ほ〜ほっほっほっほっ今晩は、セント・ニクラウスじゃ♪。
うむ、サンタと言ったほうが通りはよいのじゃが、いや〜、Japanによもや
このような素晴らしきものがあったとは気がつかなんじゃのじゃ〜、
あ〜heaven、heavenじゃぁ〜。
大きな煙突があったので、好奇心をそそられての、まぁサンタとしての
identityというものじゃ。
中に入ってみると、そこにはparadiseが広がっておったというわけなのじゃな。
冷えた身体に心地よく広がるお湯の温かさ、鼻腔をくすぐる湯気のなんとも
懐かしく穏やかな気持ちにさせてくれる香り。
壁にはJapanを象徴する富士の山が描かれておるのが、いかにも心憎いばかりの
演出じゃし、あちらでは背中にJapanblueをふんだんに使い、独特の
touchでbody paintをしたartistらしき男が人々の目を楽しませてくれておる。
あれこそ、Japanが誇る「おもてなし」の心の現われではないかとワシは
睨んでおる。
しかし、身体を洗ってせっかくの絵が消えてしまわないかとちと心配なのじゃが。
はっ、そうなのじゃ、これが世に聞く「諸行無常」というものではないのかっ!。
あれだけ手の込んだ絵画を洗い流すことにより、全ての物は永遠にあり続ける
ことなどできないという、まさに真理を体言しておるに違いないのじゃ。
う〜む、銭湯とはなんと奥深きものなのじゃろう。
まだまだワシでは計りきれぬ「わび」とか「さび」などもこの銭湯という
小世界いや、小宇宙の中に秘められておるのではないのか。
普段ワシのいるFinlandでは、風呂といえばsaunaを言っての、こうやって
湯に体を沈め、その温かさ心地よさに身も心も委ねるという入り方は
なかなか味わえぬものなのじゃ。
Italiaあたりじゃと、似たようなものもあるのじゃが、やはり風呂といえば
Japanがnumber1じゃ。
湯に入るというだけではなく、そこには銭湯を使う日本人の心があちらこちらに
見え隠れもしておる。
先ほど言った、背中に絵を描いているartistは、自分では見ることが
できぬはずじゃが、見る者の目を楽しませるという思いやりが背中に絵を描くと
いうことに込められておるのじゃ。
富士の山のartにしても然りじゃ。
一見陳腐なように見えるが、長湯をしておると、その絵が燦燦と輝きを発し、
まさに教会のstained glassに彩られた光の渦の中にいるような心持に
なってくるのじゃ。
自己を主張するのではなく、じんわりとその本来の輝きに気づかせるという
日本人のおくゆかしいmentalityが一枚の壁画に隠されておるのじゃ。
さらに、湯に入る人々のなんと思いやりのこもった心憎いまでの気遣いが
湯船に入るという単純な動作にも、儀式的な一面が含まれておったのじゃっ。
入る前に、身体を洗い、汚れを落とし、後から入る者に不快感を与えぬよう、
お湯を汚さぬようにするという、なんとも細やかな気遣いがワシの目から
どれだけの鱗を落とさせたものであろうかっ!。
それはまさに、風呂に入るということが、神事に通じているということ以外に
理由があるじゃろうか、
いや、敢えて断言しよう、ありはしないとっ、nothing!nothing!nothingじゃ!。
まさに日常の中にいや、銭湯という小さな世界の中にこの世の人としての
真理が含まれておったのじゃ。
惜しむらくは、ワシが後300年ほど早くこの銭湯に出会っておったとすれば、
いやいや、ワシのような若造が過去を嘆いて見せるのは、先輩サンタ達に
申し訳ないことなのじゃろう。
さて、心惜しいが、身体も温まったことじゃし、そろそろpresent配りに
戻らんといかんのう。
おっと、いかんいかん服を着るのを忘れておったっ!
まぁ、誰が見ている訳でもないじゃろうし、心頭滅却すれば火もまた涼しじゃ、
ほ〜ほっほっほっほっほっほっ♪ Merry Christmasなのじゃぁ♪