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だいたい、真夜中にかかってくる電話ってのには、ロクな知らせがあったもんじゃなくって。
そりゃあ、ごくふつーの人ならばすっかり床の中夢の中、って時間にわざわざ電話をかけてくるのは、相手の都合なんぞ考えやしない奴に決まってるし、まあ、たまには大変緊急な事態で止む無くってこともあるだろうけど、あいにくとゆきの周りに揃うのは悪友たちばかりで、何事かと眠たい頭で電話に出てみれば、やれ「今飲み屋にいるから出てこい」だの、やれ「恋人にフラれたから、愚痴につきあえ」だの、いつも他愛のない、しかしかなりムカつくような話ばかり――なので、今、まさにうるさく鳴り続けてるハタ迷惑な電話機には、手元の枕を押しつけて、ゆきはすっかり無視を決め込んだんだけど。
しばらくしてようやく鳴り止んだかと思ったら、間髪おかず、またけたたましく鳴り出しやがった。
「もしもし……」
不機嫌極まりない、わざとらしい、ちょっとドスなんかを効かせた声で受話器を取ると、こんな時間だってのに、妙にテンションの高いはしゃいだ声が返ってきた。
「おおっ、出た出た、やっと出た。ゆきちゃ〜ん、元気してるぅ?」
「失礼ですが、どなたさまですか?」
いきなりの馴れ馴れしい言葉に、ゆきは相当機嫌が悪い。
「なんだよお、俺だって。ゆきちゃんってば、冷たいなあ」
「どなたさま、ですか?」
ゆきはますます機嫌が悪い。
「俺、俺。俺だよお。声聞いて、わかんない?」
「わかりませんけど」
「え〜、マジ? うそぉ、そりゃあ、ずいぶんひさしぶりなんだけど」
電話の向こうの声はかなり酔っ払ってるらしい。受話器からはにぎやかな音や歌、ときどき女の声が甲高く通るのが、遠く聞こえてくる。
「俺だよ、聡。思い出した? もう俺、ちょっとショック〜」
すっかり忘れてしまってた、昔の懐かしい声を再び思い出して、ゆきは深いため息をつく。
やれやれ、やっぱり真夜中の電話には、ロクな知らせがない。
夕方ごろから徐々に厚みを増してきた薄暗い雲は、夜に入るや否や、冷たい風とともに真っ白な雪を降らせ始め、2、3時間もしない間に、あたりはすっかり銀色の景色に変わってしまった。気温が零下にまで下がってしまうこの辺りの雪は、とても細かい粉雪で、髪に、肩に、知らず積もっている雪を払っても、それは溶けることもなくさらさらとなだれ落ちて、足元に溜まってゆく。
北国のちょっとした歓楽の街。歩道を歩く人たちが次々に踏み固めてしまった固い雪を、ちょっと厚めのブーツのかかとを震わせて軽く叩きながら、ゆきはもう、待ち合わせの駅前で30分以上も聡を待ちわびていた。時折角度を変えながら吹きつけてくる凍えた風が、頬に痛い。
一体、あいつはどうしているのやら。何せ、昨夜の急な電話だったので、聡に一方的に待ち合わせの約束を取りつけられて、時間と場所を聞かされただけ、勝手に電話は切れてしまって、結局そのまんま、この場所へ来た。せめて携帯の番号くらい教えてくれてたら、こっちからだって連絡が取れたのに。
まったく、あいつはいつも自分本意なヤツなんだから、と、寒さとひとりぼっちの空しさにきゅっと身を縮めたとき、
「おーいっ、ゆき! こっちこっち」
通りの向こうから素っ頓狂な呼び声が聞こえて、振り向くと、スーツ姿の男がガードレールをひょいっと跨いで、車をよけながら、こっちへ近づいてくる。
「ごめーん、待たせた?」
歩道の脇に寄せ積もった雪の上を飛び跳ねて、聡はうれしそうに手を振る。
「わりーわりー。ちょっと、別のデートにてこずっちゃって」
聡はズボンをつまんで裾が雪に汚れないようにずりあげて、まるで抜き足のような格好でやってくる。立派なものだろう黒い革靴は、雪にまみれてどろどろに濡れている。
「へへ〜、ひさしぶり」
上下紺のスーツ、グレーのネクタイはちょっと緩んでいて、ズボンの裾の方も撚れちゃってるけど、それでも傍目にぴしっと決まっている聡を見て、それにしてもこの寒いのにコートも羽織らず、おまけに男同士の待ち合わせにしては、なんて浮いた格好をしてるんだろうと思いながら、しかしゆきも白いパーカーにブルージーンズという、あんまりにもぱっとしない自分の格好が、今になってちょっと情けない。
「いや〜、マジでひさしぶりだよなあ。何年ぶりかなあ。おまえ、顔ぜんぜん変わってないのな」
聡がホストクラブ勤めをしているっていうのは、風の噂に聞いていたけど、聡のスーツ姿なんてまったく想像できなかったゆきは、意外にその着こなしが様になってるのに、少し驚いた。まさか女にモテるようなヤツじゃないと思ってたのに、なんだかすごく変わってしまったような気がする。
「う〜ん、昔のまんまだな。あ、でも眉毛が細くなってる。あっはは、おまえも色気づいてきたんだな〜」
そうやって、ぶしつけに大声で笑うのだけは、聡も昔のまんまだった。
「俺は今はしがないホストやってるけど。ゆきは……」
さすがにこんな格好じゃ、メシを食うにも目立って困るっていうんで、とりあえず聡の住んでるアパートに着替えに帰ることになって、ふたりはタクシーに乗り込んだ。運転手は、立派なスーツの男と、片やどこにでもありふれた安っぽい格好をした男との、どこか妙な取り合わせに、少し怪訝な顔をしたみたいだけど、行き先を告げるなり、ふたりで会話をし始めたので、それきり後ろを気にかける様子はなかった。
「僕は、今はプータロー。しょうもないバイトやってるだけ。まあ、たまには歌ってるけど」
「ふーん、大学は卒業したんだろ?」
「ううん、卒業できなかった」
「なんだ、そっか。やっぱり卒業してないのか」
タクシーは駅前の大通りから脇道に入って、少し細くなった暗い道を通る。
「しっかしなあ。高校のころから、うらやましいくらい成績よかったのになあ」
「めんどくさがりやだから。めんどくさがって勉強ぜんぜんやらなくなった」
「あーあ、マジで世の中、何がどう転ぶかなんて、わかったもんじゃないな。ほんとはくそ真面目で頭もいいくせに」
「だれが?」
「ゆき、が」
「なんだよ、それ」
「もったいないな、って思っただけだよ。……演劇も、もう止めちゃったのか?」
「なんか、僕って舞台には向いてないみたい。大根だしさ」
「大根はともかく、台詞覚えが悪かったのだけは確かだな」
「それにあがり症だし」
「うそつけ、しっかり肝が据わってるくせに」
20分ほど雪道を走ってたどり着いた聡のアパートは、そのスーツ姿とはまるっきり正反対の木造のおんぼろアパートだった。聡はゆきをタクシーにひとり待たせて、雪の積もったアパートの階段をそそくさとあがっていった。それとはなしに聡の姿を追っていたゆきは、聡が開けたドアの中から若い女が顔を覗かせたのを見てしまって、なんだかいたたまれなくなって、タクシーのウィンドウ越しに、しんしんと降り落ちる雪の形に目を移した。
――With A Little Help From My Friends
カラオケマイクを通って響く聡の声は、とても力があってやさしくて、そして懐かしかった。
「ひゃあ、ビートルズ歌ったのなんて、いつくらいぶりだろ。あーあ、音外しまくりだっ」
聡はにかっと照れ笑いして、ゆきにマイクを手渡す。
「今度はゆきが恥をかく番だぞ〜」
アパートで、ゆきとそう変わらないありふれた格好に着替えてきた聡は、それまでの大人っぽい雰囲気はかけらもなくなって、髪型も適当に崩しちゃったりして、おかげで、やっと友達同士のふたりっていう再会が出来たような、そんな気がした。
その後、ファミレスで腹ごしらえをしたふたりは、なんのかんのとお互いをからかい合いながら、そのまんまカラオケボックスへなだれ込んで、思い出せる昔の歌を、思いつくままに歌っている。
「そろそろ、とっておきを歌ってくれなきゃなあ」
「とっておきなんかないよ」
「あるじゃん。ほら、おまえがぼろぼろに泣いちゃったヤツがさ」
聡は意地悪な笑みに口元を緩めて、
「あんときを思い出して、泣けっ」
と、さっそくカラオケの歌本をぱらぱらとめくって、勝手に機械に番号を入れてしまった。
「ちょっと、待ってよっ」
「へへ〜、もう遅い。がんばって歌え〜」
スピーカーから静かなイントロが流れ出して、ゆきは観念して、ぎゅっとマイクを握り締めた。
田舎のカラオケボックスは店を閉めるのが早くって、2時間ほど歌ったら、もうふたりは店を追い出されてしまった。日付を越えて深夜の1時すぎ。駅前通りの明かりもすっかり寂しくなって、タクシーもほとんど通っていない静かな道を、ただ風の音だけを耳に聞きながら、とぼとぼゆっくりと歩いていたふたりが見つけたのは、小さなラーメン屋だった。
「あーあ、思い出しただけで笑えてくるな」
油が飛んでしっかりべとべとな、細いカウンターの隅っこ。今はふたり並んで、あったかいチャーシューメンのどんぶりに顔を突っ込んでいる。聡はラーメンをすすりあげて、一口コップの水を飲むと、また思い出し笑いを始めた。
「まさか、またゆきが泣き出すとは思わなかったもんな」
「うるさいよ、もう」
「だってさー、マジでおっかしいんだもん」
「もう、おまえとはカラオケなんか行かない」
「怒るなよー。でもほんとに、おまえって、単純なヤツなのな」
聡はひとしきり笑い声を上げると、またラーメンをすするのに夢中になる。
「なんだ、この麺、伸びちゃってんじゃねーの」
聡の無遠慮な言葉をちゃっかり聞きつけたらしい、カウンターの中でチャーシューを切っている大将がこっちをじろっと睨んできて、ゆきは慌てて聡の脇腹を突っついた。
「ははっ、まあ、いいじゃん。……それよりも、さ。ゆき?」
「ん、なに?」
「大学の話だけど」
「うん」
「まだ籍は残してあるんだろ」
「まあ、一応は。それがどうした?」
「あのさー、あんまり俺がエラそうなこと言えた立場じゃないけど」
「聡だって、大学やめちゃった口だもんね。それも3ヶ月で。夏休みに入った途端に飛び出してったんだよね」
たまには反撃してやらなきゃと、ゆきはわざと皮肉っぽく言ってみせる。
「俺のことはいいって。それよりもおまえのことだよ」
「なんだよー」
「あのさ、おまえ、やっぱ大学は何年かかっても、卒業した方がいいぞ」
「え、なんだよ、急に」
「だから、まだ復学できるんだったら、大学に戻った方がいいって」
「もういいよ、その話は。僕はそんな気ないし」
「おまえ……卒業できなかったんじゃなくて、卒業したくなかったんだろ」
聡はじっとゆきの顔を見たまんま、視線を動かそうとしなかった。そのとき初めて、聡の目が真剣になっていることに気がついた。
「なあ、ゆき。やっぱ大学に戻った方がいい」
「何もそんなに真剣になんなくったって。別に僕は……もう、どうでもいいんだからさ」
「おまえさ、昔っからずっと無理してなかったか?」
「はあ?」
「変な気ばっか回してたじゃんか、いつも」
「そんなことないよ」
こんな夜遅い時間だっていうのに、いまだに思い出したように、がらがらっと引き戸を開ける音がして、寒そうに手を揉みあわせた客がぽつぽつと店に入ってくる。カウンターの上に乗っかっている古くて汚いテレビをちらっと眺めると、どこか遠い外国の映画なのか、まるで自分たちとは遥か別の世界の物語が映っている。
聡はラーメンをすっかり食べ終わったかと思うと、またまたひとりで笑い出した。
「あーあ、何度思い出しても、おっかしい」
「あのね……」
「マジで。やっぱおまえといると、楽しいよ。何年ぶりかな、逢ったのって」
「知らない。もうずいぶん前に別れたっきりだったからさ」
「悪かったなあ」
「いろいろ連絡しようと思ったんだよ。でも下宿はとっくに引き払ってたし、誰も行き先は知らないし。電話も手紙も寄越してこないし」
「だから、悪かったって」
「ったく、心配したんだからね。僕も……」
何気なく言おうとしたところで、ゆきは気がついて、続きの言葉を飲み込んだけど、聡にはその意味が分かったようだった。
「やっぱり3人でカラオケ行きたかったな」
ゆきは返す言葉が見つからなくて、つい黙ってしまう。
「……なあ、ゆき。なんでなんだろーな。俺もゆきも夏樹も、あんだけ仲良かったのにさ」
「別に、誰が悪いわけでもないって」
「そうかな。でも男同士の三角関係、って今思えば、なかなか笑える話だよな」
「笑って忘れちゃえば、いいんだって」
「そうなんだけどな。でも忘れられないから、おまえに電話しちゃったんだよ」
「ほんと、いい迷惑だよ」
「でもやっぱり逢ってよかった。これでみんなおあいこだって分かったし」
「え?」
「だから、俺は大学をやめて、ゆきは歌をやめて……」
「やめてないって。時々歌ってるし」
「うそつけ、すっかりへたくそになっちゃってさ」
「もとから音痴なんだよ」
「はいはい。でもさ、これでおあいこなんだから、ゆきは大学までやめる必要ないんだって」
「いつからそんな話になったんだよ」
「いいから聞けって。……だから、俺もゆきも夏樹も、みんなひとつずつ失って、それでおあいこだっての。もうそれで十分だろ。な、だからゆきもこれからは、みんな忘れて好きなようにしろって」
「せっかく忘れかけてたのに、電話してきたのは誰なんだよ」
「だから……おまえなあ、いつからそんなに理屈っぽくなったんだよ」
「うるさい。ったく、人の気も知らないで」
いつのまにか外国映画は終わってしまっていて、テレビは今度は、遠い国の穏やかな街の風景を映していた。
雪はすっかり止んでしまって、冷たい夜空をふっと見上げると、手を伸ばせば届きそうなほどに、星が大きく輝く姿を見せていた。星と雪の夜は、通りの向こうに続く並木がはっきり見て取れるほどに明るい。
「うー、寒い寒い」
自分の腕で肩を抱いて、白い息を吐きながら、聡が店から出てきた。もう今日は客を入れる気がないのか、ラーメン屋の赤い提灯は灯を落としている。
「悪いね、おごってもらっちゃって」
「いいっていいって。大好きなゆきちゃんのため、だもんな」
あいかわらずおどけた調子で、聡は言う。
「ゆき、これからどうする?」
「どうするったって、こんな時間に開いてる店なんてなさそうだし」
「まあ、田舎だしなあ」
「聡んちへ行くわけにも行かないし」
「え? なんで?」
「女の人がいるから」
「あ、なんだ、やっぱ見てたのか。ちぇ、あいつには顔出すなって言っといたのに」
「別に気にすること、ないだろ」
「そっか、そうだよなあ」
またラーメン屋の引き戸が開いて、よれよれのコートにうすっぺらいかばんを抱えた中年の男が出てくる。少し酔っ払っているのか、寒さにびくっと身をすくめると、ふらふらとした足取りでふたりの脇を通りすぎた。
「僕、もう帰るよ」
「帰るたって、こんな時間じゃ、足がないだろ」
「だいじょうぶ。たぶんこうなると思って、ちゃんとビジネスホテルの部屋、取ってあるんだよ」
「なーんだ。だったらそうと言ってくれりゃいいのに。よしっ、それじゃあ、これからいっしょにホテルへ行こ〜」
「だめ」
「え〜、なんで〜。せっかくなのに〜」
「聡はさっさと自分の家に帰んなって。あの人が心配するだろ」
「……おまえ、最近嫌味っぽいって言われないか?」
「言われないよっ」
ふたりは並んで雪の歩道をのんびりと歩いた。駅前まで来ると、聡はきょろきょろ辺りを見回して、ようやく、こんな雪の夜だっていうのにロータリーにまだ居残っているタクシーを見つけた。
「こんな遅くまで粘ってるって、今日はよっぽど客入りが悪かったんだろうな」
聡がゆきの前で、つと立ち止まって振り返る。
「ゆき、今日は楽しかった、ありがと」
いきなり改まった口調になるのが、なんだかおかしくて。
「どういたしまして。あのさ、せっかくだから携帯の番号でも、教えてくれない?」
「ん〜、それはやめとく」
「なんでさ」
「電話がかかってくると、またおまえに逢いたくなるから」
「いいじゃん、別に。いつでも逢えるよ」
「ん〜、そういうことじゃないんだけどな」
「まさか、もう二度と逢いたくないとか?」
「ん〜、そういうことでもないんだけど」
「んじゃあ、どういうことなんだよ」
「わかんね」
「あのなあ。……次はいつ逢えるかな」
「わかんね」
「もう逢えない、なんてこと、ないよね」
「逢えるさ、そのうち。どっかで、また」
「まさか、黒い服を着てご対面なんてのは、もう嫌だからね」
「……おまえ、マジで嫌味っぽいのな」
聡を乗せたタクシーは、再び駅前の大通りへと戻っていった。ゆきは、それとは反対方向へと歩いていった。
「なあ、夏樹がもし生きてたらさ。また昔みたいに仲良くできるかな」
「墓参りにも来ないヤツがよく言うよ、って笑ってるかも」
「だいじょうぶだよ、結局、みんなおあいこなんだし」
近頃はすっかり、悪友たちも自分の生活に追われるようになったのか、真夜中の迷惑電話も減ったけど、それでもたまに電話が鳴り出すと、ロクでもない知らせだとは分かっていても、慌てて飛び起きて受話器を取る。
「もしもし? うん。どっかでまた、逢える?」
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