欲望

BLOW-UP
1966年 イギリス・イタリア合作 カラー 112分


監督:ミケランジェロ・アントニオーニ
脚本:ミケランジェロ・アントニオーニ
音楽:ハービー・ハンコック
出演:デビッド・ヘミングス/バネッサ・レッドグレーブ/サラ・マイルズ

「そこに存在する神」P69「理性からの逃走」 P94「神の沈黙?」P91、P119、P133 「それでは如何に生きるべきか」 P199-200

【あらすじ】
普段は美人モデルの撮影をすることの多い写真家が、たまたま公園で撮影した男女の写真を引き伸ばしてみると、そこには死体らしきものが写っていた。深夜、公園に行った写真家は、草のかげに死体があるのを見る。ところが翌朝再び公園に行ってみると死体は消えていた。現実と妄想との間でぼう然としたまま公園を歩き始めた写真家は、見えないボールでテニスを楽しむ集団と出くわす。

【Y.Notoの感想】
BLOW-UP には、ふくらます、爆発するのほか、写真を引き伸ばすという意味がある。アントニオーニは、カメラに写るものと写らないもの、目に見えるものと見えないもの、真実と虚偽、現実と非現実を我々に見せようとしているように思える。ファッション、ロック、麻薬など、当時のロンドンの雰囲気が伝わってくる映画。

【シェーファーの見解】
この映画の主人公は写真家である。彼は全く自由に手当たり次第にものを写している。彼の問題にしているのは、一連の人間的な価値ではなく、全く非人格的な写真のレンズだからである。このカメラはこの写真家に、非人格的なコンピューターにつなぐと同じように、容易に取り付けることができるのである。この写真家はあちこち走り回って、スナップ写真をとる。有限な人間は、ただ個別にのみかかずらい、それらのものに意味を与えることが全然できない。カメラのレンズは冷酷に何の判断も下さず、見るものにどんな制御も加えない。ここで私は、アントニオーニの映画の広告ポスターを思い出す。「無実の殺害、意味のない愛」すなわち、道徳の領域には何の範疇も存在しない。殺人は無実である。これと同じように、人間的な領域においても、範疇は存在しない。愛に意味はないのである。アントニオーニは諸範疇の死をこのように映像化した。(いのちのことば社刊「神の沈黙?」91頁)
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