
妊婦中の話
いっちゃんが天国に行ってから4ヵ月後、待望の妊娠!すぐに病院へ行ってみてもらった。流産の手術をしてくれた先生を担当の先生に
してもらい、「今度はがんばって、元気な赤ちゃんを産みましょうね」と言ってもらう。
前の事があるのでとても慎重に毎日を過ごす。ダーリンも優しく、きっとダーリンのほうが神経質になっていたと思う。
つわりが6週目から15週目ぐらいまで続き辛かったが赤ちゃんが元気な証拠とがんばった。(流産した時はまったくつわりがなかった)
その間、卵巣が大きくなり手術をするかどうかの瀬戸際だったが、なんとかギリギリで治まってくれて、手術しなくていいことになってホットす
る。その後は順調に妊婦生活を送ることが出来、早く赤ちゃんに会いたいとそればかりを考えていた。
性別も女の子とわかり、(あい子)と名付けて毎日「あいちゃん」と語りかけていた。
出産の話
2001年2月11日が予定日だったのに、陣痛らしき物は何回かあるのだが、すぐに弱くなってしまう。
予定日から1週間がたっても、産まれる様子がないので陣痛促進剤を使う事にしてもらった。前の日に入院(2月19日)し、2月20日に
出産の予定だった。
しかし、病院で夜中咳が止まらなくて眠れない。4人部屋だったので、他の人の迷惑になると思い病室から出て、面会室で一晩中咳を
していた。
朝になってなんとなく熱を測ってみると38,2度!(えーっ)とびっくりしすぐに看護婦さんを呼んでみてもらう。赤ちゃんの心拍数も激しく 慌ただしい状況で先生が来るのを待っていた。
先生が診察した後別室に呼ばれる「あのね、インフルエンザの可能性があるから今無理に産まないほうがいいと思う。一度家に帰ってもら
えますか?もし陣痛がきてしまったら、その時は仕方がないので出産しましょう。」とのこと。私は(えー、こんな状態で家に帰らされるの
? )と思ったけど、病院側は院内感染を避けるため(ここは産婦人科で産まれたばかりの赤ちゃんもいる)で個室の開きもなかったので仕
方がなく、電話をして迎えにきてもらった。
その車の中、(何か、お腹が痛いな)と思ってたんだけど、家について、ご飯を食べてとりあえず横になった。その途端、陣痛がきてしまった
。病院からかえってきて1時間後のこと。又、荷物をまとめて病院へ・・・そのまま、陣痛室に行かされる。
微弱陣痛のためやはり促進剤を使うことに。2月20日午後1時より促進剤投与。
陣痛の最中に唾液を取り検査へ。結果はやはりインフルエンザ。
看護婦さんが「インフルエンザなので、赤ちゃん産まれても会えないし、母乳もあげれませんよ」と言った。どういう意味かよくわからなか
ったが、押し寄せてくる陣痛の波と戦っていた。3日前からほとんど寝てない状態だったので、頭がぼーっとしてくる。
母と義母の2人が一生懸命私の世話(背中押したり、お腹さすったり、飲み物を飲ませてくれたりと)をしてくれた。感謝です。あの2人の
おかげで私も辛い陣痛をなんとか乗り越えることが出来た。
午後6時半頃、ダーリンも来てくれ陣痛の絶好調に達した私の姿を見る。あまりに痛そうにする私の頭をなでてくれてたのを覚えている。
7時頃そろそろ分娩室に行くように言われる。が移動するのがすごく辛かった。ダーリンに支えられやっとのことで分娩台に上がれた。
それからは私1人の戦い。助産婦さんの指導のもとで必死にいきむ。「上手ですよ。その調子その調子」と頭が見えてきた様子。けど、そこ
からがなかなか進まず・・・先生のエコーでの診察は3700gもあるとのことで皆はビッグな赤ちゃんを想像していて、少し時間をおくとのこ
と。「もう一度、陣痛室に帰りますか?」と聞かれたけど、やっとの思いでここまできたのにもう一回帰るなんてとんでもないと思い「ここに
います」と言って、1人分娩台の上に残される。その間も陣痛はやってくるので1人でがんばっていきんでいた。早く赤ちゃんに産まれてきて
ほしかったから。
助産婦さんは「あんまり無理していきむとあとでお尻が痛いですよ」と言ったが、がんばっていきみ続けた。(結果、助産婦さんの言ったとうり
長い事お尻が痛かった)
1時間ぐらいそんなことをしていて、やっと先生が来てくれた。私もインフルエンザとはじめての陣痛でだいぶん体力を消耗していて、陣痛も
だんだん弱くなってきてしまった。頭もボーッとしてきて、寝てしまいそうだった。(このまま、死んでしまうんかな?)と不思議と落ち着いて
思っていた。人間ほんとに死ぬときって以外と落ち着いて怖くないのかな、と思った。
そんな私の状態を見かねて先生が「これで最後にしましょか。あと一回がんばっていきんでください。」と吸引の準備をし、もう一人の先生は
私のお腹に手を当てた。
陣痛の波がやってきた。「はい、いきんで」と言った瞬間、お腹を目一杯押され、吸引をかけられあい子の頭が引っ張り出された。その後、
ジュルジュルとあい子の体が出てくるのが感じられた。2001年2月20日午後8時46分。「おぎゃー」あい子誕生。
あい子は3,162gと先生の予想は大幅にはずれていた。
私の横にあい子を置いてくれた。かわいかった。助産婦さんが「赤ちゃんとしばらく会えないので写真をとってあげますね」とポラロイド写真を
とってくれた。
その後私の処置が終り11時前に病室に行った。インフルエンザのため開いていた4人部屋を1人で借りることになる。その部屋から私は
1歩も外へでてはいけなくて、私のへ部屋に入ってくる時は先生も看護婦さんも家族もみんなエプロンにマスクをしなければいけなかった。
私は<バイキンマン>だった。
私の処置の間にあい子もインフルエンザの検査をされ、当然あい子もインフルエンザに感染していた。
今までインフルエンザに感染して産まれてきた赤ちゃんの例がなく、小児科の先生もどうなるのかわからない状態で家族に「障害が残る
かもしれない」(目がみえない、耳がきこえない、髄膜炎・・・等怖いことばかり)と言ったみたいで、家族もうれしさも吹っ飛んでただただ心配
ばかりを胸に抱いて家に帰ったようだ。そのためダーリンは怖がらせた小児科の先生を今でも嫌っている。
それから、3日間私はインフルエンザのため、一時は39度まで熱があがり咳、鼻水、のどの痛み、出産あとの痛みと何重もの痛みと戦った。あい子にも会えず、あい子の状態も分からず、なんでこんな目に遭うのか情けなくて、泣いた。今まで生きてきて1番幸せな時が私にとって
最悪の状況になっていた。私はいったい何のためにここに入院しているのかわからなくなっていた。先生も「インフルエンザでの入院みたい
ですね」なんて言うし・・・
家族は毎日病院に来てくれた。実家の母と妹も遠いのに来てくれた。
あい子は保育器に入れられてて、ダーリンがビデオをとってきてくれて、それを何度も見ていた。出産直後に撮ってもらった写真とビデオが
なによりの頼りだった。看護婦さんが来る度にあい子の様子を聞いた。「元気ですよ。ミルクもよく飲んでますよ」と言ってもらえホッとした。
3日後私の体も回復しインフルエンザも陰性になったのでやっとあい子を病室に連れて来てもらえた。うれしかった。今度はやっとうれし涙を
流す事が出来た。「あいちゃん、ごめんね。お母さんがインフルエンザになったおかげで辛い目に遭わせて」それがあい子への最初の言葉
だった。
心配していた症状も出ずに2月26日に揃って退院できた。
こんな事になるなんて夢にも思ってなかったが、とにかくあい子が無事であったことに本当に感謝してる。
あれから1年、あい子も元気に成長しています。
これが私の出産の貴重で思い出すのが怖い体験です。 終
初めての妊娠
結婚して8年、夫婦で一緒に働いて来たけど(そろそろ子供を作ろう!)と決めた2カ月後、念願の妊娠!
すごくうれしかった。予定日は2000年9月3日。その日は私とダーリンが初めてデートした日で(運命やわ)と
とても感動した。
でも、産婦人科の先生は「まだ、はっきりと赤ちゃんが見えてないから家族の人には言わないように」とよくテレビ
で見るような「おめでとうございます。」というような喜びの言葉は全然なくかえって不安なことばかり言われた。
その先生は内診しながら「おかしいなあ?そろそろ手や足が見えてきてもいい頃なのになあ。流産予防の注射を
しましょう」とそんなことばかり言うものだから、私は毎日交通事故で手足が切断される夢や怖い夢ばかり見てて
不安な毎日を送っていた。
それから、しばらく安静にしていたんだけどその先生の態度が納得いかずに病院を変えることに・・・
そこでは、「順調ですよ。赤ちゃんも元気ですよ」と、やっと聞きたかった言葉を言ってもらえた。
ほっとして、毎日がたのしいものとなった。
ところが10週目に入った次の日が健診という日の夜に少し出血があった。ほんとに少しで色も茶色っぽくて大丈
夫かな、と思って健診に行ったら、長時間の内診、先生もあせってる様子、(どうしたんやろ?)と不安で冷や汗が
出てくる。「心臓が動いていません。流産です。至急に手術をします。ご主人に来てもらって下さい。」とのこと。
私も超パニックでなにがなんだかわからないまま、ダーリンに電話・・・
ダーリンの顔を見た瞬間、涙があふれてきた。でも、泣いている時間などなく、手術のための検査やレントゲンを
とったりと病院の中を走り回っていた。
午後5時からの手術。ベッドで点滴をされる。全て初めての体験。その後、やっと実家に電話できた。「赤ちゃんの
心臓止まってもとった。今から手術やねん。」泣きながらの電話で母親も心配で病院に来てくれるとのこと。
ベッドのまま手術室へ。怖かった。悲しかった。
麻酔をされて、手術がはじまる。緊張でどうにかなりそうだった。痛みもあった。あかちゃんを取り出されている感触
が伝わってくる。
手術が終わる。
病室に帰る。麻酔がきいていて下半身がしびれていて、なんとも言えない感覚。
ダーリンや義父母、親戚の方も来てくれてたけど、みんな(なんで、こんなことに?)という表情。
なんとか、がんばって泣かずにいたけど、実家の母が来てくれた時にはもう限界だった。
面会時間が終わってみんなが帰ってしまった。まだまだ体はしびれてて、自分でも事の重大さを把握できずにいた。
眠れずに朝を迎え、先生の説明があった。流産の原因はわからないが丁度インフルエンザが流行してたのでそのせ いか、ということに・・・この季節は流産する人がいつもより2倍に増えるのだとか・・・
赤ちゃんの写真も見せてもらった。ちゃんと人の形になっていた。あの写真は今でも脳裏にはっきりと焼きついている
それが、「いっちゃん」(妊娠がわかってから、そう呼んでいた)との最後のお別れ・・・
いろんな手続きをすませてもらい、退院。
ベッドに横になったとたん悲しみがこみあげてきた。(どうして?なんで?)それの繰り返し・・・
(いっちゃん、ごめんね。ごめんね。・・・)
それが、私の最初の妊娠でした。
でも、この流産を体験したことで、流産なんて他人事と、今まで知らなかった人の痛みがわかるようになりました。
いっちゃんはこれから生きていくうえでとてもとても大切な物を私に、そしてダーリンに教えてくれました。
「ありがとう、いっちゃん。これからもお母さんたちを見守っていてね。 2000年2月4日(いっちゃんが天国へ行った日)
あい子の誕生物語