが起こりました。
ボソボソとあちらこちらで囁き声が聞こえ、中から遠慮がちなおじいさんの声が
しました。
「のぉ、春子さんや、ワシにはよく判らんし、そりゃ早く見られるんなら
嬉しいんじゃが、そのぉ、順番とかはいいんじゃろうか。」
春子さんは、心配顔のおじいさんに向かって、満面の笑みでこう言ったのです。
「大上部 大丈夫だってば、じっちゃん。
早く見れたほうが楽しいでしょ。」
と、他にも幾人かが、心配気に目を見交わすのを笑顔で制して、春子さんは
パッカンッと軽やかな音を立てて、缶詰を開けたのです。
昔は、缶切りで、キコキコと開けていて手間がかかったそうですが、最近は
プルトップを引くだけで簡単に開けられるようになっているそうなのです。
でも、小気味良い音とともに春子さんの「あれ・・・?」という声も、
最前列にいた私は聞き逃すことはありませんでした。
皆が、今か今かと道の両端を見ていると、ざざざ〜〜〜と風の音が近づいて
きました。
次の瞬間、ゴォ〜〜〜と唸りをあげて突風が町中を駆け巡ったのです。
ユラユラとお店の看板が揺れ動き、洗濯物がバタバタと風邪に煽られています。
帽子を被っている人はのきなみ頭を抑え、手にしたバックが風邪に
飛ばされないよう抱え込んでいます。
小さな子供はお母さんにしがみつき、大人でもヨロヨロとよろめく人が
でるほどの風です。
春子さんのリュックも、風で横倒しとなり、開いた口から、色とりどりの缶詰が
賑やかな音を立てて、あちらこちらに転がっていきます。
ひとしきり町中を駆け巡った風は、徐々にその勢いを弱めていきました。
皆はホッと一息ついていましたが、春子さんは開けた缶詰を手にしたままの
ポーズで固まってしまっています。
心なしか青ざめているようにも見えるのは、私の気のせいではないはずです。
「あは・・・、あは・・・、あっはっはっはっは、間違い 間違い、ちょっとした
ミスですよミスっ。
缶詰の中身をつめ間違えただけだから、大丈夫 大丈夫。」
いつもの笑い声も、少し、いえ、かなり引きつっています。
また、上の人に怒られるんでしょうね、大人は大変です。
「でも、ほら、先に春一番が吹いたから良かったでしょ、逆だったら、全部
吹き飛ばされていたんだから、結果オーライってやつよね。」
なんだか違うような気もしますが、皆はあちらこちらに散らばった缶詰を
拾い集めていましたから、聞いていなかったようです。
「じゃっじゃぁ、気を取り直して、行きますよぉ。」
声にもちょっと動揺が出ています。
なにより、缶詰に鼻を近づけてクンクン匂いを嗅いでみたり、耳に押し当てて
中の音を聞こうとしたりしていますので、少し心配になってしまいます。
ひとしきりそんな動作を繰り返して、一人納得したのか、缶詰のプルトップに
指をかけたのはいいのですが、手が随分と体から離れているのはなぜでしょう。
先ほどとは別な意味で、胸がドキドキしてきます。
パッカンと、また小気味良い音を立てて蓋が開きました。
するとどうでしょう、道の両側に植えられている桜の木から、次々と新芽が
顔をだし始めます。
また別の缶詰が、パッカンの音とともに開けられると、桜の花が次々と
淡いピンクの花びらを開いていきます。
町のあちらこちらから歓声が上がり始め、道の向こうからも春子さんが
来ているのに気づいた人たちが続々と集まってきました。
当の春子さんは、先ほどまでの恐々とした態度はどこえやら、満面の笑みで
次々と缶詰の蓋を開けていきます。
その度に、緑は芽吹き、川には魚が姿を見せ始、ツバメが空を舞い、
風は温かさを増し、皆の笑顔も溢れてきます。
パッカンッ♪
パッカンッ♪
笑顔の春子さんは踊るように缶詰を開けていき、その中から春が
一つ、また一つと飛び出してきます。
パッカンッ♪
パッカンッ♪
これが春子さんのお仕事です。
パッカンッ♪
パッカンッ♪
おじいさんは、眩しそうに目を細めて、桜の花を見上げています。
パッカンッ♪
パッカンッ♪
子供達は、空を舞うツバメを追いかけ、歓声を上げて走り回っています。
パッカンッ♪
パッカンッ♪
温かな風の下、緑に覆われた川原で恋人達が笑っています。
パッカンッ♪
パッカンッ♪
こうして、今年も町に春がやってきました。
「春が来た!」 お し ま い