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「桜って嫌いなんだよなー」
花びらがひらりひらりと舞い落ちる桜並木の下を歩きながら、なっちゃんは言う。
「なんかさー、いかにもって感じがして。ゆきもそう思うだろ?」
川沿いの鮮やかな花の道は、暖かい春の風に包まれてやわらかく揺れている。ふたりで何度も歩いた道。小さい頃からずっと通った道。よく追っかけっこしながら走り抜けた道。いつもふたりいっしょの道―――この道を、巡る季節がまたひとつ、通り抜けようとしている。
「なー、ゆきもそう思うだろ? なーってば」
ひとなつこい顔をちょっぴりしかめる、なっちゃん。一番最初にこの道を見つけたのはなっちゃんで、それ以来すっかりお気に入りの道にだったのに、いつからだろう、この季節だけ歩くのを嫌うようになったのは。今も頬をかすめる薄い花びらを、さもうっとうしそうに手で払いのけようとしている。
「あー、イラつくっ。ゆき、走るぞっ」
なっちゃんはひとりで走り出す。
「ゆきー、早く来いよー」
並木道を駆け抜ける小さな体を、桜の花びらが追いかけて行く。落ちた花びらを踏んづけたなっちゃんの足跡が、向うまで伸びて行く。
* * *
なっちゃんは本当に恋愛がヘタなやつだと、ゆきは思う。
その癖やたらと惚れっぽく、すぐ突っ走ってしまう性格だから困ったもんで、いつも恋に失敗しては、その度にゆきの前で、
「オレ、もう恋なんて、ぜってーしねー」
なんて強がってみせるんだけど、でもやっぱりそう簡単にはやめられないみたいで。
今日も、「ひとりじゃ変に思われるから」って、なっちゃんに無理矢理腕を引っ張られて、川向こうにあるテニス部の練習コートにやってきている。別にテニスなんかに興味がないのに、と退屈さをもてあましてるゆきの横で、なっちゃんはフェンスにかじりついて、視線はひとりのテニス部員の動きを追っている。
「なあ、Sさんってマジかっこいいよなー」
なっちゃんは目を輝かせている。
「えー。まあ、テニスはうまそうだけど」
まるきりテニスを知らないゆきは、白いボールがてんてんと跳ねているのをぼーっと眺めながら、気のない返事をする。
「ほら、ちゃんと見ろよ。あ、また返した」
大勢いるテニス部員の中でちょっとだけ目立っている、色が黒くて長身のSさんとやらは、大きな声を上げながら必死にボールを追いかけている。ボールを打ち返す度に黒い髪が揺れている。
「あーあ、オレもテニス部に入りてーな」
とつぶやくなっちゃんに、
「ムリムリ、運動オンチなんだからさ」
と手を振ってみせると、
「なんでだよー。そんなもん、やってみなきゃわかんねーだろ」
なっちゃんはぶすっとスネた顔をする。
「お、サービス打つぞ」
ぽん、と音を立てて、ふたりの見ているコートの中を、白いボールが勢いよく跳んでいく。
「オレ、テニス部に入部する」
なっちゃんがそう言い出したのは去年、少し風が冷たくなり始めた秋のことだった。あんまりいきなりだったので驚いて、運動嫌いのなっちゃんが一体どういう心境の変化だろう、と訝しく思って、しつこくしつこく理由を問いただしてみると、案の定、テニス部にお目当ての人がいるんだとか。まったく、何回同じことをやったら気が済むのやら。
でもさすがに今回はゆきも心配になって、どうせまた失敗するに決まってる、今まで何度それで辛い思いしたんだ、もう思いつきで突っ走るのはいい加減にしたらどうだ、と散々説得したら、不承不承、テニス部入部はなんとか思いとどまってくれたけど、
「でも、オレ、今度は本当のような気がするんだ」
と、まるで本気か冗談かわからないようなことを言い出すので、だったら一回その惚れた相手とやらを見せてみろ、僕が納得する相手だったら、入部でも何でも好きにしたらいい、ってことで折り合いがついて。
次の日、こっちこっちと急き立てるなっちゃんの後をついていって、テニスコートにたどり着いたら、なっちゃんの指差す先にいたのは、やっぱり思った通りの人だった。
世の中には決して叶わない恋がある。叶ってもおかしくはないんだけど、やっぱり叶わない恋もある。
そのことを十分すぎるほど知っていながら、どこまでも心に嘘をついていられないなっちゃんは、せめて恋に近づくだけでも、と険しい道を走って行く。
「オレさ、別に友達でいられたらそれでいいって最初は思うんだけど。なんか途中で黙ってられなくなってさ。だから恐くなっていっつも逃げ出すんだよなあ」
臆病な想いは、自分も相手も傷つける。そのことを初めて知ったとき、なっちゃんはものすごく落ち込んで、学校を4日も休んで、顔もすっかりやつれてしまって。でもそれを必死に見せまいと、喉が枯れた声でバカに元気振る姿が、ゆきの目には痛々しかった。
あれから何度同じことを繰り返し、何度心に傷がついたか。それでも自分に正直に生きようとするなっちゃんは。どんなにゆきがそばについて、どんなになっちゃんの心を引き止めようとしても、そんなゆきを突き飛ばして、勝手にひとりで走り出す。
「でもさー、好きなことをがまんするって、やっぱ体によくねーな、なんて思ってさー。オレって、いっつも誰かを追っかけてないと、どうも調子がでないんだよなー。命短し、恋せよ乙女、ってヤツかあ」
* * *
フェンス越しの恋は、ぜったいにうまく行くはずがない。ゆきはそう思っている。なっちゃんの恋は、ぜったいに片思いで終わる。そこから先に進むことはぜったいない。だからゆきは、なんとしてもSさんのことをあきらめさせないと、とやっきになっている。
そんなゆきの気持ちをよく分かってるくせに、なっちゃんはいつも聞く耳持たないので。
桜並木を歩きながら、今日こそはちゃんと言わなきゃ、なっちゃんの落ち込んだ顔はもう見たくないしなあ、と思っていたら。
「オレ、桜嫌いって言ったけど、でもさ。こうやって派手に散っても、来年になったらまた花が咲くんだと思ったらさ。なかなか悪いもんでもないかなー、なんて、さ」
なっちゃんがちょっと笑顔になったので、ゆきは思わず言いかけた言葉を飲み込んだ。
「あ、いけね。オレ、バイト行かなきゃ」
なっちゃんはファーストフードの店でアルバイトを始めた。テニスのラケットを買うつもりらしい。
「ゆき、わりーなっ」
背を向けて走り出すなっちゃんの姿を見送りながら、ゆきは、しょーがないか、とため息をつく。
「花も嵐も踏み越えて、ゆくはひたすら恋の道、ってね」
―――並木道に残ったなっちゃんの足跡を、桜の花びらがやさしく覆っていった。
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