点の軌跡




「点の軌跡」

二月某日(前)
 二月某日。私はひとりでバスを待っていた。目の前の道路をあとからあとから自動車が通り過ぎていき、たまにバスも通るが、お目当てのバスはなかなか来ない。私は額の汗をぬぐい、くしゃくしゃにまるめたバスマップを何度も広げては見なおした。いちおうバスストップの標識は立っているのだが、この街のバスはきわめてアバウトに、標識が見える範囲で停まる。
 私はバンコクにいた。
 生まれて初めての海外旅行だった。そして空路の旅も初めてだった。大学のサークルの、同期の女の子ばかりで行くことになった卒業旅行とやらで、彼女たちが「海外がいい」「東南アジアがいい」「タイがいい」と、どんどん進めていくプランにぶら下がってきただけだった。本当は海外も飛行機も怖くてたまらなかったし、直前に風邪をひいて熱を出したりしたため、キャンセルすることも検討していた。結局参加したわけだが、某「歩き方」すらろくに読んでいない。「生きて帰れればそれでいいや」という、きわめて投げやりな精神でもってやって来たのであった。
 バンコク五泊六日。一行は私を含めて九人、女ばかりである。女三人寄ればカシマシイ、とはよくも言ったものだが、われわれだけでカシマシイの字が三つも並んでしまう。大変な騒ぎである。そして他の人々は(云万円の大枚をはたいているのだから至極当然のことであるが)私なんぞよりも余程バンコクに対して貪欲であった。各人が行きたい場所、見たいもの、買いたいものをもち、自分なりの計画を立てている。「連れてってえ」「一緒に行こうよお」などという甘えた言葉は聞かれない。「あなたはどこに行くの? 私はここに行くの。あらここは一緒ね。奇遇ね」というような調子だ。日程が進むにつれて九人は顔を合わせることが少なくなってきた。そして四日目、遂に私も単独行動となったのであった。
 かなり不安ではあった。私は英語が全くといっていいほど話せない(中学生以下)。そもそも、他人と意思疎通をはかるのはあまり得意ではない(声が小さくて聞こえないらしい)。そしていかにも世間知らずのお嬢さん風だ(えっ?) けれど、この日、他の人々は、体力的にきつそうなスケジュール(アユタヤを自転車で走る……って、初めての海外旅行で普通やるか?)か、前日に私が既に行っていた場所へ行くか、タイシルクの店に行くかで、あまり同行したくはなかった。それに私はカオサン通りに行きたかったのだ。
 バックパッカーの皆さん御用達という安宿街。たしか角田光代の小説で知った。既にカオサンに行ってきた者はいて、彼女は「まあ行くだけ行ってみれば?」というようなことを言った。われわれが泊まっていたバンコクの東南寄りの中級ホテルからは、カオサンまで直線距離にして四、五キロだったと思う。他のやつらに訊くと、サイヤーム・センターというでっかいショッピングセンターの前あたりからバスに乗るのが良かろうといわれた。
 朝。サイヤーム・センターまでは一緒というのが二人いて、チュラロンコーン大学(バンコク屈指の名門らしい)の前の舗道、並木の下をとことこ歩いていった。
 別れてから本屋でバスマップを購入、前夜に教えられた番号のバスを停留所でひたすら待つが、来ない。頭上は高架鉄道にふさがれていて、排気ガスの逃げ場がなくこちらに襲いかかってくるようだ。ひとまず手近にあったダンキンドーナツに入り、バスマップを再検討(アイスレモンティーを頼んだらむちゃくちゃ甘かった。レモンティー味のキャンディみたいな味だった。飲み物がやたら甘いのは、バンコクではここに限ったことではなかったが……)。1キロほど歩いた先の別の大通りのほうが、バスがつかまりやすそうな感じだったので、歩くことにした。
 高架鉄道(BTSというらしい)の下の道を北上。とにかく、暑い。私は直射日光に弱い。でも、帽子を被っていると、この地ではすぐに観光客だと見破られ、カモられそうになるのであった。だから極力被らないことにする。……しかし、午前中の半端な時間のせいか、産業道路みたいなわりあい殺風景な幹線道路のせいか、すれ違う人はあまりいなかったのが、却って気楽だった。なんだ、バンコク、あまり怖くないじゃん。と思い始める。
 そして、冒頭の文章に戻る。
 しばらく待って、ノンエアコンバスに乗った。バンコクのバスは二種類に大別できる。ノンエアコンバスと、エアコンバスである。違いは読んで字の如く。ノンエアコンバスはノンエアコンであるがゆえに、窓は全開だ。ワンマンではなく、料金を集めに来るお姉さんがいる。お姉さんは親切だった。「どこに行くの?」と訊くので地図を指し示したら、目的地が近づいたときに教えてくれた。「民主記念塔」前で降りれば、カオサン通りはすぐそこだ。
  2001.5.1.

二月某日(後)
 「民主記念塔」というのは、大通りの真ん中にそびえている、石造りのモニュメントである。某「歩き方」によれば「1932年に起こった立憲民主革命を記念して建てられた、タイ民主主義のシンボル的モニュメント」だそうだ……ってよくわからない。タイについてちゃんと研究してくれば良かった。
 ともあれ、この周辺はタイの行政の中心でもあるらしく、大通りはきれいに整備されていて、街路樹の木陰が気持ち良い。日本でいえば霞ヶ関といった感じか。しかし、大通りをしばらく行ってむかって右に入れば、そこがカオサン通りである。
 片道二車線くらいの通り。しかし路上駐車のタクシーやトゥクトゥク(オート三輪を利用したタクシー)のせいで、狭い。通りに面してゲストハウスが立ち並び、一階はカフェや土産物屋、コンビニになっていることもある。それらの庇の下はみやげ物のアクセサリーやTシャツ、その他雑多なものの露店に占領されていて、人と人がすれ違うのも困難な混雑ぶりである。観光客とみれば店から声をかけられるし、トゥクトゥクのおっさんたちも声をかけてくるし、掏摸ひったくりも怖い。ゆえに、小心者の私はなるべくこわい顔をして歩いた(こわさ83%)。
 思ったより欧米の人、特にヨーロッパ系が目に付いたけれど、やはり日本人もいる。私が見かけた日本人は男子ばかりで、
・ひとりで行動。いかにも、どこでも生きていけそうな固太り。眼光が鋭い。
 日本におさまりきらない感じ(良い意味で。また、悪い意味でも)
・三、四人のグループ。俺達、にわかバックパッカー、只今冒険中
 (とちょっと興奮ぎみ)
の二とおりの人々がいた。インスタントカメラで通りの写真を撮ってる私も、後者みたいなものではあるけれど。
 とにかく人が多く、昼飯どきで食べ物屋もかなり混んでいたので、通りを往復し、みやげ物屋で絵はがきを購入したただけで脱出した。
 大通りに発見したこぎれいなカフェでごはんを食べ、国立博物館に向かった。途中にはサナーム・ルアン(王宮広場)という広場があり、目に涼やかな緑の木々がすっくりすっくり立っている。散歩にはもってこいの場所だ(でもすぐにトゥクトゥクの運ちゃんが寄ってくる……)。
 博物館は静かで、何よりも涼しいのが有り難かった。展示はあまり凝っていなくて、小さいものはガラス棚の中に、大きなものはそのあたりに淡々と並べてある。その中でも伝統の螺鈿細工のものが美しかった。仏像ではスコータイ朝のものにとてもいいお顔をしたものがあった。古い楽器を集めた部屋も圧巻だった。琴、三味線のようなもの、木琴、その他打楽器などなど。伝統衣装を展示した部屋の王族の写真のどれかが、サークルの同期の男の子(とてもかっぷくがよい。)に似ていたらしいけど、私には発見できず。
 途中で一緒に来た仲間のひとりに遭遇した。しばらく一緒に観てまわって、別れた。彼女も一日単独行動で、寺院を中心にまわっていたらしい。全く、私たちらしい卒業旅行ではあった。
 さて、博物館を出ると、太陽は傾きかけていた。さんざん歩き回って疲れたし、私はそろそろホテルへ帰ろうと思った。
 そして、危機が訪れた。
 私が携えていたバスマップというのは、バンコクの市街地図で、街路の上にその道を通るバスの番号と、エアコン・ノンエアコンの別が記されている。停留所は明記されていない。そしてバスを識別するのは番号だけで、行き先だとか、往復なのか循環なのかということはさっぱりわからない。朝出てきたサイヤーム・センターに戻りたかったので、その周辺を通っているバスの番号を確かめ、王宮広場周辺に停まるバスの中で一致するバスを探した。それはいくつもあったが、どれもあまり来ない。勤め帰りや学校帰りのタイの人たちにまじって、どれだけ待ったことだろう。
 やっと乗ったバスは、なぜかほぼ空っぽだった。車掌のお姉さんは気の毒そうに言った。
「このバス、次が終点なのよ」
 そんなこと、バスマップを見てもわからないんだってば。
 このお姉さんも親切で、運賃は要らないと言ってくれた。私は王宮のそばで下ろされ、バスを求めてさまようこととなった。日は暮れつつあるし、ひとりでタクシーに乗るのは怖い(行き先をわかってもらえるか自信がないし、最悪の場合どこに連れて行かれるかわかったものではない)。歩いていくのもちょっと遠い……。
 そうして歩いていた時間は永遠のように長く感じられたが、私はついにめざすものを見つけた。サイアーム・センターに停まるバスのひとつに15番というのがあったのだが、そこには「15」と大書された小屋(日本の、観光地の有料駐車場の料金所みたいな)があって、15番のバスが何台も停まっていたのだ。
 私はそのへんにたむろして煙草を吸っていた運転手の皆さんに向かって、デタラメ英語を叫んだ。
「このバスはサイヤーム・センターに行くのデスカ?」
 彼らは面くらっていた。「お前が話せよ」「お前が」というようにお互いをつつきあっていたが(外国人に話しかけられたときの対応とは、どこでも変わらないらしい)、ひとりが言った。「サイアーム・センター。OKOK.」
 そしてそのバスはたしかにサイヤーム・センターに私を連れて行ってくれた。ノンエアコンバスで、窓際に座った私は存分にバンコクのススを味わうことになったが。……長い間ひどい渋滞で、歩いたほうがはやいのではないかと思うほど。
 カオサン通りのそばも通った。次にバンコクに来たら、カオサンに泊まるのもいいな、とちらっと思った。
 バンコクの家々は見たところコンクリート造りが多かった。仕出し弁当の箱を思わせる、微妙に薄っぺらいつくり。高速道路やBTSの高架も、日本の首都高速よりもひよわな感じ。地震がないからそれで良いのだろう。箱のような家々には前面の窓に凝った鉄格子が施されたものがあって、それは鳥籠みたいだった。それほど大きな道ではなくても街路樹が繁っている。
 バスには学生さんがたくさん乗ってきた。バンコクの学生は皆、必ずしも制服ではないようだが、白いシャツと黒いスカートかズボンを着用している。なかなかお洒落な人もいる。そういえば、私と一緒に来たやつらのうち何人かは、バンコクの女子中学生の制服のブラウスを買い求め、嬉々として着ていた。マニアめ。
 バスには一時間近く乗っていただろうか。途中で大渋滞をぬけたバスはうなりをあげて加速し、路面をなぞって躍動した。
 私はサイヤーム・センターの前で下り、交差点をはさんではす向かいの位置にあるマーブンクロン・センターの地下の食品スーパーで買物をした。(サイヤーム・センターはわりとスタイリッシュ。普通のお洒落なデパートだ。MBCはといえば、丸井みたいな、上野のABABみたいな、中野ブロードウェイみたいな……、そしてそれらをつきまぜて巨大化したような感じで、ものすごい。)
 暑かった一日が終わろうとしていた。
 菫色の夕空の下を、どこまでも歩いていけそうな気がした。
2001.5.6.

一週間
 日曜日。前夜からずっと短歌を作っていた。朝、一時間だけ眠るつもりが五時間くらい眠ってしまう。数は間に合わないし、ここのところの精神状態の反映された拙いうたを読み返して、さらに落ち込む。この日の歌会は結局欠席(申し訳ございませんでした)。レンタルビデオを返しに出かけ、三キロくらい歩いて帰る。
 月曜日。九時半から六時まで働く。火曜日。同じく、九時半から六時まで働く。三十分と十五分の二回ある休憩時間を除けば立ち詰めだ。最近、骨盤がゆがんでいるせいか、左足が右足より少し伸びている。帰宅して足首をさわると、明らかにむくんでいる。
 水曜日。女子校時代の友人達と飲む。就職してイタリアに渡ることになったO、アメリカの大学から休暇で一時帰国中のE、都内の地方公務員のS。Oは物理の研究をしている。Eは砂漠の中の街に住んでいる。Sは税金を扱っている。「もちチーズピザ」の餅が生焼けであったため、頼んで取り替えもらう。最初に頼んだ「軟骨のから揚げ」がだいぶあとに来て可笑しかったため、最後に「枝豆」を注文する。本日の成績は梅酒(ロック)・ライチ酒(ロック)・いいちこ(シングル・水割り)各1。まだまだである。
 木曜日。九時半から二時まで働いた後、高田馬場のドーナツ屋で昼飯。短歌を三十首清書する。六時から竹橋で短歌の公開講座を聴く。来ている人が、既にお孫さんのいらっしゃるような方ばかりで、驚く。終了後、司会を務めていた、私の所属する短歌会の代表にお会いし、三十首を渡す。代表夫妻、短歌会の方達、パネリストだった歌人の方と飲む。ゴーヤの味噌炒めが美味。生中一杯と日本酒をお猪口に三杯ほどいただく。
 金曜日。今日こそ勉強しようと思い立ち、卒業した大学の図書館へ出かける。勉強していて、ふと目の前に置いていたPHSを見ると、留守電が入っていた(私のPHSは普段から黙らせてあるので、着信に気づかないのはそう珍しいことではない)。家からで「大学の図書館のカウンターに、お財布が届いているそうです」というもの。……一時間ほど前に、館内検索の端末の前に財布を置いたことを思い出す。財布、無事に戻る(良かった)。
 土曜日。光合成をするため、大学の友人と白金台の自然教育園へ行く。羊草(睡蓮のようなもの)の花が可愛い。野性のままに繁茂する木々が素晴らしいと私は思うが、友人は隣の庭園美術館のほうがお気に召したようだ。バスに乗って移動し、表参道を歩く。旧同潤会青山アパート(の中の雑貨屋)に初めて入る。日本における鉄筋コンクリート造集合住宅の初期のもので、当時(戦前)としては画期的なものである。もうすぐ取り壊し。住んでみたかった(たしかに狭いけど)。千駄ヶ谷までぶらぶら歩き、池袋へ。夕食のあと、北口の映画館でレイトショーを観る。十年近く昔のヴェトナム映画。一日動き回ってつかれはてていたうえに酒も入っていたため、夢見心地で過ごす。ピアノの音楽が美しい。映画が終わった直後には、映画館に入る以前のこの日の記憶が飛んでしまっていた。我ながら驚いた。
2001.6.3.

六十階
 わたしとけむりは、たかいところにのぼります。
 というわけで。
 今日は六十階まで昇ってきました。(本当は全くの思いつき。)
 そう、池袋のはずれ、戦犯収容所の跡地に建ってるでっかいビルです。雑司が谷の墓地から見るとお墓のおばけのような。
 六十階の展望台の入場料、一ドリンク込みで七百円。平日の真っ昼間だけあってすいていました。エレベーターガールのお姉さんたちも暇そうでしたが、仕事はまじめでした。(「(エレベーターの中の階数表示の)ランプを御覧ください。すごい速さで昇っているのがおわかりいただけるかと思います」、客がひとりきりでも言ってくれるのなら、プロだ。)
 展望台もがらんとしていましたが、若い二人とか若い子供連れとか外国からの人とか地方からの人らしい白髪のおじさんたちとかがいて、閑古鳥というわけではありませんでした。
 青くかすんで見えなくなるあたりが東京湾かな、という感じ。
 六十階がさすがにこのあたりでは抜きんでて高いので、普段は見上げている建物(たとえば、早稲田通りと明治通りの交差点のそばに建ってる高層マンションとか)が、地面にはりついたように埋没して見えます。
 足もとに目をやれば、毛虫みたいにちっちゃな都電荒川線。
 雑司が谷の踏切を渡っている人が、胡麻粒どころか、煎り胡麻の袋に最後に残る粉のようだ。(そしてそれより遠くの人は、私の視力ではもう無理。)
 私はあんなちまちましたところでうろうろしたり、汗をかいたり、迷子になったり、つまずいたりしているんだなあ。
 などと思ってはみたのですが、どうにもおもちゃじみていて、私の日常からはへだたった眺めでした。
 たとえば今この六十階の窓いっぱいにゴジラの顔が迫ってきたなら、そのほうがむしろ親しい現実として受け止められるんじゃないか、とか。
 細かに見える家々の屋根をつまんでぱかっと取ったら、中はいったいどうなっているのだろう、とか。
 えらそうなことも考えました。

 六十階から下りたあと、さっきまで見ていた街を歩きました。
 まだ展望台に残っている私が地べたを歩いている私を探しているようで、変な気分でした。
2001.7.3.

土曜日
 土曜日。女子校時代の友人Mに会う。恵比寿で待ち合わせて、写真美術館へ。
 桑原甲子雄の写真展。
 撮影に使用されたカメラ「ライカ」が一緒に展示されていた。螺子でピントを合わせる古いカメラ。それが沢山。
 被写体は東京。1930年代の、高度成長期の、もっと最近の。
 乱歩が歩いたであろう浅草、天然色で見てみたかった。
 パルコのポスター展。サブタイトル「女の70年代」。
 パルコってとても、とんがった店だったのね(今でも、そうか)。
 それから新宿に移動して、カラオケ。
 私はジュディアンドマリーとザ・イエローモンキーと椎名林檎を歌う。
 友人はこっこと浜崎あゆみとラルクアンシエルと椎名林檎を歌う。それと中森明菜の「難破船」。
 今週初めくらいに空から降ってきた「私は愛のリンパ腺」という言葉が最近の私のマイブームだったのだが、黙って聞く。
 それから夕ごはん。
 何を話したかはよく憶えてない。
 忘れちゃえ、って言われたことだけ。
 スプモーニが美味しかった。
2001.7.15.

秋天的童話
 「誰かがあなたを愛してる」という映画があります。原題「秋天的童話」。香港の、もう十五年近く昔の映画です。
 香港からニューヨークに演劇の勉強に来た女の子・ジェニーが、先に留学していた恋人を訪ねると、彼には新しい恋人がいる。気落ちしているジェニーを、遠い親戚にあたる男・サンパンが元気づけようとして、まあ二人は恋に落ちるわけですが。すれ違いが続いて、うまくいきません。
 このサンパンを演じるのが、私の最愛の映画スターであるところのチョウ・ユンファ様(現在はハリウッドで御活躍)でございます。この映画のユンファ様は、はっきりいってぶさいくです。(もともとユンファ様のようなタイプは好き嫌いが分かれると思いますが、私はとても好きです。しかしそれにしてもぶさいくです。)インテリで美人のジェニーに対して、サンパンは三十過ぎのさえない独身男で、おせじにも教養があるとはいえず、同じような仲間と酒を飲んだり賭け事をしたり喧嘩したりして、その日その日をテキトーに過ごしています。根は優しいいい人なんだけど、ジェニーとは違う世界の住人って感じ。
 しかし、そんな自分を変えようと思いはじめた彼は、部屋の鏡にマーカー(?)で、自分の夢に近づくための目標を書いていきます。彼の夢は、海辺にレストランを開くこと。「賭け事をやめる」だとか「まともな英語を話す」だとか「営業許可を取る」だとか……そして最後に「俺はあの女を愛してる」。ちょっと思いなおして訂正、「誰かがあの女を愛してる」。
 まあそれからまたいろいろあるのですが……ユンファ様はタキシードが良くお似合いです。とてもいい男です。私は好きです。男は顔より笑顔です。全く。
 ニューヨーク・ロケで、秋晴れの空がきれいです。
 今観たら悲しくなってしまいますが……。ニューヨーク。

 もう九月も終わりですね。
 すっかり秋になってしまって、街を歩いているとちょっと怖いです。ひとつ角をまがったはずみに去年の秋に連れ戻されてしまいそうで。
 でも、もうそんなあほな感傷は捨てて、先に進まなければいけませんね。
2001.9.28.